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2011年3月20日 (日)

八日目の蝉

 昨日 東北関東大地震後 1週間が経過した為か 報道番組のみの
報道じゃなくなっていました。
 昼食時に TVをつけたら  全6回の長いドラマをやっていました。
タイトルは
「八日目の蝉」。
 角田光代
さんの同名の著書があるのは知っていましたが 以前新聞の作品紹介欄で見かけて
 「ちょっと 面白そう…。」と 心に引っかかっていた事もあって 
お昼から 4時間半の長さを一気に見てしまいました。

 
不倫相手の赤ちゃんを連れ去って 世間から隠れながら「かおる」と名づけたその女の子を
自分の子供以上に愛して育てていく逃亡生活。
原作を読んでいないので 原作は云々とか ドラマは云々などと 比較は出来ませんが
とてもいいドラマでした。

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 この頃 私は 自分の周りにも 現実に親子関係の複雑さで 苦しんでいた人がいっぱいいる
という事に 気付きました。
 本当に苦しんでいる人は ほとんど自分を語らないんだって事も 今更ながら気付きました。
ごく身近には 義母とダンナの関係です。
親子っていうのは 自分で選べないものだから 時間が経っても解決しなくて切ないですね。
 自分と親の関係だって 父から見たら切なかったのかもしれないと 思います。
親子って 家族ってなんだろうと 考える日々が続きます。

 誰でも この世に生まれてきたからには 当たり前なんだけれど 父と母がいるのです。 
百人百様 同じ親から生まれた兄弟だとしても 同じ考え方、同じ性格には育たない。
環境や家族構成、収入、親の考え方、時代の流れや天地万物あらゆる刺激で 
育っていく子供の考え方も変わっていく。 
だからこそ 個性があるのでしょう。

 本人が望まないのに 不幸にも 親と死別してしまう子供もいます。
両親が 離婚という経験を持つ子供も 多くいます。
親がいても 虐待や子育て放棄されてしまった子供もいます。
以前は 小説の中にしか姿を見せなかったこれらの子供が、大人になって また親になって 
同じ事を繰り返す事が 珍しい風景ではなくなっているのが 悲しい現実です。

 母親になるっていうのは「子供を産んだ・産まない」とか「子供を育てた・育てない」とかの レベルでは
測りきれないのかもしれません。
 主人公の希和子は 「きょうこ」と名乗り 連れ去られてしまった赤ちゃん恵理菜は「かおる」と名づけられ 
実の子供以上に強い絆 「生き甲斐」になっていくのです。
保険証もなければ身分証もない生活。 
けれども 厳しいはずの世間は 実は頑張って子育てしている母子に優しい。
 彼女のしている事は 悪い事なんだけれど なんだか「頑張れ!」って
ささやきたくなってしまうほど 切なくて一途で 悲しい。


 蝉の抜け殻を拾う小さな「かおる」に
 「蝉は7日間しか生きられないけれど8日生きる蝉もいるのよ。」と 
きょうこお母さんが話す場面があります。
 「だあれもいないのに自分だけ8日目を生きるのはいやだ。」
と かおるは言います。
八日目の蝉は いったい何を思うのか…?
 その後 小豆島で逃走劇は終止符を打つのですが、
本当の両親のもとに帰された 恵理菜は「お母さん」を心の中に封印するのです。
本当のお母さんも本当のお父さんも 本当の娘である恵理菜も その後幸せだったのか…。

 親子って 母親ってなんだろう…。
深く、深く 考えさせられました。
誰でも 大なり小なり 負の部分は背負って生きている。
長く生きれば それなりに…ですね。
 けれども どんな優れた小説や映画でも 現実の天災のあってはならない悲劇
には敵わない、想像が及ばない…と 思いますね。

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