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2011年6月19日 (日)

永遠の0

 5月の済州島のついでに 娘の顔を見に 埼玉へ…。
その時に 娘から 「時間が空いたら 読んでネ。」と 手渡された1冊の本。

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 それがこの本。
 百田 尚樹 著 「永遠の0(ゼロ)」

 本当はこの本の存在は知っていました。
以前 多分NHKの「ブックレビュー」という番組で 某テレビ番組の「アタック、チャンス~!」の児玉清さんが 「この本は 泣けました。」と話しているのを 見ていましたから。

 「0」というのは 誰でもすぐ納得できる 「零戦」の特攻の話です。
でも ただの戦記物ではありません。
戦後60数年経った現在 特攻で祖父をなくした孫が 昭和17年~20年終戦1週間前の特攻に出撃していった当時を 調べ始めます。

 特攻という史上最悪の作戦に 駆り出されていったのは 今は 受験戦争で苦しんでいる18~20代前半の 若者たちでした。
人生のなんたるかも 知らずに戦地へとかりだされていったのでしょう。

 恥ずかしい話ですが 「戦争」という言葉に拒否反応をもつ父と家族に 育てられたせいか 私は 映画でもドラマでも戦争ものは嫌だなぁと思って 遠ざかって過ごしていました。
私の父も この宮部久蔵さんとは同年代です。
たしか5歳くらい 若かった筈で 特攻ではありませんでしたが 子供の頃おぼろげに 南方に行ったということを 聞いたことがありました。
 けれども 私はこの父についに 戦争の話を 詳しく聞いてあげることもなく 逝かせてしまいました。
 「永遠の0」を読んで 父も話したくないんじゃあなくて 話せなかったんだと 思い至る節がありました。 
辛い記憶だったのでしょう。 ちゃんと聞いておいてあげればよかったと思っても 後の祭りですよね。
 
 学校で習ったはずの「第2次世界大戦は どうして起こってしまったのか?」
という日本人の本質を表す大事な疑問を 時代と共にさらりと 流してしまっていました。
私たちの子供時代の 教科書には いったい何が書かれていて どのように教わったのか…。
思い出そうと思っても 残念ながら ちっとも 記憶にありません。
社会科といわれる教科も 過去の歴史と現代社会は区別されていていたように思います。
ましてや 日露戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦という単語を習っただけで
戦争は 日本が侵略者の立場だったと 今では当たり前に誰でもが知っている事実を 実感として理解したのは ずいぶん後のことで 自分で図書館に通い始めて 読んだ本の中から得た知識でした。
韓国の南北戦争やベトナム戦争など 新聞などあまり興味のない10代の小娘が 時代の流行作家として読んだ 松本清張森村誠一
そんな普通の小説の中に 混ざって昭和という時代の大きな矛盾がいっぱい書かれていました。
  
 「天皇陛下のため、日本のため、家族のため」 日本国民の愛国心で…。
そんな大義名分が連ねられた時代があったんだと いう事は 今の日本人には
過去の歴史の一部分で 昨日・今日・明日が繋がっていて 歴史は作られているという実感は持てません。 
それは何故かというと 多分 細切れの教育を受けていたからではないのかと 思います。

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 さて、本題へ。
祖父 宮部久蔵の 特攻時代を知っている老人たちを訪ね歩く姉弟。
一度も会ったこともない祖父の 臆病者と噂されるほど「生きて帰って 妻と娘に会いたい」という信念に 何かしら影響されて 今を生かされている かつての仲間たちの言葉は 重くせつない。
その多くの生き残った戦友たちは 戦争を家族に語っていないのですね。
語りたくても語れない戦争の悲惨さと時代背景があったのです。

 当時 20代の若者たちは あの戦争をどう考えていたのか?
 
