環境が変われば 考え方は こんなにも違う
最近 特集番組や新聞記事に 介護の内容のものが 多くなってきたような気がしています。 けれども それは わたしがその情報を必要と思っているので 必然的に 目に入ってきているだけなのかもしれないし 年々増加している老人問題が そろそろ他人事ではないと思える人の人口が増えているっていう事の 表れかもしれません。
この写真は 12月2日の朝日新聞の生活欄に載っていた記事です。
読者の投稿記事「ひととき」というページに掲載された文章に寄せられた手紙やメールの内容を 記事にしたものです。
asahi.comに 同じ記事が載っているかと思って HPを探してみたのですが 地方版用に編集しなおしてあったのか 地域によって掲載時期が異なっているのか
HPでは見つけることが出来ませんでした。
その記事は 「父の塗り絵に胸痛む」というタイトルです。
認知症で要介護1の父親が ディサービスを体験しに行って 画用紙に大きなキノコが二つあるだけの塗り絵を持って帰ってきた。
それを見た途端、胸が締め付けられ激しい憤りを感じた。 まだ 判断力もあるのに まるで幼稚園のようだと_(略)
すでに他界した義父が あまりにも子供っぽいと腹を立てて利用をやめたこと_。
10年たっても何も変わっていない_(略)
こんな内容でした。 共感の意見と 介護の現場の方の意見も載せてありました。
立場が変われば 考え方も違う。
自分の最愛の両親だったら たくさんの方が共感の手紙やメールを頂いたという記事の内容からしてそういう風に感じるんだと 逆に 感心させられました。
ちょっと 違うんだな~ (゚0゚)
うちの義母も ケアマネージャーさんから 紹介されて お試しディサービスに 数箇所出掛けました。
その時も、この記事と同じように カレンダーの塗り絵を作って頂いて帰ってきました。
7月の大きなひまわりの塗り絵でした。 黄色とオレンジ色のクレヨンで 丁寧にぬってありました。
けれども、私はこの投稿者さんの考え方とは 全然ちがって いました。
「お義母さん、こんなことがまだ出来たんだ。」
その頃の私達には アルツハイマーが重たく圧し掛かっていて 出来る事、出来ない事、やってもいい事、やってはいけない事が 今までの常識から すべてゆがんできている日常でした。
顔しか知らない全く他人同様の義母の行動は 全く想像を越えていて アルツハイマーという病気なんだと 納得しようと思っていても 義母とは全く違う人生を歩いてきたわたし達の感じる常識と 目の前に現れた現実とは思えない義母の行動。
一緒に暮らし始めても 自分からは口を利かない義母に こうしたらいいのではと思って やってあげている事はことごとく裏目に出て 「どうして? どうして?」の連続でした。
「できるから」 「わかった」 「わたしじゃない」
会話のない生活で 義母から飛び出してくるのはこの三つの言葉だった。
自分勝手にやってくれて 何にも出来ないんだ~!と 思ったのは わたしの方で 義母はずっと 自分で出来ると 今だって思っているはず。
その上 何にもわかっていない~と思ったのは やっぱりわたしの方で こっちの話は いい子のお返事と同じで 必ず納得をしていなくても 「わかった」と 言っていました。
本当はできないから、わかっていないから 自分で始めた事が必ず失敗する。
そして 決め台詞の「わたしじゃない」
そういう精神構造が 子育ての終わったわたし達には 最初っから多分今でも 理解しにくく
「保育園児だって出来る事」「犬でさえ出来る事」が出来なかったりすると それ以前の義母を知らないだけに
実の息子であるダンナが
「わざとやってる、昔から根性が悪い人だった」などと 叫べば 事態は どんどん悪循環に 嵌っていったのでした。
そういう風に 同居する前から 食事・洗濯など初めから一切手伝わない義母に
ケアマネージャーさんが 「庭でも いじってみたらどうですか?」と 声を掛けると その翌日から 黙って草取りを始めました。 誰にも言わず唯黙ったままです。
でも、それも一瞬のことで 草ではないこれから咲き始める花を 何を思ったのか根こそぎ抜き取って 庭にばら撒いてありました。 その時は 判断できないという事すら わたしにもわからなかったのです。
「それは マーガレットだから 抜かないで」というと 当たり前のように
「わたしじゃあ ないよ。」
本も読まなくなっていました。 ずっと 同じ本の同じページが 開かれています。
そんな 一日中 時間の止まったままのような義母を わたしは「宇宙人」と呼んでいました。 全然 理解不能だったのです。
そんな時期に ディサービスで持って帰って来たのが この塗り絵のひまわりカレンダーでした。
投稿者のお父様は まだまだ介護の必要ないレベルの軽度の方なんでしょう。
