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2011年6月

2011年6月30日 (木)

突然…

 木曜日の夜中。
突然 メグタが 鳴き始めました。
 「うるさ~い。 何時だと 思ってるのよ~。」
枕元の目ざまし時計を見ると AM3:00。
真夜中の2:00から5:00位に 起こされるのは 一番辛い。 苦手。
しばらく 知らんぷり~を決め込んで 無視していると 
ガサガサ 動き回っている気配。

 そして また 「クゥ~ン、クゥ~ン。」と今度は切なそうに鳴き始めました。

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 仕方ないので 起き上がって下に降りていきました。
 「しょうがないな、オシッコ我慢できないんだ。」

それで 真っ暗な家の周りを 懐中電灯の明かりを頼りに ぐるんと回ってみました。
でもでも、この子 オシッコじゃなかったんですね。 ただ、歩き回っただけ。

 「なんなのよ~。」

 それで 仕方ない、また寝ました。

すると 何分くらい経ったのかな。 
また 「クンクン、クンクン。」言い始めたのです。

 「今日はいったい何なのよ~?」

 メグタは 夜中に鳴いて 人を起こすなんてことをこの1年間したことがありませんので
こっちも なんか嫌~な気分がしてきました。

 「もしや? まさかね~?」 動物の直感 だったら どうしよう~。

 で、2日間留守の ダンナの携帯に電話をかけてみました。

 「なんだよ~?」そりゃ こんな時間不機嫌にもなるよね。
 「メグタがあんまり 騒ぐから 何かあったんじゃないかと思って~。」
 「大丈夫だよ。」
 「そっか~。なら いいや。 ごめんね。」

そんなこんなで 昨日は寝不足。

 でもでも 昨日は「なんなのよぉ~」だけでは すまなかった のです。


 水曜日から この地方でも 30度を越える暑い日が 始まっていました。
それ以前は 雨降りがずっと続いていたので 気温<雨 というのが 勝っていた為か
埼玉県や関東の猛暑のニュースを 聞いていながら 熱中症(?)に思い至らなかったのですね。 

 ところが この日のメグタは ちょっと おかしい。
何回も お散歩に行きたがるのに オシッコが出ない。 必要以上に ワンワン鳴くし。

 大好きなドッグフードを 横目で見て 全然 食べない。

 その上 すぐゴロンと転がってる。 いたずらをしない。

 やっぱりいつもとは 何か違うよね。
鼻を触ってみると 乾いてる~。

 暑いんか?? 
 それ、扇風機、扇風機~


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  「我々は 宇宙人だ~!」なんて 言ってる場合じゃあないぞ~。

 そして はっと気がついたのです。
去年の同じ時期、お婆ちゃんが脱水症状になって 奇々怪々な行動をしたことを…
 あの時も 夜中じゅう 動き回って 壊して おしっこが臭くて…。
似てる気がしてきた。 脱水かも~?


 そこで まず なんか水分を…。
こういう時って 水あんまり飲んでくれないのです。
 「よう~し! 出血大サービス!」
 夕べの食べかけのアイスクリームなら きっと食べるだろうと 冷凍庫から取り出してあげました。 
冷たくて美味しいのでぺろりと平らげて たっぷりの氷水をガブガブ飲みました。
 体も熱いから 霧吹きで全身に霧を吹きかけ 冬毛が抜けるように 全身ブラッシングをしました。
 凄いよ。 小さなハムスターがいるのかなぁ~と思ってしまうほど 沢山の毛がもっこりと 取れました。
 真夏に 毛皮のコートを着ているようなものだものね。
こんなじゃあ 暑いよね~。

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 ほら、こんなに 

家の中で ブラッシングすると とんでもない状態になってしまうので この時期は外でと心がけているのですが この綿毛 そのまま外に放置すると とっても危険なのです。
スズメバチとかが運んでいって 大きな巣を作るのに利用されてしまうことも  
なので ゴミはくるくる丸めて ゴミ袋へ。

 体から本日の余分な毛がなくなったせいか 氷水と霧吹きで体が冷えたせいか
その後の メグタは 風の通る玄関先で ぐっすりです。

 どう考えても これは犬の熱中症っぽいのです。
体が気温になれない時期に なりやすいって そう言えば 去年 穂高病院の先生が言っていました。
 犬にも当てはまるんですよね~?



 夕方になって 空気が涼しくなってきたら
 「おさんぽ! おさんぽ!」と 騒ぎだしたので もう大丈夫だよね。
ご飯も 食べだしたし。 なんか ホッ


 ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。


 夜 松本地方に震度3の 地震が全部で5回。
大きな揺れじゃあないけれど 今度は こっちなの?と思っていた矢先の今朝のこと。


 松本震源地 M5.5。 震度5強
安曇野も 震度3でした。

 山が揺れる感じの地鳴りの音。 
グワッと突き上げてくる感覚。
それは十数年前の 長野県地滑り山の地震の時に感じた時と同じ 地鳴りの音でした。
震源地が近いと 感じました。
でも、その時間は短かかったので 東日本の時みたいな 大規模な被害はなかっただろうと思います。
松本城の 瓦が割れたとの 一報がありましたが。

 犬って 感じるんでしょうか。 メグタは 庭をグルグル回って 大騒ぎしました。
でも、今はグーグー寝ています。
ちょっと 今は安心の時間帯かもね。

 天災は突然 やってくる。 人災もだな。


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2011年6月28日 (火)

今日も 雨降り

ブログネタ: 【写真ネタ】雨の日の風景を撮ってください!参加数

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 雨振りばかりが つづきます。

 雨の写真…。

 基本的には 青空の方が 100倍も好きだけど

 雨が上がったら 大きな虹が 出たらいいなぁ~と…。

 まだ そんな 素敵な瞬間に出会っていないなぁ この頃

 綺麗な虹が見たいです。

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 でも 露がたまった こんな瞬間に出会えるのも (^v^)


 だって 雨上がりの 青空は空気が透明で 宇宙につながってる気分。


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 そんな事考えながら 歩いていたら こんな青空が ちょっぴりだけ 顔をのぞかせた
 
  透き通ったブルー。 地球はこんな色に 見えるんだろうな。
 
 
 けれども 気まぐれ雨降りは ほんの十数分で 元の雨雲に

 お散歩中のと  は  駆け足で…

 でもね、家に たどり着いたときには びしょ濡れで…

 こんな ちっぽけな傘では いきなりの暴風雨は 防げない~。


 それでも キミは 行くんだよねぇ


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 雨にぬれた 薔薇の花は しっとりと 緑を包み込んでいる。

 こんな日には 同じ場所でも (o・・o)/~いつもとは違った 景色に見える…ネ。

  

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2011年6月25日 (土)

いまごろ…「岳」 見てきました。

  長野県のお話が なんだか今年は ブームですね。
ここ安曇野の 「おひさま」とか 小栗旬くんの「岳」とか… ね。


 5月の宣伝が始まった頃から
 「ちょっと見ても いいかなぁ~。 山岳映画だし~。 三歩が 小栗旬じゃあ弱っちいなぁ~。」とか ブツブツ言っていました。
 誰がって? もちろん ダンナ。

 「見てこればいいじゃん…。」(わたし)
 「こんなの その内 テレビでやるしな~。」(ダンナ)
 「まだ、半年は先だよ。 DVDが発売されてからだし。」(わたし)
 「別に 見なくていいし…。」(ダンナ)

 その後 コミック本を 数冊買って テーブルの上に並んでいます。
5月と6月で 5巻揃いました。

 「岳-ガク-」 石塚真一 著
(あーあ、また コミック本の大人買いが始まっちゃったみたいだね。 いったい何巻 発売されているの~?)口には出さないけれど 私の心の声。
一言 「一緒に見に行こうよ。」って 言えば 行ってあげるのに…な。


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 その頃 私は「永遠の0」に夢中。
「岳」なんてコミックだし いつでも読めるしと 思っていました。

 そんな風に 第1巻を手に取って読み始みた時は 「岳」という本の面白さに こんなにはまってしまうなんて、島崎三歩くんの 人間性というか優しさに ホロっとしてしまうなんて ねぇ~。 

 

 で、そろそろ映画のブームも終わった頃だし 松本や大町など 地元の山の映画なんだから見ておこうかな?と思ったの。

 「岳 見に行こうか~?」
 「行きたいのなら 行くか?(^v^)

 ていうわけで 「岳-ガク-」見てきました。 (*^^)v
夫婦で2000円という お得なチケットで。


 上映中 隣でダンナが 八方池だの山岳博物館だの 小声でブツブツ言っているので どこで撮影したのかが 分かってしまいます。

 三歩も野田チーフも まずまず 原作に近いイメージでしたが コミックでは小さく完結しているものをつないでいるので 私が好きな部分が省略されてる「残念なシーン」がいっぱいありました。

 映画の「岳」は 原作の島崎三歩の優しいストーリーではなくて 椎名久美ちゃん(長澤まさみ)の山岳救助隊への道~的 お話にすり替わっていました。
そういう風に もう一つの「岳」と思えば なかなかすごい映画でした。

 コミック本で三歩ファンになった私には 映画の中の久美ちゃんは 強すぎる感じがしたし、私が思い描いていた三歩はもっと 超人的な(要するに実在するはずのない仙人みたいな)人で なおかつ 山が大好きな男のはずでした。
 小栗旬くんは しっかり三歩っぽかったのですが 映画ですもんね。
実写は難しいし 2時間で三歩の優しさを分かるには 時間が足りないか~ (´・ω・`)  

 山で捨ててはいけないもの ゴミと命。
だから 決して自分では無茶をしない 引き返す勇気とか決断の大切さを コミックでは一杯書いてあったのに 「映画」では 久美ちゃんが自分でロープを切ったり三歩が雪崩の中を足を引きずったりしながら 救助に向かうシーンなどがクライマックスとして描かれている。

 「やりすぎだよ。映画。」

 もし 私が監督だったら 三歩は雪崩にあっても 足なんか引きずらせない。
ありえないとは思っても 元気に雪崩の中から走り出て 雪山を駆け出していく。
だって、本物の三歩なら 自分の命を守れないような状態で救助に行かないよね?と 疑問符がついてしまうもんね。 
それくらい 島崎三歩っていう人間は 日常を厳しく生きていて そして 登山者に優しい気がする。

