いい事と 悪い事は 交互にやってくる…らしい
昨日は ブログを 書く気さえ起こらなかった。
久しぶりに 我が家に 重たい空気が流れて 夫婦喧嘩をした。
いきさつは やっぱり 義母に由来する。
洗濯物を取りに 施設に出掛けた。 ダンナは 相変わらずの拒否反応で 帰りに買い物をするから 一緒に出掛けたけれど 施設の駐車場で 私が用事を済ませるのを一人で待っている事に なっていた。
昨日は 「文化の日」だったので 施設内は ガランとしていて 事務所にもヘルパーさんが数人いただけだった。 義母は 部屋にもホールにも姿が見えなかったので 洗濯物をタンスにしまって 洗濯物置き場から 汚れた衣服を持って 帰ろうとした。
1階の事務室に「ありがとうございました。」と声を掛けると 中から 長期ステイ担当のケアマネージャーさんが 走ってきて
「お話があります。」と言われた。
こういうのって ちょっと ドキッとしますよね?
「はい、お婆ちゃんに何か不都合がありましたか?」
「いいえ、そうじゃあ なくって。 お母さんは ここでは 本当に頑張って 色々やろうとしてくださっています。
でも、ここでは 他の入所者さんに比べて 何でも出来てしまうように見えるんです。
今は要介護2ですが このままの状態だと 次の審査の時には たぶん要介護1に 戻される可能性が出てきました。
そうなると もっと重症の入所希望者さんも待っておられますので 家に帰っていただかなくてはならないという事を 覚悟していて欲しいんです。」
「でも、家に帰ってきたら 元のまま 以前の状態に戻るって事はないんですね?」
「きっと、家に戻られたら 病状は進行すると思います。」
「お婆ちゃんは 家に帰りたいと思って そんなに頑張っているんでしょうか?」
「いえ、きっと そうではないと 思いますが。」
「ここに 居られて安心しているから 病状が安定しているのに 悪くなる可能性が大きいのに 自宅に帰されるんですか?」
「規定がどんどん変わってきているので 自立できれば はずすみたいな方針が 国から出ているようです。」
「とにかく 変更手続きはもう少し先ですので いきなり変えられても大変でしょうから そういう可能性が高いということだけは 早めにお話しておこうと 思いまして。
これからの事を もうしばらくしたら ご家族でお話し合いをしたいと思いますので ダンナさんにも お伝えください。」
グワ~ン…です。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
なんとなく 落ち着いてきた我が家でした。
でも、こんな重大な事を 隠してなんかいられない…。
で、「こう言われた。」と話すと 運転席のダンナが ぶちキレタ。
「 俺らが こんなに苦労してやっと 入れて貰ったのに アイツ いったい何やってんだよ」
この数ヶ月間 思い出すのも嫌なくらい この施設に入れてもらうまでに いろんなことがありました。
年金前借り生活をしていた 義母が転がり込んできて 年金以外は無一文の上に アルツハイマー。
同居どころか 面識もあまりなかった義母の 性格なのか、病気のせいなのか 全く分からない奇行で 週2回の病院通い。
ケアマネージャーさんは ほとんど2日に1回は顔を見せてくれ ディサービスや ショートステイに出したり。
質素に慎ましく 生活していたから 成り立っていた 我が家の家計には 病院の費用や引越しの費用、O市との2重生活で ささやかな備蓄も切り崩すしかなく 本当に毎日が 悪夢でした。
せめて 病院や引越しの費用、こちらで 何かあった時の為の保険などを持っていてくれればよかったのですが 義母の財産といえるものは 洋服タンス3本分に あふれかえるだけの服と 古い鏡台にいっぱいの化粧品と 『さが美』に騙されて買わされた着物を入れてあったであろう沢山のケースとおまけに付けて貰ったバッグ類。
着物は この数年で たぶん質屋に持って行ったであろうと思われる形跡がありました。
つまりは すべて「夢の後」。
4本契約していて 月に15000円も 払っていた今流行の A社・D社・AF社などの生命保険は 「入院手当てが少しはもらえるかな? 入院費が出てくるといいなぁ。」と思って 各社に電話で確認したところ 全て義母受け取りの うちのダンナ(つまり息子)の死亡保険だったのでした。 それも しばらく お金が銀行から落ちていなくて 解約することになってしまいました。 もっとも うちには余分な支払いをする余裕なんかないので 引き続いてお支払いなんて 出来るわけがないのですが。
「解約すると いっぱいお金が返ってくる」と 義母は言いました。
