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2010年10月

2010年10月31日 (日)

無理 ってか?

 今週末は 時間的に 洗濯物の交換に私が行かれなかったので ダンナが仕方なく いやいや施設に出掛けてくれました。

 新しい服や下着の持ち込みは 他の人と間違えてしまわないように デジカメで写真を撮って 保存しておいてくれるので 必ず ヘルパーさんに手渡しをしなくてはなりません。
 このヘルパーさんの居られる場所が 食堂の一画なので 介護するには入居者が見渡せるという便利な場所なのですが 逆な事を言えば 入居者にとっても 誰が訪ねて来たのかが一目瞭然に 分かってしまう場所でもあります。
家族の話し声や 姿を見かけると 置物のように静かだった老人たちが ざわっと 動くのです。
 この 洗濯物を置いてくるという行動が ダンナは嫌なんだと思います。

 
 先週から「眼鏡、眼鏡。」と騒いでいるけれど 義母は 本当はとっても視力が良くて 遠くの看板や道路標識なんか 私が見えない遥か遠くの字を 読んでいたりしていました。
老眼だから 近くのものは 見えにくいのかもしれませんが…。
 
 この眼鏡、やっと 見つかりました。
いったい何処に あったと思いますか?

 ここ数ヶ月、義母の荷物は 施設から「○○あったら 持ってきてくれませんか?」という電話が入った時に 困ってしまうので すぐ持っていかれるように 引越しの時に持って来た荷物を 分かりやすく仕分けしておこうと 片付け始めました。
 その結果 眼鏡は何処からも出てくることはなく 「家には 絶対にない」ものと 思っていました。 
 が、この1週間 ますます 冬が近づいてきて 寒くなってきたので セーターやら裏起毛のズボンやらを探そうと思って ハンガーが掛かっているパイプ式の洋服ハンガーを動かしてみました。
 
 すると ハンガーに眼鏡ケースが干してありました。
 「あっ、こんな所に あった

 たくさんの冬服と厚手の下着、靴下、それに「見つかった眼鏡」は 
火曜日に私が届けたので 今回は洗い替えの洗濯物だけなので ベッドに置いてくるだけで いい日です。
 「仕方ない、いいよ。俺が行くわ。」

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  モムーリ!o(゚Д゚)っ
 不機嫌な顔で 帰ってきたダンナ。
 
 「なんか あったの?」
 「気分悪い。 オバァにあっちゃったよ。
 初め 俺の顔を見ても 全然気が付かなかったから そのまま置いて帰ってこようと思っていたら 突然 気が付いたんだぜ。
 こっちへスタスタくるから 洗濯物 何にも 言わないで渡してきた。」
 「お婆ちゃんは なんか 言ってた?」
 「別に。 黙って渡して 黙って帰ってきた。」
 
 「そ~なんだ。」
 相変わらずの 親子ご対面なのに また 黙ったままなんだね、この親子。

 息子の顔に 気付かないなんて事あるのかな?
火曜日には 
 「息子も元気?」って 聞いたんだよ。
そう言った事すら 忘れているのが アルツハイマーだとしても 親子だって事を
 お互いに 忘れてしまいたい? って事なのかなぁ?


 昨日、今日と そのせいか ずっと不機嫌な顔つきの ダンナです。
会ったと言ったって 高々、たった1分か2分ぐらいの時間だったんでしょうが。
 これじゃあ 家には もう 絶対に 連れては来られないよね~。

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2010年10月30日 (土)

紅葉・夕焼け

 一気に 寒さがやって来た。
うちの庭にも 何本か ある かえでの葉っぱが 紅くならない。 まだ緑のまま 今年は枯れてしまうのだろうか? 雨に濡れて 淋しそうです。

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  この紅葉は いつも お散歩に行く通り道のかえでの木です。(23日)
この1本のかえでだけが もみじに変身できました。 ずっと真っ赤で綺麗でしたが、この寒さで 残念ながら 赤茶色になってしまいました。



 森の中にポツンと整地された 下草がいっぱいに広がってしまった一画に もう 1本 真っ赤に色付いて 頑張っている 木を見つけました。 写真を撮ろうと思ったら 服にベッタリ 種がくっ付きました。 




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 昨日の夕方の 夕焼けです。
綺麗でしょう? 

 この町に住むようになってから 見た一番の真っ赤に染まった 夕焼けです。 
海辺の夕日は 大きくて真っ赤に染まりますが 山の夕焼けは 早い時間に山に入ってしまうので ほとんどが 雲をオレンジ色に染めるくらいで 真っ赤になる前に沈んでしまうのです。 
特に 私のお散歩コースは 山の麓なので そう感じるのかも しれませんが…。

 台風の影響でしょうかネ?
海辺の夕焼けは どんなだったのかなぁ~。


 今日は 一日雨模様。 止んだと思ったら 寒い寒い

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 もう すっかり 秋を越えて 冬の顔です。 ストーブが似合う季節になりました。
 

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2010年10月28日 (木)

 花梨ジャム

   いつもの林檎の直売所に出掛けると 
 「ご自由にお持ちください。」という 張り紙とともに 箱いっぱいの花梨の実が並べてありました。 
 「うわぁ ラッキー」 試食や「ご自由に」なんていう台詞が 大好きです。 
 「かりんって どうやって 食べるのかなぁ?」

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 そこで まだ、実に薄いベージュ色の産毛みたいなものがついている 大きめな花梨を 2個 頂いて帰りました。
 林檎農家の方は 「畑に出ています。」という メモが残っていたので 花梨の食べ方を 直接聞きたかったのですが   残念でしたが そのまま 林檎代金を 料金箱に入れて(自分で代金を入れて帰るのです。) 帰ってきました。

 今は ホームページを調べると 何でも載っていますからね~。 
 「後で 家で調べればいいや  」って 思ったのです。


 花梨って 諏訪の街路樹で見かけた事があります。 
のど飴にも かりん入りなんて書いてありますよね。 でも、どうやって 食べるのか なんて 全然わかりません。 
 けれども かりんって 見た目はちょっとグロいけど とってもいい香りがするんです。

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 HPのどのページにも 必ず書いたあったのは、
「かりんは 生では食べられない」のだそうです。
とってもいい香りなので 知らなければ ガブリと噛み付いてしまいそうです。
 その上 皮が固く 渋いんだそうです。 
なので、かりん酒か かりんジャムか砂糖漬けがいいと 書かれていました。

 たった2個しかないので 飲めるまで1ヶ月以上もかかる かりん酒を 作るのはどうかなぁ~と思って 一番手ごろで
簡単そうな「かりんジャム」を 作ってみる事にしました。

 かりんジャム

<材料> 
 かりん  2個 (800g)
 砂糖   かりんの重量の1/2

①かりんは きれいに洗い 1/8に割る。
 皮と芯を取り 鍋に入れてひたひたの水で煮込む。
 とろとろになったら 皮と芯、種を取り出す。
②実は1~2センチの小口切り。
 ①に実を加え 砂糖を入れて煮込む。
③実が 溶けてきたら完成




 HPには いろんなつくり方が載っていました。


 かりんの果実は固くて ナイフで割ったり、皮を剥いたりするのが大変と 書かれていたので 覚悟して取りかかったのですが 
想像していたよりも 簡単に割れたので な~んだ!と思ってしまいました。
カボチャと比べたら 全然 楽チンです。 でも、10個も20個も 皮を剥くとなったら 重労働かもしれませんが。

 
 本格的な作り方が 載っているものが多かったけれど、私は 根っからの無精者なので
なるたけ 手を掛けない簡単な方法で ジャムを作りたい派です。
 なので、常識的な作り方を頭にインプットしておきながら 結局は いつも自分が作っている林檎ジャムと 同じ方法で作ってみる事に 決めました。
 フードプロセッサーで細かくする、みじん切りにする、などという所はカットしてしまいました。
 その上、一昨日からの寒波で ついに登場したストーブで トロトロ煮込むという方法が
我が家のエコ&手抜きの 最上級なので その方法を採用しました。
 ストーブの上で、ゆっくり煮込んだかりんの 甘酸っぱい香りが部屋いっぱいに 広がりました。
 林檎とは違って 水分が多いので思ったよりも早く完成しました。
 香りと甘酸っぱさが このジャムの魅力です。 本当に美味しい
 

 
  試食は マーガリンとかりんジャムを乗せた 食パンを 3時のお茶に と一緒に 出してみました。 普段 ほとんど ジャムなんて食べないダンナですが 
 「これは さっぱりしていて 美味しいなぁ。」と 好評でした。

 今度 行った時に かりんを売っていたら もう少し買って来ようかなぁ~。
作り方は とっても簡単だし。
娘には 次の宅急便で 少しだけおすそ分けしようかな

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2010年10月25日 (月)

なんにも 変わらない

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 10月25日(月曜日)
メグタの抜糸の日。 長い長いメグタのエリザベスカラーの日々。
やっと 今日から開放だ~ と思っていたら この子 体が柔らかくてカラーが ちっとも役に立っていない。 なめてはいけない傷口を 体をUの字にひねって  なめてしまったので 腫れがなかなか治まらなくて 先生に
 「後 2~3日は カラーをして下さいね。」と言われてしまいました。
抗生物質の薬も 追加されてしまいました。

 
 拘束されるのが大嫌いなメグタ。 雨降りの日が続くのと じゃまくさいカラーとで ストレス全開。
 カラーは 手術翌日、先生に
「壊してしまっても 大丈夫です。 これは あげますからね。」と 頂いたものなんですが 即 2日目に バリバリに壊してしまいました。 先生からは いたずら坊主はきっと 壊すと判断されたんでしょうね。
 「ガムテープで どんどん補強していって下さい。」と、言われた通りの結果です。

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 ガムテープは ご覧の通り。 ガシガシに噛まれて ガムテープの機能が難しくなっています。 これまでに何本やられたかは 数知れずで あります。

 このガラス戸は 玄関の内側のドアのガラスです。 この日曜日にやられてしまいました。 毎日 飛び出していくので 慣れている筈なのに 左右が見えにくいカラーで 感覚が鈍っていたんでしょうかねぇ  ガラスはこう 割れる…の見本のように もののみごとに やってくれました。
 朝、見つけたんですが、メグタが血まみれになってなくて ホッとしました。
もし、当たり方が悪かったら ガラスが砕けていて首や頭に突き刺さるって事だってあったかも と思うと ぞ~としました。
 「ホントに 信じられない事ばっかりするよね~。」

 つい先日までは 同じ言葉を 「宇宙人」に言っていたよね と 思い当たりました。 
こんな乱暴なメグタの行動が 普通に思えていたなんて 大変な日々だったんだと 今更ながら 思えます。 
 

 今日は けっこうな降りの雨。 散歩に行くと 騒ぎ出したので 傘を差して原っぱをいつも通りお散歩してきました。 体はびっしょりなんだけど 頭はカラーのおかげで 濡れませんが…。
 雨だろうが 怪我だろうが… 雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ の精神で突き進んでいます。 

 後、2日 頑張れ~。 メグタ~。

  

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2010年10月24日 (日)

眼鏡がない って?