 それに 遭難した人に「よく頑張ったね。」という 一番三歩らしい優しい一言のシーンが
映画には 無かったな~。 
でも 予告編には 上手に使われていましたね。

 私がこのコミックにはまったのは 生きていても死んでしまっていても
三歩に見つけてもらった遭難者の人たちは
 「ありがとう、よく頑張ったね。」と言ってもらえる シーンです。
 「このやろう。」でも「馬鹿やろう。」でも ないんですよ。
疲れてボロボロの人たちが聞く 初めての「ありがとう。」は きっと心にしみるでしょう。
 そして 「また、山においで。」とね。
本当に優しいシーンで ここをゆっくり優しく 旬くんに演じて欲しかったなぁ。
そこんとこ 映画にたっぷり入れて欲しかたなぁ~。
ほんのりと暖かい 原作に 映画は負けちゃった気がしました。

ずっと、「岳」を見たかったダンナ。
 「実際の山は もっともっと厳しいけど あんなに辛くはないんだけどな~。
あれを見たら 山が嫌いになっちゃいそうだよね。」

 「そうかぁ~、なんかなぁ~!」ですって。

山には ちゃんと天候、装備、体調 いろいろ準備しても 大自然には かないません。
本物の三歩はいないんだよ。
それでも 山が大好きなんだね~。 

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2011年6月24日 (金)

暑くなって来たからね。

 集中豪雨みたいな大雨と 蒸し蒸しの気温。
昔の梅雨って こんな感じだった。

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上高地は 土砂崩れで 大変な事態になってるし、秋田は川が氾濫…。
今年の日本列島 天変地異がかなり厳しいですよね。

 久しぶりに 義母の施設に 出かけてみました。
そろそろ 夏用のズボンやTシャツが 必要な時期ですからね。
薄手のズボンを2枚とコットンの薄めのワイシャツを2枚、半袖のTシャツを2枚。
大きな袋に入れて 名前をしっかり書いて 持っていきました。
 前回は 靴下を沢山入れたので 下着は大丈夫だろうと 思いました。

 以前「ラジオの電池が欲しい」と ヘルパーさんに話したというので 今回も予備の乾電池を必要なときに交換してもらえるように 入れておきました。

 それに 今回は サワさんのブログの中で 「お母様に 綺麗な絵画の本を 3冊持っていきました。」という言葉に「優しいなぁ、サワさん」と とっても感心してしまったので 私も 買い物のついでに 義母に絵本を探してみました。
 でも、正直 本屋さんの店頭で 私は本気で途方にくれてしまいました。

 何故って 義母は 「どんな本が好きなのか?」…
分からない~?じゃん。 ということは 本って探せないんですよね。

 それで 義母の家から持ってきた荷物の中から 使えそうな本を持ち帰っていましたので 探してみることにしました。
 これなら いいかも~
その中に1冊、朝日新聞社発行の 中島潔さんのさし絵の本を 見つけたので持って行くことにしたのです。
まだ 新品同様で本の中を 開いた様子もなくて もしかしたら大切に締まってあったのか
 もしくは 誰かに頂いたままだったのかも しれません。
とっても 可愛い子供たちが描かれた作品集でしたが このまま ここで埃をかぶってしまっておいても 義母の物は
 「箱から出すな。」とダンナは言うでしょうから こんな素敵な本が ゴミみたいに置かれているよりは きっと 施設で無意識に破ってしまったとしても この本にとっては幸せなんでは…と思えたのです。

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 こんな 可愛い作品です。 (勝手に このブログに載せてしまってもいいのかな~?) 


 義母は 前回は「ご苦労さまです。」と言いました。
あの時は私のこと 誰だかわからなかったんですよね。

 今回は「〇ちゃん。」と 私の名前を呼びました。

 部屋に着いた時は ちょうど入浴の時間にかかってしまっていて 部屋には誰も居なかったのです。
持っていった荷物は 名前のチェックと新しいものの持ち込みには デジカメで確認作業があるので
食堂にいた新人のヘルパーさんに 荷物を預けているところでした。

 入浴が終わって 優しそうなお兄さんのヘルパーさんに支えてもらって歩いてくる途中でした。
振り向くと入所時は スタスタ歩いていたのが ヨタヨタ歩きになっていましたが 頭はけっこうしっかりとしているように見えました。
 「〇ちゃん! こっちこっちよ!」と 手を振るのです。
 「皆さん、お元気?」
 (と、聞かれても 家には あなたの息子しかいないんだけど~。)
 「おばあちゃん、元気そうになったね。」 
 「お陰様で 皆さん 親切にしてくださるからね。」
 (会話になってるみたい。)
 「この挿絵の本 覚えている?」
 「? ?」
 「着替えを持ってきたから ヘルパーさんに渡しておくね。」
 「服はいっぱいあるのよね~。」
 やっぱり 噛み合っていないみたい~です。
本の事は 興味がなさそうに見えました。 覚えていないのかな、やっぱり。
置いていって 要らなければ そのうち持って帰れば いいや

 
 そんな会話をしていると すぐ後に 体操の時間になりました。 
ホールで入所者の人たち20人位と ヘルパーさん達の大きな輪が出来て 体操がゆっくり始まりました。

見ていても仕方がないので ヘルパーさんに軽くご挨拶をして 帰ってきました。

 もう 義母は プロの方に任せたままの方が 安心です。
プロは やっぱりプロですね。 お年寄りの扱い方が 上手です。
 「ハイハイ、○○さん、こっちですよぉ~。」
 「ハイハイ、手を大きく回しましょうね~。」

ヘルパーさんの元気な声が ホールに響きます。 

 ここのお年寄りは20人もいるのに 体操中でも 静かなものです。 
真剣に手をグルグル回している人。 車椅子でボゥ~っとしている人。
まあ、様々なお年寄りが 並んでいますが いつの間にか 義母もその中に馴染んでいるのでした。

 帰ると言っても もう こちらには振り向いてもくれませんが、この場所で馴染んでくれているのが一番です。 お年寄りの保育園みたいです。 

 どんどん 老人が増えて お年寄り社会になっていく日本
自分たちも こんなふうに年老いていくのか…。
毎回 一生懸命働いてくださっている介護士さんに 感謝しつつも なんかなぁ~
虚しい気分で 帰ってくる 私なのです。  

 

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2011年6月23日 (木)

ツツジの鉢伏山

 昨日の青空とは うって変わって 大雨注意報が出るくらいの 空模様。
なかなか 梅雨は あけそうにもありませんね。
ジメジメ湿気ばかりが 立ち込める…そんな日は 青空が恋しい~

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 さて、昨日の続き。

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 前鉢伏山から 鉢伏山へ向かいます。

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 ここが鉢伏山の小屋番さんがいる山小屋です。 ビーナスラインから車でここまで乗り付けることが出来ます。
  鉢伏山の入山料は一人100円です。
 「犬はいいよ!」と 言われたそうですが ダンナは「入山の記念に。」と メグタの分も払ってきたそうです。
 「入山料を払ってくれた犬は お前さんが初めて」だそうですよ。

 おめでとう。メグタくん。 キミが100円を払って鉢伏山に登った一番初めの犬ですよ。  \_(^◇^)_/\(*^^*)/ おめでとっ!

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 鉢伏山の頂上へは こんな道を どんどん登っていきます。
わかりやすくきれいに整地されていますが 大きな瓦礫の道なので メグタには 上りも下りも 歩きにくそうでした。

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 鉢伏山の頂上です。 1928m。  美ヶ原の王ヶ頭よりもちょっぴり低い山ですね。
展望台からは 遠くは安曇野から諏訪湖までぐるりと見渡すことができます。
塩尻や松本の市街地も よく見えましたよ。
 昨日は 蓼科山から常念岳まで 一望できました。
槍ヶ岳の三角のトンガリや 諏訪湖の向こうには なんと富士山も見えました。
ラッキーヽ(´▽`)/


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 ここで 美味しいティータイム。
山用の カロリー軽食を食べて 下山です。 下山開始、PM1:30分

 帰りはあの 急勾配を降りなくてはなりません。
 「どうしよう~」と 思っていたのだけれど ゆっくり、ゆっくり降りれば なんとかなるっていうことが わかりました。

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 日中が暑かったせいか 帰り道の方が ツツジの花が真っ赤に見えました。
下りがキツいので ゆっくり景色を味わう余裕がなかったけれど 行きの気持ち悪く感じたシダの森が キラキラ光が当たっていて 綺麗でした。
太陽の差す時間によって 森はいろんな顔を見せてくれるのですね。

初めて大きな山に登ったメグタくん。
犬って本当に 帰省本能があるんですよね。 自分でちゃんと もと来た道を先頭に立って案内をしてくれます。 ありがとうね。

 PM2:30分 歩き始めて約1時間。 車を止めておいた林道に無事にたどり着きました。
登り始めから下山まで 約3時間40分かかりました。
それが 速いペースなのか遅いのか… 他に比べようがないので わかりませんが
急登で今回は ふくらはぎが痛いです。

 「もう こんな山 2度と登らないだろうなぁ。」と 行きは思っていたけれど
青空と 真っ赤なツツジと 綺麗な景色で 評価はグっと上昇中です。

 「鉢伏山」 とっても綺麗な山でした。
とっても とっても 疲れたけれど…。
思い出してみれば 楽しい山行だったみたいです。

また、いつか行こうね~ (o・・o)/~

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前鉢伏山~鉢伏山に登ってみる

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 今日の 北アルプスです。 ここは鉢伏山頂上まで後少しという場所。
遠くには槍ヶ岳のてっぺんも見えています。
 今日は 午前中は 快晴。 真夏日 30度という予報も出ていました。

 朝10時少し前に 「メグタ 行くか?」というので 玄関先で寝ていたメグタが
 「ウォ~!」と 答えました。
なんのことはない。 山に行くかということだったんですよ。


 それで、登る男と登る犬。 それに登らされる女の 2人と1匹。
今回は「鉢伏山」に出かけました。
地図上だと 「鉢伏山」は先日登った「美ヶ原」の隣の山です。
茶臼山からこんもりと丸い山が見えますが それが鉢伏山です。

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 「鉢伏山は 今がツツジが満開で 綺麗なんだって~( ̄ー ̄)ニヤリ
こんな 私の一番弱い部分で 従いてきてしまいました。 


 ダンナは 山歩きの好きなメグタを 連れて歩ける山を探していました。
国定公園内は 犬を連れて歩くことはできません。 
なので 前回の「美ヶ原」は メグタは家でお留守番をさせていました。 

「犬を連れて 山を歩きたい!」 
そんな愛犬家(?)の思いで ずっと以前には 北アルプスに 我が家の最初の犬のアレックスやプチは 何回も連れて歩いたことがあります。
2500m以上の高い山でも 犬はちゃんと 登る事ができるのです。

