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2010年9月

2010年9月27日 (月)

寒い…。

 朝の気温が 12℃位になってきた。 17日前までは 30度を越えていたので 一日の気温の差が たった、10日余りで 半分に下がった事になる。 体感は かなり寒い。 ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ 秋を通り越して 一気に冬支度の気分で カーペットを 引っ張り出して敷いてみる。 ちょっと気分的に暖かくなった 感じです。    

 
 入所中の 「宇宙人」の冬服を 用意する。
 週2回の洗濯物の日に ノースリーブから半袖、長袖と 毎回2~3枚ずつ冬物と交換しているのですが、入所前の数日間に 「荷造り」をしてくれて シャツ・ズボン下が 箪笥の引き出し2個分が 行方不明に。 一気に寒くなってしまって 春先に着ていた筈の 服すら見つかりません。 
 「何処へ隠しちゃったのよ~?」

 
 施設に着替えを届けに行くと、「宇宙人」は大抵 ホールで椅子に座っています。
声を掛けずに 黙って見ていると 10人くらいが テーブルを囲んで座っているんだけれど 誰もおしゃべりしていない。 ただ、黙って座っているんです。 TVの音だけが流れていて 介護士さんが 「○○さん、××しましょうね。」などと 声を掛けなければずっと そのままです。
 スイッチが入ると ねじ巻きおもちゃのように ホールの老人達が一気に動き出して また徐々に 停止するそんな不思議な風景です。

 「今度は ああいう服を持って来ておくれ。」と 側にいるお婆さんを指差036して、「宇宙人」は言いました。 けれども本当はお婆ちゃん、ああいう服持ってないよね?)と、心の中でつぶやく。
 感情というのは、いつまでも消えない本能の事ですよね?
 すぐに欲しい事も忘れてしまうにしても 洋服へのこだわりは ここの穏やかな生活の中でも 消えないものらしい。 否定しては 駄目だというので 施設内では 「はい、はい」と聞いておく事に決めた。 けれども、やっぱり なんか虚しい気がします。 

 「宇宙人」は 介護士さんに 絶対に 「家に帰りたい。」とは 言わないんだろう。
 「落ち着いて穏やかにしていますよ。」と 施設では言われます。
 介護保険は 本人の幸せが 一番の建前だから 施設にいる=幸せだと判断してくれているらしいです。
きっと、これは 私達夫婦にとっても (金銭的な不満は残るものの) 幸せな事なんだと 解釈する事にしています。 

 施設に行っている間に 「部屋の片付けをしよう!、壁の塗装もしよう!」と 決めました。
 せっかくだから 4ヶ月ぶりに 箪笥もベッドも動かして バルサンも焚きました。 その結果 箪笥の裏から 沢山のゴキブリの死骸が見つかりました。O市の古い家から 信州に沢山の荷物と一緒に こっそりとやって来た 大きなゴキブリの最期です。
 見つからなかった冬服は 風呂敷に包まれて ベッドの下に隠してありました。 でも、長袖のシャツや長ズボン下は 半分しか入っていませんでしたので 
ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ… 。 ホント 何処に行ってしまったのやら…?

017 ベートーベン ウィルス  
 妹に撮って貰った 音楽系の韓国ドラマです。
ダンナさんと二人 ここ1週間、毎日毎晩 このドラマに 夢中です。
 私も 音楽家なら ベートーベンが いちばん好きなので 指揮者・カン先生の偏屈で、頑固で、健気で、明るくて優しくて という 登場人物に感化されて なぜか元気がでます。  

  

  

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2010年9月26日 (日)

西山城跡に 登ってみる

 快晴、空は真っ青。 今朝の7時の気温は12℃。 寒ーい! 秋を越えて もう冬みたいじゃん。
175  「絶好のウオーキング日和だよね。」         
 「よーし! 西山城址にでも 登ってみるか?」 
 「それって どこよ?」
 「俺も、まだ登った事はないけど まぁ運動靴でも行けるだろうから。」   
 「じゃあ、メグタも 登っても大丈夫だよね?」
  「いいんじゃないのか?」

 西山城跡(にしやま じょうし)は、解説文によると 室町時代の山城で 仁科氏配下の矢口氏が城主で 仁科氏の滅びた戦国時代に 廃絶したと書かれていました。

078  戦国時代以後の城のようなつくりとは違い 標高870mの峰が一の曲輪(くるわ)を中心に三つの曲輪があります。
 曲輪には深い空壕(くうごう)が掘られていて 守られています。 700年の時代を経ても 写真のような空壕が 何箇所もしっかりと 残っています。

急勾配の山道を登り、細い道幅の山道を 攻めるのは 敵も味方も 大変な労力だったろうと思います。 遠い時代の山城は 今よりもなお 険しく厳しい状況だったと 想像します。

116 三の曲輪、二の曲輪(ここには石碑があります)、一の曲輪には 現在は城山神社が建てられています。
 
110
                           社は古く いつの時代に建てられた物かは 分かりませんが 日本の小さな社は たくさんのいにしえの人々の信仰の場所です。 こんな 山奥でさえも きちんと手入れされているのがわかります。 もちろん 感謝のお参りをしてきました

