納涼祭
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8月のこの時期。 いたるところで「〇〇祭り」をやっていますね。
今日は 義母の施設の「納涼祭」が ありました。
この1週間。 夕方は毎日 夕立がやって来て 大雨、雷、強風の三連チャンでした。
連絡用のお便りには 「朝9時に 雨模様なら中止です。」と ありました。
でも、天気予報では 夕方から雨マークが出ていたものの 朝は太陽がサンサンwww.
蒸し暑い青空になりました。
「本当に行くのか? 別に行かなくてもいいと 俺は思うよ。」
「去年は 入所と同時だったから行かなかったんだから 今年は行って どんな様子か一応見ておかなくっちゃね。」
「お任せでいいんじゃないのか? 行く必要はないだろ?」
「夕方 雨になったら行かないことにするから~。」
今朝の会話。 お義母さんの話題は極力避けたい必死のダンナ。
「けど、そんな訳にはいかないでしょう?」
「… まぁ (._.)」
今日も夕方になって 真っ黒い雲が もくもく出てきてしまいましたが とりあえず
「納涼祭」は 予定通り開催されました。
何日もかけて ヘルパーさんたちはこの「納涼祭」に向けて 着々と準備をしてきたのですから 無事に終了して欲しいですよね。 家族だって同じ気持ちです。
玄関前の駐車場に紅白のたれ幕を張ったステージになっていました。
4人掛けのテーブルには お弁当が並べられて 出店も職員さんで大賑わいです。
ステージでは「ドリフターズの合唱団」やら 「ヒゲダンス」やら…。
昔懐かしい「カラオケ」やら 盆踊りまで。
お年寄り達は 静かに嬉しそうに拍手をしたり 歌を一緒に歌ったりしていましたが
家族もあわせて100人くらいはいたのに とっても穏やかな宴会でした。
初めて お年寄りたちのショートステイの様子を見た時の感じと似ています。
ヘルパーさん達の一生懸命さと どちらかというと 無感情なお年寄りの ゆっくりとした流れ。
この病気の人達やその家族の方々は うちのお義母さんが特別だった訳じゃなく
どの家庭でも ここに行き着くまでに 同じ経過を大なり小なり経験されているのだな~と
わかりました。
「遠いのに よく来てくれたのね。 ありがとう。」
一人でぼんやり座っていた義母が 同席した私の顔を見て 最初に そう言いました。
「髪がすっかり白髪になってしまったのよ。」
「美容院に行って 髪を茶色に染めてきたいのよ。」と 言いました。
そして続けざまに
「私は いつの間にかすっかり お婆さんみたいに見えるのよ。
年をとったみたいだわ。
〇ちゃんは相変わらずで いいわねぇ。 何を使っているの~?」
不思議、こういう会話。
数回あったばかりの頃、ずっと若かりし頃のお義母さんに言われたことがありました。
施設に入ってからは 「着物や宝石、オシャレ」で身を崩した義母ですから
そういう俗世界の 会話がない事が 義母の救いになると思っていました。
でも、今日の私が誰だか 即 分かった正常な部分のお義母さんの頭の中では
「綺麗な恰好をしている綺麗な自分」が 今日のもう一人の義母だったみたいです。
「なんだか見窄らしくなちゃって…。 涙が出るのよ。」
こんな時 どう言ったら いいんでしょう?
なんにも 言えるわけないですよね。
空は 黒い雲が流れていきます。
「雨が来た時点で 「祭り」は終了となります。 最後の花火まで 降らないといいですねぇ~(゚ー゚)」と
ヘルパーさんの言葉が流れると その後は ソワソワ空ばかり見ています。
「雨が降りそうだね。 もう終わっちゃうね。」
「大丈夫、花火まで降らないよ」
「雨が降るそうだね~。 濡れちゃうから帰らないとね~。」
「まだ 大丈夫だよ。 花火が上がったら 終わりだからね。」
施設で上げる花火なので こんな感じの花火が20発くらいです。
でも 花火は 誰の心にも いい思い出があるらしいですよね。
義母も ただ
「わぁ~。 綺麗。」 と言ったのでした。
周りのお年寄りも同じです。
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!!;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
時間が来ると 摩訶不思議。
お年寄りたちは 魔法が解けたように 車椅子を押されて何事もなかったように院内に帰っていきました。
お義母さんも 介護士さんに 「トイレに行きたい。」と さっさと 行ってしまいました。
こんな風に 「行かなくてもいいんじゃね~?」の 「納涼祭」は終わりました。
「納涼祭」は 義母には どんなふうにインプットされたのか…。
明日には そのこと自体消えてしまってるのか…?
やっぱり わかんないや。
わかんないってことを 負担に考えなくても いいんだね。
★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜
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コメント
すばらしい!!

うっちゃん、とってもいいことしてます。
お義母さんが話しかけてくれたんだ、
言葉返さなくたっていいんだよ
聞いてあげられたら、それで
「愛の第一の義務は、相手の話を聞くことである」
ポール・ティリッヒ(神学者)
投稿: メシダでござんすよん! | 2011年8月 6日 (土) 03時11分
メシダくん。ありがとう。
話は聞いてあげるだけで 十分なんですね。
施設でも 小さい範囲で 義母なりに我慢しているって ことなんでしょうか?
そこのことろは 目をつぶっていても いいということなんでしょうか?
でも これ以上の 解決策もなく
今以上の 安住の地はないだろうと思います。
と、考えるのは
入所させてもらったからこそ言えるのであって
自分を主張できない 義母は どうなんだろう?と
いう 思考に突き当たってしまうと
出口のない不安に 苛まれます。
だから うちのダンナは しっかりと線を引いてしまったのです。
正常に生きているダンナの過去の記憶の方が
アルツハイマーになっている義母の記憶よりも
辛くて苦しいのだと 理解できるので 無理強いはしません。
このダンナが もっと歳をとって同じ病気になっってしまったら 救われないなぁ~と想像してしまいます。
遺伝も多いという記事もありますし。
そのうえ 日本人のほとんどが老人になった時にはどうなるんだ~と思い至ると
長生きをすることが本当に幸せなのか~?とも
思えてしまうのです。
今を幸せに生きないと きっと 記憶も幸せではないはず…では。
そして 老後は専門の人に 誰でも子供が必ず小学校に通えるように 一律に介護施設に
安心して入所できる世の中に なっていればいいなと 思います。
まぁ、当分は無理だよね~。
実際に介護する人は そのことに必死で 周りは見えない状況ですもんね。
投稿: うっちゃん | 2011年8月 6日 (土) 12時14分