が、自然保護や環境問題が ちまたで 話題にあがった頃から 救助犬以外の普通の犬は国定公園内の山に登ることができなくなりました。
 本当は犬は とても賢いので 一緒に登れば 熊や野生動物にはめったに出ません。 教えたわけでもないのに 行きの道をちゃんと覚えていてくれるので 側にいてくれるだけで何だか 安心して登れる気がします。
でも いったん法律で決まってしまった事は 一人でブツブツ言ってもダメですし 「団結して立ち上がろう!」なんて叫ぶ そんな仲間はめったにいませんしね。
 それに 犬だって そんなにしょっちゅう山に連れていける事は ないですしね。

 今回の鉢伏山は ダンナが事前に もう一つの登山コースの扉峠を通って登る道から 登山した時に 山小屋のお父さんに 「犬を連れてきても大丈夫ですか?」と 話をしておいたのです。

 「チャラチャラした観光客が来るよりも 犬の方がよっぽどいいよ。」と言ってくれたそうです。 
バッチリ入山許可を貰って 「いつか連れていこう!」と言っていたのでした。


 6月22日(水曜日) 晴れのち曇


 松本市村井の古屋敷というところから 林道に入って 登山道に到着したのが
AM10:42分。 今回の登山ルートは 宮入峠を越える宮入山コースです。

 前回の「美ヶ原」と違って この山は知る人ぞ知るという登山道です。
裏山を 登っていくような感じです。
 いつも なんにも知らない山を登らされている私は ただ なるたけ遅れないように付いていく のみです。


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 なので今回は 登り始めから いきなり急登から始まりました。 
道も もちろん 階段などの整備はされていないので 道か雨水の流れた跡なのかわからないような 森をグングン 登っていくのです。 (ゼイゼイ)
息も絶え絶え…です。(ゼイゼイ)


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 ここは 大きなシダの林。 私の背丈程もありそうな大きさのシダが 延々と続きます。
メグタはすっかり影すらも見えませんが 大人だって葉っぱの中に道が続いているので
先を歩いているダンナの姿も 全く見えないのです。
 なんだか ジェラシックパークとかキングコングとかの 森のシーンみたいで ちょっと不気味~。 
 遠くで 鹿の声。 ケーン!みたいな…。 
 おひさまが 照って森は明るいのだけれど 
 「もう、こんな山 嫌だ~」と 思いながら歩いていました。

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 その上 このコースは 熊笹・大シダだけではなくて 宮入山を超えて下り 次の山を登りという アップダウンが数回あるのです。
写真のような急登が続きます。
 「もう、登れない~!」と 思った所に なんと 黄色と黒のロープが…。
ちゃんと 登山道の難所には こんなロープが 用意されています。
なんか ホッwww です。
上の写真の所にも しっかりありましたよ。

そんな救いのロープに助けられる事 3回。
少しずつ オレンジ色のツツジの花がちらほらと 見られるようになりました。

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 ここは あと少しで前鉢伏山の最後の登りの斜面です。 今回は ここが一番ツツジが咲いていました。 

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 そして ここが 前鉢伏山の頂上です。 1836m
こんな激しい(私にとっては) 山登りなのに 1歳半のメグタは まだまだ全然元気。
遅れがちな私を気遣って 時々 後ろを振り向いてくれるんですよ。
メグタ優しい~。

 後ろに見えているのが 鉢伏山。 これから 目指します。
ここの展望台で 「この景色が大好きなのよ。 一番綺麗だと思うわ。」と 話してくれた二人組のご婦人がた。
 「あと1週間後だったら 満開だったのに 残念ね。」と 言っていましたよ。

 本当に 鉢伏山のツツジは今週中が見頃ですよ。
私たちは 登山道を登る人ですが 他の人は「鉢伏山」の山小屋の駐車場まで 車で出掛けることが出来ますよ。  
車を降りたら 目の前に 「鉢伏山」への整備された登り口が始まります。
運動靴で行けますよ。
 この鉢伏山には何万本ものツツジの木が もうすぐいっせいに 咲きだします。
今日でも こんなに綺麗なんだから さぞや~ですよね。

 オススメですよ。 時間と興味のある方は 是非出かけてみてね。

 今回のツツジの写真は 3分咲きか4分咲きくらいだと 思います。
本当に 来週ならなぁ~(*´Д`*) と 思ってしまいましたよ。 ちょっぴり残念。



 さて、続きはまた明日。 (o・・o)/ 
 

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2011年6月19日 (日)

永遠の0

 5月の済州島のついでに 娘の顔を見に 埼玉へ…。
その時に 娘から 「時間が空いたら 読んでネ。」と 手渡された1冊の本。

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 それがこの本。
 百田 尚樹 著 「永遠の0(ゼロ)」

 本当はこの本の存在は知っていました。
以前 多分NHKの「ブックレビュー」という番組で 某テレビ番組の「アタック、チャンス~!」の児玉清さんが 「この本は 泣けました。」と話しているのを 見ていましたから。

 「0」というのは 誰でもすぐ納得できる 「零戦」の特攻の話です。
でも ただの戦記物ではありません。
戦後60数年経った現在 特攻で祖父をなくした孫が 昭和17年~20年終戦1週間前の特攻に出撃していった当時を 調べ始めます。

 特攻という史上最悪の作戦に 駆り出されていったのは 今は 受験戦争で苦しんでいる18~20代前半の 若者たちでした。
人生のなんたるかも 知らずに戦地へとかりだされていったのでしょう。

 恥ずかしい話ですが 「戦争」という言葉に拒否反応をもつ父と家族に 育てられたせいか 私は 映画でもドラマでも戦争ものは嫌だなぁと思って 遠ざかって過ごしていました。
私の父も この宮部久蔵さんとは同年代です。
たしか5歳くらい 若かった筈で 特攻ではありませんでしたが 子供の頃おぼろげに 南方に行ったということを 聞いたことがありました。
 けれども 私はこの父についに 戦争の話を 詳しく聞いてあげることもなく 逝かせてしまいました。
 「永遠の0」を読んで 父も話したくないんじゃあなくて 話せなかったんだと 思い至る節がありました。 
辛い記憶だったのでしょう。 ちゃんと聞いておいてあげればよかったと思っても 後の祭りですよね。
 
 学校で習ったはずの「第2次世界大戦は どうして起こってしまったのか?」
という日本人の本質を表す大事な疑問を 時代と共にさらりと 流してしまっていました。
私たちの子供時代の 教科書には いったい何が書かれていて どのように教わったのか…。
思い出そうと思っても 残念ながら ちっとも 記憶にありません。
社会科といわれる教科も 過去の歴史と現代社会は区別されていていたように思います。
ましてや 日露戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦という単語を習っただけで
戦争は 日本が侵略者の立場だったと 今では当たり前に誰でもが知っている事実を 実感として理解したのは ずいぶん後のことで 自分で図書館に通い始めて 読んだ本の中から得た知識でした。
韓国の南北戦争やベトナム戦争など 新聞などあまり興味のない10代の小娘が 時代の流行作家として読んだ 松本清張森村誠一
そんな普通の小説の中に 混ざって昭和という時代の大きな矛盾がいっぱい書かれていました。
  
 「天皇陛下のため、日本のため、家族のため」 日本国民の愛国心で…。
そんな大義名分が連ねられた時代があったんだと いう事は 今の日本人には
過去の歴史の一部分で 昨日・今日・明日が繋がっていて 歴史は作られているという実感は持てません。 
それは何故かというと 多分 細切れの教育を受けていたからではないのかと 思います。

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 さて、本題へ。
祖父 宮部久蔵の 特攻時代を知っている老人たちを訪ね歩く姉弟。
一度も会ったこともない祖父の 臆病者と噂されるほど「生きて帰って 妻と娘に会いたい」という信念に 何かしら影響されて 今を生かされている かつての仲間たちの言葉は 重くせつない。
その多くの生き残った戦友たちは 戦争を家族に語っていないのですね。
語りたくても語れない戦争の悲惨さと時代背景があったのです。

 当時 20代の若者たちは あの戦争をどう考えていたのか?
 
 私も あの時代の若者たちは 「そうするしかなかった、他に選択肢はなかった」のだと 思います。
戦争は軍にとっての 国民という交代兵は 「1円50銭の赤紙代でいくらでも徴兵できるが 飛行機は交代がない」と言って 人間の爆弾カミカゼ特攻隊を 考え出します。
ナチスは ユダヤ人を人間として扱わないで世界の敵になりました。 
でも 自国の国民を 将来のある若者を兵器として 使い捨てにする戦略は考えませんでした。 片道切符しか持たされない戦地の 日本兵。
日本国内で 夫を兄弟を子供を出征させて 帰りを待ちわびていたほとんどの家族は そんな軍隊の内情も 負け戦ということも知らされずに 「お国のため」に我慢の日々をおくっていたのですよね。
 「もう戦いは止めよう。」と言える勇者が 日本の軍隊のエリートの中にはいなかったのが 悲劇の広島や長崎にもつながってしまったのだと 思います。
 血気盛んな若者達は 19年には もうすでに「日本は負ける」と分かっていた首脳陣の引き際の悪さに 死ななくてもいい命を 捨て駒にされたのです。


 本文の中に「真珠湾攻撃の時 宣戦布告の手交が遅れて 卑怯な奇襲になってしまったのは ワシントン駐米大使館員の怠慢だった」という話があります。
その駐在員は パーティーで遊んでいたという事実です。
海軍の指揮官は 常に安全な場所にいて 実践には無理難題の作戦を指示し
その責任をその当時の高級官僚は 誰一人として取らされていないという事実です。
 本文の中では (2006年に初刊された本ですから)今の時代の 官僚制度と少しも変わらないと書かれています。

 私も 一緒に 怒りと涙とため息が 同時に出ました。


 そして この本の官僚の在り方は 2010年3月11日の 東日本大地震の後に起こった「福島原発事故」の東電の上位人の対応そのもののような気がします。
 たった一人で乗り込んだ菅総理は 主人公の宮部久蔵みたいに結局は 時代に
押しつぶされてしまいそうですし。

汚いものは 隠す。
営利のないものは切り裂く。 日本はやっぱりこんな大物に牛耳られている国らしい。
虚しくて 涙がでます。 
戦争の時だって命を張って 頑張ったのは 国民で 戦後の復旧だって
蟻のように 大地に踏ん張って 歯を食いしばってくれたのは ちっぽけな国民だったはずです。
 「お前ら 新聞社が戦争を煽り 戦後は戦争に行って命をはって戦った奴を戦犯にした」

 これも今のマスコミと全く同じです。
たくさんの人に訴える力のあるマスコミは 営利で 揺れ動いてはいけないと思います。
言葉は優しくもなるし 暴力にもなるのだから。