 私も あの時代の若者たちは 「そうするしかなかった、他に選択肢はなかった」のだと 思います。
戦争は軍にとっての 国民という交代兵は 「1円50銭の赤紙代でいくらでも徴兵できるが 飛行機は交代がない」と言って 人間の爆弾カミカゼ特攻隊を 考え出します。
ナチスは ユダヤ人を人間として扱わないで世界の敵になりました。 
でも 自国の国民を 将来のある若者を兵器として 使い捨てにする戦略は考えませんでした。 片道切符しか持たされない戦地の 日本兵。
日本国内で 夫を兄弟を子供を出征させて 帰りを待ちわびていたほとんどの家族は そんな軍隊の内情も 負け戦ということも知らされずに 「お国のため」に我慢の日々をおくっていたのですよね。
 「もう戦いは止めよう。」と言える勇者が 日本の軍隊のエリートの中にはいなかったのが 悲劇の広島や長崎にもつながってしまったのだと 思います。
 血気盛んな若者達は 19年には もうすでに「日本は負ける」と分かっていた首脳陣の引き際の悪さに 死ななくてもいい命を 捨て駒にされたのです。


 本文の中に「真珠湾攻撃の時 宣戦布告の手交が遅れて 卑怯な奇襲になってしまったのは ワシントン駐米大使館員の怠慢だった」という話があります。
その駐在員は パーティーで遊んでいたという事実です。
海軍の指揮官は 常に安全な場所にいて 実践には無理難題の作戦を指示し
その責任をその当時の高級官僚は 誰一人として取らされていないという事実です。
 本文の中では (2006年に初刊された本ですから)今の時代の 官僚制度と少しも変わらないと書かれています。

 私も 一緒に 怒りと涙とため息が 同時に出ました。


 そして この本の官僚の在り方は 2010年3月11日の 東日本大地震の後に起こった「福島原発事故」の東電の上位人の対応そのもののような気がします。
 たった一人で乗り込んだ菅総理は 主人公の宮部久蔵みたいに結局は 時代に
押しつぶされてしまいそうですし。

汚いものは 隠す。
営利のないものは切り裂く。 日本はやっぱりこんな大物に牛耳られている国らしい。
虚しくて 涙がでます。 
戦争の時だって命を張って 頑張ったのは 国民で 戦後の復旧だって
蟻のように 大地に踏ん張って 歯を食いしばってくれたのは ちっぽけな国民だったはずです。
 「お前ら 新聞社が戦争を煽り 戦後は戦争に行って命をはって戦った奴を戦犯にした」

 これも今のマスコミと全く同じです。
たくさんの人に訴える力のあるマスコミは 営利で 揺れ動いてはいけないと思います。
言葉は優しくもなるし 暴力にもなるのだから。

 「原発」の真実も 大きな力で闇に消されることのないようにしてもらいたい…
この本を読みながら そんなことまで考えてしまいました。

戦争は つい この間のことで 自分の父親がこの地獄を見ていたんだと
今頃気づく浅はかなわたしです~。 

今 この時期に この本を読んでよかったです。 久しぶりにいろいろ考えさせられた本でした。

  
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コメント

考えさせられますね。平和の意味となぜ戦争をしなければならなかったのか・・・
「神風」信仰で「負けない日本」を御旗に横暴をふるってしまった軍隊そして敗戦して初めてわかる失った物の大きさ、広島・長崎に今も残る戦争被害の被災者達・・・どこか、原発と似ていますね。

「勝利」と「安全」・・・そんな都合の良すぎる神話に踊らされ発展を遂げた神の国ニッポン。でも、その影で尊い犠牲になったは、神様でも大臣でもない一般の国民、特に若者は戦争の意味さえ知らず、家族と、そして恋人とも引き裂かれて尊い命を散らしてしまいました。

自分達は知っているはずです。
過ちに気がついたら戻る道もあるということも。
前に進むことだけが勇気ではないと思います。
この気持ちを持てる人間が真のリーダーにならなければ本当の平和は保てないのではないでしょうか。