   115  
 頂上の「一の曲輪」からの見晴らしです。 苦労して登った跡の 絶景かな~!ですよ。

 下りは 登りにも増して急下降です。 もっとも敵は 何処から攻めて来るとも分からないのだから 何処の方向からでも キツイのが当たり前なのでしょうが…。


090  大きな杉林を抜け、一路 下へ下へと山道を 駆け下りていくと 乳川に辿り着きます。
 河原には 数日前の大雨の影響で 水がとうとうと 流れていました。

  メグタは 初めての山歩きです。
 が、山歩きは得意らしく 終始先頭を切って 歩いていました。 
140_22回、真近に 獣の臭いが漂いました。 そういう時、メグタは吠えたりしませんが 必ず臭いの方向を 確認します。 深追いは しないのです。 糞のみで 通り過ぎた後だったんでしょう。
 帰り道 
「多分 熊だったよなぁ。」と いう意見で 夫婦とも一致しましたが、「メグタを連れて行って 良149_2かったよね。」と、本気で思いました。



 
 楽しい久しぶりの ウオーキングでした。


 
「林檎でも 買いに行くかと 言う言葉が
いつのまにか メグタ付きの 遠出のお散歩になりました。

お土産は もちろん直売所の 取れたての
みずみずしくて 甘くて 美味しい

 
 ちょっぴり 幸せな 秋の日でした。

西山城址で すれ違った人 0人。 だあれも 歩いていませんでした。 いいお天気だったのになぁ~。

ちなみに この西山城址は 松川村の小学3年生の
登山コースなのだそうですよ。 桜の季節なら 綺麗だろうなぁ~。


        

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2010年9月21日 (火)

久しぶりの お出かけ ④

 9月15日(水曜日)  出発前の天気予報は 雨マークやら台風情報やらが流れていたけれど ずっと いい天気で ラッキーと思ってましたが、やっぱり 凄い降りですよ。 で、今日は 部屋で読書  (゚0゚)と言っても コミックなのですが…。 と、PCの 娘のお気に入り、お勧めアニメ 三昧。 くったり、のんびり~~。

 そういえば 子供達がいなくなってからは 「のだめカンタービレ」くらいかなぁ~? ちゃんと読んだ女の子のコミックは…。

 中でも 「ばらかもん」 ヨシノサツキ著 が 面白かった。 長崎弁が可愛いし 美味しそうなお漬物のレシピが書かれていたので 冷蔵庫の中にあった大根を使って 真似をして作ってみました。 
 
(・∀・)イイ! 「お母さんって すぐ 作ってみるよねぇ~。」 これは、ほめ言葉なのか、軽率だと非難してるのか? そんな言葉は物ともせず 言い放つ。 
 ( ̄ー ̄)ニヤリ 「美味しいかもしれないじゃん。 簡単だし、材料があるんだし。 ( どうせ、あんた達は 作ってみようとしないだろうし~ね。)」
 これが結構 美味しかった。 パリパリ、ポリポリと 今どきヘルシーな 酢漬けという事もあって いっぱい食べても 安心だし。 娘達には好評でした。 家に帰ってからも、早速作ってみました。 田舎は 大根も安くて太いから どっさり作ってみました。 やっぱり、美味しい 


457  「ぎんぎつね」っていう コミックも 素朴でよかったなぁ~。 
 
  

前日の30何度の 暑さに比べて 雨が来て ちょっと涼しくなってきた所沢でした。

 長野のお父さんに電話すると 「今日は 寒いぞ~。」 出かけるまでは、網戸で窓を開け放していたのに 家中の窓を閉めた と、言うじゃあありませんか…。 こっちへは、真夏の格好で出掛けてきました。 「帰りは どうしよう! 半袖じゃあ もう寒いかなぁ~?」

 (・∀・)イイ! 「所沢には 安っいお店があるんだよ。 安くても 結構いいやつだよ。 買いに行こう!」 
と、夕方 小雨が上がりそうになったので 夕食の買い物も兼ねて 出かける事にしました。 外は 本当に前日とは違って 涼しい風が…。 超格安で 長袖のTシャツを購入。

 ( ̄▽ ̄) 「ラッキー!お買い得!」 無事に家に帰れそうだゎ。

 

 その後、立ち寄ったドラッグストアーの掲示板の壁に 「迷子の犬を探しています!」「猫探してください」など という貼り紙に混ざって こんな言葉がありました。     

「行方不明の猫が 薬品で殺されて見つかりました。 もう1匹は まだ 見つかっていません。 ……。 」  こんな内容でした。

 
\(*`∧´)/ 「これって ひどいよねぇ!」「行方不明になっただけだって 悲しいのにね。 こんな事する人が 住んでると思うと 怖いなぁ~。」 
 
 我が娘は 貼り紙に向かって 怒っています。 悪い事件は 小動物の虐待から 始まる事が多いー 今や 日本の常識に なりつつあります。 あってはならない常識なんですが…。
 我が家のような011田舎では 田んぼのねずみ駆除に 農薬を丸めたものを ねずみ穴に撒いたりします。 春先に有線で 「犬の放し飼いは危険です。 放さないようにして下さい。」 という放送が流れます。 犬が間違えて食べてしまわないようにです。 
 でも、所沢にも 畑や田んぼがあるといっても 長野のように 農薬を撒くことはないと思います。
 その薬品は 悪意で猫に使ったんだと 娘ではなくても 想像がつきます。