 木曜日。 介護施設のケアマネージャーさんから 電話がありました。 
 
 「おばあちゃんの 眼鏡がお家にありませんか? リハビリで仕事をする時に 目が悪くてよく見えないっておっしゃるんですけど。」
 「入所する時に 荷物の中にいつも使っていたらしいのを 一つ入れておきましたけど。」
 「眼鏡がない、眼鏡がない。と、言っておられるから、持ってこられなかったと思っていたんですが こっちに持ってきていたんですね? じゃあ、探してみますので。」
 入所してから もうすぐ2ヶ月。 こんな時期に 急に眼鏡がなくなってしまうなんて きっともう見つからない気がします。
ケアマネージャーさんは 長期入所者の担当からは外れてしまうので 担当の介護士さんは 違う方になっていますが こっちに来てから 義母が一番心を許しているのが 彼女のような気がします。 ケアマネさんも 時々様子を見て下さり こうやって報告してくださいます。

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 我が家に 義母がやって来てから びっくりするほど沢山の物が 行方不明になっています。 
第1日目の「鞄がない」から始まって 引越しの挨拶状を写真入りで 作ってあげた「葉書」、靴、杖、服、下着。 お金。 住所録。 ざっと 思いつくだけでも こんなです。

 極めつけは お位牌が三体。 義母にとっては 父母・旦那のお位牌です。 まったく理解不能のまま 見つけても見つけても 隠してしまうのです。
 「お位牌は どうしたの?」と 聞くことにも疲れ果てた 私たちは お位牌は別の棚を作って飾る事にしました。 義母は空っぽの仏壇に 毎朝手を合わせ、水やご飯を供えていました。 夜中、「仏壇から白い光が出る」と言って 動き回る日々も多々ありました。


 入所してからは そんな話も出なかったので 人並に気をはって いたのでしょう。
そろそろ、慣れてきたんでしょうかね?
 「ない、ない。」病は アルツハイマーの常識ですもんね。 
その辺に置きっぱなしの「眼鏡さん」は きっと 周りの入所者さんの 誰かの箪笥の中にでも入ってしまったら ブラックホールのように見えてるんだけど見えない状態で 消えてしまうような気がします。 認知症の人の6人部屋だからです。

 でも、もしかしたら 介護士さんたちは、こういう事のプロだから 上手に見つけ出してくれるかもしれません。 
 そんな事を期待して 洗濯物を届けてきました。 
どこかに隠してあるのかもと 「宇宙人」用の箪笥の中を 隅々までじっくりと 探してみましたが やっぱり見つける事は出来ませんでした。 施設の中の自分用のスペースなんて 限られていますからね。 

家でも 持って行く場所すらないのに 忽然と消えてしまって 未だに見つけられない品物が いくつもあります。 私やダンナがどんなに探してあげても 見つけられないものが 数日後に 元の場所に並んでいたりする事も ありましたし。 
 毎回、毎回、振り回されて 「どうなってるんだ~!」と その頃は本気で思っていましたが 先生 曰く「それこそアルツハイマーの真髄じゃ 同じ世界に生きているんじゃないのだから。」 

 けれども、そう言われれば バカダナァ~私。 やっぱり 家でも他に 何個か眼鏡を持っていたかも と思って 荷物を探しているのです。 結構 不思議な法則で いろんな物がグチャグチャに 出てきたりしますが、肝心の眼鏡は こっちでもやっぱり行方不明でした。 度の厚い ケースのない古い老眼鏡が一つ見つかりました。 が、こんなの使わないだろうなぁ~。 けど、一応 施設には持っていきます。
 
 「おーい! 出てこーい! 眼鏡!」 


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 「最近のお婆ちゃんの様子は どうなんでしょうか?」
 「おばあちゃんは 他の方よりも シャキシャキ動くことが出来るので お手伝いを頼むと喜んで やってくれるので助かっていますよ。 お習字も しっかりと字が書ける日もありますし。
 使った新聞紙を たたんでもらったり、片付けもちゃんと出来ますよ。」

 ケアマネージャーさんが 一緒に様子を見に行ってくださると、「この人、おしゃべりだったんだ。」と 思うほどよく しゃべりかけてきます。 
 そんな時に限って 
 「私は いつまでここに いるのかねぇ?」
 「セナ
(前に飼っていた犬の名前です)は 元気にしてる?」などと 聞いてきたりします。
そして、帰りがけには
 「下まで 送っていくよ。」なんて 言い出しました。
火曜日は そっけなくて 「じゃあね。」と 振り向きもしなかったのに。

 「長野は寒いから 冬はこっちにいた方が 暖かくていいですよ。」
 「だよね。」
 「お友達も いっぱいいますからね。」
 「だよね。 わかった。」

 この「だよね」と「わかった」が 超 食わせ物。
ホントは なぁ~んにも わかっていないし、納得もしていないんだから。
この言葉が出てくるようになって来たってことも うちにいる時に近くなってきたって事なのかなぁ? それは いいことなのか、悪い事なのか? 考えない事にする。
 施設の人は 症状が出ても プロなんだもんね。 
ダンナじゃあないけれど その分 お金払ってるんだもんね。 と、納得する事に決めました。

    

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2010年10月22日 (金)

さっちゃん…

  「どうしているかなぁ…。」
  「元気で 生きているかしら…?」
 そんなふうに  ずっと 心の片隅に 引っかかっている友達がいる。

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 彼女の名前は 「藤田 幸子」さん。
ずっと 「さっちゃん」と呼んでいました。
今は 結婚して違う苗字に 変わっているかもしれませんね。
 
 
 浜松市の区画整備で 実家の周辺が大きく変化した後に 姉に すっかり変わってしまった「さっちゃん」の地区の事を聞いてみました。
 
 「さぁねぇ~。 あの辺に住んでいた人は 今はもう みんな お引越しをしちゃって 誰もいないよ。」という、姉の返事でした。 
それがもう 10年くらい前の事です。
 「そうか~。 さっちゃんも 和(カズ)も 住んでいた お家が無くなっちゃったんだぁ」 

 小学校1年生から4年生まで 同じクラスでした。 背の高さも体重も ほとんど同じサイズだった「さっちゃん」と私は いつもお隣さんだったのです。 自然に いつの間にか仲良しになりました。 学校でも通学でも 放課後でも ずっと一緒にいました。
 あの頃の「さっちゃん」のお家は 今は珍しいタイルやさん。 私達が子供の頃は ユニットバスではなく タイル張りのお風呂が多かったです。
 庭には 青や緑 いろんな色や形のタイルが どっさり捨てられていて 二人で並べて遊んだものです。
 そんなに 仲が良かったのにもかかわらず 5年生のクラス替えで 1組と6組に分かれてしまってからは 少しずつ 二人の運命が引き離されてしまったようでした。

 下校時間を合わせて一緒に帰っていたのが 委員会やクラブ活動が始まって どんどん一緒に帰れなくなり 寂しい日々が 新しいクラスの友達と入れ替わり 中学生になり 高校に入ってからは 姿を見かけることもなくなり もう すっかり 「さっちゃん」は 私の意識からは消えていました。


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 そんな ありふれた「幼なじみの親友」 どんな顔をしていたのか今でははっきりと 想像すら出来ない 友達を急に 思い出したのには 理由があります。

5年位前、 夢なんて子供の頃以来めったに見た事がなかった私が 突然 「さっちゃん」らしい(何十年もあっていないから 実物は判らないんだけれど)人が出てくる夢を 続けて数回見ました。
私の中に残っている 「さっちゃん」の記憶は ふっくらとした真っ白い冷たい手をした女の子です。
 夢って ほんの一部分しか覚えていないでしょう?
その一部分が 「真っ白なさっちゃんの手」なのです。
 「あっ、さっちゃんだ。元気だった?」と 夢の中で 不思議にも感じました。

 それから ちょっと気になって 「さっちゃん」の家の隣に住んでいたのは 東京にいる妹の友達だったので 妹に電話して 聞いてみました。
 「○○ちゃんに 隣に住んでたさっちゃんが何処に越したのか知っているか 聞いてみてよ。」 

