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2011年11月

2011年11月30日 (水)

診察の日

 今日は 月一回の診察の日。
院長先生が直接見てくださるので 早めに出かけることにしました。

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 今朝は 思ったよりも寒くないのですが 辺り一面真っ白~ 霧です
この濃霧は 安曇野から松本郊外まで続いていました。


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 標高が高くなる三才山に近づくに連れて ガスは薄くなり ひと山越えると そこは青空が広がっていました。 紅葉はもうすっかり終わっていましたが 落葉した山々も なかなか綺麗です。

 

 遅い観光バスや トラクターに悩まされながらも 予定の時刻に 無事 病院に到着しました。


 今日のリハビリは 宮下先生と 西村先生のダブルで マッサージと体操の指導が 待ち構えていました。 
宿題の「手術した方の片足で立ち上がる」というノルマが まだ出来てません。
ちょっとばかり ぴょこんと立てるようにはなったものの 毎日のスクワットだけでは 不完全だったようです。
 「ごめんなさ~い。」です。
 「もう少し、筋肉を付ける体操をプラスしましょう。」
 「はい。」

 歩くのは 前回よりもいくぶん上手になったと 自分でもここ数日 感じていたのですが 左右のバランスが 多少傷の足をかばっているらしく 少しばかり体が傾いているそうです。
それも わかっていました~

 なので、今日もまた それ鍛えるための 新しい体操の仕方を みっちり教えていただきました。
西村先生は サッカー少年たちも教えているので 教え方がとても上手です。
どこの筋肉を動かしながら ストレッチをしなくてはならないのかを とってもわかりやすく教えてくださいました。
昨日まで やっていた私のストレッチの体操のやり方では 同じ1回でも 足りない筋肉の動かし方を 伝授してくださいました。
筋肉ってのは 鍛えれば鍛えるだけ 大したものなのですよね~。
 こんな 情けないぷにゅぷにゅのぜい肉ではねぇ~

 そうそう、 忘れないうちに 手帳に教えてもらった体操のやり方をメモっておきました。
だって、結構な数ですよ~。 
うっかりしていたら 一番大切な所を 書き落としてしまいそう~なんだもん。
次回は 12月後半なので その時までには 片足で椅子から立ち上がれる筋肉を鍛えて 
 「やりましたねぇ~と 言わせて見せるわ~。 

   
 リハビリの後は 診察です。
でもその前に レントゲン。
院長先生は レントゲンを眺めながら
 「ずいぶんしっかり歩けるようになったでしょう? 順調ですよ。
あと もう少しですね。
リハビリで 宿題をいっぱい出されたでしょう? 
頑張って 鍛えてきてくださいね。」
と、ニコニコして 話してくれました。

 なんか、うれしいです。
院長先生に そういってもらうと 「よっしゃ! 頑張らねば~!」と 思ってしまいますよね。


 
※ おまけの話

 この病院で見つけた美味しい物。
売店に売っている 「クリームパン」。 メチャ美味しい。

 ここの給食に時々 出ている食パンがとっても美味しいので 井出さん(同室の)に聞くと
 「この『塩田のパン』って 佐久では誰でも知ってる有名なパン屋さんなのよ。 
学校の給食なんかでも使ってるしね。 わざわざ遠くから買いに来る人もいるんだよ。」
なのだそうで。

 その『塩田のパン』屋さんのパンが売店に売られていました。
おかずぱん・サンドイッチ あった!クリームパン!!
物は試し~です。
やっぱり美味しい「クリームパン」が 食べたい!的 気分で…。

それが 「美味しい」 大当り
外はサクサク、中はもったり~。
なんて美味しいの~ 2個は軽く行ける~。(3個デモいけそうだけど 太る(笑))

 でも小さな売店なので いつでもあるわけではなく 空振りの日も多かったのです。

 私は アンパンかクリームパンか?と聞かれたら 「アンパン」派です。
なぜかというと 美味しい「クリームパン」って滅多に出会えない。
当たり外れが結構あって 安い市販のクリームパンなんて 小麦粉で固めてる~?っぽい。

なにかのTV番組で いつも美味しそうなクリームパンをかじっている 藤木くんだったか福山くんだったかの姿を見て
 「あ~あ、美味しいそうなクリームパン! 都会ならいっぱい美味しいパン屋さんが多くていいなぁ~」などと ボヤいていたものです。

 田舎には美味しいアンパンのお店なら 結構ありますもんね。
アンパンは ハズレないんです。

 以前 その「美味しすぎるクリームパン」の話をしたところ 退院の日 ダンナが待ち時間にその話を思い出して たった1個残っていたクリームパンを 買ってきました。

 「おっつ、これは美味いなぁ~。」

 そんな理由で 今回も帰り道に 売店で…。

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 写真にはクリームパンの姿は 見えません。
 「そうだ!写真でも。」と思う前に ぱっくりと 食べてしまったのです。
ごめんなさいm(__)m 
でも、このアンバターも クリームパンに負けないくらい 美味しかったョ。