 もし今 うちのメグタが 悪意で毒殺されたら…  絶対に 犯人を許せないだろうな。
犬だって猫だって 気持ちが通じ合えば 家族だものね。

 < NHK あさイチ 目ウロコ!認知症の新常 > を見て思う事。

 いつもは「ゲゲゲの女房」を BSで見ているのに 今朝はなぜか見忘れて 総合TVで見ていました。 だから あさイチ という番組は ほとんど見たことがないのに 偶然なのか必然なのか この特集を見ることが出来ました。 家族にまったく 関係のない時には、きっと チャンネルを変えてしまっていたでしょう。 けれど、今 この「認知症、アルツハイマー」の 言葉は 私の耳に 突き刺さってきます。

 私の一番知りたい事、アルツハイマーの心理が、分かりやすく解明されていました。 
番組は 長年一緒に過ごしているご夫婦の 片割れがアルツハイマーになった2組を 特集していましたが 一緒に住んでいなくても、病気のスタートは 同じなんだと 理解できました。 お婆ちゃんを連れて来て 何も分からず おたおたとしている 私達に 担当ケアマネージャーさんが
 「否定してはいけないんですよ。」と ずっとおっしゃっていた言葉を  今更ながら やっと 少しだけ理解できた気がします。
 
忘れてしまう事が 表面に激しく出てきてしまうので 「もう、理解できないんだから、しかたがない。」という考え方は どうやら間違っているらしいのですね。
 感情だけが残るっていう 説明も 一般人のそれとは違うということも なんだかわかってきました。 トイレの粗相は 恥ずかしいという感情の裏返しなのですね。 

 笑顔が 唯一 アルツハイマーの防止になると締めくくっていました。 それも 多分たくさんの苦しい経験者の皆さんの実感でしょう。 
 
 じゃあ、我が家の「宇宙人」に 当てはめてみたらどうでしょう?
「宇宙人」は いったい何が出来て 何が好きなの?
「宇宙人」は 何をしたら 笑うの?

 あ~あ! やっぱり わかんない。 
 
 家に来たときには 何にも出来なくなってる人だったし、何かをしたいとも言わないし。
全然、知らない、他人と同じだもんねぇ。 ヘルパーさんへよりも 笑ってくれないもんね?


 笑顔で 改善されるのなら 明るくて楽しい家族関係の形成が 一番の課題ですよね。
それは、これから年老いていく私達の大きな課題で 「宇宙人化」してしまっている今の現状は もう手遅れなのだと 半分は思っている自分がいるのです。
 私たちは、笑っている姿が幸せなのだとしたら 今の維持の為に 「介護施設の確保」が 「宇宙人」には やっぱり必要なのかなと 確信しつつあります。
      
 

 

 

 

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大嫌いだった 酢豚

ブログネタ: もう一度食べたい給食のメニューは何?参加数拍手

 大好きだったのは クリームシチューと フルーツポンチの組み合わせ。
その日は 嬉しくて 配膳される時に 「大盛りのお皿が きたらいいなぁ」と 願っていたものでした。 あの味は 家では作れないなぁ~と 思います。 もう一度食べたいです。

 その反対に 好き嫌いがほとんどない わたしが 唯一苦手だったメニューが 「酢豚」でした。 特に 小学校の時代の 「酢豚」は 大嫌いだったなぁ。 今では 大好きな「酢豚」なのに なぜ と考えてみると あの頃は 乾し椎茸が嫌いだったという事に 気付きました。

 その上、あの時の椎茸は やたら大きくて「酢豚」独特の 甘酸っぱい汁が 苦手だったのかもと 思い出されます。
 3~4年生の担任の 伊藤先生は 給食は残らず食べる事というとっても厳しい先生だった( 今どきはいないよね、そんな厳しい先生。だから、フルネームで 何十年経っても 覚えてるなぁ。 もう、年齢的に 亡くなってしまっているかも?)ので、それが トラウマになっていたのかもしれませんが…。

 あれから、何十年。 今では 干し椎茸は 大好物になっています。 自分で「酢豚」も作るようになって 中華料理も大好物になりました。 きっと 今なら あの大きな椎茸入りの 「酢豚」を食べたら 絶対に 「美味しい」と 叫ぶんじゃないかしら。