 「原発」の真実も 大きな力で闇に消されることのないようにしてもらいたい…
この本を読みながら そんなことまで考えてしまいました。

戦争は つい この間のことで 自分の父親がこの地獄を見ていたんだと
今頃気づく浅はかなわたしです~。 

今 この時期に この本を読んでよかったです。 久しぶりにいろいろ考えさせられた本でした。

  
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2011年6月17日 (金)

いつもの…

 6月のこの時期。 
暑いのか 涼しいのか 出かける時に 着ていく服がちょっと困るのです。
うちは 森の中なので 暑い時期になればなるほど 下界との温度差が大きくなるのです。 
たった1km位の 距離でも かなり蒸し暑かったりするのです。 今日もそんな日です。

今日は 薄曇り。 まぁ、雨が降らないだけ ましか…。
いっぱい溜った サッカーのユニホームやビブスの洗濯物を 外に干そうと 庭に出ると 
 「げっ、また猿が いる~

 メグタは 大喜びで 早く猿を追っかけようと つないである紐をガンガン引っ張りながら
▽・w・▽ ワンワン 大きな声で 騒いでいます。
猿は 猿で 毎度のことなので 屋根の上や木の上の方から 様子をうかがっています。
そんな日の午前中は ますます雑用が 増えていきます。

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 天気予報では 曇マークですが ここ数日に きっと雨が降ると思いますよ。 
だって この「お猿の天気予報」は 本当によく当たるのです。
 メグタの自慢のお仕事は いつもの散歩道をぐるりと回って 猿たちが遠くへ逃げていった事を確認して 一段落するのです。
 それで 人間にはわからない猿の気配がなくなると 安心してお昼寝を します。


 Img_4395   

 ちょっと 気持ち悪い写真なので 小さくしましたが、やっぱり キモイよね。
 大きな「ヤマカガシ」が 道路で車に轢かれて お陀仏中の写真です。

 最近は 蛇って ほとんど姿を見かけません。
「ヤマカガシ」は 私たちが信州に住み始めた頃から この森にいました。
でも その頃は 「ヤマカガシ」は 毒がないと言われていました。
でも 何年か前に 「ヤマカガシ」には 毒があって 危険な蛇だとニュースでも流れました。 
毒蛇に変身~です。 毒蛇だなぁ~と思うと ちょっとコワイ。
 いろいろ調べてみると「ヤマカガシ」は 日本中のどこにでもいる蛇なんだそうですよ。
うちの山で見かけるこの蛇は かなり派手なオレンジ色がくっきりと遠くでも見えますが、場所によっては 黒っぽかったり緑っぽかったりするようです。
 10年くらい前は ずいぶん 道を這っている姿を見かけたものですが ここ数年は この森にも 開発の波が押し寄せているので 蛇だっておちおち這い回ってもいられませんよね~。 
 何でも興味のあるメグタくん。
さぞや この蛇に反応するかな~と メグタを引っ張って その道路の横をこそ~と歩いたのですが 犬って動かないもの(死んでるもんね)に対して 関心が全くないという事を発見しました。
こんな大きな蛇。 
生きていたら1m以上の 長さだったのに 全く無視。 知らん顔。
逃げていく猿たちには こんなに 一生懸命に走って追いかけるに~。

 とにかく これが 生きてなくてよかった!
こんなのと 対面したら 「ひぇwwww!!」ですよ。
だって  絶対 飛びかかってしまう事 間違いなしですから。


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 そうそう、我が家の さくらんぼがみのりました。
さくらんぼの木は 緑がうっそうと茂ったので その上 いろんな用事が重なって
「さくらんぼの実」が なっているという事実をすっかり 忘れてしまっていました。
だって さくらんぼの花は 今年初めて咲いたのですからね。

 うっかり。 というのは こういうことを言うのでしょう。
 「今年は 見たことがない鳥が やってきたよ。」と ダンナと話していたのです。

 その鳥達。 きっとサクランボの実が成っていることを 知っていた~??かも?

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 「もしかして さくらんぼが実ってるのかも…?」と 探してみたら 成ってる成ってる~。
でも、ほとんどは 鳥がつついた後だったみたい…なの。

 初めての 「さくらんぼ」。
市販品に比べると かなり小粒だけれど 味はやっぱり「さくらんぼ」。
来年は もうちょっと 手入れして いっぱい成るように 勉強しよう!っと。


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 忙しついでに 梅干もつけました。
梅から水が上がってきたら 暑い夏だね。
  

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2011年6月15日 (水)

JR東日本パスで行ってみた~②  2分間の奇跡

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 さて、 昨日の続きです。

PM4:00 そろそろ 電車に乗って 新青森に行かなくっちゃというところで 帰りの切符の指定券を チェックしてみました。

 「おい、これじゃあ新幹線に間に合わないじゃないか」と ダンナが怒り始めました。
 「えっ? だって 間に合うはずだよ。」
 「指定の時間 見てみろよ。 もう新青森に着いていなくっちゃ 無理だろうが

 出発前に この切符は1日券だから とにかく 正確に時間配分をしたのです。
新青森駅からの ねぶた号のバスの時刻や 帰りのバスも行き当たりばったりのいつもとは違って ちゃんと時間通りのバスに乗って バッチリと思っていたのです。

 「そんなことは ないはずwwww。」と 計画表を見てみると ちゃんと 初めに私が作った予定通りの時間です。 
間違いは 切符をとってくれた穂高駅の指定席にありました。
予定通りにこの時間を指定したのに一本早い はやぶさの指定席だったのです。
浮かれていて 帰りの時間をしっかりと 確認しなかった 私のミスです。
朝のはやぶさだって「走っていない」と言われたのに ちゃんと乗りたかったはやぶさ9:09分は 定刻に走っていましたしね。
今更言っても 仕方のないことだけれど…ヽ( )`ε´( )ノ

 こんな凡ミスをするなんて いかに旅なれしていないってことだよね。 反省。

 「うわぁ~、どうしよう~

 「タクシーに乗っていくしかない」とダンナ。

 私の頭の中は もう真っ白で なんにも考えられないくらいのパニック状態です。
なにしろはやぶさは 全席指定席で 乗り遅れたからといって 
「次のに 乗ったらたらいいや」では 指定席は当日では絶対無理だし はやてに乗れても4時間も立ちっぱなしになってしまいます。
もし乗れなかったら 楽しい10000円の旅は なんの事はない ただの旅になってしまうんですもん。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

 12時までに 明科駅にたどり着かないと この東日本パスの魔法は とけてしまうのです。
まるで シンデレラみたいでしょう?

 「タクシーだったら 新青森まで10分で着きますか~?」
この時 青森駅の駅員さん。
まるで 神様みたいな 一言をアドバイスしてくれました。

 「タクシーじゃなくて 特急に乗って行きなさい。 今なら5分発の特急が3番ホームに止まっていますよ。 はやぶさまで2分間しかないけれど 間に合う可能性が高いですよ。」

 「ありがとうございます

この東日本パスは 特急も乗り放題だったのです。 駆け足で特急に乗り込みました。
在来線から新幹線のホームまで たった2分間で間に合うか~?

 「無理かもな…。 でも、絶対付いてこいよ~。 走るぞ!」

 この時 もう奇跡は始まっていました。
特急の着いたホームは 乗り換え口のすぐそばでした。  ダンナはガンガン 走っていきます。

 新青森新幹線ホームの 駅員さんは 私たちの走りと顔つきを見て はやぶさに乗りたいんだと 咄嗟に判断してくれました。
 
 「切符を通さないで 走ってください。」
と そのまま 改札を通してくださいました。
そのおかげで 2分間の奇跡は継続されました。

はるか前を走るダンナ。
2段の長い階段には エレベーターのある方の 上り口でした。
私の前には 2列に並んだおばさんが エレベーターをふさいでいます。

 「すいません、通してください。」

すると 多分 青森弁の大きな声がしました。
 「〇〇〇〇~
きっと どこかのおばさんが 「どいてやれ」か「通してやれ」的なことを 叫んでくれたのだと思うのです。 
おかげで 前の階段がさ~と 空きました。 
同じ速さで エレベーターを必死でかけ登ることが できました。
あの時の 声をかけてくれた女性の方。 
本当にありがとうございました。
この場で (きっと読んではくれていないでしょうが)、感謝です。

 そして、階段を登り終えると 目の前にはやぶさが…。

 「はやぶさ506号、まもなく出発いたします。 お客様は黄色い線の内側までお下がりください。」
の放送が流れていましたが、 プルプル~という音と共に ギリギリセーフで
新幹線に走り込むことができました。
さ~とドアが閉まりました。 まるで 私を待っていてくれたかのように (=^0^=)/

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 ゼイゼイwwwwwww。

乗り込んだ車両はなんと 私たちの指定席の6号車。
息を切らして 喘ぎ喘ぎ 席につきました。
PM16:17 はやぶさは 静かにスタートしていました。


 「よく、間に合ったよなぁ~。 奇跡みたいだよな。」
 「ホントだよね~。 よかったねぇ~」

 この何十年間で 一番早く走った気がします。
本気で走ったから 八戸くらいまで 気持ちがたかぶっていました。

 「よかったね。 よかったね。」と
 「よく乗れたなぁ~。 奇跡みたいだ。」を ダンナと二人繰り返して 話していました。

 青森の駅員さんは 本当に皆さん、親切でした。
本当にありがとうございます。 m(__)m
駅員さんの 「特急に乗りなさい」とか「改札を素通りさせてくれる」とかの機転で 無事にはやぶさに乗れました。
 そのおかげで ドッキリの一日から楽しい一日に 思い出が戻りました。

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 でも ちょっぴり残念なこと。 新青森駅で買おうと思っていたお土産は 全部パァでした。 駅弁だって もちろん買えなかったし~。
青森駅の駅ビルで イタリアンのパン屋さんで 美味しそうなパンを買っておかなければ お腹だって空腹で 喧嘩になっていたかも…。

 子供たちと友達に お土産のかわりに 三内丸山遺跡で撮った写メールで我慢してもらうことにして トンネルの多い盛岡過ぎから送信しました。

 「おお、 よかったね。 本当に 行けたんだね~。」
と 娘から返事がきました。 
だってね、この間 会った時 「お母さんたち、10000円で日帰り 青森の旅に行ってくるんだ。」と言ったら この娘はね、
 「えぇ~、私なら 行かない~(*´∀`*)」って 言ったのだ。
 「乗り遅れなくて 本当によかった~」って思っていたから この一言、嬉しかったのです。

