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2010年8月22日 (日)

突然の お客様

 誰も知り会いのいないO市で とっても親切にしてくれた人たちがいる。 
一人は O病院の相談係のHさん。 もう一人は O市の市役所内の消費者生活センターのKさんだ。 
お二人とも 一人暮らしの「お婆ちゃん」の為に 親身になって相談に乗ってくれて 慣れない見知らぬ土地の看病で悪戦苦闘をしていた私の 支えだった。 
結果的には いまや「お婆ちゃん」から「宇宙人」に大変身をしてしまう前の 悪徳業者に騙されて 惨めな生活を送っていた事を知っている唯一の 人達だ。 
けれど、二人とも仕事柄 そこから情報が漏れることはない。 でも、家族の私が ばんばんと一番 情報を流している?よね。


021

  そのHさんが、「夏休みに 唐松岳に登って来た」と 突然 訪ねて来てくれました。 
綺麗な彼女と二人で見えて を飲みながら、近況を語り合いました。 
残念ながら 「一緒に山に登ろう」と 意気投合したお父さんは 月曜日の夜まで留守だったんですがね。
 短い時間でしたが、相変わらずの暖かい心が感じられて いい人と出会えた事に 嬉しく思いました。 また、近々 登りに来ると再開を約束して帰路につきました。

 O病院では、Hさんの事を 知り合いの息子さんと思い込んで 話をしていた「宇宙人」は 今回もやっぱり 誰だかわからず ベッドに横になったまま 知らん振りを決め込んでいました。 何回もあった事のある人や 古い知り合い(こっちにはそういう知り合いはいませんが)しか 分からなくなっています。 
自分が出掛けるディサービスは嬉しそうですが、うちにお客さんがやってくるのは 大嫌いみたいです。

012


 5月に下の娘が帰ってきました。
 
私と楽しそうに話している姿を見て、,宇宙人が
 「女の子は お母さんに会いに来てくれて いいわね。」と言いました。 
息子であるダンナは それを聞いて
 「子供は 親が好きなら 男でも女でも 会いに帰って来るさ。」
と言い返しました。
 
その時の言葉は、今 思い出しても どちらも本音だったと思います。 
その後から 「宇宙人」の「帰る」コールが始まりました。 
同じ頃、O市に「宅急便を送る」コールも始まりました。 
それから、歩き回る事も。 何を思ったのか この時期に 本格的な「宇宙人」になってしまったのです。

 今回も 上の娘が帰って またまた 「宅急便を送る」が始まってます。 
今は受け取ってくれる家も知り合いもないのに 下着や服を送るというのです。
 アルツハイマーでも 自分がホントの家族じゃないって本能でわかっているんだろうと 思われます。 
こっちがなんとかしようと努力しても(我慢して一緒に暮らしてあげても)30年の空白は 絶対に埋められない事は、今からたくさんの時間が重なっても変わらないと 気付いてます。



015


 放り投げてしまったボールは 広い宇宙を彷徨うばかりで もう、掴もうと思っても 無理なんです。 
離した瞬間に 握り締めてあげなければ その距離はどんどん遠くへ、遠くへ離れていってしまう。
 
これが 我が家の親子の悲劇の始まりで それはもう 40年も前の事で 取り返しのつかない現実です。 
アルツハイマーという過去に帰っていく病気だからこそ ダンナの許せない「いつまでも女である事を優先した母親の姿」が 私にも亡霊のように垣間見えます。

 「もう、無理!」

 
という お父さんの悲鳴が時々 聞こえます。 
行き場のない苦しみは どうしたらいいんでしょう? Hさんも
 「家族の方が苦しいでしょう。」と、言われました。
 アルツハイマーを抱えた家族の方は やっぱり 何処のお宅でも大なり小なり 同じ苦しみを味わっておられるのでしょうか。 
悪くなる事はあっても良くなる事のない病気。 
専門の施設が 増えるといいなぁと 常々思います。
そして 知識として皆が 「病気のアルツハイマー」を 普通に理解できてくるといいなと 思います。

   

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