 しばらくして、妹から返ってきた返事がこれです。
 「○○ちゃんに聞いたら、もうずっと前 高校生の時くらい前に 引っ越したんだって。 行方不明らしいよ。 実家の近所の噂では さっちゃんは もう亡くなったっていう話もあるんだって。」
 「え~? 死んじゃってるの?」
 「じゃないかと、○○ちゃんは 言ってたけど…。」
 「そうなんだぁ。 なんかショックだな」   
 「夢、見たんだよ。 たぶん、さっちゃんの夢。 まさかねぇ…。 」
 「なんか 幸薄そうな顔してたじゃん?」
 「幸ちゃん なのにね…
     

 「さっちゃん」は あれから ずっと 私の脳裏に刻まれています。
父が亡くなった08年の9月に 姉が父の荷物の中から 私の小学校の卒業アルバムを見つけて残しておいてくれました。
 その中に 古い写真を一枚見つけました。
紛れもない あの頃の「さっちゃん」が笑っていました。

 そう、そう、こんな顔だったよね。 と、思い出しました。



 
 でもでも、噂は噂。 
もしかしたら このブログを 
 「あれ? これって わたし?」って 
 「ひど~い! 変な噂流れてるんだ! 死んでないし!」って
思い当たる本物の 元気なさっちゃんが いてくれたらなぁ~って思って 書いてみました。
思い当たる人 コメントくださいね。


 もうそろそろ、人生後半の部になって きています。
うちの義母のようになる前に 懐かしい友達にも 再会できたら 嬉しいのだけれど…。   
 

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2010年10月19日 (火)

メグタよ 何思う…? ②

 10月18日(月曜日)は 運命の日でありました。  

メグタが去勢する日。


獣医さんから 当日の注意点を あらかじめ言われていましたが、

① 当日は食事を与えない。
② 散歩はトイレのみで 疲れさせない(麻酔が覚めにくいそうです。)
③ 水分は 普通で。
④ 12時までに 来て下さい。

 「ふん、ふん。 大丈夫。」と思ったら これが なかなか難しい。 
メグタは かなりの食いしん坊なのです。 朝からお昼までの食事抜きが 大変でした。
 部屋で飼っているので 食事時になると 自分で食器をくわえて ウロウロしはじめました。 その上 鼻先で私の足をつんつん突くのです。 それは 「ごはん」の合図で 今までずっと この合図で 量を加減していたので 「今日は 食べられない」という事が 理解できずに何回も テーブルを回ってから突いてきます。 これには、困りました。 冷蔵庫の前や、ドッグフードの置いてある棚の前に 座っているのです。

 仕方がないので ベランダでつないでおきました。
 「なんか変だ」と 思っていたと思います。


 お散歩も 困りました。 朝一の家の周りのオシッココースと 原っぱウンチコースがあって メグタは必ず同じ場所でするのですが 原っぱコースは 家から結構 遠くなので我慢させようかなと思ったのですが やっぱり それは無理でした。

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 そんなこんなで あっという間に 12時が近づき病院に 出掛ける時間になりました。

 問診をして、犬の様子を見てくれて 去勢手術が始まりました。
待つこと 約30分間。 犬の去勢手術ってあっという間に 終わるんですね。
「夕方 お迎え」という話でしたが 連れて帰ってもいいというので そのまま 連れて帰りました。

 明るくて 面白く 話好きな先生でした。
ずっと 介護でメグタの獣医さんを 探す事も後回しになっていたので いい獣医さんが見つかって ラッキーでした。 これからは メグタにも 何かあったらいつでも相談できる先生がいるので 安心です。

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      (1)       (2)               (3)  
「傷口をなめてしまうようなら 連絡してください」と言われていました。
夕方になって 多分 麻酔が切れ始めた頃から 傷口をなめるポーズを始めました。
病院はもう 終わっています。 とにかく 明日の朝まで なんとか 傷をなめないようにしなくてはなりません。
それで ダンナがクリアシートで (1)を作って みました。 これは ちょっとダースベーダーみたいで 格好はいいんだけれど 角度と形が悪くて 寝ることが出来ないのです。
外したい一心のメグタが しばらくすると 首からはずしてしまうコツを覚えてしまい 数分で取ってしまうようになりました。

 それじゃと 仕方なく (2)は 私が厚手の大き目のペーパーバックを利用して 作りました。 紙だけだと破ってしまうので クリアーシートも貼り付けてあるんですよ。
これは 柔らかいので 暫くは何事もなく 寝ていたのですが、犬ってちゃんと視覚で覚えているんですね。 これだと 前しか見えないので テーブルや椅子やドアに バシバシ当たるんです。 紙がバリバリ言って いろんな物に当たっても じっと寝ていられないのは 傷のせいか、麻酔薬のせいか。
それで (2)の紙の部分を折り曲げて ちょっとだけ左右が見えるようにしてあげました。(3)です。

 そんな風に 傷口は なんとか朝まで なめずに過ごせたと思いますが、
もう一つの大問題。
「今日は 餌をあげないで下さい。」 
こっちのほうは 時間が経つに連れて大問題になってきました。
とにかく 朝からメグタの胃袋には 水以外何にも入っていないのです。
 夜は 外に出しておくわけにもいかず 切ない 切ない メグタの欲求は 1時間ごとに強くなってくるようで 仕方なく ホントはあげちゃあいけないんですかね?
鶏肉でスープを作って 汁のみを 飲ませてあげました。

 もちろん、スープだけなので お腹は満腹にはならないんですが、気分は食べた気がするらしく 8時、9時、10時に少しずつ 飲ませてあげました。

 息子や娘が発熱した後などにも コンソメスープや薄めのシチューなどを 一番に食べさせたので 犬にだって薄味鶏肉味なら OKでしょう。


 こうして 初めての 断食 手術を 乗り越えました。
その朝、近所のNさんから 「エリザベスカーラーがあるわよ。」と 貸していただきましたが これも ちょっとメグタには 大きすぎてすっぽり抜けてしまうので 
獣医さんに電話してみたら
 「付けに来て下さい。ついでに傷も見せてください。」と 言ってくれたので
12時少し前に 連れて行きました。
 「傷もきれいで 大丈夫!」と お墨付きをいただきました。

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 これが これから1週間の メグタの姿。 やっぱり、自分サイズのものはいい。



 足取りも軽やかに 今日はもう いつもの お散歩。
いたずらも お茶目さも 前とおんなじ。 傷の痛みが治まったら また ガンガン遊ぼうね。 
 
 でも、今の状態を きみは 怒っていないかなぁ~? ちょっとだけ、ごめんね。

    

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2010年10月16日 (土)

ついてない日って 嫌な事が重なるよね?

 昨日は 洗濯物を取りに行かなくてはならない日。
でも、しばらくがない。 「ついてない」日の始まりです。
 急な話だったので クリーニングを施設にも頼めなかったし、一日ずらしても  洗濯物を取りに行かなくてはならないという状況は同じなので 
仕方がない  自転車で 出かける事にしました。

 お天気は時々晴れ。 雨じゃあ中止にするけど しかたない。
 小さなリュックに洗濯したての着替えと 500ccの水をいれ、デジカメと携帯、小銭入れ、首にはタオルを巻き 出発です。

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 自転車に乗るのは ずい分と久しぶりなのです。
 ダンナは 「足のリハビリになる。」と、思っているらしいけど 自転車って 時々乗っていないと 全然 駄目ですね~。 体力も 弱ってるなぁ 

 距離感が 車と自転車では大違い。
それと 思っている以上にアップダウンが 久しぶりの体には 応える。

 この道ってこんなに遠かったっけ? こんなに登っていたんだ~

狭い橋を越える時が 一番大変でした。 坂を一気に上り、息を切らしながらでも止まらないで走り抜けないと 後ろから車がすれすれで通り過ぎるのです。 オバサンにはキツイわぁ~

 やっと 辿り着いて 部屋に行ったら いたいた、ベッドに ごろんと転がっていましたよ。
そろそろ、いい格好しいの「宇宙人」も お疲れのようですね。
家に居たときと 同じようにベッドで ゴロゴロ体制になったという事は ホームに慣れてきたって事ですよね。
 食事も 1ヶ月を過ぎた頃から 嫌いなものは食べなくなってきているそうです。 仕方のない事です。  
 沢山の洗濯物を またリュックに グイグイ詰め込んで 帰ってきました。

 帰り道、自転車用の道路がなくなっている所が 何箇所かありました。
 そんな所に限って 車が駐車してあったりします。 回り込んで道路に出なくてはならず、 「危ないな~」と思って 通り過ぎたら 急にその車が発進して追い抜いていきました。 運転していたのは お爺さんでした。

 「危ない 
避けようとして コンクリートの壁で 左腕を擦ってしまいました。 スピードは出ていないし倒れたりもしなかったんだけど 運悪く 暑かったので長袖の袖を捲っていたので ひりひりする擦り傷ができました。 
 めったに自転車なんて走っていないし、なにも 今 この瞬間に発進する必要ないじゃん 
 「じじい~!!」と 思わず 叫んでしまいました。 

 ほんと 「ついてない」気分…。



       

 今日は 近くでフリーマーケットが開催されるらしい。
朝 9時からと HPに書かれていたので 
「そういえば フリマなんて ずい分出掛けていない」と思いたち、メグタの散歩も 兼ねて覗いてみました。 ここ最近のフリマは 掘り出し物があまりないようです。

 よく 「あなたにとって不用品でも 他の誰かには 必要品かもしれない」などと 言われた事があります。 
でも 本物の不用品なら たとえ「100円ですよ。」と言われても 不用品なんですよね。 
十年位前の フリマのはしりの頃には 本当に素敵な不用品がいっぱい並んでいて 掘り出し物を探すのも 楽しい時間でしたが…。
 今回は 古着がほとんどでしたね。 ちょっと 残念だなぁ~と思いながら 帰りました。

 飛び切002りの大変は 夕方のメグタの散歩中のことでした。
夕方は 原っぱに出かける事が 多いんですが、今日は土曜日だったので いつもは出会わない「メグタのお友達」が ずっと先の方を 歩いていました。