 そして シンデレラの魔法が切れないうちに 無事家に 帰りつきました。
めでたし、めでたしヽ(´▽`)/


 とは いかなかったのね。

 あんなに鍛えているダンナ。
はやぶさの中で なんか左足が痛いと言い出したのです。

PM20:10 大宮発 あさまは 自由席が空いていたのだけれど 通勤用なのか座席は狭くて はやぶさに比べて ファーストクラスとエコノミーくらいの格差があります。
朝のあさまは はやてと同じ座席でしたが このあさまは もっと座席が狭いのです。 その狭い座席で 左膝がますます痛いと言い出してしまいました。
 「ずっと 座ったままだからだな~。」とか「猛ダッシュしたからか~。」とかぼやいています。

 去年 義母で足を痛めた経験がある私は 今回も予防のために 「アリビエート」という塗り薬を常備していたので 痛いながらも 無事に歩いて帰ることができました。

はやぶさは椅子も大きくて乗り心地も あさまはやてに比べたら最高です。
音も静かで 横揺れも少ないです。
出来ることならば また はやぶさ号で 青森から北海道に行きたいな。


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 さて、家に無事にたどり着いたものの足を痛めたダンナは 今日の朝 
豊科の鍼治療の先生のところに 出かけて見てもらいました。
この先生は 去年 私の足を治してくれた名医です。

 サッカーをやっているダンナは 以前から古傷があり半月板と靭帯が 伸びていたようです。
たまたま 滅多に 長時間座るという行動をしたことがなかったために そこから痛みが出たようです。 
運が良く(?)痛みが出たおかげで 長年の痛みを 絶対に行こうとはしなかった鍼治療に行って 治してこられたのだから もしかしたら ラッキーだったのでは…と 思います。
買うことができなかったお土産代で 完治ですよ。
もしかして これって 強運(?)なのかな。


今回の東日本パス とっても楽しい一日でした。
こんなにハラハラしたのは 20代のフリーきっぷを持って歩き回った時以来でした。

ちなみに今回の交通費、もし 普通に長野新幹線と東北新幹線を利用して 往復したとしたら 一人23320円です。 だから二人で26640円も お得だったわけですよ。

 東京や関東地方なら もっとお気楽に利用できるし 滞在時間も長く利用できますよね~。
 安曇野→青森は めちゃくちゃなコースだけど たった1日で行って帰ってこられるということが分かって 東北がグっと短に感じられるようになりました。
 「なんか 夢を見てたみたい~」という気分も しますが。

   



 

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2011年6月14日 (火)

JR東日本パスで 出かける

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 事の始まりは 5月の初め。

 「JR東日本パス」 東日本エリアの新幹線・特急が乗り放題
 
このキャッチフレーズが ぽんと目に飛び込んできました。

 「はやぶさ号を含む指定席が 2回までなら取れるんだって! 
ということは ここから 新幹線をつないでいけば この切符一枚で 青森まで行けちゃうかもしれないってことだよね? 
日帰りだって できるかも…??」
 「むふふ、面白そう。 ちょっと PCで 調べてみようかな~?」
そんな軽い気持ちで Yahooの 路線を 開けてみました。

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 東京経由ならば「スーパーあずさ」~「東北新幹線」
 長野経由なら「長野新幹線」~「東北新幹線」ということになります。
片道だけならば どちらも楽勝なんだけれど 一日10000円で 行って帰ってくるという
素晴らしい思いつきがは 始発で出発して終電で12時までに駅にたどり着かなくては
このフリー切符を 満喫したとは言えないと なぜか その時 思ってしまったのです。

 「松本に出て長野方向か 東京方向か」 という選択肢は選べないことは すぐ分かりました。
長野県は 田舎なので 始発が6時代なのです。
ここから出発するには どうしても出遅れてしまうのです。 
青森で行動する時間がなくなってしまい ただのとんぼ返りになってしまうのは 何か悔しい。

 そうだ! もう一つ ここから出発する方法に 明科駅という手段があります。
明科駅だと 穂高→松本(大糸線)、松本→長野(篠ノ井線)のうちの大糸線と松本→明科という部分を省略出来ます。
これで 松本始発の長野行きの普通列車が利用できることがわかりました。 

 「やった~! 明科からだと 一日で青森に行けるし 三内丸山遺跡にも行ける~
 「新幹線に乗れて 青森まで行って10000円~
 これで行かないってのは ないよね~ 
 はやぶさの指定席が取れたら 青森に行ってこようかな~?}

 「取れるんなら 俺も行くよ」(ダンナ)

 「いっぱいで取れなかったら がっかりだなぁ~。」

 「そんなこと考えて 行こうとする奴は うちだけだろうなぁ…。」(ダンナ)

 「だったら 別に一緒に行かなくても いいんだよ(○`ε´○)」


 という訳で えきねっとと JRのHPを調べまくって 計画表を作ってみました。
そして日程を 6月13日(月曜日)ということに決めました。

そして1か月前の 5月13日に 穂高駅の窓口へ~。

すると 窓口のおじさん(駅員さんと書かなくては まずいよね)。 
急にソワソワしてしまって
 「地震ですからね~。 動いていませんよ。」 などと言い出します。

 「えきねっとで 調べてきましたから 9時のはやぶさ あると思いますよ。」

  「おかしいなぁ~? はやぶさは 出てこない…(ブツブツ)」

 「じゃあ、はやては必ず動いているはずですから 探してください。」

 「はやてですか? あ、ありました。 9時ですね~? 9時22分のなら 取れますよ。」

こんな 頼りのない問答が 10~15分くらいあって どうやら 穂高の駅ではやっぱりこんな珍道中の切符を頼まれたことがないのか 機械をモタモタやっている。
(穂高駅の人は わたしのブログなんて読まないだろうから 真実を書いてしまいました)そんなこんなで やっと 手に入った はやてとはやぶさの指定席券。
何しろ 全席指定席なのだから これがなくては乗ることすらできないのでした。

でも、この切符で 後で 本当にハラハラしたんだから~ 

 
6月13日(月曜日)曇


 5時起き。 2人分のお弁当を作って いざ出発

AM6:33  明科駅出発  普通列車

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 AM7:37  長野発 長野新幹線 あさま

 AM9:22  大宮   東北新幹線 はやて

 AM13:19 新青森着

 こんなに簡単に 青森県に到着~(*´∀`*)

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 新青森駅で 親切な案内のお兄さんに 「三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)」への出口を聞いて いざ出発。
南口にねぶた号というバスが待機していましたが 
 「オレらは 歩こうぜ~」派の 我らは 三内霊園の中を突っ切って 歩いていきました。

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 霊園って 当たり前のことなんだけれど 本当に大きな墓地だった~。
自転車少年達が 楽しそうにつるんで いましたよ。
霊園内は 広くて明るい。  花屋さん、売店なんかがあって 自転車少年たちが
アイスクリームをほうばってる…。 のどか~。

 
 「ねえ、ねえ、ここってすごいお墓の数があるから 青森中の人達が ここに眠ってる~?」と 私が言うと
 「これから行く 遺跡だって 墓地と変わらないんじゃねえの?」と ダンナ。
 「まぁ、そうか~」と みょうに納得です。
遺跡と霊園。 現代と過去の差しかないよね。 なるほど です。

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 さて、ここからが 「三内丸山遺跡」です。 大きいんですよ~。
丸太が 本当に太いんです。

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 ただ 丸太が組んであるというには 余りにも迫力のある 掘立柱建物跡地に復元された掘立柱の太さは 直径2mも あるそうです。
 この三内丸山遺跡は 縄文時代前期~中期(約5,500年~4,000年前)の大規模な集落跡地です。
園内は 広く たくさんの竪穴住居が復元されています。

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 帰りはバスに乗り 青森市へ。

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 青森と言ったら やっぱり 懐かしい「青函連絡船」でしょ~。
若い日の 夜行列車から青函連絡船に乗って いざ「北海道」へ~。という記憶は
青森の濃紺色の海の色と ちょっと 暗い空の色と重なって 私の中に残っていました。

 今の青森は とっても綺麗です。
港も駅前も 昔の青森とは全然違います。
はるかかなたには 青森は海の香り…魚と貝と潮の香りが強かったと思っていましたが
「青い海公園」の海の香りは 昔のそれとは全然違っていました。

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 ここは 以前は 函館に向かう旅人は必ず通った 青函連絡船の発着所跡
今は メモリアルショップになっています。

 そんなこんなで ほんのちょっぴりの青森滞在時間は どんどん過ぎていきます。
なにか美味しいもの~というのは 今回は無理。 
食事にはどんなに短くても30分から1時間の余裕がなくては 楽しめませんもんね。
駅ビルのなかで何か探そうと思って ウロウロ。

お土産は 新青森駅で。
と 心づもりしていました。

 ところが、ところが…。 大失敗

続きは また明日だよ。  

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2011年6月11日 (土)

「安藤 忠雄」さんの講演会に行く

 今日 松本市で「第30回 全国城下町シンポジウム松本大会」 というのに参加してきました。 
松本市の住民ではないのですが 講演会は参加自由ということで 松本市のホームページで 調べて 自分で応募したのです。

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 会場は まつもと市民芸術館
こんな難しそうなシンポジウムに なぜ(?_?) 参加したかったのかというと 今日の講演会は 「安藤 忠雄」さんという現代日本の代表のような ガッツ(ふるい~!)のある建築家のお話が聞ける 滅多にないチャンスだったのです。
身近な所では 「新しくなった渋谷駅」とか「表参道ヒルズ」とか「天保山のサントリーミュージアム」とか…。 知らないうちに 行ったことがあったりしています。

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 建築なんて全然 無関係のわたしが なぜ「安藤 忠雄]さんを知っているのか?と
疑問に思いますよね。
今から 3~4年前。 WOWOWのノンフィクションW という番組で この安藤さんの特集をやっていたのです。
代表建築の「住吉の長屋」の話や 「光の教会」「ベネッセの直島の美術館」の話で
その豪快なまっすぐな考え方が とっても素敵で 再放送をした時に DVDにダビングして
ダンナと息子に
 「この人は すごいよ 大物だよ。」 
 「見て、見て!」と 無理やり 映像を見せました。 

 この人の存在は 特に20代前半の息子には 知っておいて欲しかったです。
そのくらい「安藤 忠雄」さんに 惚れこんだのだと思います。
 「自分が行動できなくなったら やめればいい」 そう その通り (・・||||r

そんな ポジティブな考え方をする いわゆる「団塊の世代」の 見本みたいな人に思えました。

 団塊の世代よりも ちょっと 置いてけぼりを食らったような年代の わたしには 
「あの頃の時代」を引っ張っていくパワーが溢れ出ていた その年代の先輩たちに 強い影響を受けて いろんなことを教えてもらった気がします。
 もっとも、歳はとっても その年代の方は 今でも 相変わらずパワフルなのは 変わりませんが…。

