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2011年8月

2011年8月30日 (火)

八方池に行きたい

 先日 「白馬に行きたい」と やって来た友達のために いろんな資料を取るために
調べまくった 日帰り可能の白馬コース。
 その中で 八方池の水面に映し出された 美しい北アルプスの山の姿が なんだか
いつまでも心に 残っていました。

 北海道・帯広市の 全国大会を無事終えて 帰った来たダンナは 
 「暑い暑い~ 暑くてたまらん」などとボヤいて やたらめったら 床にゴロゴロころがっています。

 「そんなら 八方池へ行きたいよ。」


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 「山かぁ~(-^〇^-) いいなぁ~。 行こうか~。」

そんな会話を 数日前にしたばかりでした。
でも、山に登るには やっぱり 青空が出ていなくっちゃね。


 8月29日(月曜日)
安曇野は 青空。 前日の日曜日ほどの 青色ではないものの 久しぶりの大きな雲も出ています。
今日しかない!
 「白馬の旅館に 中学生のお詫びに行ってこなくちゃあならんし 行くか~?」
ということで 目指すは八方池へ。

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 下界の八方駅ゴンドラリフト乗り場は こんなに青空でしたが 白馬の町から見上げる
八方の山並みには ぐるりと大きな雲がかかっています。
 「上は なんにも見えないかもな~。 見えていたら奇跡だぞ。」
 「別に それでもいいよ。 登ってみたいんだもん。」

 

 ゴンドラとリフトを2回分乗り継いで 上に上にと 高度が高くなるに連れて 予想通り
山には ガスがかかってきました。  
リフトを降りた所にあるのが 八方池山荘。標高はここで 1830mです。


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 空は 雲に覆われて 灰色。 このゴツゴツした登りが 八方池への道で
一番キツイ登りなんだそうです。
けれども さすが夏場の白馬です。 月曜日だというのに都会では まだ夏休みなんですね。 
老若男女 小さい幼稚園児まで 登っているのですよ。
赤ちゃんを連れた 親子連れの姿も 見られました。


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 ここは石神井ケルン。 標高1974mです。
ここまで登ると 道は急になだらかになって 周りを観察する余裕ができてきます。

ここは 高山植物がいっぱい咲いています。

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   < ハクサンジシャン>  安曇野では 同じ仲間の種類の ツリガネニンジンが咲いています。

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    < まつむしそう >  今が 一番きれいに咲いてます。

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     < カライトソウ >  そろそろお花もお終いの時期かな?

 こんな白馬の高山植物は 足元にいっぱい咲いています。


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 憧れの八方池 標高2060m は 白い霧に包まれていました。
時折 風に雲が流されて 私が 「すごい!」と感じた 山を映し出す風景とは
大きく違っていましたが これもまた 大自然のなせる技です。
動いていく霧が 幻想的で素敵な八方池に 巡り会いました。

得意の「やまめし」を第3ケルン 標高2080m で食べ 池のまわりをぐるりと回って下山につきました。

帰りに 元気な中学生の集団登山の団体に遭遇。
これがなんと地元 池田町の高瀬中学校の 2年生たちでした。

 「お~い。」
中には サッカーの教え子たちが 数人。
 「どうしたんですか~!!」と 逆にびっくりされていました。
こんな偶然って あるんですよね~(-^〇^-) (o・・o)/


 もちろん この後 花火事件のお詫びに 旅館に謝りに行きましたよ。
八方池は あくまでも 謝罪のおまけですもんね。

そして サッカーの友人の下調べに 帰り道に「そば畑」にも 寄ってみたわけです。

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「おひさま」の そばの花

 夕べ ダンナのサッカー友達から 「もう、そばの花咲いているかな?」と 電話が掛かってきました。
 「おひさまの そば畑に行きたい」のだそうです。
 「うちの周りにあるそば畑は まだ蕾みだよ。 どうかなぁ?」
と 大町市のHPを探して見ました。
 すると そこには「8月後半から9月中旬に咲きます。」と 書かれていました。
 「これじゃあ、今どうなってるか分かんないよね~?」
で、観光協会のHPを 探してみました。
すると 8月24日現在の そば畑の写真が載せられていて 「ただいま8分咲き」と書かれていました。

 「それじゃあ、今が見ごろじゃん
という訳で 行ってきましたよ。


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 NHKの朝ドラの「おひさま」に出てくる 蕎麦畑がここです。
安曇野が舞台設定になっていますが 実際のドラマ内で 少女時代の陽子さんとお母さんが歩いた 一面の蕎麦畑が ここです。
学生時代に 義理のお母さんの樋口加奈子さんと出会った場面もこの場所です。

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 ここは 大町市の中山スキー場(大町スキー場)があった場所です。
今は雪が少なく スキー客も減ってしまったので 閉鎖されてしまいました。
今年は 鹿の被害で全滅してしまったと長野版の新聞に載っていましたが 例年は
今そばの花が咲いている所に 黄色い菜の花が咲いて とても綺麗でしたよ。

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 ほとんど同じ場所なんですが 春先なので雪山が見えてこれもまた 綺麗でした。
来年の春、こんな景色が見られたら いいですね。


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 ちょっと 不便な場所ですが 今が一番綺麗ですよ。
近くに来ることがあったら 是非 眺めて帰ってくださいね。

もちろん 入場料なんて ありません。
今年はなかなか晴れの日が少なくて残念ですが(今日も晴れてはいたのですが
アルプスは雲に覆われていました)
運よく快晴の日は 上の菜の花畑の写真のように 北アルプスが一望できますよ。

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2011年8月27日 (土)

モンキー・ドッグ

  この3日間 朝の7時に 聞こえてくる犬たちの鳴き声。
「ワン、ワン、ワン、ワン!」「ワン、ワン、ワン、ワン!」
それはまるで 拍子でもとっているかのように 正確に鳴き続けています。

 これに メグタくん。 反応しない訳がない。
声が聞こえている間 一緒になって 「ワン、ワン!」「ワン、ワン!」

 いまにも外に 飛び出していきそうな勢いでソワソワ、家の中をグルグル、グルグル。
この鳴き声に 雨上がりの猿たちが あっちこっちに 退散していきます。   


 昨日は 偶然 朝のお散歩中に この「ワン、ワン、ワン、ワン!」の声の主に遭遇してしまいました。

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 「モンキー・ドッグ パトロール」と書かれた黄色い布をつけた 精悍な顔をした
細めの柴犬でした。
モンキー・ドッグというのは 猿を里の畑から守るために 走り回って森に追っ払うための犬です。
去年の夏の終の頃から 森の入口に 「モンキー・ドッグ 巡回中」なる立看板が立っているのは 
知っていましたが 目の当たりで見るのは初めてです。

 トコトコとやって来た この柴くん。
うちのメグタは どういう訳か 犬に戦闘的なので 仲良し犬ちゃんがいません。
ところが この柴くんとは 鼻と鼻がくっつくほどに近寄っても 全然なく気配がありません。

 「やった! 初めての 柴友だち~
と 思ったのも束の間、 パトロール仲間の他の犬が やって来た途端に
素敵な魔法はプツンと切れて いつものように
 「ワンワン、ワンワン ▽・w・▽」となりました。

「ご苦労さまです。」
「おはようございまず~。」
人間同士の挨拶に 犬たちは おとなしく待っていますよ。

 でも やっぱり しっかりと訓練されている犬たちはとっても賢いのよね。
名前を呼ばれると さっと パトロールの人の隣に並びました。
これが離れているのが メグタだったとしたら きっとニコニコしながら
モンキー・ドッグの柴くんに くっついて行ってしまったでしょうな。
私が ここで大声で呼べど騒げど~ですよ。