初め 「今日は やけに あっちこっちで何回もクンクンするなぁ~。」と思っていたのです。
そのうち、グイグイ紐を引っ張り始めて 引きずられるように 歩いていくと 遠くに犬のお散歩している姿が 見えてきました。
大きな犬の姿が 田んぼのあぜ道から 見え隠れしています。 
 「あの子かぁ。」と思って 後姿を遠目で見ながら歩いていると 突然 メグタが猛ダッシュしました。    
  「あっ
と 思った時には もうメグタは その子達の所へ向かって 走り始めていました。 
なんと お散歩紐が ブチっと切れてしまったのです。 
  「メグタ~ まって~

 大きな方の犬は レトリバーで もう1匹は メグタと同じくらいのコーギーでした。
おじさんが 2匹の犬を支えてくれていて メグタが周りを ぐるぐる走り回っています。

  「すみません。 本当にごめんなさい。 メグタ、こっちにおいで!」

 紐の切れてしまっているメグタは 喜んでしまって 適当に相手をしてくれる 大人の犬達に近づいたり、離れたりして 全然捕まりそうにもありません。 
 「ワン、ワン。」 「わん、わん。」 「ワン、ワン。」

 捕まえようとすると、遠くに逃げて また走ってを繰り返しています。
特に 大きなレトリバーが好きみたいで すぐに側に寄っていく。 そして また 「わん、わん。」

 3匹とも しっぽは振っているので 喧嘩モードではないけれど。002
 
そんな事を繰り返す事 15分ぐらい。 
いくら優しいおじさんだって 大きな犬を支えるのに疲れてしまいます。
 走り回っているメグタに 少しづつ 疲れが見えてきたその瞬間、レトリバーが お調子者のメグタに 「ウワ~ン!」と吠えました。 
びっくりしたメグタは 飛び掛ろうとしましたが 一発で押さえきられて しまいました。 
その瞬間にやっと捕まえて 切れた紐でしばって 連れて帰りました。 

 レトリバーは7歳だそうで、コーギーが6歳だそうです。 
2匹とも ガキのメグタには 本気で噛み付いたり吠えたりは しませんでした。
見た目は大きくなっても まだまだ子犬なんだって 2匹と比べたら 一目瞭然です。 
犬には犬のルールがあるんですね。 
どちらの犬も 怪我なんかしないで 本当に良かったです。
おじさんには 長い散歩になってしまって ご迷惑をおかけしました。

 生意気な負けず嫌いの柴犬は こうして「情けなく」帰ってきたので ありました。


 昨日の自転車の疲れがとれず、その上 今日もメグタの騒動で いっぱい走らされて クタクタの わたしです。
 
 「ついていない」ってのは こうして 知らないうちに 勝手にやってくるんです。

    

 

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2010年10月14日 (木)

なんか 空しい …

 午前10時過ぎに 介護施設に洗濯物の交換に 出掛けてみました。
 いつもと違った時間帯に出掛けてみると 施設では決まった時間で動いているので いろんな様子が見られます。
 
 今日は ちょうど散髪の時間だったらしく ホールでは3人の美容師さんが忙しそうに ハサミやブラシを動かしていました。 
椅子には順番待ちの お婆ちゃんやお爺ちゃんが おとなしく座っていました。
どこかに 座ってるかなぁ~と思って 目で探してみたけれど そこには姿がありませんでした。
 ホールを通り越して 部屋にいってみると シーツの交換の日だったのか 6人部屋の全部のベッドの布団が外してありました。  お天気も良かったから ちょうどベッドがずらりと干してある光景でした。 「こうやって 干してあるのかぁ~」 
 先週の金曜日は 部屋が臭っている感じだったけれど 部屋の窓側で明るい場所なので 今日は 健康的にみえました。
発見…です。


 先週の金曜日、大きな洗濯物袋を抱えて ホームの事務室に
「ありがとうございました。」と声を掛けたら その帰りがけに 「ケアマネージャー」さんから 待ってましたとばかりに 声を掛けられました。

 「お母さん、とても 落ち着いていられいますが、ご家族にお家に帰りたいと 言われていますか?」
 「義母は ケアマネさんには 帰りたいっていう話をするんでしょうか? 私には 『元気でやってる、大丈夫だ。』としか 言わないんですけれど。」

 「昨日、『私はいつまでいられるんだ?』と 聞いてきましたよ。
 それは『帰りたい』という風な話ぶりでは なさそうだったので 『ご家族と相談して春まではいられるように しましょうか?』と 話ておきました。」
 「義母は 納得してたでしょうか?」

 「『わかった』と 言って安心されたようです。
でも、ご家族には会いたそうですよ。 息子さんは、会いにこられる気は ないんですよね?」

 息子というのは 夫のことです。
介護施設に入所してから 約1ヶ月半が経ちますが、まだ 1回も面会に 行った事がないのです。 
入所前は 仕事でこの施設の前を通るので 「俺が 帰り道に洗濯物を届けてくれる」と 言ってくれたはずでした。
でも、肉親であるほど 拗れてしまった感情を 元に戻すのが至難の業であるという事が 夫を見ているとよくわかります。
 ディサービスやショートステイを利用していた間は 家に義母(「宇宙人」と呼んでいます)がいたので まず「一緒に食事をしたくない」と 言い始めました。 
そのうちに 「顔を見たくない。」と 言い出しましたが 狭い家なので 食事は時差で食べる事はできますが 私達の一番お気に入りの部屋を占領されてしまったので トイレに行くにも お風呂でも 食事でも 外に出掛けるのにも 「宇宙人」が目に入ってしまいます。

 それで、家を建てて 閉じ込めよう。」という話に進展していきます。
この話だけを読むと いじめや虐待みたいに思われるかもしれませんが、夫には義母との何十年間もの断絶期間があって 現在に至っているので いたし方のない気がします。

その間、「宇宙人」と夫は やっぱり 私から見れば そっくりな親子です。
アルツハイマーと言っても 感情は残っています。 なので 夫が「宇宙人」にカチンときた時は、「宇宙人」もまったく同時に カチンときているのです。
それは 凄い感情のぶつけ合いで、病気とか 病気じゃないとか 周りの人は 判断できないくらいでした。 わたしは、気持ち的には夫の方が正しいとは思っていたのですが、感情を抑えられるのは やっぱり正常な夫の方なので どうしても夫に 「我慢して 」と言わざるを得なくて 夫も、わたしもストレスが溜まる一方でした。
 もちろん、「宇宙人」だって そうやって反撃してくるくらいですから 同じだけのストレスはあったのでしょうが…。

 やりきれない気持ち、割り切れない気持ち、持って行きようのない気持ち、切ない気持ち。
 そんなものが 家の中にぐるぐる回っていて 辛い日々でした。

 「長期ステイが空いたので 利用してみませんか?」
というケアマネージャーさんの 天国からの蜘蛛の糸のような言葉に 私達家族は必死でしがみついたのでした。

 そして、この1ヵ月半の平凡で静かな日々。 
「宇宙人」がやって来る前の日々には もう 戻ることは出来ないけれど それに少しだけ近づいた 穏やかな日々。
 夫は お金が持ち出しになって大変という 金銭的な負担は 夫婦で我慢することに決めたので 自分の意識から「母親」という存在を やって来る前 以上に消してしまおうと思っている節があるのです。
 顔を見ないというのは ストレスから大分開放されていると思います。
自分から「会いに行く。」とは 一言も言わなくなってしまいました。 もっともだ とも思う私もいますが。

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 話を戻します。
そんな 夫に 「ケアマネージャーさんに 言われた」と話しました。
夫は 目をつりあげて 
 「施設に入れるためにお金を払っているのに 会いになんか行くわけないだろう!」

 実は、もう一つ ケアマネージャーさんに言われた事が あったのです。
 「住むのは 今は精神的にも安定しているので ここに入所していてもらって お母さんを自宅に日帰りで 時々帰すという事を やってみませんか?」

 「お母さんは 時々 『家はどうなっているんだろう?』と おっしゃいますが、それは 多分O市のことだと思うんですよね。
 家がなくなった事もわかっています。
 だから、息子さんさえ良かったら かえる家があるという事で 遊びに変えるというのは どうでしょうかね?」


 言いたい事は よ~くわかるんです。
介護保険・介護施設は 入所者の事を 一番に考えてくれるという 建前ですもんね。
でも、そういう話を ケアマネージャーさんにだけ話して 家族には 今まで30年間の全てを 一言も語らない。 お医者さんを通して、ケアマネージャーさんを通して、O市では民生員さんを通して 義母の話を聞いてきました。
他の人に そういう風にちゃんと話せるのなら なぜ 肝心の家族の私達に 何にも話さないんでしょう?
いろんな人から 「こうして欲しい」と言われて この半年 何にもわからず走り回ってきましたが 結局は 金銭的にも精神的にも 負担は私に掛かってきます。
なのに、 これからも ずっと 第三者から「……。」と 言われて 私は尽くしてあげなくっちゃならないの?

ホントに やるせない。
わたしなんて 「宇宙人」に なんにもしていただいた事がありません。 
食事を作ってもらったことすら1回も ないんですよ~。
 親子のストレス、嫁さんのストレス。 これは どっちに転がっても消えることはなさそうです。 ホントの母なら こんな理不尽でも 「可哀想」という気持ちがプラスされて 上手に付き合っていけるんだろうなぁと 思ってしまいます。
 私の実母は 23歳の時に亡くなっているので ホントは「宇宙人」と いい嫁姑関係に なれたかもしれませんが、夫の家族は断絶してましたからね。
なるようにしてなった 結果なのでしょう。 今更 元には戻れない現実です。

「宇宙人」が一番お気楽で 得してる気分になりますよねぇ?