以下は、自分の2008年9月のMIXIの日記からです。

・・・・・・・・・・・・

沖縄にて、

「昨夜、何気なくホテルのテレビを付けると、
"なでしこ隊"と呼ばれて特攻隊の出撃を見送った少女達の悲しみの手記のドラマ化した話を見ました。何でここ沖縄で…!?
やば…
涙が止まりません。
意味も知らず大空に散った若者達の青春、更に激戦の舞台となった、ここ沖縄。のしかかる無念の気持ちに重苦しい夢を見ました。
今日、わだつみを見つめる人魚に黙とうを捧げました。
しばらくして、水平線に虹がかかりました。
しかも二重に?
あなた方は私達に平和の意味を命を持って教えてくれました。決して無駄ではありませんでしたよ。」

余談があります。

書いたらいけないのかもしれませんが、
夢の話です。

沖縄って、呼ばれて行くとこなのでしょうか?
なんでも、ねらい打ち・・・
ホテルであんなTVを見た日の夜のこと、やっぱり
呼ばれました。

何かに起こされた気がしました。
眠くて目は開きません。
しーんとしてキナくさい感じ、そしてじめっとして・・・そこは、真っ暗、ガマと呼ばれる壕の中の様です。
寒い。
誰か居る、
長野出身のヤマザキさん・・と名乗った・・様な気がします。
しきりに名前を聞かれました。
自分は必死に口を閉ざしました。
"言ったら帰れなくなる・・”と思いました。
25歳の海軍少尉さんで、壕内で自決した・・方らしい。
彼にも自分が見えない、あたりまえ、眼も体も無いんだから。
それから、自決した仲間も見えない様です。
そうか、あっちは皆ひとりぽっちなのか、
愛人と心中なんかしたって意味無いな・・・
不謹慎なこと考えてました。
あとは、寒い、寒いとしか言いません。
沖縄なのに・・・
長野の人だから雪の思い出があるのかな。
なんか、悲しくなってきて、涙が止まりません。
引き時と思いました。
自分はどこにいるのだろ、必死で記憶をたどり
ホテルだ、ホテルだ。我に返って
強烈な重力のかかっているような体を
思い切り起こしました。
目が開きました。
9月21日、2:48AM、2008年、携帯はそう示していました。
よかった現世だ
エアコン入って寒いくらいなのに、汗かいてました。
夢かな・・・
あの人とてもお腹がすいていた。
ほんとに、兵隊さん、ご苦労様でした。

日が昇りました。
人魚を見て黙とうしました。
ほんとは、お参りしてあげたいのですが。
ごめんなさい。どこだったのか、わかりません。
その人の分まで、朝ご飯をたくさん残さず食べました。

・・・・・・・・・・

長くなってすみませんでした。

投稿: メシダでござんすよん! | 2011年6月21日 (火) 07時13分

メシダくん。コメントありがとう。

「なでしこ隊」の番組私も見た記憶があります。「わだつみ」の映画も見ました。
長崎や広島の平和の像も 結婚前に一人で行って あの冷たい空気を経験しました。

 人間って残酷だと感じたので井伏鱒二やその他の本も読んだ記憶があります。 
でも わたしって 馬鹿ですね。 
なんだか それで充分分かった気持ちになっていました。自己満足ですよね。
悲惨さは感じ取っても それを 自分の親が体験した戦争がイコールだと思っていない所が 他人事だったんですね。 
映画やドキュメンタリーや本で得た知識は 所詮実感できるものではなかったのです。 
戦争はいけない!ずっとそう思っています。
でも 80代のお年寄りの感じている「戦争はダメだ」というのとは経験も重さも全然違うんですね。

 呼ばれるっていうの わかります。
私も 似たような経験 何回もありますから。
その寂しい軍人さんは とっても無念な思いで若い命を終えたんでしょうね。
輪廻がもしあるとしたら 今度は幸せな時代に生まれ変わって欲しいですね。
きっと メシダくんは その軍人さんと近いオーラだったんだろうな。
きっと 良いことをしてあげたんだよ。
特に ご飯をいっぱい食べてあげたのがいい。
お腹空いていただろうもんね。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

投稿: うっちゃん | 2011年6月21日 (火) 11時51分

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