 「講演会」は 13:30開演でした。

 話の内容は 主に「東日本大震災」の復興構想会議、議長代理という立場から
これからの日本の復興、、震災遺児たちの里親制度の話を入れながら 今までの建築物の話をなさいました。
 
 建物とは関係ない話なんですが、ちょっと記憶に残ったその通りと思った話。
「僕は80年以降に 生まれた若者のことは信じられない。 彼らは 過保護に育ちすぎている。」
という話から始まって 何年か前に東京大学の入学式の時の記念講演会の話になりました。
 大学生の入学式の2階席に親がずらりと並ぶんだそうですよ。
うちの息子の大学の時も 入学の案内の時にもらう提出書類の中に 親の参加の有無という欄がありました。
うちは ダンナと2人で
「自分たちの時には 高校の時 親が来たか?」という話で盛り上がり 高校までは私が出席しました。
「大学は 親は行かないだろう?」という結論で 行きませんでした。 
大学生活にお金がかかるので 親の分までの予算がなかったという 現実もあったんですがね~。

 何を話してもいいですよということで 講演を引き受けた安藤さんは 
 この時 「2階席は 出ていってくれ~}と 言ってしまったんだとか。
東大の学校長は 講演の後 なんと言ったと思いますか?
 「安藤さんの責任ですよ~。」ですって。

 これが 現代の教育現場の実態だろうな~。
危ない、危険といって 初めから 親が危険を回避させる。 
これが 日本の子供たちを駄目にする原因…だろうな~。


 とにかく あっという間に 講演会は お終~い
震災遺児のための寄金の話が 一番印象に残りました。
本物の安藤さんは イメージ通り。 ダミ声で早口。 バリバリ元気な いい人でした。



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 松本に行ったからには やっぱり 松本城でしょう~
朝の雨が嘘のように 青空。 やっぱり わたし、晴れおんな~

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 松本城にはなぜか こんなキャラクターの可愛いのがいました~よ


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 こっちは 松本の重要文化財。 開智学校
こんなに立派な学校で 勉強できたなんて 羨ましい~かも。



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 これは 松本市美術館の オブジェ
今や 世界的な芸術家になりつつある 草間弥生さんの作品です。


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 ここは 縄手通り。 

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 先日の「鶴瓶に乾杯」に おひさまの田中圭くんと鶴瓶が この道を歩いていましたね。


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 松本市内で 遭遇。 「原発なんて なくても ええじゃないかのパレード。
ええじゃないか~。 ええじゃないか~。 ええじゃないか
の 掛け声と 鐘や太鼓の音。 市民のみなさんの いわゆる「百姓一揆」だよね。
 ガンバレ! ガンバレ! 

 ええじゃないか~!ええじゃないか~!ええじゃないか~!
 原発なんかなくても ええじゃないか~!


 わたしも 行進には見ている人だったけれど たくさんの市民の人たちに混ざって歩きたいきぶんでした。 
 今なら出来る 原発の廃止に 政治は違う方向を向き始めているようです。
本当に これからの未来の子供たちのために ドロドロした利害関係は捨てて 安全な世の中をお願いします と言いたいです。


。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚

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2011年6月 9日 (木)

蟻なんて ありえない~ (´;ω;`)

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 田舎の生活は 大雑把に考えたら 普段は お気楽なんだけれど
こっちに住んでいると どうしても 許せない嫌いな物が あります。

 一つは 蜂。 葉っぱの後ろや ベランダの下に巣を作る あしなが蜂や 
たった1匹でもこわい すずめ蜂
8月の後半から 9月頃の森の中は 何処からか この森のこわ~いギャングが飛び始めます。
大きな羽音が ブ~ンと聞こえただけで 「すずめ蜂だぁ~」とぞっとします。
下草のどこに巣があるのか まったく見えない事もあるので その時期に歩くときは 道から森の中へ なるたけ入らないように、それと 黒い服を着ないようにと 気を付けています。

 そして もう一つは です。

なんて~と 都会に住んでいたら思うでしょうね?
でも 田舎 特に 森の中では このちっぽけな 蟻たちは 大敵です。


 その蟻が 我が家の丸太の中に卵を産んでしまったっぽく 大量発生しそうな危機です。
今朝は 8畳部屋に 大きな黒蟻が~いっぱい。
キャァ~ ヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ 

 それを見つけたダンナは
 「うわぁ~! すごい数だ~!」と ガムテープとアリアースを取り出して 悪戦苦闘が始まりました。
昨日はまだ発生していなかったので 今朝からの 夏みたいな陽気で 卵から孵化したのかもしれませんね。 
ガムテープで捕まえると まだ体の表面が柔らかいので プチンと潰れてしまいます。
 でも もし これを1週間も放置したら いったい何匹の蟻が 発生することか~。
考えただけでも おぞましい…

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 Img_3823  
 大急ぎで 近くのホームセンターに 蟻よけ用のグッズを買いに出かけました。 
 今や気温が上がってきたので 蟻に、蜂に、藪っ蚊に 森の中は 虫だらけ。
これを防ぐためには なかなか無駄な出費が かかるものなんですよね。

なんで、勝手に入ってくる蟻のために ( ゚д゚)、ペッ
 自然との共存? モムーリ!o(゚Д゚)っ 
この虫たちに関しては ちょっと 無理っぽい。ヽ( )`ε´( )ノ

 いかに 関わらないで過ごせるか…の方が やっぱり大事です。


 今は 蟻が とりあえず姿を潜めているけれど この数日間は 気をゆるめられないのです。

 あ~あ、ここ数年は 静かな日々だったのに 今年は虫の大量発生の年に なってしまうのかぁ~。 

 ああ、 嫌だ! 嫌だ!
蟻なんて 大嫌いだァ~


 こんな初夏の日に 蟻なんて アリ~?
 

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2011年6月 7日 (火)

初夏 ですね。 いろいろありますね。

 森を歩くと さわがしいほどの 蝉しぐれ。

気象庁が史上2番目に早い「梅雨入り」と発表された後の 強烈な台風の大雨が通り過ぎ
その後は これ…。

この 陽気と虫たちのざわめき。 もう、初夏みたい ですね。


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 日射しも 風も もう夏ですね。

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 我が家のいたずら坊主。 ☆⌒(>。≪)

今日は こんなこと やってくれました。

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 お父さんのお気に入りの サッカーのTシャツ。
サッカーのソックスなんて 持って逃げるのは よくあることなんだけれど
まさか 着ているTシャツを やるとは~!

 「ふふん、僕じゃあないよ~。」と すっとぼけていても 駄目駄目
ちゃんと 歯型がついてるよ。  ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…
反省するかなぁ~と ベランダに出すと


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 こんな顔 ヽ(`Д´)ノ 人相(犬相?) 悪~い。
飛んでる蜂や蝶々に 八つ当たりしてるみたい。 口でパクン、パクン



 これなんだ  
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 庭に 「マムシそう」発見。 子供図鑑に載っているけれど 実物はちょっと不気味。
マムシがかまを もたげた姿に似ているから ついた名前なんだそうな。
実際に見たことある人は どれくらいいるのかな?

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 全体像はこんな感じ。 薄暗い場所に咲くのよ。 顔みたいに見えるところに 真っ赤な実がなるの。 その状態もちょっと グロい。
嬉しくないけれど いつの間にか 咲くようになって 久しい。

毎年 同じ場所には咲かないんだ。 あれ? 今年はこんな所に咲いてる~という感じです。 種が飛ぶのかな~? 摩訶不思議だね

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2011年6月 6日 (月)

美ヶ原は 美しい… 王ヶ頭

 美ヶ原登山から 3日が過ぎました。 やっぱり、年よね~。
全然平気 なんて思っていたら 今日はちょっとばかり筋肉痛~ 

 さて、続き。

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 茶臼山から 美ヶ原の美しの塔に 向かいます。
こちら側からみると 美ヶ原は大きな台形の平原に見えます。
標高2000mの 誰もいない大地は まるで宇宙基地を歩いている 映画の中のワンシーンみたいです。

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 ただ真っ直ぐに歩くこと 1時間弱。
大きな真っ青な空には なんだか絵画のようなすじ雲が 描かれていて
気持ちいい~。 大きなキャンバスみたい。


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 塩くれ場を通って 遊歩道へ。
「やっぱり 美しの塔は 写真撮っておかなくっちゃ ね!」


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 それから 可愛い牛の「メグタ」とも 出会いましたよ。
くりくりした目や 呼ぶとやってくるところや 柵を食べている仕草などが そっくり
 首輪に「51」と書かれた仔牛。 「メグも~」ちゃんと 勝手に名付けました。
可愛いんだ~。     


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 それから 牧場の柵を巡らせた 遊歩道を通って 王ヶ頭へ。

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 安曇野の家から見える美ヶ原のテレビ塔は この美ヶ原にそびえていると なんだか
宇宙基地みたいです。 自分がウルトラ警備隊になったような気分~
宇宙から何かがやってきても別段 不思議じゃあないようにそびえたっている…。
そんな迫力が ありますね。

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 そして ここがこの山の頂上「王ヶ頭(おうがとう)」。 2034mです。 
美ヶ原の最高峰です。
ここからは 遊歩道の「王ヶ鼻(おうがはな)」を回って 石切場・三城牧場の下山ルートで帰路につきます。

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 とっても綺麗な山並みが見下ろせる道なのですが、瓦礫道で急坂なので 結構大変でしたよ。

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 石切場の見えるこんなゴツゴツした急な道を ジグザグに降り続けました。
途中 ぴったり12時に 途中の木陰で ランチタイム。
自称「かんたん山弁当」の美味しかったこと  

 後は 一気に 降りるのみ。
途中で 出会ったカップルの奥さん(かなぁ~?)は もうバテバテでした。
すれ違いざまに 「頑張って!」と 声は掛けたものの
私 心の中で この下りでも かなりキツイこっちのコースでの「上りじゃなくてよかった~」と思いました。 
 ホントo(゚Д゚) 「茶臼山のコースでよかったな。」です。

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 三城牧場から見える「テレビ塔」。 
 「あそこに登ってきたんだよね~。 嘘みたい

 いこいの広場駐車場についたのが2時ちょっと前。

 「さ~て、家に帰って お茶でも飲むか~。」

セブンイレブンで お茶用のアイスクリームを買って帰りました。

 「楽しかったね~。 美ヶ原 やっぱり綺麗だったね~。」

 そんな 綺麗な美ヶ原の一部分を みなさんにも「おすそわけ」~でした。

   

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2011年6月 5日 (日)