そんな こんなで 日帰りの話は 当分(一生かな?) お預けです。
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2010年10月11日 (月)

♪ メグタと お散歩 ♪♪

 今日は 体育の日。 以前 体育の日は10月10日に決まっていた時も どういうわけか体育の日は 決まって。 夕べの天気予報は マークじゃあなかったのに です。

 こんなにいい天気に メグタが じっとしている訳がない。

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最初は 外に行くというポーズをするのです。

 夏の間、冬毛のなかなか抜けなかったメグタは 首輪が暑くって 大嫌いになりました。
なんとか後ろ足で取りはずそうとして あらゆることをしてくれました。
それで 首輪につけておいた鑑札なども 歯形がガシガシついています。

 なんとか ならないものか? と思っていたら TVで 「日本犬」の特集番組を放送しました。
 東北 地方のマタギの方が 連れている秋田犬だったか、柴犬の元祖は 山梨県だ というところで 見かけたのかは 定かではありませんが、その犬が 首輪をつけていないのです。 縄で編んだような紐状の 胴バンドを付けていました。
 そういえば 柴犬って…  思い出した事がありました。 そうそう、胴バンド(こういう名前なのかは わかりませんが…)をつけて 自転車で走ってる おじさんを 見かけた事がありましたっけ。

 で、ダンナが(超過保護なので) その話をすると 早速 近くのホームセンターで 見つけてきました。
おしゃれなジーンズ模様のやつです。 
首輪のように一日中つけたままで いいのかと思っていたら ほんの1週間で ボロボロになりました。
 メグタは 手足が短い上に 関節が柔らかいのです。
どんなふうにすり抜けるのか その瞬間を見たいものですが ある夜 上手にすり抜けて 朝には使用不能になっていました。

 それで 今の胴バンドの登場です。
 家では バンドは外してしまっておく事にしました。
 なぜかというと 初めの頃は 自分でバンドでも お散歩紐でも見つけてきて いたずらしてしまったからです。
 バンドがないと お散歩にはいけないんだという事を 解らせてからは 噛み切る事を止めました。
 でも、お散歩タイムには お散歩紐を見つけて「行こう、行こう!」のアピールをします。

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それで今日は 祝日体育の日だし 「宇宙人」もダンナも居ない。
 
 じゃあ、少し遠出をしてみようかな?
 メグタが歩いていける距離。

 < 満願寺 >に 出掛けてみました。

 
弘法大師の建てられたお寺なのだそうで 満願という名前の通り 願い事がなんでも叶うそうですよ。

 でも、メグタを連れていた上に 何かの法要をしていたので 静かに お庭をぐるりと回って 帰ってきました。

別名 つつじ公園とも呼ばれているので 春先は とても綺麗です。 藤棚もあって、他には牡丹、菖蒲の時期も いいです。
 

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 紅葉にはまだ早く でも、桜の葉はもう散ってしまっていて ちょっと 残念でした。
 
 
 そうそう、<満願寺>の湧き水は、日本100名水の 一つです。 帰りに メグタ用に持って来たペットボトルの中の水道水を捨てて 代わりに お水を頂いて帰りました。

 その水で (500ccなので マグカップ2杯分しかなかったけれど)   を沸かして飲んでみました。 いつもより もったりとした味でした。
    
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 さすがに メグタもお疲れのようで その後 ぐっすりと お昼ね と いつもの2倍もドッグフードを 食べました。
 今日は 大満足だったのかな?

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2010年10月10日 (日)

メグタよ 何思う…?

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 11月の終り頃。 正確な誕生日が わからないので ほとんど10日間くらいの誤差で ダンナの誕生日が近いので メグタの誕生日は 絶対に忘れないように 同じ12月2日に決めました。
  それが、今年の1月17日 つまり メグタがこの家にやってきた時の事だった。


 前に飼っていたセナが亡くなって 「もう 犬は飼わない。」と決めたのに ちょうど1年が過ぎた頃、CMのソフトバンクの「おとうさん」犬 白戸次郎くんの 魅力に負けて 東京の娘と
 「今度 犬を飼う時は あの 「お父さん」みたいな犬を飼えたらいいなぁ~。」
 「私は、柴犬がいいなぁ 日本犬が 絶対可愛いよね
そんな風に 冗談まじりに話していました。
 
 そんな話をしたおかげか その後、柴犬を飼っているという知り合いから 今度生まれてくる子犬を 分けて貰えるという話が 舞い込んできました。 楽しみにしていたのですが なかなか生まれてこなくて しばらく 待ちぼうけでした。
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 そして 去年の11月の後半、「子犬が産まれた」との 声がかかりました。
12月の終わりに 数回 子犬の顔を見にでかけました。 6匹の 子犬の中に 白い子が2匹いました。 純粋柴犬は 即日予約が入っていて 残っていませんでしたが 私は初めから「白い子のどちらかにしよう」と 決めていました。 左が女の子、右が男の子(メグタ)です。 第一印象は 女の子の方がおとなしくて 優しいので 左の女の子に決めて帰りました。 
 お正月開けに 飼い主さんから 
 「早く貰っていかないと 他の人に貰われてしまうよ。」というので、なるたけゆっくり母犬の所に置いてあげようと思ったのでけれど ダンナが焦って すぐに貰いに行きました。

 すると、予約してあった女の子は 貰われて行ってしまっていて 寂しい顔をした男の子が残っていたそうです。 
 「オスしか残っていないけど この子でいいよね?」
ダンナが確認の電話をかけてきましたが やっとやってくる 子犬なんだからね。
 「気に入ったんなら どの子でもいいよ。」
小さくて きゃしゃで ブルブル震えている 頼りない子でした。
名前も女の子用に 「恵(めぐみ)」にして「メグ」と呼ぶ。 なんて勝手に決め込んでいました。 なので、「メグタ(恵太)」でいいや!ということに なりました。
 初めての人には
 「??なに? メ・グ・タ~?」と 聞きなれない名前みたいですが 呼び慣れると言いやすい いい名前ですよ、結構。 一回 覚えてくれると忘れないみたいだし…。

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それが 今や凶暴な野生児に 大変身しています。
 
 ただ今、10ヶ月。
 貰ってきた時には、「宇宙人」の入院も、 同居も、 介護も 家族には頭の片隅にもなかったので 他の犬同様に ほわわん~と 育つと思っていました。
 でも、この子は 結構 苦労人(犬)。
 雪の間中、放し飼いで雪の野原を 走り回って育てていました。 いきなり O市に連れて行って 私が病院へ出掛けている間、誰もいない・誰も知らない家で お留守番をしたりもしてくれました。 こことO市で 別々に暮らしているダンナと私を 癒してくれました。

 こっちに帰ってきても、同居して徘徊し始めた「宇宙人」に 手もお金も時間もかかってしまい こちらがお散歩を一緒にすることによって 介護のストレスを 発散させて貰っているようなものでした。

 

 「宇宙人」が 長期とショートをつないで とりあえず入所できるようになって やっと 「メグタ」と 始めの頃のように向き合うことが出来るようになりました。

それで、「メグタ」に ホントは気がついていたんだけど してあげられなかった事を 後ろ伸ばしにしていました。 それが、 『去勢』です。

 
 「アレックス」は、最初に飼った雄犬です。 9ヶ月の時に 共同住宅に住まざるを得ない状況になって 『去勢』をしました。 賢くてやんちゃな犬でしたが、いろんなことが重なって その後は とても怖がりな おとなしい犬になりました。 そういうこともあって ダンナは
 「メグタは このままでいいんじゃないか?」と 言っていました。

 最近、顔が大人の犬の顔になってきました。
いわゆる「盛り」行動も 始まっています。 「アレックス」は臭いが気にならなかったのですが、メグタは 雄の臭いなのか(?)今まではしなかった臭いがします。
猿を追いかけて 走ってしまうこともあるので これはやっぱり 絶対にメグタ自身のためにも良い事だと ダンナを説得しました。 

 それで、「動物の専門家」のtaroさんに 解りやすいアドバイスをいただきました。(ありがとうございました。)

 HPで調べたり、地元にいい動物病院はないかと情報をもらったりしました。
動物病院に電話をかけて 話を伺ってみました。 先生の話しぶりが 誠実そうです。
 それで 10月18日に 手術をすることに決めました。 抜糸は一週間後だそうです。

 後、1週間だね。 もう少し 楽しくあそぼうね。
そんな事とはつゆ知らず 晴れた日は田んぼ道で 山を必ず仰ぎ見るメグタくん。
きみは 何 思うんだろうね?

     

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2010年10月 9日 (土)

牧の草競馬

 今日は 朝から模様。
傘をさしてお散歩しても (芝犬ってもっと足が長かったよね?って思ってしまうほど 足の短い) メグタは 庭の周りをぐるっと一周するだけでも お腹がビッショリ。 なのに、どうしても 大雨だろうが、台風だろうが 外に出かけます。 朝一番の 大仕事?