でも、契約が何回も何回も 払われたり払えなくって解約してあったらしくて 最終契約日が 数年前のものばかりで 未払いと帳消しになってしまいました。
契約者が 「ちょっと呆けてる」って わかっていて 便利な人だから いいかげんな内容で何回も契約させられていたんだろうと 推測されます。
そんな 何十万円の羽毛布団や ぜんぜん見ていないひかりTV、 使った形跡のないクーラー など。 いったい誰と契約したのかわからない気持ちの悪い書類も たくさんありました。
飲んでいないのに 賞味期限の切れた大きなポリバッグに入った何とかの健康水。
美味しいどこどこの味噌。 どろんとした何年物の紀州梅・北海道産のいくらの詰め合わせ(腐ってるし 紐解いてもいない)。 通販にも嵌っていたのかも…。
そんなこんなで 使い果たして すっかり無くしてしまった預貯金と 退職金。
こんなにお金をいっぱい持っていたんだ~と知ったのは 病院の支払いのお金を払おうと思って義母の年金を下ろしに行った 今年の3月末の事でした。
病院の支払いが出来ないくらい通帳が空っぽになっていることにも ビックリしたけれど
私がショックだったのは 初めに持っていた金額が 田舎では 土地つきの一軒家がポイッと 現金で買えるほどだったにもかかわらず うちに送ってくれたのは 小さかった頃の孫のお年玉とお誕生日の安いプレゼントと 義母のギトギト化粧品の香りの付いた古着ばっかりだったなぁ~って事でした。
息子に掛けていてくれていた300万円の学資保険の受け取りが出てきましたが、息子は自分で 新聞配達奨学生で 予備校に通い 奨学金で大学に行きました。
お祝いにと 義母が孫にくれたのは たったの一万円でした。 が、私たちは 一人暮らしで大変なんだからと思っていましたから その「お祝い」に本気で 感謝していたんですよ。
でも 今回 初めて1ヶ月も入院で義母の家に住んでみて 見栄を張っていた義母の素顔が 見えました。 ご近所の人達に 私は 「いいお婆ちゃんでよかったですね~。 お孫さんも お婆ちゃんの学資保険で大学に出してもらって。」と 言われたんですよ。
もちろん 息子の名誉の為にも 辛い新聞配達の話を してあげましたよ。 本当は 孫の顔すら 知らない お婆ちゃんがですよ。 ほんとに ショックでした。 会うこともないと思っていたんでしょうが 本当にショックでしたね。
見えてきた義母の日常は ご近所には 嘘つきだし ケチだし。 人を使い分けていたようです。
けれど お金を掛けてお付き合いしていた人達は 無一文の義母からは 離れてしまっていて 引越しの時や1ヶ月の入院中には 誰一人 訪ねて来る「お友達」はいませんでした。 本当に義母を 助けてくれていたのは 義母が一目下に見ていたご近所のお年寄りでした。
人間の値打ちは 困った時に助けてくれる友人が いるかいないかだと思います。
金銭的にではなく 精神的にです。
義母は全財産がなくなっても 誰にも話をしていませんでした。
もっと早く誰かに 一言 「困ってる」と 言うだけで 違う人生が出来たのに 自分でしなかったのです。
これがO市で 1ヶ月間でわかった事です。 それは 通帳から見つかった金銭的な一部分です。
70年以上の人生の中の ほんの一部分に過ぎないでしょうが、その前の30年間は 家族として もしかしたら もっと上手に 付き合えた可能性のあった時期ですが、それも 親子で断ち切っていましたから。 今更 なにをいっても 無駄な時間です。
割に合わない。 そう思いながらも 自分達の生活の安定を守るために 私も、ダンナも嫌々ながらも わけが分からないまま 動き回りました。 たくさんの専門家に恥を忍んで助けてもらいました。
「なんで俺が~!」と 叫びながら 現在に 至っています。
私でさえも 義母が帰ってくるというだけで こんなに 動揺しています。
ダンナは いくばくか~と思っても その苛立ちを 私にぶつけてくるのは 私だって許せません。
普通の親子ならば 嬉しい事だと思うんです。 よい方向に向かっているんですよ。
「自分で出来て 介護が軽くなる。」
また、あの徘徊を 探し回る日々が 戻ってくるのは 何にも知らなかったスタートラインに立った時よりも 気分が重い。 いつかは 帰ってくることは分かっていたものの
「たぶん、きっと 帰った時は もっと悪くなるでしょう」という言葉が 私の心を 重くする。
それは、真実な気がするから。
なんとか なるんだろうか…。
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