 こっそり、食パンに挟んで 近所の友達の家の犬に あげたのは 遠い記憶です。

 でも、椎茸の甘酸っぱいイメージは なんか 懐かしい。 もう一度 今度は美味しく食べてみたい。 それが、「酢豚」です    。

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2010年9月20日 (月)

美味しんぼ。

ブログネタ: これさえあれば、ごはん3杯!参加数拍手

< しゃくし菜漬け >

 075 今回 川越に行って 美味しいもの発見! 古いお蔵の 漬物のお店の試食コーナーで 見つけましたよ。 娘は 大の漬物好き。 吸い込まれるように 試食品に 手を出しました。             (・∀・)イイ! 「お母さん! これ、美味しいよ」 
 
 それが 「しゃくし菜漬け」 です。 初めて聞く名前なので お店の人に聞いてみました。 「秩父で取れる野菜ですよ。」なのだそうです。 本当に さっぱりしていて 美味しかったです。 ご飯は、3杯食べれるかは どうでしょう?

< 青とうがらし味噌 >

 我が家の夏の定番。 地元のからーい味噌です。 作り方は とっても簡単。

青とうがらし(こしょう唐辛子と言ってる人も) 2~3個 みじん切り
味噌                      適当
砂糖                          好みで 調整
サラダ油                   適当

フライパンに サラダ油を引いて 青とうがらしを炒める。 味噌、砂糖を加える。
味噌をゆるめるために水を適宜入れて よく練る。水分をとばして完成。

これが 辛くて辛くて うまーい おにぎりにもいいし。 辛いから3杯はいけるな。
 

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久しぶりの お出かけ ③

 9月14日(火曜日) 
 所沢に住む 娘の部屋から 手近に行ける所はないかしら?と 出発前から時刻表を 見ながら 検討しました。 
時刻表を調べるなんて 何年ぶりでしょうか? 
ダンナが最新号を買ってきて テーブルに広げてありました。 

 「どれ、どれ?」
 久しぶりに ページを捲ってみると とにかく楽しい 
学生時代やOL時代は 片手に時刻表、反対の手にはYH(ユースホステル)のガイドブックを持って ニコニコしていた 若かりし日の自分の姿を 思い出しました。 
今は なんとも便利な パソコンの中の時刻表。 
出発時間と出発地点、目的地さえ打ち込めば ルートも、乗り換え地点も、到着時間、金額さえも 一瞬で調べられます。
 あまりにも便利で 乗換えが面倒くさくて いつも利用していますが、時刻表がなくならない理由を 再発見した感じです。 
時刻表は場所が見えるんですよね。 路線がつながっているという事の 楽しさです。

 所沢へ 娘が引っ越して2年半。 
池袋から何回も通っているのに ちゃんと地図を眺めた事もなかったんですねぇ。 
川越」が近い。と、発見しました。 都内へ出るよりも 楽しそう     
小江戸っていうのも いい感じ。 ホームページで調べてみると き甲斐がありそうだし…。 そこで、

 
( ̄▽ ̄)
 「一緒に 川越に行こうよ」  (・∀・)イイ! 「いいよ」

 
 そんな訳で 西武新宿線でほんの30分で 本川越駅に到着しました。



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 「蔵造りの町並み」は 現在も生きている町並みです。 信号機もあるし、一般車両も通り抜けられる商店街なのです。 江戸時代から 現在に至るまで 沢山の人達が 泣いたり笑ったり し続けている町が ずっと時代と一緒に残っていて「大正通り」だったり 21世紀のクレアモール街だったり していました。 浅草のよう観光客で生き残っている江戸時代ではなく 地元の人の生活そのものの江戸時代が 見え隠れしていました。


398  428 「時の鐘」は NHKの朝ドラに映っていたので有名ですよね。

川越で 一番 楽しかったのは なんと言っても
 「菓子屋横丁」 435

 
昔懐かしい 駄菓子や
芋のお菓子、ポンせんべい、川越は芋の町。 なのだそうですよ。

427  433 芋まんじゅうが 美味しい。 1本60円の醤油味の  焼き団子。 これが香ばしくって 美味しいのです。

 お芋のソフトクリームも いいなぁ~




460 田中家住宅は 喫茶店になっていました。 ゆったりと 落ち着いた雰囲気が 素敵です。 美味しいコーヒーのいい香りが店外に漂っていて ついつい 入ってしまいました。 

(・∀・)イイ! 「ガナッシュケーキも食べちゃおうかなぁ~」
親が一緒だと ちゃっかり屋さんの娘は いつもにも増してよく食べる。 太るよぉ~



 

ぶらぶら歩きの似合う町、川越。 いい町だったなぁ。
 「また、来よう」と 思いました。


<困った事>

 今回、骨休めに 出掛けてみたのに まず 第一日目に 困ったことが…。 
それは、階段の下りです。 
田舎では 階段と電車の時間には ほとんどご縁がなかった生活を送っていました。 
膝が治ったと思って いましたが、正直 階段を上ったり降りたりする リハビリは やっていなかったのです。 
ところが、新宿のホームで まさかの「足が つる」ことに。  
 ほとんどの駅にはエレベーターがあったり、エスカレーターが常備されているのだけれど
登りはあるのに、下りが無い事が多いのですね。 怪我をしたり 不具合がなければ 気がつかない いろんな不便な事というのは いろいろあるものなんですね。