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    10月9日(土曜日) am9:30~
安曇野市の穂高地区の西部スポーツ公園で 
 第
42回の「 草競馬 」  
が 開催されます。 雨天は 10日に順延。
 
 
と 広報に 書かれていたので 今日は大雨で きっと「中止」だろうと思っていたら 10:00のお茶の時間 を飲んでいると いつもは放送をしない時間なのに 有線で
 「本日は 牧の草競馬が開催されています。 皆さん、お出かけください。」と 流れました。

雨で お客さんがいなかったら    馬も可哀相かな?、走りがいがないだろう と思い立って ちょっと様子を見に出掛けてみました。

 案の定、広いグラウンドに人影はまばら。 雨の中、傘をさしながらでは 芝生に座って見る事が出来ないので ほとんどの人は立ったままです。


042  子供たちは ポニーに乗せてくれるという アトラクションが ありました。 参加者が少ないので トラックをゆっくり乗せてもらうことが出来て 「羨ましい~」。
 もっとも、小太りのおばさんじゃ ポニーだって いやだろうし…。 重くて 重労働になってしまうもんねぇ。

 
 そうそう、うちの子供たちが ポニーに乗せて貰った時は、もう10年以上も前の事なので 「牧の草競馬」の会場は まだスポーツ公園に整備されていませんでした。

 今とまったく 同じ場所なんだけれど その頃は 一面の田んぼだらけでした。
 その田んぼの周り・トラック代わりの道に 「草競馬」の時期になると 砂が敷かれて にわか馬場になっていました。
 見物人は田んぼの土手に 座って 目の前で走る馬の姿を見る事が出来ました。 
今も出店してましたが、「草競馬」を見ながら 焼きとうもろこしや焼きイカを  子供達と 土手で食べるのが 嬉しかったなぁ~。 おにぎりを作って 出掛けた年もありました。 
 わたしも その時始めて 本当にまじかで 必死で走る馬達の浮き上がった血管や 飛び散る汗を見て 「草競馬」侮るなかれ!と 思ったものです。 

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 その記憶が ずっと残っているせいか、私は 「草競馬に来てください~。」なんていう台詞に 弱いのかもしれません。 ムズムズしてきます。

 
 その後、田んぼが整備されて、スポーツ公園になった後も 数回見に出掛けていますが、今は 田んぼ競馬と違って 人間にも馬にも 安全は確保されたものの あの「荒々しい馬の息使い」までは 見えなくなってしまいました。

 それが ちょっと残念ですが…。

 午後には 豪雨になってしまって 途中で帰って来てしまいましたが、もし今日 順延していたら 明日は この大雨で馬場が使えなくなって 中止になっていたかも しれませんね。        

ちなみに 天気予報では 明日の午後には曇ってきて 天候は回復する予定だそうですが…。  

   

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2010年10月 8日 (金)

きのこ、きのこ、だいじょうぶ?

039   朝晩が めっきり冷えてきて 雨の日が多くなると どこからかキノコが にょっきりと 顔を出します。 見るからに 食べられそうもないキノコたち。
 このコは 真ん中の穴から 胞子を飛ばします。 靴でコンコンと 軽くけると 黄色い煙みたいな胞子が 飛び散るんですよ。 名前は ほこり茸だったかな?


040  このキノコも 見るからに まずそうでしょ? 名前も知らないんだけど、見つけても まず、食べないですね。 でも、写真だと なんか可愛いので 撮ってしまいました。 きのこの寿命は短くて 「後で 取ろう!」と思っても 絶対取れません。 食用のシメジやくり茸のような美味しいキノコは きのこ取りの名人に あっけなく見つけられてしまうし、 可愛くならんでいる綺麗な色の毒キノコたちも 踏まれてしまって 同じ場所で 見つけることは なかなか困難です。 その上、傘が開いてしまったり、虫に食われていたりで きのこと言えども 生き抜くのは難しい世の中です。

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 そして、今日 どうしても 書かなくちゃと思ったのは このキノコの おかげです。 うちのすぐ裏の林の中で見つけました。 それも 凄くいっぱい生えているんです。

 写真のは 傘がかなり開いてしまっていますが、小さいものはお饅頭型で きれいです。 香りが「ひらたけ」というキノコの匂いに似ています。 きのこ名人に時々貰うので 間違いはないと思います。 でもでも、去年までは この場所には「平茸 ヒラタケ」なんて 出た事もなかったし…。 数個取ってみました。 
「やっぱり、どう考えても ヒラタケだよなぁ~。」
で、ダンナを 「こっち、こっち!」と キノコの山へ  引っ張って行きました。
「これって、平茸っぽいよね?」 
 「う~ん、ぽいよなぁ~。」

 キノコには うとい二人なので 結局 「平茸」だと言えるだけの自信と確信がないのです。

それで、一応 地元生まれの山好きな 名人 「浜さん宅に持って行って 見てもらおう。」と いうことにしました。 といっても、極 ご近所なので 摘んだキノコを両手に持って 走って行ける距離なのですが…。 「ちょっと、言ってくるよ。」

 帰ってきたダンナの一言。
 「浜さんも、多分 そうだろう。だってさ。」
 「大丈夫だとは思うけど こういう確信のない時は 少しずつお試しで食べてみるんだよ~。 って いっていたぞぉ~。」
 「少し、食べてみれば?」 って、わたしが?
 「そうさ、自分が見つけたんだし。」

 
 で、PCで いっぱい調べてみました。
 だって、つい先日も 長野県のニュースで「ニガクリタケ」事件があったばかりだし、一昨日も 大町市で 「毒キノコを販売してしまいました。」という話を聞いたばかりだし…。
ちょっと 怖いし…。
 調べれば調べるほど、どうやら、本物の平茸っぽいなぁ~。
どのHPを 開いても やっぱり「ほ・ん・も・の」っぽい。

 なので、水煮した取れたてきのこを 1本の1/4くらい食べてみました。
 つきよだけ(毒キノコで よく似てるんだって)なら 30分くらいで吐き気とかが出るそうですが 茎に黒い斑点があると書いてあったけれど 見つけたどのキノコにも 何にもなかったしね。

 「昔の人は 勇気あったんだねぇ。」
 「あんたもだよ。」と、ダンナ。

 とにかく、食べてから数時間。 吐き気も幻覚も 起きてません。 きっと 私が丈夫だったから とかじゃなく 本物の「平茸」だったんですねぇ。
 明日の朝、きのこ取りおばさんがやって来なかったら いっぱい取って 保存ビンに漬けておこう。 

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2010年10月 7日 (木)

覚えてる?

 洗濯物の交換に 介護施設に行ってきました。021
 いつもよりも 少し早い時間だったので 1階のディサービスのホールでは、20人くらいの利用者さんが 丸くなって 手足を動かすゲームのようなものをやっていました。
「さあ、いっしょにやってみましょうネ!」 元気な介護士さんの 声が響きます。 
 ホールの前に 2階へのエレベーターがあるので 「こんにちは!」と 挨拶をしながら 円陣の横を通り抜けて エレベーターに乗り込みます。

 お菓子等の飲食物は 一切持ち込み禁止なので とっても助かります。

 020 「宇宙人」は 大の甘い物好きらしく O市で入院していた時は 総合病院だったので いろんな方が入院しています。
 ご好意で 同室の方のお見舞いに頂いた 甘いお土産をおすそ分けしていただく度に

「自分にも 甘い物をなにか 持ってきてくれ。」と言いました
 食べさせてはいけないと言われていたのですが、なにしろ そういう所が アルツハイマーなんだと 今なら判るのですが、何度言っても 説明しても 手を出してしまうのです。
 いいタイミングに見つけた時は、「退院したらね。」と すぐに持って帰ったのですが、
翌日には
「病院には 美味しいものがない。」、「甘いものが食べたい」。

 O市の病院の看護婦さんたちも、さすが慣れたもので
 「後、何日で退院できますよぉ~。 そしたら、食べてもいいですよぉ~」と、話を上手に摩り替えてましたが、本当は覚えていないんだと 判っていたからでしょうね。



 同じ施設内にディサービス・ショートステイ・長期ステイ用の部屋があります。
 今回 入所させて貰っているのは 長期ステイなので、 2階が専用です。
 入所者は、徘徊をする人が多いので 自分で外に出られないように エレベーターにも勝手に利用出来ないように 下に降りる為にはちょっとしたコツがいるようになっているんですね。 もちろん、階段はあるのですが 入所者には下りられないように閉鎖してあります。 見た目の広々と開放的に見えるのも、実は 細かい配慮があってこそ 安全に自由に動き回っていられるんですね。

 入所やディの利用に当たっても、全て細かい契約をします。同じ施設でも ディ利用・ショートステイ・長期ステイ、どれも皆別々の契約で きちんと説明をされ、いろんな手続きをして契約をします。 本人は無理なので 家族と契約する事になります。

 こうして、毎週火曜日と金曜日の入浴の日に合わせて 洗濯物を取りに行き、洗濯した物を部屋の箪笥の中に しまいに出掛ける習慣が出来ました。

 2階のエレベーターが開くと 目の前のホールでは 長期入所の人達が テーブルをロの字に並べて 何かを作っているように見えました。
 
 先週の金曜日は 同じように このホールで 皆さんで並んで 絵を書いていました。 
ちょうど 真正面に「宇宙人」がいて エレベーターが開くのと同時に 私に気がついて 
「うっちゃん!(これは 中・高校生時代のニックネームです。実際には名前で呼んだのですが)と 大きな声で叫びました。 笑っていました。

 ところが、今日は 無反応。 同じ場所に座っていましたが ずっと下を向いたまま 固まっていました。 この間は ハイで今日はうつの日 ですか?ね。
 介護士さんが 声を掛けてくれましたが 顔を上げても 誰だかわからなかった(?)みたいでした。 
「みんなで 仕事してるから そのままでいいですから。」と 声を掛けて 洗濯物を交換して 帰って来ました。
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 アルツハイマーは いろんな物が記憶から消えていってしまう病気だそうです。
こういう事を繰り返しながら 少ししか関わり合いのなかった人間から姿を消していくんでしょうか?
 私の事は ついに消えてしまったのかなぁ~?と なんか複雑な気分です。

 記憶のあるうちに 聞いておきたかった事が なんにも聞けてないような~そんな速さです。
 「人間は2回死ぬ」 って、ごく最近 何かで聞いたなぁ。
1回目は 死んだ時で、2回目は周りの人の記憶の中から消えたときなんですって。
だから、供養というのは 思い出して語ってあげることが一番いいと。

 「宇宙人」は 生きながらに もう2回死んでるんじゃないの? 
 私の事 覚えてる???