 この「モンキー・ドッグ」 ちょっと 調べてみました。
農林水産省/特集 鳥獣被害対策を考える(2)

http://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1011/spe1_02.html
  
で 発見しましたよ。 
ここに登場している 警察犬の訓練所が 我が家の近くにあります。
そして この数週間 雨続きで 連日猿の大群があちこちに出没していて
畑のおじさんたちは頭を抱えていた所に この「モンキー・ドッグ」が
まるで スーパーマンのように 格好よく登場したのです。

 メグタが 憧れるのも無理はありません~よね。
毎朝 7時に 外に出たくて待機しています。


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    <磯本さんと モンキー・ドッグたち>

 犬にとって 「鳴かせない」ということを 教えることは自己流で教えている私には
至難の技です。 
 でも、逆にここぞという場所や場面で「鳴かせる」という事の方が もっと難しい事のような気がします。
この 「モンキー・ドッグ」くんたちは この鳴くという訓練が きちんと出来ています。
なので、放し飼いの許可を頂いて 森を自在に猿を追いかけています。
紐を噛み切って 逃げ出して猿を追いかけ回すメグタとは 大きな違いがあるんですよね。

メグタは日常生活の必然性から 猿が来たら 大鳴きをしますが
うちの近所に最近越してきた 柴犬などは 絶対声をたてませんよ。 
犬だって 大群の猿たちは 恐いんでしょうね。

 私はメグタが 猿に吠えても 通りすがりの人間には吠えないで欲しいなぁと思っていますが
そんな人間に都合のいいこと、あっちはよくて こっちはダメということなんて 
犬には理解できるのかしら?
 上手に教えることが出来たら 一番いいのだけれど 出来なくても 
「ま、いいか~ 元気ならいいや~。」 です。


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2011年8月25日 (木)

友あり…

 本当のことわざでは 「朋あり遠方より来る」というのだそうですが
8月23日 とっても懐かしい二人の友人が 名古屋からやって来ました。

この所の日本列島 連日 朝も夜もなく マークのぐずついた空模様。
それなのに この「晴れ女たち」は 天気予報の集中豪雨なんて予報をものともせず
雨の合間をぬってやって来ましたよ。
不思議なことに ほとんど傘をささなかったそうです。

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 そもそも、Nちゃんから 「行くね~!_(^◇^)_/」メールが来たのが 前日のことなのですよ。(笑)

と言っても 他人事ではありません。 
かくいう 私だって 同類項。
NちゃんもSちゃんも 若かりし日の高校生時代に 知り合った YH(ユースホステル)仲間です。
「適当に決めて適当に 行動する。」
そんな お気楽な旅をするのが70年代~80年代のユースホステルを利用する若者たちの 流行りでした。
現地で情報を集めて 移動するのです。
 これって 本当に楽しいのよね~。
思いがけない出会いとか 名所とか 美味しいものとか…。
旅の原点ですよね。


 
 「行きあたり ばったり」→(こんな言葉 あるかどうか 定かではないけれど。)
を いまでも 実践しているような暮らしぶりの 我が家でしたが、
「アルツハイマーの義母」がやって来たという日々が続いてからは
いつのまにか 近所の友人達の足は パッタリと 遠のいてくれました。
遠方の友人は 自分自身もそうですが 家族に縛られる30代~40代の多忙さで
なかなか 遠出はできないまま 疎遠になっていました。
 子供たちは それぞれの生活に追われて忙しい…よね。


 だから 「行くよ~(^o^)/」という メールや電話は 嬉しいものです。

 「いいの? 悪いじゃん?」
 「いいから、いいから~(-^〇^-)」 てな理由でやって来ましたよ。

 前日は 下諏訪の「ユーペンハウス」泊です。
ここは「旧 諏訪湖ユースホステル」が 近代的なB&Bホステルに 進化した宿泊施設です。
いわば 大人のためのユースホステルのゲストハウスなのです。

 私たち夫婦にも 思い出の場所で たくさんの旅友だちが出来た とてもお世話になった大好きな場所です。


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 「白馬か ちひろ美術館に行きたいの。」
 
 でも 23日は 雨マーク。 
諏訪から白馬への山歩きには 時間的にも天候的にも 無理なので 
夏場やゴールデンウイークのみに運転される 安曇野周遊バスを使って行く ちひろ美術館への時刻表を 送付しました。 
穂高駅から 安曇野周遊バス 1日券(500円)で まず ちひろ美術館へ。
周遊バスの本数は 1日に数本しかないので 次のバスの時間までに 1時間20分。
ゆっくりと 絵画を眺めて お庭を歩いても充分な時間があります。
帰りの周遊バスに乗って 穂高駅に。

ここで 「連絡してね。」と 頼んであった通りに 電話が入ったので どうやら無事に
我が家へたどり着けそうです。
その時は 雨は全然降っていなかったんですって。 
彼女たちは「晴れ女」だからね。
 「穂高駅から 次は山麓周りの周遊バスに乗って アートヒルズで下車だからね。」
そう教えてあげていました。 
前日に「いろいろ回って タクシーで来るよ。」と 電話口で言ったので 都会で乗るタクシーの距離感とは 田舎はだいぶ違うのです。
山麓にある我が家までは 直線距離で約6Km。 タクシー代は片道で2500円も かかってしまうのです。 ましては 最近は悪徳タクシーも少なくはなりましたが ちょっと知らない道をぐるんと回って 遠回りされても 初めての道では文句も言えません。
PCとにらめっこをして 見つけた この1日券を一番有効に使う方法を メールしておいたのです。
わが家へやってくるだけでも お得なんだけれど ちひろ美術館往復にも使えて 超お得なんですよ。
その他に この周遊1日券で 大王わさび畑や 高橋なにがし 美術館にも行けます。


 バスが出発した頃に また Nちゃんから電話が入りました。

 「バスの運転手さんが バス停じゃなくても 一番近い所で降ろしてくれるって言ってるんだけれど ちょっと 運転手さんと代わるね!」
 「雨が激しく降ってきていますし 沿線上でなら何処でも止めて差し上げられるので 
一番近い場所はどこですか?」
と おっしゃってくれてます。
 「ありがとうございます。 じゃあ、〇〇の場所でお願いします。」

 安曇野の周遊バスの女性の運転手さんは とっても親切ですよ。
お客さんが少なかったのかな~?と 思いつつ なんだかそんな言葉を 自然に言ってくださる優しさに 
電話を切ってからも 本当に嬉しくなりました。
 こんなに優しい運転手さんのバスになら 今度は私も 乗ってみたくなりますね。

 その頃には 土砂降りはずいぶん上がっていました。
小雨の中、メグタの散歩を兼ねて お迎えに出かけました。

 この強運のお二人さん。
山ほど荷物を抱えていたから 運転手さん そう言ってくれたのかな? (*´∀`*)
運転手さんは 時刻通りに 二人を降ろして出発していきました。
ありがとうございま~す


 我が家に着く頃には もうすっかり 雨は上がっておりました。
大荷物は 我が家へのお土産物だったのでした。
m(__)m。 ご苦労さま。

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 その夜は 何十年ぶりの再会に 話が盛り上がりました。

 人間って 何歳になっても 変わらないんだなぁと つくづく思います。
自分たちは あれから それぞれの家族を持ち 少女から大人へ
子供から親へ 年齢を重ねてきたはずなのに 私の前には
やっぱり あの頃と同じ笑顔の 同じ明るさの あの頃のまんまの二人が
二人揃って一緒に 笑っているんだもの~ね。
なんか ホント不思議だよね。
同窓会の タイムスリップした時の感覚とおんなじです。
たまに 本当に同じ人?って思うくらい変わってしまった人もいるけれど
その人って 人生にどこかで挫折してしまったのかな?
辛くて哀しい 経験をいっぱい味わったからなの?
でも 大抵は 懐かしいさが そのまんまだよね。 だから 嬉しいよね。


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 「白馬に行きたい」は 翌朝 実現することになりました。
ダンナが北海道へ出かけて 10日間。 長野も北海道も 例年になく雨続きだそうな。
 あれから 初めての青空。 太陽の光です。