 夕方、慣れない階段運動で パンパンに張ってしまった足を マッサージクリームで ほぐして マッサージをしました。 
その甲斐あってか 帰る頃には 階段も突っ張ることなく歩けるようになりました。 
自然なリハビリだったわけです。 
とにかく 本格的に 完治の方向に向かっています。 まずは 良かった・良かった かも。

   


   

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2010年9月19日 (日)

久しぶりの お出かけ ②

 9月13日(月曜日)  下の娘と 葛西臨海水族園へ。


283                                                                                      10時に待ち合わせて 東京駅へ向かって GO 京葉線に乗り換えて。   
 とにかく「海がみたい」と いう ささやかな願望から 水族館にでも行こうかなぁと 思いいたったのです。

 水の中は なんとも涼しそう。 たくさんの 魚た323ちも 気持ちよさげに 泳ぎまわっています。 小学校の社会見学の子供たちが 賑やかに楽しそうに 笑っています。
 子供の見る世界は キラキラ未来へとつながって いるんだものね。

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 水族館の中は とっても 快適だったのだけれど この日も 猛暑日。 庭園では、汗だくだくで (;;;´Д`)ゝ

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 <今回 出会った 可愛い動物たち>

 202          
この子は レオくん。 4ヶ月です。 イタズラ坊主。 遊び方が メグタに 似ている。 
可愛いんだよ~。


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 葛西臨海水族園の ペンギンくん。 一生懸命 泳ぎ続ける、その姿がいじらしい。 
ずっと見てても 見飽きない。 根性

491  レオくん似の この子は 川越の連馨寺というお寺にいた とっても人なつっこい 猫ちゃん。 
スリスリ スリスリの 可愛らしさといったら メロメロになっちゃうね。

497  
この子も 同じお寺にいた 猫ちゃん。 
こちらは ちょっとお婆ちゃんなのかな のどをゴロゴロさせて 喜んでくれました。 この石の上に ずっと 座っているのは 大変そうなのに 招き猫ちゃんのように ニコニコ座ってるのです。 猫ちゃんも 安心して暮らせる川越はいい町なんですねえ。

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2010年9月17日 (金)

久しぶりの お出かけ 

 9月12日(日曜日)

 スーパーあずさに乗って 一路 東京へ。
 
590  

 9ヶ月ぶりに「息抜きに 遊びに行く」と 目黒に住んでいる妹に メールをすると
 「損保ジャパンの ウフィツィ美術館の チケットが当たったよ。」
と言うので 西口で待ち合わせをしました。 
彼女は 私が東京へ行きたいなぁと思うと 毎回 どういうわけか 美術館のご招待チケットを当ててくれるのです。 
そのおかげで 今までも  いろいろな美術展の作品を一緒に 見に行っています。 
今回も 私の為に当ててくれたみたいで 嬉しいです。  
 


025            
                
  東郷青児美術館は ずっと以前に ゴッホの「ひまわり」がやってきた時に 訪れた以来です。 
今回は 自画像のコレクションで 見ごたえのあるいい作品が ずらりと展示されていましたよ。 
一番良かったのは 開催2日目の午前中だったので、見学者が少なかった事です。 
全ての作品を ゆっくりとたっぷりと見て回ることが出来ました。 妹には 感謝、感謝です。


 
 その後、「今から何処へ行きたい?」と言うので、「海が見たいなぁ」と、即答。
それで 「浅草から水上バスに 乗ろうか?」と言う事になりました。

                                        

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水上バスなんて 何年ぶりだろう? 子供達が小学生の頃 だったかなぁ?  
今は乗り場もきれいに整備されて 待合室も快適でした。 
サントリービルの後ろにスカイタワーが くっきりと 見え隠れしていました。 
浜離宮まで乗ろうかと話していたのだけど この日は 前日に集中豪雨があって 海面が高く満潮と重なっていたので 4時には終了してしまい 日の出桟橋までの最終便に乗り込みました。 
運よく水上バスの1階の窓側の席に 座ることが出来たので デジカメで いっぱい写真を撮りまくりました。
いつの間にか Mr.children の「水上バス」の メロディ♫ が頭の中に流れていました


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 波が高く 水位も高いので 勝鬨橋が2階席では ギリギリで 2階席のお客さんは 橋の橋げたに手が届きそうなので皆な ばんざいポーズをしていましたよ。 
東京タワーは赤い夕日にキラキラ綺麗でしたが 座席が反対側だったので キラキラ写真は撮れませんでした。 
次に乗るチャンスがあったら 今度は反対側に乗って 真っ赤な夕日にキラキラの東京タワーの一枚が欲しいなぁ。