美ヶ原は やっぱり 美しい…

 昨日は ここ1週間で最高の 青空の日。
いつものことながら ダンナが 即
 「明日は 美ヶ原に行こう


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 「美ヶ原」もう何年も 行ってない~
けれども この人のいう「美ヶ原」はドライブコースじゃないのよね。

 用意する物  水・お弁当・デジカメ・タオル・携帯
これが私のカリマーのリュックに入っている物すべて。
 でも ダンナの大きな登山用リュックの中には 
食料2人分・非常食・水2L・コーヒーポット2本分・おやつ・登山用カッパ・長袖の
フリース・その他登山に必要な備品などなど~。

 それで 今回の美ヶ原のコースは 三城牧場から茶臼山(ちゃうすやま)2006mを経て 美ヶ原の王ヶ頭(おうがとう)・王ヶ鼻(おうがはな)に出て 降りてくる いうものです。
 いつも後ろを付いて行くばっかりの私の 「美ヶ原のイメージ」はただっ広い平原だったはずだったのに 
 今回「長野県は山国だ。」ということが しっかり インプットされましたよ。

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 分かりにくい地図ですが 要するに赤い線が 今回の山行の 歩いたコースです。
渓谷沿いと樹林帯を通って茶臼山を経て、王ヶ頭を目指します。
 大変だったけれど とっても綺麗な景色が 楽しめました。



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 三城牧場 まだ あんまり牛はいませんでしたが、とっても綺麗な牧場です。


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  AM 7:00 きらきら眩しい朝の光の中を 登り始めました。


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 渓谷に沿って登るので ザーザーという音がずっと聞こえます。
2日前までは 大雨警報が出ていたくらいの雨降りだったので 多分水量も多かったんだと思います。

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 ここは 雨が降ったら渓谷そのもの?というような 石がゴロゴロした道を登ります。
朝と渓谷という好条件が重なっているせいか 道は涼しく気持ちよく登れました。


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 ここで分かれ道。 普通の登山者は塩くれ場という看板の方向を目指しているようでした。 後で地図を見たら「百曲がりルート」というのがあるようです。
 でも、私たちは ここから「茶臼山」を目指します。
わたしなんかを連れて そんな怖そうなコースは 無理、無理。


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 ここもまた渓谷に沿って しばらく歩きます。
こんな綺麗な 東北の「奥入瀬渓谷」みたいな景色を見ながら 登ります。


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 途中で景色は一変します。 苔の道です。

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 大きな岩にびっしりと苔が生えていますが 太陽の光があたって 不思議な世界に迷い込んだみたいです。 アバターやスターウォーズみたい。


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 熊笹の林を抜け ついに茶臼山 到着。
AM 9:20。 私が途中で デジカメで 「うわぁ~ きれい」とかなんとか
言って 途中下車ばかりしているので 早かったのか遅かったのか~?

 でも、茶臼山 標高2006mです。 私 登ったよ。
三城が1410mなので 約600mの高度を登った事になりますね。 
 「やったぁ~ 」 思ったより 全然 楽ちん


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 これが頂上の景色。 遠く 八ヶ岳。 「富士山も見えた。」


 さてこれからは 美ヶ原の王ヶ頭(テレビ塔のある所)まで 足を伸ばします。
美ヶ原の標高は 平均して2000mだそうです。 
ほとんどの人がビーナスラインを利用して車で 1930mまで 一気にやって来て 美しの塔周辺か 美ヶ原高原美術館を見て帰ります。
 私も そちらの方は 経験済みです。
だから 広い草原のイメージが 焼きついていました。

 確かに 今でも草原です。 広くて大きい。
 でも、ちょっと 今までとは違うんだなぁ~。


もう少し 茶臼山からの 風景をどうぞ…。 


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 続きは また 明日です。 
 

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2011年6月 3日 (金)

あれや これ~♪

 今日は 朝からお天気が回復。
久しぶりの お日様に ちょっとお散歩は 遠出をしてみました。

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 雨の上がった後は ほんと蒸し暑い。
ついこの間まで 小さかった雑草がメグタの 頭の高さまで~
雨よりは ずっといいけれど 暑っ~い。
帽子をかぶって 家を出かけて 大正解だわ。


 通り道の途中 「なっちゃんのお家」。
先日、実家から 「こなっちゃん」と一緒に帰ってきました。

 この森の中では 久しぶりの 小さな命。
可愛いの~。 赤ちゃんって こんなに小さかったのね?
しっかり抱っこさせてもらいました。 人見知りしないし おとなしいし。
とってもいい子なの。
パパ似なんですって。 女の子は 普通パパ似で、男の子はママ似と 言われます。
素敵な 女の子になってね。 


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今日は ぐっすり「おねむ」のようなので 外で立ち話。
新米ママさん、パパさんは 鳴き声一つでもハラハラしどうし…なのだそうです。
それも 後になれば 笑い話、いい思い出になります。
子育て、大変だけど 楽しいよ。 頑張れ、なっちゃん。
あんまり可愛いので 勝手に紹介してしまいました。

 子供って 周りを明るくしてくれます。
時々 顔を見に 行ってもいいかなぁ~?


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 夕べの NHKの「爆問学問」
今 一番 考えなくてはいけない大問題がテーマでした。
エネルギー国民投票で 選んだら?ということで 爆笑問題がゲストの方々とトーク
する番組です。
原子力発電所が どうして日本国民の中にほとんど意識をしないうちに 入り込んでいたか?
現在54基ある原発のほとんどは オイルショックの後に建てられたそうです。
つまり2000年以降 環境問題のオゾン層が破壊されないためにはどうするか
「石油がなくなる」「CO2を減らす」イコール「原子力」だと
自民党政権が 原発推進を推し進めてきたんですね。

う~ん。なるほど。

無知な代表である私の記憶にも そんな時期があったと 納得できます。

日本のエネルギーは 「原子力29% 天然ガス29% 石炭、石油 水力、新エネルギー5%」の順ですが
先進国では ドイツ・オランダなど「新エネルギー30%」。
 原子力からグリーンエネルギーに変わりつつあり 農業革命、産業革命、IT革命に続く 第4革命が このグリーンエコノミーなのだそうです。
 自民党政権では 「日本は原子力で行く」という方針が 最優先だったので
日本には 太陽光・風力・地熱・水力など 小規な地域の最先端の技術を持っている企業が たくさんあるのですが 補助や支援が国から貰えずに ずっと 伸び悩んでいたわけです。

 あっ、この話は 知ってる。 ブログにはこの手の話は よく載ってるし…。


 
菅総理が 先日のサミットで「2020年までに自然エネルギーの割合を20%まで
伸ばす」と言ったその矢先の 不信任案。
ここにも 原子力かグリーンエネルギーかの なにかの大きな力が蠢いている(?)
ように 感じられます。
政治と お金と 自然。 全然関係ないように見えるけれど どこかに利権があると
密接な関係になる。 そんな気がする。
ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…


 とにかく 爆笑問題が 私が「これってどうなの?」と 思っているような話を
ズバッと太田さんが聞いてくれて ちょこっとだけ スッキリしました。


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2011年6月 2日 (木)

菅総理 頑張って。

 自民・公明党。 それに 「小沢一郎」(あえて こう書きます)から
不信任案が出て 今日の午後 結果が出るそうです。

 正直 私には「何に対する不信任なのか?」まったく わかりません。
理解できないのです。

 自民党の谷垣さんは「震災の対処が悪い。」といいました。
この2ヵ月半、そういう自民党は 国民の為に一体何をしてくれたんでしょう?
 「小沢一郎」だって しかりです。
史上最大の大地震・津波の起こった東北地方に まず 震災の2日目に出かけた
菅総理とは正反対に 自分の出身地である岩手県にさえ 顔を見せたのは 震災のあった日から ずっと後日の事でした。
自民党も 選挙の準備などをしていて 震災地に入ったというニュースは聞きませんでした。
ブログやツイッターの噂では 海外逃亡説すら聞かれていました。
菅首相が 震災が起こったすぐに
 「この局面を乗り切るために 政党を離れて協力して下さい。」
と頭を下げた時に 谷垣さんは自民党の長でありながら 「協力する」という返事をしませんでした。

 「なんか 自民党って変だよね?」
不信感っていうのは こういう時に使う物ではないんですか?

 その間 菅首相や枝野さんは「嘘つきの東電」に振り回されて
毎日毎日 TVに出ていましたし 原発からの避難や 復興事業の自民党時代にはない
復旧作業の 素早さ。
世界中に震災の協力を求めるために 菅首相は頭を下げてくださいましたよね?
だからこそ 世界中の有識者からは 日本はすごいとのお褒めの言葉も
世界中のいニュースに載っています。

 阪神大震災の時 総理大臣は誰でしたっけ?
中越地震の時は?
誰の記憶にも残っていません。
自民党の総理大臣が 震災の2日目に現地に出かけた事なんて 
ありましたっけ?
過去の誰か総理大臣は ゴルフをしていたなんて事も 聞いたことが~。


 お昼の 菅総理大臣の演説を聴いて なんか 涙が出てきました。

 こんなにこの数ヶ月 国民の事を考えて行動してくれた菅総理大臣の
行動のどこが不信任なのか~? 
考えても考えても わからないし わかりたくもない。

 地震や津波は 「自然災害」 もちろん この世の中の誰のせいでもないでしょう。
「福島原子力発電所の原発事故」
 これは 絶対に 菅総理大臣が責任を取らされるべき 問題ではないと思います。

この問題を追及するのならば、今から40年も前から 原発を誘致した
「自民党」歴代の総理大臣と それを商売としている「東京電力」の責任追及が
第一であるということは 免れない事実です。

 「東電」は原子力でプロなのだから 自分の発電所が事故を起こした時に全ての責任を負うのは 当然の事です。
そのために あらゆる甘い汁を 自民党時代から貰っていた筈ですから。
でも、実際は「お山の大将」そのもので 無知をさらけ出した格好です。
その上、震災直後から始まっていた「メルトダウン」も隠していました。
放射能の流出は 人災で これは「東電」の大きな責任です。
菅総理や枝野さんの責任ではないと思います。あの状況で それ以上を望むのは
酷ですし もし追求するのならば「原子力のプロ・科学者」がきちんと出てくるべきでしょう。

 「小沢一郎」は 「東電」には責任追及はしません。
 「自民党」も 「東電」や「東電に天下りした大物」の追及は しませんし、自分の党が
知っているであろう情報を 国民には一切提供したり 言葉にしたりもしていません。

 これって国民の側からすると「不信任」に 値すると思うのですが
どうなんでしょう?