 いろんな話で盛り上がりながら PCで 「白馬 八方池」「栂池自然園」「白馬五竜」などを 調べておいたので
 「白馬五竜とおみ駅からゴンドラに乗って 地蔵の頭に行く」コースに
出かけることになりました。

 その前に ミョウガ取り。
 「裏の空き地の畑に「ミョウガ」がどっさりなってるよ。」という話に 初めてのミョウガ取り。 

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 また、元気に アートヒルズから バスに乗り込んで行きました。
本当に昨日一日だけ 見事な青空でした。
汗をかいてしまうような 夏の日でしたよね。
根性のある「晴れ女」でした。 予定通りだもんね。

 今度は 穂高に ゆっくりおいでね。 (o・・o)/~
楽しかったよ~。

 きょうは またまた 雨降りで~す。 




   
 

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2011年8月22日 (月)

2勝 + 1

 雨が続きます。
雨が降ると 例年並み…か。 お盆を過ぎたので 気温も急に涼しくなって 上に一枚何かを着なくっちゃ という雰囲気になってきました。

 雨が続くと 毎日やってくるもの…それは 猿の群れです。
柴犬は 本能的に猿には強い犬らしいです。 
メグタの猿好きは このご近所では当たり前のように知れ渡っているので ワンワン鳴いていても 誰も驚かなくなってきました。
ご近所に越してきたお家の 柴犬も 今日の朝 猿たちにワンワン吠えながら お散歩していたので 「いずこも同じ 気が強い」と 笑ってしまいました。 

 今朝も はよから やってきましたよ。 5時代は 止めて欲しいよね~。

どうしたものでしょう? 猿って人間と同じ心理なのか、習性なのかは 分からないけれど 必ず「いるかな?」と 留守かどうかの確認作業をします。
それで メグタに吠えられて 飛び上がって逃げていきます。

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 木から木へ。
吠えられたら 即 逃げる。
逃げ足の早い猿たちは こうして移動していきます。

 「今日も (^-^)V」
充分なストレス発散方法なのか 満足気な メグタなのであります。


    ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

 案の定 今日は雨が降ったり止んだりの 空模様。
午後のお散歩で いつもはお留守の別荘に 珍しく4躯の大きな車が止まっていました。
 「都会は まだ夏休みなのよね~。」
などと思って 歩いていると 中から大きな ビーグル犬が飛び出してきました。
ビーグルにしては BIGサイズです。 ちょうど メグタと同じくらいかな?
可愛い顔をしています。
なのに、突然 「ワン、ワン!」と 結構ドスの効いた声で 鳴き出しました。

 「おっ、ビーグルでも 鳴くやつがいるんだ。」と思っていたら
メグタも 負けずと 例の大声で一声。
 「ワン!」

 すると なんと、なんと
さっきまで 牙をむき出して 威張っていたビーグルのしっぽが ヒュンと負け犬のしっぽに…。
そして 一目散に別荘の中に逃げ込んで行きました。

 「おお、これこそ 勝った(^-^)V ということなんだよね。」
と 犬の勝負の世界を垣間見てしまいました。
メグタは そのまま知らんぷりで グングン歩き続けました。
 その別荘の角を曲がった所で 負け犬ビーグル君の
 「ワォ~ン、ワォ~ン。」という なんとも悲しそうな雄叫びが聞こえてきました。
都会では あのビーグル君は ボス的存在だったのかもネ。
こんな 訳の分からない柴犬に してやられて きっと悔しい思いをしたのかな?

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 「雨が来る前に 帰らなくっちゃ~。」 と思うのは わたしばっかりです。
今日は なんだか メグタの好きなものばかりが 道路にいるのよね。


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 ▽・w・▽「これなんだ~?」
メグタくん、それはバッタだよ。 
あんまり熱心にのぞき込むものだから バッタ君、メグタの顔に跳んできたの(笑)。
 ▽・w・▽「コイツ~! ガルル~!」

バッタ君にも 全力投球なので 哀れなバッタ君は 天国へ~(^o^)/
また 殺生をしでかしおりました。
見ていて 写真を撮っている 私も同罪だよね。 m(_ _)m 

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2011年8月18日 (木)

こんな時に 限って~(涙)

 北海道・帯広の adidas cap 2011 U-15 の大会に出かけているダンナから 夕べ 電話が入りました。

この 全国大会の毎日の対戦表や結果が知りたい方は 下記をクリックしてくださいね。
 
 JCY 日本クラブユースサッカー連盟    http://www.jcy-football.com/ 


                    


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 「北海道は やっぱり涼しいよ。」
などと いう いつもの挨拶は まず置いておいて 

 「あいつら また 『凄いことやってしまった』らしい!」から始まりました。

『凄いこと』という言葉は 2種類に解釈できますよね。
良い意味だったら 優勝とか 勝ち抜けたとか 褒められたとか…ちょっと 嬉しい行動が評価されます。
悪い意味だと 要するに「なにか問題を起こしたということです。

どうやらこの話しぶり。
かなり 怒っている。
話を聞かないうちから 悪い話に決まっているねェ!

 ダンナの言う「あいつら」というのは 長野に残してきた自分のチームの中学生のことです。 

(`ε´)  「白馬カップの宿泊先で とんでもないことをやったって 電話が入ってさ~。
コーチから電話が来るまで 中学生からは誰一人として 報告してこないんだよ。
白馬カップは14・15日だから もう2日も経っているのに 結果報告もしてこない。
今回は 3年生のチームだから 大丈夫だと思っていたのになぁ。」

 「今度は 何をやったの?」

 「それが さぁ~。 あいつら 宿の花火を部屋に持っていったらしいんだ。」

 「え~? ボヤとか~?」

 「火事じゃあないんだ。 
花火に 赤い煙の出る煙幕みたいなのがあるだろう?
それを 誰かが部屋に持ち帰って 布団の中に隠しておいたらしい。
それを また違う誰かが踏んずけたもんだから 布団や畳が真っ赤になってしまったんだそうだ。
あいつら
それを隠そうとして 濡れた雑巾で拭いたから 部屋中が余計に汚れてしまったということなんだ。
 ほんとに 馬鹿だよな~。
よりにもよって いつも俺がいない時に 信じられないような事をしでかすんだ。
中3にもなって あいつら 隠すかよ?」

 「それで?」

 「初めに見つけたやつが 宿の人に掃除機を貸してもらって 吸い込めばいいのに
隠そうとして 黙っていたんだ。
白馬カップの3年生の 指導の○○さんに どうしたらいいか?って 一言 聞いてくれればよかったのになぁ~。
結局 自分たちで何とか出来なくて 隠してどうするんだよ

 「宿にお詫びの電話しなくていいの?」

 「もう さっきしたよ。
布団はシーツが敷いてあったから 3回洗濯して ほとんどは 色が落ちたと言っていたけれど 畳なんかはどうなっているのか 今はまだ行ってみないと わからない状態なんだ。
コーチと宿の人が 監督と連絡を取るといったそうなんだけど だからといって
こんな大問題を 誰も俺のところに 「こんなことが起こってしまいました。」の話が 生徒から一言も
言ってこないのはおかしいだろう?」 


 怒り心頭です。
が 全国大会が終了するまでは 遠い北の果ての 北海道にいるんだから
どうすることも出来はしません。

 中学生って 本当は毎年 なにやかや 大なり小なりの問題を起こしています。
学校の先生もそうでしょうが、サッカーのチームの監督だって 最近の子供たちの
非常識は 年々 ひどくなっていくようで 謝罪するのが すっかり当たり前みたいに
なっています。
 それくらい中学生年代の子供たちって 大人にも子供にもなれなくて 微妙なのです。

 特に今年は 春から窓ガラスを割る事件やら サッカー場の隣のお家に ボールを投げ込んでしまうなんていう事件も 数回同じ生徒たちが 仕出かしております。

 「やれやれ、まったく今年は ダメダメ3年生だ~。」と ぼやいていたのですが…。


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 こちらは メグタくん。  この子も しょっちゅう いろんな物 隠してくれます。
ゴミ箱から こっそりと ゴミを運んでいたり、美味しいものを埋めたりもしています。

 なんだかこの話を聞いて そんなメグタと重複する気がして 思わず笑っちゃいました。
隠したって 隠しきれないのに 何故(?_?)
っていう感じでしょう?