 長野県も 今年はとっても暑いんだけど、やっぱり 東京は長野とは比べものにならない。 蒸し暑い。 
けれども、夕方の海風は ちょっと 涼しくて ホッとする。
 「ここ数日は 涼しいんだよ」と妹。 
この日は 何十日も続いた熱帯夜が 一休みだったんですよ。 ラッキー


 

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2010年9月11日 (土)

穏やかな日々です。

 木曜日 9日の事ですが、毎週土曜日と水曜日が入浴の日なので 洗濯物を届けに施設に行ってきました。

 「新しい服や下着を届ける時は 必ず介護ヘルパーさんに渡してください」
と言われていたので ヘルパーさんとお話をしていたら 後ろから チョンチョンと 突っつきます。 
 「何かなぁ」と思ったら 「宇宙人」でした。 
うちでは見せない極上の笑顔でした。

 
「お洗濯ご苦労さん。」だそうです。

 9時を少し過ぎていたので ホールにはヘルパーさんと数人のお元気なお年寄りがテーブルに座っていました。
 「宇宙人」は自分のベッドにいたらしく 目がとてもいいので 部屋の前を通って ホールに向かって歩いている私を 見かけたんだそうです。 
チェックを受けてから 持って来た洗濯物を ベッドの隣にあるタンスに終いました。
 施設に入っている1ヶ月間は 施設長の方針だというので 今はカテーテルを外して 紙オムツになっていました。 
夜中もヘルパーさんが トイレに連れて行ってくれるので 安心なんでしょう。 
歩くのも スタスタと普通の速度で歩けるので とても元気に見えました。

 
「元気そうだね? 毎日、楽しくしてるの?」と 聞くと 
 
「ここも なかなか大変なんだよ。」という 言葉が返ってきました。 
家では ゴロゴロしていた時間が ここでは常に管理されている状態なので 決まった時間、時間で行動している分 そろそろ時期的に疲れが出てくる頃でしょう。

 この6月から ショートステイで 2泊3日、3泊4日は 何回かお願いして利用していますが、今回のように長いのは初めての事ですから。

 でも、目が釣り上がっていたのが 今は普通の表情になっています。
同じような認知のお年寄りの中で あんなに自分で否定していた アルツハイマーと言う病気が 理解できるようになったという訳でもないんでしょうが、穏やかに 話すことが出来ました。 ちょっぴり 安心しています。


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 田んぼの中にある 明るいその施設の周りには コスモスが風に気持ちよさそうに 揺れていました。 春から暑すぎた夏へ そして実りの秋へと 移り変りつつあります。

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 4月に 運んできたまま ずっと手付かずの「宇宙人」の荷物。
 あれもこれもと 欲張って 車に積み込んできましたが、結局は 使わなくても用の足りた物ばかりでした。
 人間って強欲で 物にこんなにも支配されているんだな~と 今更ながら思います。 
もう一度 仕分けをしてみると これから必要になりそうな冬服と、布団と備品。 
何のことはない。 これだけで本当は 生活出来るんですね。
 改めて すっかり消えてしまった「宇宙人」の過去の贅沢品は サインと沢山の契約書と共に 魔法が解けてしまったかのようです。 
中身のない宝石や流行を追った衣服は 山ほど有っても 今の時代には着られません。 
ましてや 何を思ったのかヘルパーさんに
 「私や孫に あげる。」」と言ったといいますが サイズが 好みもありますし 145cmしかない小柄で痩せぎすな体系の服は 他の人にはあげることも 出来ませんし…。 
かといって そんな服では施設に行くのにだって 着てもらう訳にはいきません。 
やれやれ です。 
それでも すぐ棄ててしまう訳にもいかず ダンボールに詰めて置きました。


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 今度 「宇宙人」が 帰って来た時は、もう 肌寒くなっているかもしれません。
 記憶が無くなっていると言っても どの部分が消えているのかは 他の人にはわかり難いのです。 
その上、今は「宇宙人」ですから 言葉に出して言えないのです。 
服の事だって 私には悪趣味に思える品物でも もしかしたら 大のお気に入りなのかも分かりません。 そう思うと 捨てられないですね~。

 本人がいないので 穏やかに片付けることが出来ます。
私が大急ぎで片付けてあげても 気に入らない日は 一日中 タンスの中を 覗いている時もあるのですからね。 
また 帰って来たら タンスと にらめっこ でしょうけど。 


  

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2010年9月 6日 (月)

なぜか 眠い…

 長期ステイに出掛けて 今日で何日目だろう? 
この数ヶ月で やらなくてはいけないのに出来なかった事や 時間がなくて出来なかった事が 一杯あった筈なのに 今は なんだか とっても 眠い。
 ここ数日は 朝、7時まで爆睡で 今年になって初めてというくらい ぐっすりと眠っているはず
なのに 眠くて眠くて たまらない。


 昨日も WOWOWで「ハリーポッターと謎のプリンス」をやっていたので
 「映画は 久しぶり。ゆっくり 見よう。」
と思っていたのに いつのまにか コックリコックリ…。
 半分くらいは覚えているかなぁ。 なんでこんなに眠いのかなぁ ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

 気が抜けたのは ダンナも一緒だったらしい。 ここ数ヶ月の緊張感が 一気にほぐれて 欠伸ばっかりしている。アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!

