1945年8月6日。
広島に原子爆弾が落とされた日です。
毎年 朝 8時15分 広島平和記念公園から世界へ向けての 鎮魂の黙祷が捧げられました。
<img alt="原爆ドームの写真" src="http://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/01/5a/d5/ab/a-bomb-dome.jpg"/><br/>この<a href="http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298561-d320236-Reviews-Atomic_Bomb_Dome-Hiroshima_Hiroshima_Prefecture_Chugoku.html">原爆ドーム</a>の写真はトリップアドバイザーから無料提供されています
今年は「福島原子力発電所の事故」で 非常事態になっていることもあってか
夜のNHKスペシャルでは 「原爆投下・いかされなかった極秘情報」という番組と
BSプレミアムの「ヒロシマの黒い太陽」という特集が流されました。
ご覧になった方も多いかと 思われます。
「いかされなかった極秘情報」の方では 原爆投下以前に日本軍の諜報部隊は 米軍の不振な情報を 手に入れていたというものです。
原爆が落とされるであろう日にちや 場所 おおよその内情は 極秘情報として 東京の本部に連絡されていたという事実です。
戦後66年目にして やっと 報道された真実です。
広島や長崎の被爆者やその家族は 「原爆の日」に どんな思いで この放送を見たのか…。
辛いですね。
当時の諜報部員も現在は 80代後半から90代です。
参謀のほとんどの方が亡くなって
やっと 真実が話せる時代になったのか、自民党政権が終わったので 真実を話せることができるのか、真実を封印したまま戦後を抱えて逝ってしまうのではなく 自分の生きている間にこの重い真実を話しておきたいという強い思いが 抑えきれずに 溢れ出てきたのでしょうか。
「福島原発の同じ過ち」を見て 訴えたかったのかもしれません。
「もしかしたら この情報を正しく理解して 終戦をあと1ヶ月早く宣言していたら 広島にも長崎にも 原爆は落とされなかったかもしれない。」
そう考えたら 諜報部員の人たちは 軍から自分を守るために 固く口を閉ざさらざる
得なかったのかもしれません。
極秘情報だったのですから。 それも 最大級です。
「正しい情報」も「重要な情報」も それを利用する参謀本部の 独断の判断で
薬にもなれば 毒にもなるということです。
その上、自分たちの犯した大きなミスは 隠蔽してしまうという時代でした。

もう1本の BSの特集はもっと 「悲惨」でした。
マンハッタン計画と称して アメリカが原子力爆弾を開発していくドキュメンタリーです。
原子力爆弾も原子力発電所も この時 始まったと言っても過言ではないのです。
当時のアメリカは極悪「ドイツ」と「日本」を倒すための名目で 国中の原子力に強そうな科学者を集め ベルギーのウランを買い占め イギリスからも科学者を要請して 国を挙げて原子爆弾開発に取り組んでいました。 機密で人体実験も行い ルーズベルト大統領からトゥルーマン大統領に変わっても 国民には内密で 原爆の実験は続けられていました。
核実験も秘密裏に成功させていました。
その時 初めての核兵器は 日本に落とすと トゥルーマンは言ったそうです。
「ナチス」を 沈めるための名目の「核兵器」は 「想定外のナチスの降伏」によって
その後が 先行き不透明になりました。
マンハッタン計画を成功させて 「原子力」を世界に認めさせる為には
「日本」の存在が 必要だったのです。
その後の内容は その前に放送していた「極秘情報」の内容と重なります。
日本の首脳陣のちっぽけな保身主義と アメリカの大きな野心が ヒロシマへと突き進んでしまうのです。
日本は 「敗戦に調印する」という行動を決断するまでに 百万人以上の国民の命を
無駄にしてしまいました。
歴史は もしもあの時と戻すことはできませんが