 「俺が腹が立っているのは 隠して見つかったら その後 大人が解決するだけでいいのか?ってことなんだよ。」
 「ガラスを割ったときも ボールが民家に入って苦情が出た時も 不可抗力もあったから
あの時は それで良しとしたよ。 でも今回は 違うだろ?
俺が謝って 一応話はついたけれど それじゃあ 事件を起こした子供がそのまま
すんじゃったことだからと 平気な顔をしているのが 許せない。
 事後報告でも許せないけれど とりあえず〇〇さんが収めてくれたから もうそれでいいと思ってしまうのか わからん。
宿の人に ちゃんと謝ったのか …

 話しているとどんどん 腹が立ってくるらしいのです。

 「監督に隠しているっていうことは 親にだって 白馬の失態は話していないんじゃあ
ないの?
子供たちには まず自分の親に こんなことをしてしまいましたと いう事をちゃんと話しなさいと言わなくっちゃダメだよね。
男の子は 学校のことなんか家では話さないよ。 
嫌なことやカッコ悪いことなんかもっと話さないと思うよ。
まず、花火で 宿に迷惑をかけたことを 一番に報告させなくっちゃね。
お父さんとお母さんにその話をさせてから 反省文を書かせる。
その文章に親の感想を書かせる。
その親子の反省文を お詫びと一緒に持っていって 今後の話をしてくる。
ってのが いちばんだよ。 きっと。」


                      

 サッカーのチームだから11人以上の多数の子供たちが いたはずなんです。
 「どうしよう!」というピンチの時に 全員が失敗を隠してしまおうと思ってしまったところが 間違ってるもんね。
誰か一人でも 「掃除機を借りよう。」と 口にできなかったのか?ですよね。
「どうしよう?」と 解決策が見つからなかったのなら 同行の父兄でも 宿の人でもいいから 大人に相談してみる謝罪するっていう行動ができないのは 
中学生だから?
カッコ悪いから?
自分で出来ると思ったから?
 
 いえいえ、私が思うのに 彼らはきっと いつも何か失敗した時には お母さんが サッと手助けしてあげているからです。
それとも 何かをさせる時に 始めから 失敗しないように 予め危険な事や難しい事はさせないように 気を配っているからだと思うのですよ。
 だから 自分たちでは 急な対応が出来ないのです。
そういう経験がないから 出来るはずはないですよね。
だから失敗したら 隠す、捨てる、関係ないと思う。

 自分のことは自分に返ってくるのですよ。
それが大人になったから 出来るようになると思うのは 大きな間違いです。
だって きっとその子のお母さんは きっと 「うちの子は悪くない。」と思っていますよ。
おんなじ考え方が 子供にちゃんと 伝わっています。

 だから 子育ては怖いんです。
自分の一番ダメな部分を子供はいつも見て育っているのです。
 「あ~あ。こんなとこ似ちゃダメだったのに~。」
と 思っても後の祭りなんです。
子育てしてる時は 必死で そんなところが見えないんですよね。



                     

 さて、この中学生のお母さんたちは いったいどんな反応をするでしょうか?
 「なんで こんな時期に いろいろ起こるんだよ~?」
と ダンナはつぶやきましたが 夏休みのこの時期だからなんですよね。
いい方向へ転がっていくのも、悪い方向へ転がっていくのも
受験前のこの不安定な3年生の夏休みですよね。 親だって必死ですよね。

もしかして ダンナは リアルタイムにその場にいなくて ワンクッション置けたから
本当はラッキーだったのかも しれないね。


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 今晩も 電話がかかりました。
やっぱり 昨日の結果が知りたいでしょう?

 「どうなった?」

 「子供からメールが入っていたよ。
花火事件の 直接関係した6人で 相談したそうだよ。
それで 6人の親で 畳等の代金を負担することにして 宿に謝罪に出かけるそうだよ。」

 「そうなの? ちゃんと子供たちは話せたんだね。 それはよかったね。」

 「まあな。 親がすぐ出るのも なんだかな~だけど 事が事だけに放っておく訳にもいかないからな。 そんなもんだろ。」

 「ついでに 6人は今月一杯 グランドのトンボがけを 反省の意味でやるって書いてあったぞ。」

 なのだそうですよ。
お騒がせの 珍事件でした。
一件落着~。 
でも 懲りない彼らは しっかりガードされてリ感じだよね?

  
  

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2011年8月15日 (月)

夏は やっぱり 花火よね。

 8月14日。 
娘から お昼頃 「安曇野って 花火大会なんだってね?」というメールが 届きました。
ちょうど その頃 安曇野の山の方は 大雨  
それで 必然的に 「お昼ごろから 雨降ってるよ~。」というお返事を 返しました。

 でも、夕方には 大きな雲が薄桃色に染まる夕焼けが見られるほどに お天気は回復しました。 
どうやら 花火は上がりそうです。
雨のせいで 空気も澄んで 綺麗な花火が見られることでしょう。

  なんで こんなに他人事っぽいかって~?
そりゃそうでしょ。 
花火大会こそ 一人で出かけていって 一人で 空を見上げて眺める…のって寂しい気がするでしょ。

 でも、長野県の花火大会のHPを 見たら 安曇野の花火大会は 
第1位諏訪湖3万5000発に 続いて第2位で 1万発上がると書かれていて
ちょっと心が 動かされました。
 それで 打ち上げられた花火が小さくですが見下ろせる場所に ボディガード犬として(本来は必要ないよね
メグタを連れて 出かけてみました。
もちろん デジカメと傘と ライト持参です。

 「やっぱり綺麗!」
 
 花火はしっかり見えたのですが デジカメ撮影には 失敗してしまいました。
タイミングをとるのがヘタくそなので どうしても ブレちゃうんです
動画にして 撮影したらよかったな~と 気づいても 後の祭りだよね。

花火は 一瞬なので難しい上に、デジカメの望遠だったから 写っているのを見てみると光の筋ができて 
なんだか心霊写真~?っぽくて ブログには公開できないなぁ
残念ですがぁ…。

 今日は 翌日 15日です。
 そんなで 花火の話はやめようかなぁ~と ちょっとがっかりしていたら 
さすが You Tube 。
見つけた。 早い、出てる。
夕べ(14日)のことなのにもう 映像が載ってる、載ってる。
携帯の動画みたいです。
けれど 私の写真よりもずっと、ずっと 綺麗。
花火大会っぽいので 紹介します。
 



 これはちゃんと会場まで出かけて撮った動画でしょう。 
私が実際に見たものよりも 大きくて綺麗です。

 周りにはアベックが多かったのですが、メグタが 若いお姉さんには
何故だか人気があって いっぱい声をかけられていました。

 ▽・w・▽ ▽・w・▽ ▽・w・▽
いつもは「振り向きワン!」のメグタくん。
「かわいい!」という言葉が 褒められているということに気づいてる??
しっぽを 振っって愛嬌をふっていてくれました。
今日の メグタは 賢いぞぉ~

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2011年8月14日 (日)

お留守番。

 日本全国 お盆休みですね。
朝から 帰省ラッシュの渋滞のニュースが 賑やかです。

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 お盆は実家には帰りません。 毎度のことです。
ごめんなさい。