ご自分で幼稚園のようで嫌だと 言えるのならば 可能ならばディサービスではなくて 地域の老人会のようなものに 通われたほうがいいのかも しれないですが 介護1がついたのだから もしかしたら アルツハイマーの診断がでているのかもしれませんが。
大好きな家族の認知症を 認める方が もしかしたら 全然無関係で 親子になってしまった我が家よりも 施設や職員さんに対する目も厳しいのかもしれませんし。
少なくても 我が家はディサービスやショートステイ・長期ステイに 本当に助けてもらっています。
きっと この方も介護度が進み出した時には 介護士さんたちの プロの力に感謝されることも多くなってくる事でしょうけど。
入所している義母たちは (洗濯物を届けに行くだけの短い時間だから
わたしには 義母と話している時間より ケアマネージャーさんやヘルパーさんとお話を伺っている時間の方が長いような気がします。)
入所の時に 以前から得意だったものや趣味などを聞かれて 本人がやれそうな物を 週何回か スケジュールを組んでくださって リハビリで やっています。
(わたし達は 義母の昔を知らないので 全く参考にはならなかったようですが…)
先日のブログでも 書きましたが 今はクリスマス飾りや季節のものを 作ったり書いたりしています。 経験や器用さや介護度の違う人達を 上手に穏やかに指導しています。
「ダメ、ダメ。」は言ってはいけない台詞なんです。
そこが わたしには 絶対無理っぽい。
わたしなどは お気楽人間なので 幼稚園児のように楽しそうに笑っている義母を見ていると 至れり尽くせりで お世話をしてもらっている入所者の方は ストレスもしがらみもなくて わたし達よりよっぽど 幸せなんじゃないかと 思ってしまいます。
在宅 特に我が家などは 義母のいる間はずっと 家中が 悲しいくらいぎすぎすしていました。
全員がたぶん 振り回されて疲れた顔をしていたと思います。
尊厳を求めて_という記事に なんだかなぁ~と 思っているわたし。
こっちのほうが なんだかなぁ~? なのかしら…。
| 固定リンク
「介護っぽい話」カテゴリの記事
- 「…!」 その2(2016.09.17)
- 「…!」(2016.09.14)
- 迷子(2015.07.20)
- 担当者が変わったので…(2014.06.03)
- 通院…(2014.02.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
みてね!
投稿: やいさん | 2010年12月 4日 (土) 22時35分
>うっちゃん様
その記事は私も読みました。これ、昔から言われていることですね。
私が母の介護をはじめたころだったか、ある方が「ホーム」に入所しようかと思って見学に行って、「利用者」の方たちがまるく輪になって幼稚園児のようなお遊戯?をさせられているのを見て憤然として帰られたという話を見たことがあります。
私の母も妹の所にいるときデイサービスとショートステイを一週おきに利用していて、その施設にも何回か見舞いに行きました。塗り絵などもさせられていたようですが、母はもともと在野の画家で、要介護の状態になってもかなり後まで画は描いていましたし(終わりころはかなりめちゃくちゃでしたが)あるとき妹がこれおばあちゃんが施設で描いた画といって見せてくれた画はちゃんとしたもの・妹ももちろん母が画家であることは知りすぎるくらい知っているのに何やってるんだろう・と思ったものでしたが・・・
入所している利用者・要介護者、年齢も要介護度もまちまち、その過去の生活環境も・・そして何より高齢になれば環境に順応する能力か大きく低下するのに、一律的なサービスをしようとするのがおかしいのでしょうけれど、いまの貧困な介護サービス制度ではこれが限度なのでしょうか。
投稿: J.I | 2010年12月 6日 (月) 02時27分
JIさま。コメントありがとうございます。
認知症といっても 皆さんが同じように進行するのではないので
何歳だからこれくらいという子供みたいに一律には いかないのが 介護の大変さですよね。
外見では 認知症がよくわからないように内面の感受性は 身内だって見えないものだけに もっと 判断できにくいし…。
わたしに言えることは 不満や疑問は きちんとその場で口に出して ケアマネージャーや介護士の方に 伺ってみる事が大事なんじゃあないかと思うのです。
ディサービスなんかは 行事の日があって どこかへお散歩とか お寿司の日とか文化祭とか そんな日にだけ 参加したら面白いかもしれませんね~。
とにかく 介護のヘルパーさん達は 大変な仕事だと思います。
これからの時代 老人がどんどん増えてくるので ますます忙しく大変になるでしょうから。
投稿: うっさん | 2010年12月 6日 (月) 22時19分