JR東日本パスで 出かける
事の始まりは 5月の初め。
「JR東日本パス」 東日本エリアの新幹線・特急が乗り放題。
このキャッチフレーズが ぽんと目に飛び込んできました。
「はやぶさ号を含む指定席が 2回までなら取れるんだって!
ということは ここから 新幹線をつないでいけば この切符一枚で 青森まで行けちゃうかもしれないってことだよね?
日帰りだって できるかも…??」
「むふふ、面白そう。 ちょっと PCで 調べてみようかな~?」
そんな軽い気持ちで Yahooの 路線を 開けてみました。
東京経由ならば「スーパーあずさ」~「東北新幹線」
長野経由なら「長野新幹線」~「東北新幹線」ということになります。
片道だけならば どちらも楽勝なんだけれど 一日10000円で 行って帰ってくるという
素晴らしい思いつきがは 始発で出発して終電で12時までに駅にたどり着かなくては
このフリー切符を 満喫したとは言えないと なぜか その時 思ってしまったのです。
「松本に出て長野方向か 東京方向か」 という選択肢は選べないことは すぐ分かりました。
長野県は 田舎なので 始発が6時代なのです。
ここから出発するには どうしても出遅れてしまうのです。
青森で行動する時間がなくなってしまい ただのとんぼ返りになってしまうのは 何か悔しい。
そうだ! もう一つ ここから出発する方法に 明科駅という手段があります。
明科駅だと 穂高→松本(大糸線)、松本→長野(篠ノ井線)のうちの大糸線と松本→明科という部分を省略出来ます。
これで 松本始発の長野行きの普通列車が利用できることがわかりました。
「やった~! 明科からだと 一日で青森に行けるし 三内丸山遺跡にも行ける~」
「新幹線に乗れて 青森まで行って10000円~
これで行かないってのは ないよね~
はやぶさの指定席が取れたら 青森に行ってこようかな~?}
「取れるんなら 俺も行くよ」(ダンナ)
「いっぱいで取れなかったら がっかりだなぁ~。」
「そんなこと考えて 行こうとする奴は うちだけだろうなぁ…。」(ダンナ)
「だったら 別に一緒に行かなくても いいんだよ(○`ε´○)」
という訳で えきねっとと JRのHPを調べまくって 計画表を作ってみました。
そして日程を 6月13日(月曜日)ということに決めました。
そして1か月前の 5月13日に 穂高駅の窓口へ~。
すると 窓口のおじさん(駅員さんと書かなくては まずいよね)。
急にソワソワしてしまって
「地震ですからね~。 動いていませんよ。」 などと言い出します。
「えきねっとで 調べてきましたから 9時のはやぶさ あると思いますよ。」
「おかしいなぁ~? はやぶさは 出てこない…(ブツブツ)」
「じゃあ、はやては必ず動いているはずですから 探してください。」
「はやてですか? あ、ありました。 9時ですね~? 9時22分のなら 取れますよ。」
こんな 頼りのない問答が 10~15分くらいあって どうやら 穂高の駅ではやっぱりこんな珍道中の切符を頼まれたことがないのか 機械をモタモタやっている。
(穂高駅の人は わたしのブログなんて読まないだろうから 真実を書いてしまいました)そんなこんなで やっと 手に入った はやてとはやぶさの指定席券。
何しろ 全席指定席なのだから これがなくては乗ることすらできないのでした。
でも、この切符で 後で 本当にハラハラしたんだから~
。
6月13日(月曜日)曇
5時起き。 2人分のお弁当を作って いざ出発
AM6:33 明科駅出発 普通列車
AM7:37 長野発 長野新幹線 あさま
AM9:22 大宮 東北新幹線 はやて
AM13:19 新青森着
こんなに簡単に 青森県に到着~(*´∀`*)
新青森駅で 親切な案内のお兄さんに 「三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)」への出口を聞いて いざ出発。
南口にねぶた号というバスが待機していましたが
「オレらは 歩こうぜ~」派の 我らは 三内霊園の中を突っ切って 歩いていきました。
霊園って 当たり前のことなんだけれど 本当に大きな墓地だった~。
自転車少年達が 楽しそうにつるんで いましたよ。
霊園内は 広くて明るい。 花屋さん、売店なんかがあって 自転車少年たちが
アイスクリームをほうばってる…。 のどか~。
「ねえ、ねえ、ここってすごいお墓の数があるから 青森中の人達が ここに眠ってる~?」と 私が言うと
「これから行く 遺跡だって 墓地と変わらないんじゃねえの?」と ダンナ。
「まぁ、そうか~」と みょうに納得です。
遺跡と霊園。 現代と過去の差しかないよね。 なるほど です。
さて、ここからが 「三内丸山遺跡」です。 大きいんですよ~。
丸太が 本当に太いんです。
ただ 丸太が組んであるというには 余りにも迫力のある 掘立柱建物跡地に復元された掘立柱の太さは 直径2mも あるそうです。
この三内丸山遺跡は 縄文時代前期~中期(約5,500年~4,000年前)の大規模な集落跡地です。
園内は 広く たくさんの竪穴住居が復元されています。
帰りはバスに乗り 青森市へ。
青森と言ったら やっぱり 懐かしい「青函連絡船」でしょ~。
若い日の 夜行列車から青函連絡船に乗って いざ「北海道」へ~。という記憶は
青森の濃紺色の海の色と ちょっと 暗い空の色と重なって 私の中に残っていました。
今の青森は とっても綺麗です。
港も駅前も 昔の青森とは全然違います。
はるかかなたには 青森は海の香り…魚と貝と潮の香りが強かったと思っていましたが
「青い海公園」の海の香りは 昔のそれとは全然違っていました。
ここは 以前は 函館に向かう旅人は必ず通った 青函連絡船の発着所跡。
今は メモリアルショップになっています。
そんなこんなで ほんのちょっぴりの青森滞在時間は どんどん過ぎていきます。
なにか美味しいもの~というのは 今回は無理。
食事にはどんなに短くても30分から1時間の余裕がなくては 楽しめませんもんね。
駅ビルのなかで何か探そうと思って ウロウロ。
お土産は 新青森駅で。
と 心づもりしていました。
ところが、ところが…。 大失敗
続きは また明日だよ。
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