 ダンナは今日13日の真夜中00時過ぎに 北海道に向けて出発しました。
私とメグタは お留守番。\(*`∧´)/ 

 毎年この時期(8月15日前後の1週間)は クラブジュニアユース・サッカーの全国大会の スタッフとして 大会の会場 福島県Jヴィレッジに出かけていたのです。
その Jヴィレッジは 今や「福島原発」のお膝下。
一番最初の避難勧告の出された地域にあるので 今年からは使用することができません。
それで 今年の全国大会は 急遽 北海道の帯広市のサッカー場が 会場に決まったそうです。
 話を初めに聞いた時は
 「おっ! 北海道か~! それもいいなぁ。」なんて お気楽に話していたのですが
いざ、行くとなったら 「でっかいどう~! 北海道~!」なんていうキャッチフレーズが
ずっと前に ありましたが まさにその通りですね。
北海道は でっかいうえに 遠いんですね。
サッカーの大荷物があるので 飛行機新幹線では無理だなと フェリーで行くことにしたんですよ。
それも 新潟からではなく 八戸から苫小牧行きに したようです。


 「北海道~。 車で行くのなら 私も行きたい~!」
と思わないはずないでしょう。
なんとかして付いていく方法はないものかと 本当は思ったのですが 
今の我が家の状況は とにかくどちらか一方が 家にいなくてはならないのです。
我が家には 「メグタ」さんが いますからね~。
車で 北海道なんて 絶対無理だよね。
車酔いで 船酔いで あげくに広い牧場で逃亡しちゃいそう…だし。
              

 それに お婆ちゃんの施設からは 入所の際に
 「お二人でお留守の時は 必ず連絡先を電話してください。」
という注意書きも 契約書に明記されていて 何処にいくのか行き先不明とか
いうのが大好きな私には きっちりツアーコースでもない限り
急な旅行は 無理だもんね。
それに9月には 私には楽しみな旅行があるし。
 それで グっと 我慢しましたよ。

 「いいなぁ~。 いいなぁ~。 北海道~。」(これは本音。)


 ダンナは 渋滞のピーク時に重なって フェリーに間に合わない事を心配して 
予め新潟まわりで移動したので 東北道75Kmの渋滞には 巻き込まれずに
家から 約10時間で 八戸フェリー乗り場に到着したとの 写メールが届きました。
そして 今はまだ フェリーの中に乗っかっているはずです。



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   <携帯に送られてきた八戸フェリー乗り場と 夕陽の写真です。>


  真夜中の1:00に 苫小牧に到着予定だそうですよ。

 家から 本当に 24時間かかるんだよね。
遠いな~。 北海道は 行くのにやっぱり勇気がいるのです。

それに比べて 先日 青森日帰り新幹線の旅ってのをやりましたが 
そう考えると 東北新幹線「はやぶさ」は 便利でした。 速い


 こんなに苦労して 始まるクラブジュニアの全国大会。
全国の代表の中学生たちだって バスや飛行機で 同じように何時間もかけて やって来るのだから  大変ですよね。
 せっかくの北海道 サッカーだけじゃなく大自然も満喫して 帰ろうね。

 ちなみに代表選手には クラブユースチームなので 全国大会なのにサッカー協会からは 補助がでないんだそうです。
日本各地域の自治体で 何らかの補助金が出るといいのですが 地域差もあるし、不景気だし 東日本の影響もあるし というところですかね。
素敵なんだけれど 北の果ての遠い北海道が会場ですと 金銭的に保護者の負担が大きいということになります。 
 全国大会出場は 中学生の選手達の「夢や憧れ」なんですが 親達もそんな姿を見られて 確かに嬉しいことなんでしょうが 
遠い分だけ 宿泊日数が長くなり 宿泊費や交通費が高額になるのは この時期には
多大に きついことでしょうね。
「折角だから 家族みんな揃って応援に…」っていうのにも 距離的、時間的、金銭的に限界点がありますよね。
わかる、わかる。 どこでも同じだよ。
 
 そんな話を ダンナからや 父兄からなど耳にしますが 「夢」や「経験」は いつの時代にも お金のかかるもの なんですね~
 我が家は ずっと以前から暗黙の必然的ルールで 夏はいつでもお留守番です


 爽やか北海道、天気予報では マークも出ていたりしますが、
中学生のサッカー少年の夢の舞台「全国大会」 応援します
みんな いい夢見ろよ~~~~
\(*⌒0⌒)♪ ガンバ 


   

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2011年8月11日 (木)

「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」

 この夏休み中に どうしても 見ておきたかった映画。
これが 本当の最終編。 あのつぶらな瞳のハリー・ポッターが どんどん大人になっていく。
重たい十字架を背負ったポッターは 毎回 成長するに連れて つらく厳しい自分の生い立ちに翻弄されていく~。
 。。゜゜(´□`。)°゜。。


 たくさんのハリー・ポッターファンが 世界中にいるでしょうね…。
原作の第1巻「ハリー・ポッターと賢者の石」を 小学生の末娘のクリスマス・プレゼントに
選んだのは もう 10年も前のことです。
 ハリーやロンやハーマイオニーと 同じ年だった娘に こんな分厚い本が読みきれるのかしら?と 
思ったものの 子供は面白いものには貪欲で 正直ですね。
読み終えた頃には 家族中が この本の虜になっていました。

 映画も 本人のダドクリフくんの声が聞きたくて わざわざ字幕版を見に出かけました。
約1年に1回の出版と上映。 
「ハリー・ポッター」ファンとしてというより 自分の子供みたいに。  

 さて、今回も見てきましたよ。
 「ハリー・ポッター 死の秘宝 PART 2」。

 「PART1」は 松本市に字幕で上映する映画館が なくなってしまっていた時期だったので モタモタ していたら 
いつの間にかもう 日本語吹き替え版すら上映が終わってしまっていました。
仕方ない、「WOWOW」で放送したら 見ようかな~?と 思っていたら 
「PART 1」の放送よりも先に この「PART2」が 始まってしまいました。

 それで、まず GEOでDVDの「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1」
大急ぎで 借りてきました。
「PART1」 面白かったです。 
原作を超えられない映画が多い中 ハリー・ポッターシリーズは 原作に色を付けている気がします。 
その上、終わり方が上手。
かつて 「スターウォーズ」の2の終わり方が 「ここで切るのか~!」的終わり方だったけれど それに追随するねぇ。
 そんなこんなで いざ アイシティの映画館へ。

 ほとんどの人は 本を読んでると 思います。
だから 内容は 原作のままなので 説明するまでもないですよね。
いつも この映画を観て感じること。
 乏しい私の イギリスの魔法の世界のイメージを 本の世界から映像の世界へと
引き込んでくれます。
今回もそうでしたよ。 
なるほど~( ゚ー゚)( 。_。)(^-^*)(・・*)(゚д゚)(。_。)。
そうだったのね~



 
 原作がしっかりと完結しているので 最後まで 児童文学としては 面白いいい作品でした。
とにかく 期待通り ハリー・ポッターは やっぱりハリー・ポッターでした。 

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2011年8月10日 (水)

扉峠から行く 三峰山・鷲ヶ峰

 「どこか行こうか~?」という何処かは ≒「山」なんですよね。
最近の我が家の場合はね。
私でも登れそうな山歩きが始まって いくつ目の山かな?
今日9日は 松本市で35度Cの真夏日の 暑い日。
連日の豪雨で 北アルプスには上昇中の水蒸気がいっぱい含まれた大きな入道雲が
すっぽりと覆いこんでしまっていました。
 なので 湿度も多く 蒸し暑い、息苦しい~。
 そこで 選んだ山は「美ヶ原」のお隣。

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 この綺麗な山は 「三峰山(みつみねやま)」1887m
美ヶ原へ向かう「ビーナスライン」の途中の 扉峠近くの三峰山展望台から 登ってみました。
山好きの人達は 和田峠1540mの登り口から登り始めるようですが 
私たちは三峰山展望台駐車場1780mから登りました。
ここからだと 往復しても1時間もかかりません。
周りの山は みんな木に覆われているのに 三峰山は遠目でも写真のように緑の草原に見えます。
登山道以外は背の低いクマ笹と草が茂った草原です。
 ここは「ビーナスの丘」と 呼ばれているそうです。
本当に そんな感じの柔らかい曲線美…だよ。