 とにかく 菅首相を「不信任」で下ろしたら 自民党はどうするというんでしょう?
「小沢一郎」は 民主党をつぶしたいの?
自民党の政治に戻っても 菅総理のようにがむしゃらに 恥も外見もなく
世界中の国々にに頭を下げて 助言を求めるという行動が出来る人は
一人もいないでしょう?

自民党の政治に戻ったら 原発の放射能をを止める方法が あるというのでしょうか?
もし、そうなら 放射能の危機に晒されている被災者の事を政治的に
利用する手段を操っているという事で
これも なんか許せない感じ…。


 正直者がそんをする時代の「日本」。
 一生懸命に働いてくれる総理大臣が 煙たがれる「日本」。
 国民投票で 本物の「総理大臣」を 選びたい。
 
 「菅総理 頑張れ!」

 そう思っていた私の方が 単純なの?
 私は 「自民党と小沢一郎に 不信任案を 提出したい!」のです。 

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2011年6月 1日 (水)

ガァムサ ハムニダ~♪ チェジュド~

   本当はたった3日間の 短い済州島だったのに 私の「楽しかった思い出」に
お付き合いしてくれて ガァムサハムニダ~(._.)アリガト。

 もうちょっとだけ 書きたいので がまん、がまん。

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 ここは「ロッテホテル」。
韓国ドラマの「オールイン」の舞台になった とっても素敵なホテルです。

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 この水車の前で イナとスヨンが座ったベンチも実在しています。

 この「ロッテホテル」
「もし」という言葉は 本当はあんまり使いたくはないんだけれど
もし 去年 介護騒動がなかったら 泊まっていたかも知れなかったんですよね…

 妹は 昔から懸賞運が強くて 「ロッテホテルに泊まる韓国旅行ツアー」と
いうのに 当選していたんですって。
 「一緒に どう~?」と お誘いの電話も確かに入った記憶があります。

でも、当時は 『観光旅行』なんて 絶対無理
徘徊する義母を 毎日 捜し歩く「小さな旅」が 進行中だったのですから。
それが この「ロッテホテル」だなんて 想像すら出来なかったんですよ。

 このお庭を 散策しながら 妹が
 「実はねぇ~」と 話してくれて 
ガッカりwwwwww.

「ここだったのねぇ~
なんというもったいない事を…。 というお話。


 もう一つ。
おうちへ帰って ブログを書きながら もったいない事をしたなぁ~と 思うことが。

私たちの泊まったホテルの近くには 『東門市場(トンムンシジャン)』という済州市最大の市場があったようなのです。
ツアーのスケジュールがとっても豊富で 夕陽が沈むのが日本よりも だいぶ遅いので
ホテルの部屋に帰ってくると なんだか遅い時間になっていました。
同じホテルで2泊なので「明日」もあると 思えるのが 落とし穴でしたね。
思い立ったら その日のうちに…は こんな時こそ 必要だったのに 

 ツアーは バスで移動なので 歩く距離感がよく分かりませんが 多分20~30分も
かからずに行けるはずでした。

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 こんなに綺麗な 済州島の夕陽を見ていたら あっという間に 夕闇はやってきます。
市場と夕陽。 やっぱり 夕陽をとって 正解だった事にしておきますね。
本当に 済州島は 綺麗な島です。


ぅぉぉぉーヽ(゚ω゚ )ノヽ( ゚ω゚)ノヽ(゚ω゚ )ノぅぉぉぉーヽ( ゚ω゚)ノヽ(゚ω゚ )ノ ぅぉぉぉー



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 済州島の食事はだいたい こんな感じ。
ご飯に 魚のだしがたっぷりきいた 味噌汁。
キムチやナムル。 魚(済州島で取れる魚は少なくて アマダイ・さば・太刀魚がほとんどだそうです)、それに たっぷりの海藻類、わかめ、茎わかめ、あわびやじゃこ。 
いかの塩辛。 そんなものです。
この手の海の幸は 私の大好物~

それに いちばん有名な 特産「黒豚」。 
黒豚のカルビは 本当に美味しかった~

昔は すべて自然の循環 エコの元。
黒豚といえば ウ○コ豚と言われていて 人間から豚へ、豚から野菜へ 野菜から人間へ、豚を人間が 村の祭り事に 頂く~ というシステムだったそうな。
「一つの無駄もない」
確かに その通り…か。


おまけの話

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 韓国の通貨は「ウォン」です。
1000ウォンは ちなみに 私たちが行っていた時点で 83円くらいに換算されました。
変動相場制ですから 大体の目安です。

 済州島にも「ファミリーマート」がいっぱいありました。

 済州島は 溶岩の島ですから 水がありません。 韓国ドラマの中でも 
女の人が水がめに水を汲みに行くシーンがいっぱい出てきますが 基本的には
今も昔も 変わらないのだそうです。
雨水は 溶岩を通って 海に注ぎます。
海岸にこの雨水の湧き水が出る場所があって そこから飲み水を汲み上げるのです。
現在は これを機械がやってくれるようになって 女性の仕事が楽になったようです。

 話がそれました。 ペットボトル500ccの水が1000ウォン。
「おーいお茶」と日本語で書かれた緑茶が 1200ウォン。
名物のみかんが4個で 3800ウォン。アイスクリームが1200ウォン。

日本円で換算してみると 日本よりちょっと安いのにゼロがいっぱい並んでいる
おかげで なんか「うぉ~!」と 思ってしまいました。

 ツアーには 必ず免税店に入るという契約があるんでしょうね。
散策が30分、買い物が30分。交互に 散策が1時間、お買い物が1時間。
みたいに組まれています。
 免税店などは時間が長めにくみ込まれています。

 ツアー客の そのお買い物の すごい事~       
免税店に入る度に 大きな買い物袋がバスの上の棚にずらり~。
世の中 お買い物をするために 格安ツアーに参加する人も多いんだなぁ~と知りました。
確かに日本で買うよりも 安いとは思うけれど 家に帰って
「はて? こんなに買ってしまったっけ?」と思ってしまうのでは…と 思ってしまうような
袋の多さ~だよね。
ウォンでも 円でも 手持ちのカードでも使えるお気楽さが ついつい~ってね。
いい時代なのか、悪い時代なのか~??

 私は 自分に「五味子茶(オミジャ)」を買いました。

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 「城邑民族村」の黒五味子(オミザ)を熟成したお茶です。
五味子は韓国中にあるそうですが 黒い五味子(オミザ)は ハルラサンにしか
ないそうです。 甘い、酸っぱい、辛い、塩っぱい、苦い味がするそうですが
健康な人は 一番先に酸味を感じるのだそうです。
苦く感じたときは 病院に行った方がいいサインだそうですよ。

 その外 済州島には 「みかん茶」や「サボテン茶」、「なつめ茶」などが
あるそうです。 お茶は日本の物と 違い濃縮ジュースみたいに 薄めて飲みます。


 とにかく 楽しい済州島。
また、必ず いつか 行きたい島になりました。

ガァムサ ハムニダ  (○゜ε゜○)ノ~~ 

  

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済州島~ 最終日

 済州島(チェジュ島)の最終日は 朝から空港へ向かうバスが出発するまでの半日
 「自由行動」と いう事になっていました。

 直前に届いた旅行会社からいただいた パンフレットのスケジュールは 「自由」と書かれていたので
出発前には ちょこっとだけ PCで 観光地などをチェックしたりもしていましたが
前日 バスの中で 現地のガイドさんが
 「明日のオプションは チェジュのお奨めコースを選んでおきましたので 皆さんご一緒に どうですか?」と 
話してくれたコースが 妹と話していた天帝淵滝などが ある済州島の反対側のコースでした。
 昼食付きで 半日 たっぷり回って 日本円で8000円。
タクシーで 個人的に出かけても こんなに格安では出かけることが出来ません。

 「やった、決定だね

そんなこんなで オプションの最初の場所は 「ウェドルゲ」です。

 海からの霧が出て はっきりくっきりの写真は無理でしたが 白い20mもある大きな岩がみられます。


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 「ウェドルゲ」というのは 韓国語で 『たった一つの塊』という意味だそうで、
「漁に行ったまま帰らないお爺さんを待つ お婆さんが岩になった」という言い伝えが あるそうです。


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 霧で展望がきかない 展望台にはチャングムの大きな看板が立てられていました。
この場所に着いた頃には 済州島の名物の霧が どんどん広がってきました。
天気予報では 夕方には雨模様だそうです。
視界が もう少しよかったら チャングムとミン・ジョンホが 並んで歩いた綺麗な海岸の風景が
広がっていたんだろうと ちょっと残念です。
 心をこの島に残して 「また、来たい~」という気分にさせるための 霧なのかも…。


  「薬泉寺」
本堂には 北朝鮮から寄贈されたという 5mもある大きな 主仏・ビロザナブルが。
両隣に1対で3体の お釈迦様に 「体の悪い所を治してください」とお祈りすると
ご利益があるそうです。
たくさんの方が 座布団にひれ伏して お祈りをしていましたよ。

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 この海岸は「柱上節理(ジュジョウセツリ)」と呼ばれています。
 
溶岩が冷却して火成岩になる時に 収縮して岩に亀裂が入ります。
その割れ目の事を節理というそうです。ひび割れが柱状になっているので
柱状節理といわれるのだそうです。
この不思議な断崖絶壁は 海の中から六角柱や四角柱が 無数に飛び出しているように見えます。
亀の甲羅のように見える岩場もあります。
自然の力で造り出されたものなのですが、済州島の中でもここだけです。
大自然の不思議な力を 感じますね。

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 済州島には 滝もあります。
それは 「天帝淵滝」

 本当は 三段の滝からなる済州島最大の瀑布なのだそうですが、なにしろオプションツアーですからね。
滝つぼに下りて 写真をパチリなんていう 時間的余裕はありませんでした。


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天帝楼という見晴台を通り過ぎ 天帝淵滝へ。
それから 渓谷にかかる白い大きな橋、「仙臨橋(ソンイム橋)」へ。
それも 「橋の半分で 折り返してくるようにね~!」という 注意書き付きですよ。

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「神に仕える天女が 夜毎に降り立ち こっそり水浴びをしていく」という言い伝えがあるそうで 橋の欄干には天女のレリーフが彫られています。

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 「五福泉」といわれる噴水があります。亀は健康、豚は金運、龍、鷲、鯉ですが、
真ん中の福袋に入れば願い事は叶うそうです。
私は 亀と豚にコインを投げてみました。

 「やった~!」「入った~!」
周りから投げ終わった後に 歓声があがります。

 うっふふ~
なぁ~んと 2つとも 入っちゃったんだよね。 これが…。
なんか いい事 ありそうな予感~ ヽ(´▽`)/
入っただけで もう 嬉しいんだから いいよね。

 続きは また明日。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

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