沖縄が占領された時、東京大空襲の後、 「ドイツ」「イタリア」が降伏した後や B29が日本全土を攻撃し始めた時や 広島に原爆が落とされた時と 選択肢はそのたびにあったはずです。
戦争を知らない時代の私でさえ 数分で思い浮かぶ大量爆撃の惨憺たる様子です。
せめて 8月1日に 調印していたら原爆投下は 日本にとってギリギリセーフ「間に合った」のかもしれません。
20万人の あの壮絶な死が 防げたのかもしれません。
「日本に戦争を終わらさせるため」
私たちは 以前 そんな言葉を聞き 原爆は悲劇だけれど仕方のない選択肢だったと聞かされました。 無謀な戦争を仕掛けたのだと。
このマンハッタン計画の言葉は 「正当な原爆の使用理由」として 全世界に広がりました。
それは 確かに今でも否定できませんが
広島・長崎と 大急ぎで投下しなくてはならなかったマンハッタン計画の闇の部分が
裏取引で確かに あったという映像です。
戦後 原子爆弾は 原子力発電という平和利用に 名前をすり替えられました。
ここで 世界の第一人者アメリカの原子力発電が始まります。
「広島」の惨劇は アメリカから世界に 戦争を終わらせた「美談」で広がりました。
マッカーサーの進駐軍は 復興や治療と称して 広島・長崎の被爆者を 人体実験に
何10年間ものデーターを 撮り続けて 秘密裏に保存してありました。
その莫大なデーターは 世界で唯一の 原爆被外国 日本にあるのではなく アメリカの某所に眠っているのです。
その上 1974年まで アメリカ国民には 「放射能は安全です。 放射能を浴びても 自然に治癒します。」と 洗脳しました。
被害の悲惨さを何も知らされていない上、アメリカ国内に 世界一多くの数の核弾頭と
原子力発電所を抱えています。
日本は 核弾頭こそ持ってはいませんが こんなに小さな国土の周りを ぐるりと原子力発電所が取り囲んでしまっている原発の先進国に 変身してしまっていました。
その「安全神話」の本家本元のアメリカが 「福島原発」の非常時に
「原発は安全です。」とは 言いませんでしたよね。
100Km逃げろと言いましたよね。
世界のどの国よりも早く 日本から 自国民を避難させましたよね。
「建前」と「本音」。
日本人の代名詞みたいに言われ続けてきましたが
「原発の危険性」 これがアメリカからの無言の「原発の本音」 なのではないのでしょうか?
このビデオの中に
「放射能を中和できる薬があるのか?」と
アメリカ人の新聞記者が聞くシーンがあります。
答えは
「……。」(無言です。)
「安全神話」のアメリカも それを導入した「気の弱い自民党の面々」も
「……」状態で 原子力をスタートさせたのならば
「福島原発事故」は 起こるべきして起こった人災に違いないのです。
「福島原発」は 今日現在も 相変わらず 放射能をまき散らしたままの状態です。
今も実際には 66年前の「…」と 少しも進歩していないことになります。
初めに質問された 放射能の中和剤は 今まだ未完成なのですから。
このエゴの実 のように 食べたら体が痺れた
魚みたいな 「原発問題」。
マンハッタン計画の記者会見の「答え」のように 事態は 時間が解決してはくれません。
時間が経過すればするほど 事態は悪くなる、早期解決しなくては いけないのです。
アメリカの原子力の開発者オッペンハイマーの関係者、2世代さま方へ。
どうか 日本人を 第2次世界大戦の時のように 「次の放射能の生体モニター」にしないように はやく 皆さんで 中和剤を発見してください。
次は我が身と思って 他人事と傍観しないでくださいね。
と、こんな記事 読んでくれるはずもないのに 思わず書いてしまいました。
「広島」と「長崎」。
永久に消してはならない原爆の恐怖に 原発事故という不の 遺産がもう一つ。
日本は 放射能に呪われてるのか~?
「原爆の日」に 見た「真実のドキュメンタリー」は それぞれの国のエゴの映像だった。
戦争とは そういうものなのだろうけれど。
見たくない 息苦しいし、見苦しい…。
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