 

 

    

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2010年10月 5日 (火)

デジタル放送なのに…「白くまピース」が見られない

 今年は大雨が多い。 雨が降ると TVでも見ようかなぁ~ということになる。 でも、雨が降ると 我が家はBSが 映らないのです。 森の中で生活している他のお家の方は どうなんでしょうか? 一度 ぜひ聞いてみたいと思っていました。


 夕べも Pm10:00から 「白くまピース」という番組をみようと楽しみにしていました。

032  ところが、昨日も朝から大雨。
 その上、昨夜は思った以上に天候の回復が遅れて TVが雨の日モードになっていても  実際には 11:00過ぎにきれいに 映り始めました。

 それで、前半は見る事はできませんでした。
(こぐま時代の可愛い姿を 見たかったのに 本当に残念です。)
 生れてからと こぐまの映像は ずっと以前の放送で
 動物園にピースを帰す所まで 放送したものを見たことが あったのです。
  今回 後半に「白くまのピース」は 大きくなったという理由で飼育員とスキンシップを禁止されてしまい、ストレス性の痙攣を 起こすようになってしまいます。
 番組は ピースの5歳までの記録でしたが、この記録映像から もう5年が過ぎています。 私が 一番 気にかかっているのは 「その後のピース」の姿です。
 もしかしたら 番組の始めに 元気な現在の姿が映っていたんじゃないかと 想像しますが どうだったんでしょう? 心配です。
 こぐまだった頃のピースの姿が しろ犬の我が家のメグタと ダブって見えてしまいます。 
 誰か 見た方、コメント ください。


 そもそも デジタルになってからの不満は ずっとブログに書きたいと 思っていたのです。 

 6月後半に 我が家もやっと デジタルTVに 交換しました。
 ずっとそれまで 使用していたブラウン管のTVは まだ 快調で映りもよく 不便を感じていなかったので、2011.7月まで アナログで頑張ろうと ずっと話していたのです。

 けれども、「スカパー!」の 「6月30日までに申し込むと 切り替え簡単 スカパー!デジタル機種が5000円」という魅惑的なサービスの殺し文句に 負けて デジタルTVに交換してしまいました。
 我が家の「スカパー!」暦は 古く 長野の山の中だというのに 15年以上も以前です。 始めた当時は まだ 「パーフェクトTV」だけで 無料放送のCMには 今は懐かしい「鈴木ランラン」ちゃんが  パァ・パァ・パァパァ・パァフェクトTV~   と歌っていました。 ご存知ですか?

 それから、「パァフェクトTV」と「「スカイTV」が合併して 「スカイパーフェクトTV」になりました。 衛星が2つになったのです。
 うちは「パーフェクトTV」の衛星の受信は完璧なのですが、「スカイTV」は 木々の葉っぱが落ちた11月から新芽の出る3月ぐらいまでしか受信できません。
 それでも、映画館の少ない地方なので 「スターチャンネル」や「WOWOW」を 契約することで 映画大好きな 私は たくさんの 作品を見ることが出来ました。

 NHKは それより以前にBSアンテナをつけたのですが 雨の日・雪の日ほとんど映りが悪く 受信料はぼったくりみたいなものです。 デジタルに代わっても やっぱり 雨の日モードが付いても 雨の日・風の日 映りません。 残念ですが 相性が悪い場所なのかもしれないです。

 そうそう、そういうわけで デジタルに交換したという話の途中でしたね。 
「これで、スカパーHDも見られる。」と 楽しみでした。

 が、デジタルに交換したおかげで 完全に「スカイパーフェクトTV/HD」は 見られなくなってしまいました
 というのも、HD放送にするためには 2衛星が捉えられなくては 設定が出来ないためです。 もともと、我が家にはスカイの方の衛星が受信できない時期と 十数年前よりも 森の木々が大きく育ってしまい ますます、入りにくい環境になっていたわけです。 
 この森が自分の物なら 「その辺の枝を切って、小さい木を切って~」などと 解決策もあるかもしれませんが 勝手に森林を切ってしまう訳にも いきません。

 ダンナが焦って 「スカパー!」に電話して 今より大きなパラボラアンテナを取り付けたら 大丈夫じゃないか?と 考えて スカパーから取り寄せました。 
パラボラアンテナも スカパーのやつは 特注で 格安家電店では取り扱っていないのです。 交渉でこれも 5000円で送ってくれました。

「ラッキーだったじゃん!」という話だったのに これも失敗。
いろいろ アンテナの位置を変えたり、向きを変えたり やってみましたが ことごとく失敗で 結局は 「スカパー!」を 解約することにしました。
「スカパー!」経由の「WOWOW」を申し込んであったので 結局は「WOWOW]も解約しなければならず 25000円の機種を5000円で という甘い言葉に 惑わされて 解約手数料の方が高かったし、機種も無駄になってしまったしで 散々でした。

 で、現在はTVを通して普通の「WOWOW」を 申し込んであります。
 が、やっぱり雨の日 全然映りません。 「ピアノの森」というアニメ映画 見たいんですけど 9月と10月の放送日の昨日は 雨で2回とも 見ることが出来ませんでした。
 マイケル・ジャクソンの特集や 「THIS IS IT」も 保存用にHDDに取りたいと思っているのですけど どういう訳か雨の日にばかりに当たってしまって 取る事ができません。
折角、再度「WOWOW」に 申し込みをしたのにですよ。 やっと、映画も見られる環境に戻ってきた今なのに 時間がもったいないです。

 アナログは強くて 雨だろうと台風だろうと ちゃんと映るんですよね。  
デジタルにしましょう!っていうCMを 見るたびに 
「デジタルにしたら アナログよりも映らないで しょうが~ と 叫んでおります。
 弊害だって 我が家のように 絶対ありますよ。 みんなが見られる次世代TVの はずじゃあなかったんですか? ね  
 

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2010年10月 3日 (日)

秋の気配

 寒くなったり、暑くなったり 気温の変化が激しい時期です。
 雨が降ると 肌寒く 上着を一枚重ね着しなくてはならず、昼間は今日のように 半袖が似合う日もあります。

Img_3309  りんご畑の近くには 産地直売店(いわゆる 農家の庭先で 取れたてを販売しているのが 多いのですが)に 一袋500円などと書かれた 新鮮なりんごが 並び始めました。
 甘くて みずみずしくて 美味しいです。  



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  コスモスが 揺れています。
 柔らかな日射しは コスモスの花びらをキラキラと 通り抜けるように 輝いています。

  「 信州には コスモスが似合う」 
  これは わたしの勝手な思い込みですが 私は こういう日の 風に揺れて輝いている コスモスの花が大好きです。


   


  雨上がりの山道のあちらこちらには 小さなキノコたちが 顔をみせるように 018なりました。
 森の中にずい分と長く住んでいるのにも かかわらず、残念ながら
「きのこ」には 疎いので 名前はほとんど知りません。

 「きのこ」は 好きなのですが、森のキノコには、「毒キノコ」が多いので
中毒というデメリットを 考え合わせると 地元で「ジコボウ」と呼ばれている黄色のキノコと
、「くり茸」の2種類だけを 取って食べています。
なぜかというと、その2種類のキノコは 一回覚えたら 絶対に間違えない見分けが出来るキノコなのです。 その上、とっても美味しいし…。
 
 この季節になると 雨上がりの朝早くから(5時とか6時とか) うちの周りの森の中を たくさんのキノコ取りの人達が 歩き回ります。 地元の人たちは きのこ取りが大好きですから、腰に 竹で編んだ「魚籠(びく)」を提げて 本格的ですよ。 




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 今年の中秋の名月の夕方には まん丸お月様が ほんの一瞬だけ 顔を見せました。
 夕焼け雲の上ですよ。 その後 雲に隠れてしまって 顔を出すことはありませんでした。

 お月見には「すすき」ですよね。
お散歩の時に 数本 「すすき」を取って来て 玄関先に飾りました。
「う~ん  秋の気配だよね。」



Img_3583   今年は柿が おそい。 渋柿。
 猿も食べないから うちの庭にも 10年位前に 植えて置けばよかった なぁ~と 今更ながら 後悔中です。 そうしたら 冬の干し柿が 得意になっていただろうなぁ~。   

  

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2010年10月 2日 (土)

住む所がない ②

Img_1223_2  「秋までに 家を作ろう!」と 決心してから はや 3ヶ月余り。
 「家」といっても 確認申請のいらないギリギリの 6畳一間の いわゆる子供用の勉強部屋と 同じ発想です。 それが 6月の初めの事です。

 資金不足の我が家には とっても 力強い味方がいます。 うちのダンナさんが 大雑把な見取り図と予算と材料の見積もりを持って ずっとお世話になっている建設会社の部長さんに 相談してみたそうです。 それで、自分で作るならと 格安材料を手配してくれる事になったのです。
 たくさんの周囲の協力者に 後ろから押されて 「家」作りは こうして スタートさせることができました。
 捨てコンで土台の基礎を作るところから始めて 床が出来てと 順調に 作業は進んでいきました。 仕事の合間という事で 出来る日が限られてしまうのと、天候との闘いです。
 
 義母の悪臭と、徘徊はどんどん進化していくのに 6月~7月は 例年にないくらいの大雨と肌寒さで 作業は 全然はかどりません。 雨対策で 張ってある青いビニールシートを 強風・大雨から守るため 影の協力者の私も 四苦八苦しました。

 
Img_2167  屋根にコンパネが張られて 屋根らしい形になった頃、またまた 私達に幸運な協力者が 声を掛けてくれました。 いつもお世話になっている地元のホームタウンのお店に 屋根のトタンの購入の話を相談に 行きました。 
 