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 笹の間には 小さなこんな可愛いハクサンフウロが 顔を出しています。


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 空は青く、空気は澄んでいて 気持ちいい~。
その上 駐車場には結構たくさんの車が止まるのにも かかわらず その目的は
多分 ソフトクリームかトイレで 目の前にあるこの綺麗な山には誰一人として
登ってくる気配もありません。
こんなに 気持ちいい山なのにですよ~(?_?)/。

 けっこう 急坂ではありますが…。
子供でも 登れます。


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 山系のブログ情報によると 頂上には (たぶんコレじゃないかなと思うのだけれど 平べったい大きな石が もう一つ隣にあるんだわ。 どっちがそうかな?) 
「神の石」と呼ばれる大きな巨石が  あります。 
ここに 恋人同士で訪れると 恋が成就する という話もあるそうですよ。
こんな景色を眺めながら二人で歩いたら そんな気分もありえるかも…ね。


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 さて、頂上。 
移動時間が長かったので しっかり車酔いしてしまったメグタの調子も 
山の空気が大好きで こんなに気持ちいい山歩きのせいか 
気分良く 回復した様子。

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  頂上で コーヒータイムをしたものの 下山してもまだ10時。
 
 「このまま帰るのには ちょっと早いよなぁ~?」
 「うん、うん、ごもっとも
 「じゃあ、八島湿原にいってみるか!」

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 八島湿原は さすがに夏休みだけあって 小さな駐車場がいっぱいで 人が溢れていました。
運良く1台分のスペースが空いて 湿原の入り口へ…。
動物禁止の標識はなかったものの
 「柵の中には 侵入禁止という文字があったから 湿原はやめて鷲ヶ峰に登ろう!」
という話に急遽変更になりました。

 変なことに みょうに 潔癖な人なんです。
子犬連れで歩いている人も多々見られるのに 禁止といわれるのが嫌なんですよ、ホントはね。
 八島湿原に向かう途中に見える 大きくて緑色の草原が広がる綺麗な山が 鷲ヶ峰ですよ。
三峰山同様に 他の山とはちょっと違った面持ちなので すぐにわかります。
車の中で「今度は鷲ヶ峰にでも行こう。」と 話しながら 通り抜けて来たのです。

 この八島湿原にも その鷲ヶ峰の登山口があったのですネ。

 八島湿原登山口
 1620m
瓦礫の急登です。 
来る途中で見た 三峰山の延長みたいな綺麗な草原を登るのかと思っていたら 
第一峰までは 延々と瓦礫を登り続けます。
視界は開けているものの 結構 きついです。 
ナデシコやハクサンフウロ、ハハコクサが綺麗でした。 
ウスユキソウは岩陰にたくさん咲いていましたが 終わりかけでした。

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 鷲ヶ峰(わしがみね)山頂。 1798.3m
第一峰から第二峰、頂上までは 峰歩きなので 諏訪湖方面が見渡せます。
ただし 今日は雲が多く アルプスや富士山は 無理でしたけれど。

 ちょうど 鷲ヶ峰を登り始めた頃から 頭上には大きな積乱雲が…。
 「急登だし 峰歩きだから 雷がなったら怖いよね~?」 とダンナに話すと
 「ここじゃ やられるな(-^〇^-)! 隠れるところがないから直撃じゃね~?」
 「ゲゲ~!!」


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 こちらの頂上には 結構 登山者がいましたよ。 
お弁当を食べてる親子ずれや グループ。 カップルも。
登り・下りでも すれ違う人も いましたしね。
登ってみようと思う親子連れが多くてびっくりしました。
 私的には 小さな子供は「三峰山」の方が お勧めな気がします。
瓦礫登りは 私でもかなりバテたし 景色も「三峰山」の方が 好きだなぁ~。

 頂上で 私たちも いつもの「ヤマメシ」 ガツガツ食べて 水分を取って 一休み。
新田次郎の小説の中の「鷲ヶ峰」を 味わいました。

 でも、 1日に2つの予想外の山登りは かなりキツイです。
私は 帰り道 かなりバテていたみたいで あともうちょっとで八島湿原という下り坂。
ぬかるんでいる場所の思わぬ浮石で 滑って 岩で右手を打撲しました。
一瞬の事で 自分でも びっくりです。
軽い内出血でしたが 先週上高地で 浮石で落石、2名死亡の事故がありましたよね。
こんな場所で…というのが 危ないですよね。
気を付けなくっちゃ((^^)) です。


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 頂上から下山途中の 鷲ヶ峰の全望。 鷲の頭に見えるかも。
ふり返り様に 一枚。 

 へとへとの私と 頑張りすぎのメグタ。
毎日 トレーニングをしているダンナは 
 「今日は 全然楽勝!」だったってさ。 

家にたどり着いたのが PM1時45分。
帰り道にコンビニで買ってきた かき氷を 食べてやっと一息つきました。
 ダンナは さっき 「ヤマメシ」を食べたのに 
「ピラフかなんか食べたい。」というので 大盛りピラフをたいらげ 
お昼寝~。 平和だなぁ。 
 メグタは 家にたどり着くなり お皿の水を1杯飲み干し、冷蔵庫の氷をかじり死んだように 寝てる。 
当たり前のように 扇風機の前を陣取ってます。


これって~。


 おまけ♫  三峰山
 綺麗な山です。 恋人との恋の成就にどうですか~?(*´∀`*)

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:    

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2011年8月 7日 (日)

原爆の日

 1945年8月6日。
広島に原子爆弾が落とされた日です。
 毎年 朝 8時15分 広島平和記念公園から世界へ向けての 鎮魂の黙祷が捧げられました。 

<img alt="原爆ドームの写真" src="http://media-cdn.tripadvisor.com/media/photo-s/01/5a/d5/ab/a-bomb-dome.jpg"/><br/>この<a href="http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298561-d320236-Reviews-Atomic_Bomb_Dome-Hiroshima_Hiroshima_Prefecture_Chugoku.html">原爆ドーム</a>の写真はトリップアドバイザーから無料提供されています

 今年は「福島原子力発電所の事故」で 非常事態になっていることもあってか
夜のNHKスペシャルでは 「原爆投下・いかされなかった極秘情報」という番組と
BSプレミアムの「ヒロシマの黒い太陽」という特集が流されました。 
 ご覧になった方も多いかと 思われます。

 「いかされなかった極秘情報」の方では 原爆投下以前に日本軍の諜報部隊は 米軍の不振な情報を 手に入れていたというものです。
原爆が落とされるであろう日にちや 場所 おおよその内情は 極秘情報として 東京の本部に連絡されていたという事実です。
 戦後66年目にして やっと 報道された真実です。
 広島や長崎の被爆者やその家族は 「原爆の日」に どんな思いで この放送を見たのか…。 
辛いですね。
当時の諜報部員も現在は 80代後半から90代です。 
参謀のほとんどの方が亡くなって
やっと 真実が話せる時代になったのか、自民党政権が終わったので 真実を話せることができるのか、真実を封印したまま戦後を抱えて逝ってしまうのではなく 自分の生きている間にこの重い真実を話しておきたいという強い思いが 抑えきれずに 溢れ出てきたのでしょうか。
 「福島原発の同じ過ち」を見て 訴えたかったのかもしれません。

 「もしかしたら この情報を正しく理解して 終戦をあと1ヶ月早く宣言していたら 広島にも長崎にも 原爆は落とされなかったかもしれない。」

 そう考えたら 諜報部員の人たちは 軍から自分を守るために 固く口を閉ざさらざる
得なかったのかもしれません。
極秘情報だったのですから。 それも 最大級です。
 「正しい情報」も「重要な情報」も それを利用する参謀本部の 独断の判断で
薬にもなれば 毒にもなるということです。
その上、自分たちの犯した大きなミスは 隠蔽してしまうという時代でした。

