無理 ってか?
今週末は 時間的に 洗濯物の交換に私が行かれなかったので ダンナが仕方なく いやいや施設に出掛けてくれました。
新しい服や下着の持ち込みは 他の人と間違えてしまわないように デジカメで写真を撮って 保存しておいてくれるので 必ず ヘルパーさんに手渡しをしなくてはなりません。
このヘルパーさんの居られる場所が 食堂の一画なので 介護するには入居者が見渡せるという便利な場所なのですが 逆な事を言えば 入居者にとっても 誰が訪ねて来たのかが一目瞭然に 分かってしまう場所でもあります。
家族の話し声や 姿を見かけると 置物のように静かだった老人たちが ざわっと 動くのです。
この 洗濯物を置いてくるという行動が ダンナは嫌なんだと思います。
先週から「眼鏡、眼鏡。」と騒いでいるけれど 義母は 本当はとっても視力が良くて 遠くの看板や道路標識なんか 私が見えない遥か遠くの字を 読んでいたりしていました。
老眼だから 近くのものは 見えにくいのかもしれませんが…。
この眼鏡、やっと 見つかりました。
いったい何処に あったと思いますか?
ここ数ヶ月、義母の荷物は 施設から「○○あったら 持ってきてくれませんか?」という電話が入った時に 困ってしまうので すぐ持っていかれるように 引越しの時に持って来た荷物を 分かりやすく仕分けしておこうと 片付け始めました。
その結果 眼鏡は何処からも出てくることはなく 「家には 絶対にない」ものと 思っていました。
が、この1週間 ますます 冬が近づいてきて 寒くなってきたので セーターやら裏起毛のズボンやらを探そうと思って ハンガーが掛かっているパイプ式の洋服ハンガーを動かしてみました。
すると ハンガーに眼鏡ケースが干してありました。
「あっ、こんな所に あった」
たくさんの冬服と厚手の下着、靴下、それに「見つかった眼鏡」は
火曜日に私が届けたので 今回は洗い替えの洗濯物だけなので ベッドに置いてくるだけで いい日です。
「仕方ない、いいよ。俺が行くわ。」
モムーリ!o(゚Д゚)っ
不機嫌な顔で 帰ってきたダンナ。
「なんか あったの?」
「気分悪い。 オバァにあっちゃったよ。
初め 俺の顔を見ても 全然気が付かなかったから そのまま置いて帰ってこようと思っていたら 突然 気が付いたんだぜ。
こっちへスタスタくるから 洗濯物 何にも 言わないで渡してきた。」
「お婆ちゃんは なんか 言ってた?」
「別に。 黙って渡して 黙って帰ってきた。」
「そ~なんだ。」
相変わらずの 親子ご対面なのに また 黙ったままなんだね、この親子。
息子の顔に 気付かないなんて事あるのかな?
火曜日には
「息子も元気?」って 聞いたんだよ。
そう言った事すら 忘れているのが アルツハイマーだとしても 親子だって事を
お互いに 忘れてしまいたい? って事なのかなぁ?
昨日、今日と そのせいか ずっと不機嫌な顔つきの ダンナです。
会ったと言ったって 高々、たった1分か2分ぐらいの時間だったんでしょうが。
これじゃあ 家には もう 絶対に 連れては来られないよね~。
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コメント
うっちゃん様・
深夜のネットサーフィンで貴方のブログ拝見しました。
お義母様の介護たいへんですね。ご主人がお母様の
介護・面倒をすべて貴方に任せてしまっておられる・
・・でも、それ今の日本では普通のようですね。
私は4年前に99歳でなくなるまで実母の介護を
足掛け7年やっていました。足掛け・と言うのは最後の
2年、妹が(男性の・つまり家事何も出来そうもない)私
での介護では母か可哀想とおもったのかどうか・・
「私が介護をする」と言い出して・・・・
でも私は24年前に妻を亡くしてから・10うん年、子ども
3人を(男手一人で・家事一切やって)面倒みてきて
ましたから・・そして子供たちが独立して手があいたら
私の妹2人が親は長男(の嫁)が見るのが当然・と
言って私が母の介護をすることに・・できるかなあ?