 自宅の丸太小屋も 地元の屋根屋さんの家族の協力で 自分達で張った経験があるので 自分で張ろうと考えていたダンナです。 けれども、あの時の(26年も前の話ですから)屋根屋さんは 今はもう年を取られてしまって 仕事はしていなかったのです。
 ホームタウンのご主人が 一人でも出来る屋根の張り方を アドバイスしてくれて、その上 これまた 格安で我が家用に トタンを加工して届けてくれる事になりました。
 
 「困った時は お互い様。」という とっても 暖かい言葉もくれて ほんとに 皆さんに感謝、感謝です。 世の中 捨てる神あれば、拾う神あり というのは 本当のことですね。

 こうして 屋根が乗る直前まで 準備が整った 7月25日
 今度は 突然の私の怪我です。 
「アイツの為に 建てる羽目になったのに ろくでもないことばっかり しやがって! 介護してもらってる人を 怪我させるなんて とんでもない野郎だ!」と、怒りが爆発してしまいました。 「半月板損傷全治2ヶ月くらい?」の整形外科の診断です。 
「夏休みまでに 屋根を乗せる」と張り切っていたので それから 鍼である程度 私の足が完治するまでの1ヶ月間 トタンを持ち上げる事が出来なくて 実質的には なが~い家作りの「夏休み」に なってしまいました。


 9月2日
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 ついに 屋根が乗る日がやってきました。 気温32度の真夏日です。 とにかく 暑い。 屋根の上にいるダンナの体感温度はもっと高いはず。

 一枚のトタンは 私でも簡単に持ち上げられるほど 軽いです。
が、その分 真っ直ぐに持たないと グニャンと 折れ曲がりやすいのです
。 その上、一気に屋根の反面分の トタンを落ちないように 持ち上げなくてはいけません。 一応経験者とはいっても 大変だったと思います。

 午前中に Img_2192_2西側半面、午後には残りの東側の反面を 仕上げました。 
 これで、少しくらいの大雨でも 床が濡れる心配はなくなって 雨の日でも中の仕事が出来るように なるでしょう。
 なんとなく、二人とも 屋根の完成で 笑顔になりました。
ちょっと 気分的に 楽になったんですかね。
 
 



 現在 「宇宙人」は 長期入所の空きが出て 1ヶ月間の長期ステイです。
この家を作っている間、窓からチラチラ見ていましたが、一言も私達には 「何を作っているのか?」とか 聞いたりは していません。
 けれども、ケアマネージャーさんには 「あれは、私の家を 息子が作ってくれている。」と話したそうです。 それを聞いて ダンナは 滅茶苦茶 怒りました。
 「どこまで 自己中なんだ!」
やる気が一気に 失せてしまったようです。

 9月11日

052   久しぶりの家の仕事です。
支柱の仕切りを打ちました。 こうなると 俄然と強度がでてきます。 こうして、少しずつ間仕切りを 重ねていく予定です。
 「秋までに家を建てる」という目標は 当然無理だという事に なってしまいましたが、今度は「冬までに 壁や窓を作る」という 希望に代わっています。

 というのも、「宇宙人」が ショートをつないで入所できる可能性が出てきたからです。
 「何が何でも
一緒には生活したくない」という 息子の切実な願望が 施設にも通じたらしいんですよね。もっとも  母親の「宇宙人」も あれから 施設内の洗濯物置き場に洗濯物を取りに来ることはあっても 1回も面会しない息子に 会いたいとも 言わないらしい。 私が 洗濯物を施設の部屋の備え付けの箪笥に 片付けに行く日も 「宇宙人」は その事に一言も触れないし ほんの10分くらいの面接時間でも 「じゃあね。」と 行ってしまうし…。 施設側の当然の判断かも 知れません。

 9月22日

019  間仕切りがずい分出来てきました。 9月17日以後 ずっと雨降りの日が多く 雑用が重なって 家の仕事がはかどりませんが、 小さな空間に入って 部屋の中を眺めてみると なかなか素敵な部屋になりそうです。
 まぁ、当然ですよね。 我が家の庭の一番 いい場所に 建てたんですから~ね。


 「宇宙人」の部屋ではなく 他の目的で使えるようになる可能性が強くなってきた 「6畳の家」です。
 が、ショートを利用すると 入所費用がかなり高くなり 「宇宙人」にかかる費用が 大変になってきました。 それでも、 途中で入所を断ち切ってしまうと また
「次の入所へのチャンス」が 断ち切られてしまいます。

 それで、「家」は 完全に資金不足で とりあえず しばらく残っている材料を使い切ったら 小休止せざるを得ない状況に 追い込まれています。

 「何処まで行っても、アイツは 疫病神だ。」と ため息 交じりの 10月になりました。

 

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2010年10月 1日 (金)

猿がやって来た

 朝から なんとなく 湿っぽい。 パラパラと霧雨。
 「あーあ、また雨ですか? 洗濯物が乾かないなぁ~。」
森の中に暮らしていると 9月の長雨は 木々が水分をたっぷり含んでしまい 空気が冷たいので なかなか洗濯物が カラっとは乾かないのです。 乾燥機が欲しいと 思う時期です。

メグタが いつにも増して ソワソワ。 トイレ散歩 したいのかなぁ~?
散歩の仕度をして 外に出ると どうやら「猿たち」が 木々の間にいたらしい。 犬の嗅覚は鋭くて ドアを開けた瞬間に メグタにはそれがわかったらしいのだ。 一瞬の油断が メグタのダッシュに負けてしまいました。 

メグタは 猿を追いかけて 森の中に消えてしまいました。018
 今日の 猿軍団は 先日の猿と違って 大きな猿が沢山います。 子猿は 木の上で キーキーと鳴いて 母親猿を 呼びますが ほとんどの大きな猿は メグタに追いかけられて 遠くに逃げていってしまいました。 ほんの数ヶ月前には 母猿のおなかにへばり付いていた 子猿たちは 少し大きくなって 小枝にしがみついています。 高い声で鳴きながら 移動していきます。 その声を追いかけて メグタを追跡しました。


017  途中で 森の子幼稚園のお散歩している 親子の集団に出会いました。
 「すいません。 白い犬見かけませんでしたか? 猿を追いかけて 紐を振り切って 行っちゃったんですが…。」 
 (゚ー゚)(゚ー゚)(-ε-) 「凄い数の猿ですねぇ。」 「白い犬はさっき あっちへ走っていったよ。」 「「犬が猿を 追っ払ってるねぇ。」
 「ありがとう ございます。」

と いう訳で 犬笛と「メグタ~!」という掛け声で 追いかけていくと いた、いた。 何匹もの猿が 木の上から見てるし、走っている逃げている猿たちの後ろ姿を 楽しそうに追いかけているメグタがいた。 その上、こっちをチラッと見て 走りかけてきたので 「帰ってきた!」と 安心したのも 束の間 なにやら嬉しそうに笑った顔をして また、もうダッシュして 猿たちの元へと 駆け出してしまいました。

メグタ~! なんなのぉ~! 帰ってきてよぉ~!」

 雨が 本降りになってきました。 
「帰っちゃうよぉ~!」
 すると、また 様子を伺いにきたメグタくん。 走って帰らないと びしょ濡れになってしまいます。 走り出したら メグタが 今度はこっちへ猛ダッシュしてきました。 早い事、早い事。 すぐ追いつかれて 笑っているように見えます。 そこで紐を足で踏んで メグタを捕まえました。 紐は どろどろ。 だから、私の手も 泥んこですが、雨と猿退治をしてきた嬉しそうな自慢げな顔を見ていると なんだか笑ってしまいました。

 「あ~あ。 「宇宙人」の徘徊の心配がなくなったら 今度はメグタを追いかけて 走り回ってる…。 私の毎日って 」 ですよね。

 帰り道、レインコートに身を包んだ子供達に また 会いました。
 (^-^;(゚ー゚)(*^-^) 「見つかったんですねぇ。」 「捕まってよかったですね。」 「サルが一匹もいなくなったのは お手柄だねぇ。」 と、口々にお褒めの言葉(?)を 頂きました。(笑)

PS. 今回は 子猿たちが木の上で しばらくの間 じっと 母猿を待っていてくれたので なんとか絵になる ショットが 撮れました。 ラッキー! 


   「マーリー 世界一おバカな犬…」

 昨日 夕方 WOWOWで 「マーリー」と いう犬の映画をやっていました。Img_3604
ラブラドール「マーリー」を 飼い始めるところから亡くなるまでの約10年間の物語です。
「駄目駄目犬」のマーリーは メグタそのもので イタズラの仕方から 椅子の壊し方、逃亡の仕方まで 「おんなじ」。 笑えるやら、感心するやら。 ラストシーンは 泣けた、泣けた。 
 自分の経験が重なって いろんな犬の顔が思い出されました。 我が家は今までに 4回、犬のお葬式をやっている。 裏庭には 4匹の小さな墓標も立ててあります。 手作りだけど 名前も彫ってありますよ。
 
 映画では 石を積んでケルンのようにするシーンがありました。 うちも4つのケルンを作ってあげればよかったな~と 思っている。 河原で石を拾ってきて 作ってあげようかな などと 考えてしまいました。 メグタには ちょっとだけでも 他の犬より長生きをして欲しいです。 どんなに長く生きてくれても 15年くらいですよね。 15年先では 次の子犬は055 もう 飼ってはあげられないなぁと 思っています。

  知り合いの70歳の方が 「この年では いくら可愛いから飼いたいと思っても、自分の方が先に 逝ってしまったら  残された動物が可哀相だから 飼えないんですよ。」と おっしゃっていました。 きっと、その通りだと思います。  オス犬は いたずらでやんちゃ坊主。 元気に走り回っているだけで 幸せを運んでくれるから 今だからを 楽しんでいます。     

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