Img_6423

 もう1本の BSの特集はもっと 「悲惨」でした。
マンハッタン計画と称して アメリカが原子力爆弾を開発していくドキュメンタリーです。
原子力爆弾も原子力発電所も この時 始まったと言っても過言ではないのです。
当時のアメリカは極悪「ドイツ」と「日本」を倒すための名目で 国中の原子力に強そうな科学者を集め ベルギーのウランを買い占め イギリスからも科学者を要請して 国を挙げて原子爆弾開発に取り組んでいました。 機密で人体実験も行い ルーズベルト大統領からトゥルーマン大統領に変わっても 国民には内密で 原爆の実験は続けられていました。
 核実験も秘密裏に成功させていました。
その時 初めての核兵器は 日本に落とすと トゥルーマンは言ったそうです。
「ナチス」を 沈めるための名目の「核兵器」は 「想定外のナチスの降伏」によって 
その後が 先行き不透明になりました。
マンハッタン計画を成功させて 「原子力」を世界に認めさせる為には 
「日本」の存在が 必要だったのです。

 その後の内容は その前に放送していた「極秘情報」の内容と重なります。
日本の首脳陣のちっぽけな保身主義と アメリカの大きな野心が ヒロシマへと突き進んでしまうのです。
日本は 「敗戦に調印する」という行動を決断するまでに 百万人以上の国民の命を
無駄にしてしまいました。
歴史は もしもあの時と戻すことはできませんが 
沖縄が占領された時、東京大空襲の後、 「ドイツ」「イタリア」が降伏した後や B29が日本全土を攻撃し始めた時や 広島に原爆が落とされた時と 選択肢はそのたびにあったはずです。
戦争を知らない時代の私でさえ 数分で思い浮かぶ大量爆撃の惨憺たる様子です。
せめて 8月1日に 調印していたら原爆投下は 日本にとってギリギリセーフ「間に合った」のかもしれません。
20万人の あの壮絶な死が 防げたのかもしれません。

 「日本に戦争を終わらさせるため」
私たちは 以前 そんな言葉を聞き 原爆は悲劇だけれど仕方のない選択肢だったと聞かされました。 無謀な戦争を仕掛けたのだと。
このマンハッタン計画の言葉は 「正当な原爆の使用理由」として 全世界に広がりました。
それは 確かに今でも否定できませんが
広島・長崎と 大急ぎで投下しなくてはならなかったマンハッタン計画の闇の部分が
裏取引で確かに あったという映像です。

 戦後 原子爆弾は 原子力発電という平和利用に 名前をすり替えられました。
ここで 世界の第一人者アメリカの原子力発電が始まります。
 「広島」の惨劇は アメリカから世界に 戦争を終わらせた「美談」で広がりました。 

 マッカーサーの進駐軍は 復興や治療と称して 広島・長崎の被爆者を 人体実験に
何10年間ものデーターを 撮り続けて 秘密裏に保存してありました。
その莫大なデーターは 世界で唯一の 原爆被外国 日本にあるのではなく アメリカの某所に眠っているのです。 
その上 1974年まで アメリカ国民には 「放射能は安全です。 放射能を浴びても 自然に治癒します。」と 洗脳しました。
被害の悲惨さを何も知らされていない上、アメリカ国内に 世界一多くの数の核弾頭と 
原子力発電所を抱えています。
日本は 核弾頭こそ持ってはいませんが こんなに小さな国土の周りを ぐるりと原子力発電所が取り囲んでしまっている原発の先進国に 変身してしまっていました。

 その「安全神話」の本家本元のアメリカが 「福島原発」の非常時に
「原発は安全です。」とは 言いませんでしたよね。
100Km逃げろと言いましたよね。
 世界のどの国よりも早く 日本から 自国民を避難させましたよね。

「建前」「本音」
日本人の代名詞みたいに言われ続けてきましたが 
「原発の危険性」 これがアメリカからの無言の「原発の本音」 なのではないのでしょうか?

 このビデオの中に 
 「放射能を中和できる薬があるのか?」と
アメリカ人の新聞記者が聞くシーンがあります。
答えは
 「……。」(無言です。)

 「安全神話」のアメリカも それを導入した「気の弱い自民党の面々」も
「……」状態で 原子力をスタートさせたのならば
 「福島原発事故」は 起こるべきして起こった人災に違いないのです。
「福島原発」は 今日現在も 相変わらず 放射能をまき散らしたままの状態です。
今も実際には 66年前の「…」と 少しも進歩していないことになります。
初めに質問された 放射能の中和剤は 今まだ未完成なのですから。
 

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   このエゴの実 のように 食べたら体が痺れた 魚みたいな 「原発問題」。
マンハッタン計画の記者会見の「答え」のように 事態は 時間が解決してはくれません。
時間が経過すればするほど 事態は悪くなる、早期解決しなくては いけないのです。

 アメリカの原子力の開発者オッペンハイマーの関係者、2世代さま方へ。

どうか 日本人を 第2次世界大戦の時のように 「次の放射能の生体モニター」にしないように はやく 皆さんで 中和剤を発見してください。 
次は我が身と思って 他人事と傍観しないでくださいね。
と、こんな記事 読んでくれるはずもないのに 思わず書いてしまいました。

   
 「広島」と「長崎」。
永久に消してはならない原爆の恐怖に 原発事故という不の 遺産がもう一つ。
日本は 放射能に呪われてるのか~?
「原爆の日」に 見た「真実のドキュメンタリー」は それぞれの国のエゴの映像だった。
戦争とは そういうものなのだろうけれど。
見たくない 息苦しいし、見苦しい…。

   

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2011年8月 6日 (土)

納涼祭

キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!!;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

 8月のこの時期。 いたるところで「〇〇祭り」をやっていますね。

今日は 義母の施設の「納涼祭」が ありました。
この1週間。 夕方は毎日 夕立がやって来て 大雨、雷、強風の三連チャンでした。
連絡用のお便りには 「朝9時に 雨模様なら中止です。」と ありました。
でも、天気予報では 夕方から雨マークが出ていたものの 朝は太陽がサンサンwww.
蒸し暑い青空になりました。 

 「本当に行くのか? 別に行かなくてもいいと 俺は思うよ。」
 「去年は 入所と同時だったから行かなかったんだから 今年は行って どんな様子か一応見ておかなくっちゃね。」
 「お任せでいいんじゃないのか? 行く必要はないだろ?」
 「夕方 雨になったら行かないことにするから~。」

 今朝の会話。 お義母さんの話題は極力避けたい必死のダンナ。

 「けど、そんな訳にはいかないでしょう?」
 「… まぁ (._.)」

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 今日も夕方になって 真っ黒い雲が もくもく出てきてしまいましたが とりあえず
「納涼祭」は 予定通り開催されました。
何日もかけて ヘルパーさんたちはこの「納涼祭」に向けて 着々と準備をしてきたのですから 無事に終了して欲しいですよね。 家族だって同じ気持ちです。


 玄関前の駐車場に紅白のたれ幕を張ったステージになっていました。
4人掛けのテーブルには お弁当が並べられて 出店も職員さんで大賑わいです。


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 ステージでは「ドリフターズの合唱団」やら 「ヒゲダンス」やら…。
昔懐かしい「カラオケ」やら 盆踊りまで。

 お年寄り達は 静かに嬉しそうに拍手をしたり 歌を一緒に歌ったりしていましたが
家族もあわせて100人くらいはいたのに とっても穏やかな宴会でした。
初めて お年寄りたちのショートステイの様子を見た時の感じと似ています。
ヘルパーさん達の一生懸命さと  どちらかというと 無感情なお年寄りの ゆっくりとした流れ。
この病気の人達やその家族の方々は うちのお義母さんが特別だった訳じゃなく 
どの家庭でも ここに行き着くまでに 同じ経過を大なり小なり経験されているのだな~と
わかりました。