 その上、今日は「AM9時からAM11時まで 停電です。」の ハガキが中部電力から届いたから、 朝から 仕事にも なりゃしない。

 てなわけで 「よし、くんくんへ 美味しいコーヒーを飲みに行こう!」と 意気投合しました。

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 「くんくん」は 簗場スキー場の傍にあります。
 まだ、20代の大町に住んでいた頃 私がアルバイトをしていたレストランが 長い休暇を終えて 「復活」しました。
 懐かしくて 嬉しくて 訪ねてみました。

 店内は 変わらず 昔のまんま。
素朴で暖かい雰囲気も そのまんまです。 いっぱい 近況を話してきました。 
今の我が家の介護の現実もです。
だれかに 話が出来るっていうのは 嬉しい事だとわかりました。 コーヒーも 美味しかったです。

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 その後 中綱湖と 青木湖を ぐるっと回って 帰りました。 
青木湖スキー場は 閉鎖になってしまって 赤い屋根のホテルブルーレイクも 裏びれて侘しい姿になっていました。 
青木湖スキー場の コーヒーラウンジでも アルバイトをしたことがあるので この綺麗な湖が、冬でも凍らない美しい湖に向かって滑り降りる 気持ちよさ。
 大好きだった青木湖スキー場がなくなってしまうなんて 想像も出来なかったです。 
でも、時代の流れには 仕方のない事なんでしょうか? 
いいものが消えていく 残念でたまりません。


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青木湖の 湖岸は 相変わらず 青く澄んで 青い空を映していました。

  

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2010年9月 4日 (土)

そうなんですね…

 今日は 施設の方から連絡が入って
 「施設院長先生の方針のお話や 施設内の見学、その他の手続き等が あります」
というので 主人と出掛けてきました。

 介護施設の受付や 事務手続きで 何ヶ所かは回っているので 外観や面談室には入ったことがあったのですが 中を見せていただいたのは初めてでした。
 ずっと以前 高校生の時に、友達と 浜松市の三方原の老人ホームに ボランティアで お掃除に何回か出かけた事がありました。 
あの時代では ガラス張りの広い建物でしたが それは、今の時代と違って 病院と同じで 隔離されている老人のイメージが強かったと 思います。 
その経験が 老人ホームは暗いという先入観を 無意識に刷り込んでいたんだ と分かりました。 
日見せていただいた 施設の明るさと使いやすさは 全然ほど遠いものだったと 改めて思い出しました。
 施設内は 通路も広く明るくて 居心地が良さそうでした。 
少しだけ食事をしている姿を 見せてもらいましたが うちにいる時とは違い 同じ年くらいのお年寄りと 楽しそうにしていました。 
家では見せない 穏やかな顔でしたよ。


 院長先生のお話で すごく納得できる言葉を いただきました。
 「普通の人でも、例えば スーパーなどで ちょっと見知った人と出会ったりしますね。
お互いに 「こんにちは。」と挨拶をする。 ところが名前が思い出せない。
 その時に 相手が「○○ですが××さんですよね?」とか名乗ってくれれば 記憶はたちまち何処でどういう知り合いなのかを 思い出すきっかけになる。 
会話もはずむ。 
ところが、たいていは 忘れている事を言い出すのは相手に悪いと思って 聞かずにいるので 分かれた後でも
 「あの人は誰だったかしら?」と 思いながら忘れてしまう。
 認知の人は 毎日これと同じ状態が 続いていると思えば いいんですよ。 
覚えていて 分かる事もあるし、普通の人と同じようにその場で 覚えられる事もあるんです。 でも、ほとんどの事は 数時間から数日で 忘れてしまい なんだったかしらと 思い出す事もなくなってしまう。」


 これが アルツハイマーを介護している経験から言える言葉なんですよね。 
こんな風に考えたら 何も知らない家族が やる事為す事 いちいち腹の立つ事をしてくれても 本人は必死なんだと 好意的に考える事もできるかも しれません。

 真夜中の徘徊も いい言葉をくださいました。
 「夜中に動き回るのは たいていはトイレを探しています。 
記憶が昔に戻っているので 新しい洋式トイレの使い方を 忘れてしまっています。 
ボットントイレか和式トイレかなら もしかしたら成功するかもしれませんが、新しいトイレは穴が開いているように見えて トイレを探すんです。
すると、バケツがある。 
穴でするよりも バケツのほうがいいだろうと考える。 
それで、バケツと思ったゴミ箱や その他の物にオシッコをしてしまう。 
男性なら 外でしたり 壁にしたりしてしまう。 
家族には 異常行為でも 本人は必死で 失敗しないようにと 考えているんですよ。」


 汚れた物を タンスやベッドの下に隠すのも 迷惑をかけないようにという 必死の考えなのだそうです。 
裏目裏目に出てしまうのは 必死になんとかしようともがいた結果なのだそうです。
 