とおもったけれどやってみたらそれまでの家事経験が
物を言って子育てに比べたら遊んでいるような・・
はちょっとオーバー?
その2年間、母の見舞いに妹宅に行くたびに母は私の
所に帰りたい・・で、わたしはその都度私のところに
戻すようにいい、いつでも受け入れられるように部屋を
以前母がっ使っていたようにしておいて・・・
そのうち、99歳にもなると衰弱もひどくなり・・ついに
妹も返したほうが母のためにいいと思ったのでしょうね
ある日突然還してよこし・それから20日だったか・して
静かに・最後の2日は意識不明になってなくなりました。
死亡診断書は「老衰による自然死」・・やっと私の元に
かえれて安心したのでしょう。何しろ親子2人水入らず
・たった20日間でしたけれど・・
と言うような私の経験談より、佐江衆一さんの書かれた
「黄落」という小説がとてもよく日本の一般的な家庭の
老人介護の様子を描き出しています。ご主人に読んで
いただくといいかも・・
「黄落」 新潮社 平成11年刊 新潮文庫
投稿: J.I | 2010年11月 1日 (月) 02時59分
忘れてしましたいものなのかもしれないけど、そうはいかないと思う。
舞城王太郎って人の「熊の場所」って本があって。
なんとなくグロテスクな話だけど、筋はすごくいいこといってて。
いやだ、怖いと思ったことから一度逃げたら、またその場所に行って怖さや不快感を払拭してこないと一生そのままだよ、って内容で。
感じたものから逃げてだけいると、会ってもないし、行ってもないのにどんどん嫌になっちゃうよ?って意味がこもっていて。
別に相手を救ってやれ、とか逃げてはいけないとか、そういう自分にたいして無理な話ではなくて、ただまだこれから生活していかなきゃいけないから、自分のために負担を減らしていこう、っていった内容で。
私には、ヒントになった本だったので。
頑張ろうって思っても行動になんてならないけど、考えを変えると肩が軽くなるから。
なんか近いものを感じたからコメント残しておきます。
投稿: やよい | 2010年11月 1日 (月) 03時36分
JIさま。コメントありがとうございます。
JIさまのお母様は 幸せな最期だったですね。自分の一番好きな空間で、自分の一番一緒に居たいと思っていたJIさんに看取られたんですから。
私は 自分の父母の時や姉妹の義父・義母等の時などを経験して 人間うまれる親も時間も選べないけれど 亡くなる時も大抵は 自分では死ぬ時期も その瞬間に 誰と居られるのかも 多分選べられる人は そう多くはないと 思っています。
だから たった20日間でも 側にいてくれたJIさんや妹さんに きっと感謝しておられる事と思います。
お母様の事もそうですが、今は父親が子育てをする方も多く ずい分オープンになってきましたが、3人のお子さんを育てたというお言葉の方に 「う~ん。凄い
」と 敬服しました。 我が家も 息子と娘の3人を育てましたが 楽しい事、苦しい事、悩む事、子育ては 毎日毎日が新しい経験の連続でした。
子供達は 月日とともに 大人になっていくものですからね。
今になって思えば、本当に楽しませてもらったのは 私達 親の方だったなぁ~と 思い当たります。 今では もう手遅れだけど こんな風に育ててあげれば よかったなぁ~と思うことも 多々あります。
「黄落」 今度 図書館で探して見ますね。
投稿: うっちゃん | 2010年11月 1日 (月) 21時11分
やよいチャン。コメント いつも ありがとう。 o(_ _)oペコッ
本当に 逃げてるよね。 大人は本当は強がってるけど 弱虫なんだよ。
長い事 逃げていたから向き合うのは 同じくらいの時間がかかるんだと思うけど 年齢的に言ったら もう、そんなに待ってられないもんね。
「熊の場所」 図書館で探してみます。 見つかるといいなぁ~。
今回はいろんな人に 素敵な「本」を紹介してもらいました。
ありがとうございます。
投稿: うっちゃん | 2010年11月 1日 (月) 21時21分