 「遠いのに よく来てくれたのね。 ありがとう。」

一人でぼんやり座っていた義母が 同席した私の顔を見て  最初に そう言いました。

 「髪がすっかり白髪になってしまったのよ。」
 「美容院に行って 髪を茶色に染めてきたいのよ。」と 言いました。
 そして続けざまに
 「私は いつの間にかすっかり お婆さんみたいに見えるのよ。
年をとったみたいだわ。 
〇ちゃんは相変わらずで いいわねぇ。 何を使っているの~?」

 
 不思議、こういう会話。
数回あったばかりの頃、ずっと若かりし頃のお義母さんに言われたことがありました。
施設に入ってからは 「着物や宝石、オシャレ」で身を崩した義母ですから
そういう俗世界の 会話がない事が 義母の救いになると思っていました。
でも、今日の私が誰だか 即 分かった正常な部分のお義母さんの頭の中では 
「綺麗な恰好をしている綺麗な自分」が 今日のもう一人の義母だったみたいです。

 「なんだか見窄らしくなちゃって…。 涙が出るのよ。」

こんな時 どう言ったら いいんでしょう?
なんにも 言えるわけないですよね。 

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 空は 黒い雲が流れていきます。
 「雨が来た時点で 「祭り」は終了となります。 最後の花火まで 降らないといいですねぇ~(゚ー゚)」と 
ヘルパーさんの言葉が流れると その後は ソワソワ空ばかり見ています。

 「雨が降りそうだね。 もう終わっちゃうね。」
 「大丈夫、花火まで降らないよ」
 「雨が降るそうだね~。 濡れちゃうから帰らないとね~。」
 「まだ 大丈夫だよ。 花火が上がったら 終わりだからね。」


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 施設で上げる花火なので こんな感じの花火が20発くらいです。
でも 花火は 誰の心にも いい思い出があるらしいですよね。
義母も ただ
 「わぁ~。 綺麗。」 と言ったのでした。
 周りのお年寄りも同じです。
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!!;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
 


 時間が来ると 摩訶不思議。
お年寄りたちは 魔法が解けたように 車椅子を押されて何事もなかったように院内に帰っていきました。 
お義母さんも 介護士さんに 「トイレに行きたい。」と さっさと 行ってしまいました。
 こんな風に 「行かなくてもいいんじゃね~?」の 「納涼祭」は終わりました。

 「納涼祭」は 義母には どんなふうにインプットされたのか…。
明日には そのこと自体消えてしまってるのか…?

やっぱり わかんないや。
わかんないってことを 負担に考えなくても いいんだね。

         ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
  

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2011年8月 2日 (火)

白馬岩岳スキー場の 「ゆり園」へ


 先日の台風6号が 通り過ぎてから それ以前の真夏日が嘘のように 涼しい日々が続きます。 朝方か夕方のどちらかに 雨が降る もしくは 一日中曇り空という うっとうしいお天気です。 日照時間が少ないせいか 庭の畑のトマトがずっと 青い実のままです。

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  「晴れたら 白馬村の岩岳スキー場のゆり園に行こうか。」と 話したのが
7月の中旬。 
安曇野では あちらこちらで ユリの花が咲ほころび始めていました。
桜も 菜の花も 白馬と安曇野では2週間くらい 花が咲く時期がずれます。
 「そろそろ、じゃね~?」

 今年は TVに 「岩岳ゆり園」の CMが流れています。
長野県内だけの CMなんでしょうけどね。
極めつけは 夕方の長野版の情報番組。 
 「ゆり園に行ってきました~!」の 最新情報が 流れ始めました。

 そろそろ 山の上の方でも咲き始めている様子です。

 晴れのマークを待っていても 週間天気予報では 8月5日迄は
が並んでいます。 今日の予報も 午後からマークでした。
朝から ちょっぴり小雨模様。

 「今日しか 行ける日ないんだよなぁ。」というので
 「百合の花を撮すのだから 曇っててもガスっててもいいよ。」と 出かけてみました。

 白馬に近づくと あら、不思議。 ぽっかりと 青空も見えています。


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 ゴンドラに乗って 山の上に登ります。 
ダンナさん、冬山のスキー場でバイトをしていた関係で 
今回は ご招待で ゴンドラに乗せていただきました。
 ありがとうございました。 (=^0^=)m(__)m 
とっても素敵なお花畑だったです。


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 北アルプスの白馬三山には ガスが立ち込めていて 青空ならとっても綺麗だろうなぁ~と思える一面のお花畑です。

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 綺麗でしょ? 
今はちょうど 5分咲きくらいです。 蕾が まだずいぶんありました。
でも、今でも十分 綺麗ですよ。 
これから まだまだ お盆くらいまでは 楽しめそうですよ。
今は緑色に見える蕾の所が 色とりどりの百合の花が開いて 一面に黄色や赤や白に染まることでしょうね~
綺麗だろうなぁ~。

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 家に帰ってきたら やっぱり 雨が降ってきました。
明日も 雨降りです。

 今日の 「うっすら日射しが差した ゆり園」は 神さまからの思いがけないプレゼントでしたね。
だから みなさんにも 素敵なお花畑のお裾分けです。

岩岳ゆり園に興味を持たれた方は 下記のホームページへクリックしてみてね。

 白馬岩岳観光協会  www.hakuba.ne.jp/iwatake/
 

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2011年8月 1日 (月)

8月ですね~。

ブログネタ: 怖い話、好き? 嫌い?参加数

  怖い話。
好きか嫌いかという質問でしたよね?
(゚д゚)(。_。) 大きく分けると「好き」の仲間だ~と 思います。

怖い話といってもさまざまありますよね。
映画の中でも 細かく分ければ SF系の怖い話が一番好き。
「エイリアン」シリーズは 怖かったなぁ~。 「ターミネーター」とかも。
一番嫌なのは 映像付きのホラーで 特に「ソウ」っていう映画があったでしょう?
あの手の ただ次々と 血なまぐさい殺人の生中継みたいな怖い話や映画は苦手です。

けれど はるか昔では「エルム街の…」とか 「13日の金曜日」とか 日本版で言ったら
横溝正史の「八墓村」なんかのシリーズとか リアルタイムで見ているし…。
(^-^*)(・・*) わたし やっぱり映画はかなり 怖い系見てますなぁ~。

本は おばけの話の本というよりも
ファンタジー系のオバケは よく読むけれど 自然と推理小説が多いですかネ~?
最近の推理小説って オバケ話よりずっと 恐い話が多いですよね。

 
 子供の時 夜寝る前に 母が恐い話してくれました。
今思うと 全然怖くないんだけれど その時は 怖くて怖くて
なのにワクワク~    
楽しくて楽しくて 毎晩 同じ話を何度も聞いても 
 「オバケの話~!」と せがんでいた気がします。
それは きっと 母の顔が 話す表情が怖かった(?)~のかも(´▽`*)アハハ  
それが きっと私の原点かな…。


Img_6021_2
あっという間に 8月です。
今年は 怖い自然災害が 日本全国で起きています。
小説や怖い話は 人の頭の中で考え出されたり語り継がれたりするものですが
実際の 映像はその想像を超えてしまいます。

 2011.3.11の「津波」のリアルタイムのあの忘れられない映像は
映画の「2012」「ディ・アフター・トゥモロー」の特殊効果だって かなうはずがありません。 本当に息を呑むというのは ああいうことを言うんですよね。

 ここ数日間の大雨の新潟県の川の氾濫だってしかり 
福島原発の事故の様子だって しかりです。

 怖い話が 空想の話なら 語り継く方も聞く方も 幸せですよね。
現実に起こりうる「怖い話」は お話でも映像でも 実際には起こらないことが一番だと思います。
 そう思いませんか?

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

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