 「とは、言っても 家族には汚してしまった結果だけが残るので、大変でしょう? 
そこでこういう施設を 有効に使ってください。 
私達は 仕事のプロとして働いています。 
どういう話し方をするか、どういう風に扱うと穏やかに暮らせるかを 勉強しながら ヘルパーさん達も働いています。 
家族の方もそれを参考にして みるといいかもしれません。」  



 この施設の中では うちのお婆ちゃんは まだまだ 大物「宇宙人」の域には達していないようです。 
もっと、もっと 辛い経験をされる日が来るかもしれません…のだそうです。

 ともかく 
 「しばらく骨休めを してくださいね」
と ケアマネージャーさんに言われて 施設を後にしました。 
介護施設は 日々進歩しているんですね。 

本当に 助かります。

 
  

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2010年9月 3日 (金)

住む所がない

 4月に「宇宙人」が 我が家に住み着いてから 私達の居場所がなくなってしまいました。

 「足が悪いんだから」と 最初から「宇宙人」は当然のように
 「私は 1階の部屋だよね?」と聞いてきました。
 1階の部屋は、私達が一番最初に建てた丸太小屋です。 
手伝ってくれた多くの人達の笑顔と、3人の子供達との たくさんの思い出や26年間の思い入れが いっぱい詰まっているのです。 
地元ではないので 知り合いも、お金も、物もなくて 苦労した私達夫婦の 出発点でもあります。 
本当は ダンナじゃないけど お金を一杯持っていた そんな時には 知らん顔して見向きもしなかった「宇宙人」には 住む資格すらないと言われても しかたないんじゃないかとも 思いました。
 が、実際問題 ベッドや仏壇・タンスを入れるのなら どうしても この部屋しかなかったのです。 
渋々部屋の物を移動して 仮の「宇宙人」部屋にしました。

 ダンナは 同居に初めから大反対でしたが、施設が遠のいてしまった4月の時点では、これ以外の方法は あり得なく アルツハイマーの状態のまま 一人暮らしは無理だったし、O市では 借家住まいだったので これ以上ゴミ屋敷に してしまっては 返す事も不可能になってしまうという判断から 片目どころか両目をつぶって 我慢する事にしました。

 
 それでも、まず同居した初日から、主人がイラついたのが 義母の匂いでした。 
香水の香りは、本人にはとてもいい香りなのでしょうが、その匂いが苦痛に感じる人だっています。 ダンナの場合が まさにこれで 義母の服や持ち物に染み付いている匂いが 子供の頃に感じた忘れていた苦痛を 連想させたのでしょう。 
始めの1週間位で
 「もう、我慢できない!」と 言い始めました。
 「くさい、くさい」と言う息子に
 「今は、香水なんか使っていないよ!」と怒る義母。 
ここ3年間は 借金に追われて 美容院で髪すら切っていなかった悲惨な様子なので 確かに今は使ってはいないでしょう。
でも、確かにタンスの中やハンガーに掛かっている服からは 強い匂いが漂っていますし、持ち物全体が同じ香りがします。 
その息子の「くさい」という悲鳴を 義母は「意地悪してる」もしくは 「悪意」と受け取って 大喧嘩になりました。 

 
 その上、一番タチが悪いのが 「宇宙人」は 鼻が悪く 悪臭も良い香りも 自分では分からなくなっている事でした。 
だから どんな状態だって 「臭くなんてない」のです。
 
 そこで、洗濯で少しづつ 香りを無臭に変えてしまおうと思い立ちました。 
だって、香りがわからないんだから 違う香りになっていても絶対に気付かない筈です。
 香りが分からないというのは どうして分かったかというと あのゴミ屋敷の強烈な 悪臭の中で何ヶ月も生活していたり、お布団のオシッコの匂いが分からなかったりしていたんですよ。 きっと 鼻が麻痺して分からなくなっているんじゃないかと 判断してみました。

           

Img_1218





 下着等の香りが消えるのには 約2ヵ月半かかりました。 
部屋の匂いは 窓を開けっ放しに出来る季節のおかげで ずい分と助かりました。
でも、箱や衣装袋に入っている服の臭いは強烈で 取れそうにもありませんが…

 でも、部屋が無くなった事に対する不満は ちっとも解決しません。 
それで、庭に6畳の家を建ててしまおうと いうGOOD IDEAに思い当たりました。
 「そうだ!それで 鍵をかけて 閉じ込めてしまえばいいんだ!」Img_1370







 それからの行動の素早かった事。 
でも、残念ながら 今年の6月から7月は 雨だらけの日々でしたよね。  
思うようには、なかなか進みません。
その上、義母がどんどん「宇宙人」に進化していきます。 
私の足の「半月板損傷」が 極め付けで 「夏休みまでに 屋根を乗せる」という目標が 約1ヶ月 後ろにずれ込んでしまいました。 
屋根材は一人ではあげることが出来ないのです。

 (つづく)Img_1417

  

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