 ちなみにパン屋さんの正式名称は「塩川ベーカリー」だって。
間違って紹介してしまっては 大好きな佐久の人たちに 怒られちゃうもんね。

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2011年11月29日 (火)

正直いって…

ブログネタ: あなたが今、いちばん欲しい“運”は?参加数

 欲しいもの? やっぱり 金運です。
特に年末は 宝くじとか クーポンとか くじ引きとか…あったら嬉しい金運。

誰でも 思うでしょ?
 宝くじで1億円が当たったら~って。
わたしもそう。
買いたいものがあるのです。

 それは、うちの前の土地。
ここに越してきた時は 一面のメロン畑。
広い安曇野の風景が 見渡せるのが気持ちいい場所だったですよ。
けれど 畑のおじさん達の跡取りがいなくなってしまったのか?
いつの間にか 荒れ野原。
その後、バブル時に 畑は売られ 土建屋さんの所有地になりました。

 「庭木を植えるので ここに植える木々は しょっちゅう回転するから 森みたいに大木になってしまうことは ありません。」

土建屋さんの 代表者が そう言って隣の所有者の判を貰いにやってきました。

それから あの信じられないバブルの崩壊。
回転するはずの庭木用の 木々は この十数年で 大木に変身しつつあります。
有り得ないはずの 森がどんどん成長しています。


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 我が家は いつの間にか 森の中に閉じ込められてしまった形になってしまったのです。
だから この土建屋さんから「どれでどうだ!」と 1億円の束を ドーンと積み上げて
この土地を買い取りたい~
もっと安いに 越したことはないんだけど…。
取りあえず これ以下の値段ってことで ヨロシク。
 
 前の土地の木々が空高くそびえ立っていくのを 眺めながら感じるのは そんな ささやかな 願い…。


 でも、残念ながら 我が家には金運は ゼロだよね。
年々 介護や私の思いがけない怪我等で 貧乏神を引き取ってしまったみたいな状態
なんだもの。

 金運の神さま。 
ドカ~ン。 と 次は 私のもとに やって来てくれないもんでしょうか~

 

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2011年11月27日 (日)

リハビリ?

デイリーポータルZ

ブログネタ: 【入賞者発表】無駄に頑張ってしまうことは?参加数


 病院で出された リハビリの課題は 腹筋2種類にとスクワット。 
それにゴムの足伸ばしが2種類。 1セットが20回。 
出来ることなら1日3セットが望ましい…そうな。


 次の診察までに あと数日。
私の足は 順調に回復しているのか? 
それとも 朝夕の冷え込む寒さに負けて 循環不良なのか?
入院中に 落ちてしまった筋肉は ちっとやそっとでは 回復するものではないらしい。

なので 知らず知らず 1セットの回数が増えてしまっている。
20回が30回に。 30回が40回に。
長い目で見たら これはきっと 足のためには いつか役に立ってくる事なんでしょう。
鍛えることは良いことのはず よね?

でも 今 歩いている時の この足の違和感 
締め付けられている感じの気だるさ。
足が疲れてる~?

 これって
 「もしかして 頑張りすぎ?」
まさに お題通り 無駄に頑張ってる~?かなぁ。

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 ついでに 入院中のリハビリの話を 書こうかな?

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 毎週 月・水・金曜日は リハビリ体操が 午後1時半から開かれていました。
入院中の患者さんが対象で 自由参加です。

 206号室に移ったときに 隣のお婆さんに
 「一緒に参加しましょうよ。」と 誘われたので 顔を出してみたのです。

 1階のリハビリステーションまで 出かけるのですが 参加者はお年寄りばかりでした。

 先生は 西村先生。 その他に 2名の学生の研修生です。
足から始まって 両手 肩、首などを ほぐしていくストレッチ体操です。
柔らかいボールでの 運動もあります。
ゆっくりした動きで 全部をこなすと 約30分間です。
病院の中で 体を動かすことが少ないので この体操はいい気分転換になりました。
入院中 休むことなく参加しました。
元気なお婆さんの お友達がたくさん出来ましたよ。
でも、1ヶ月間の入院生活で この自由参加のリハビリ体操に 参加していたのは 平均で5~6人でした。
入院されている患者さんは 私が見かけただけでも30人はいたと思うのですが、その8割は80代以上の方でした。 この佐久地方は 日本一の長寿の町なのだそうですよ。 
ほとんどの方は 部屋でお昼寝をなさっているか おしゃべりをしているか お茶を飲んでいるか  TVを見ているか…ですかね。
余談になりますが、84歳の中村さんでさえ
 「ここには老人ばかり~。 まるで老人ホームだよ。」と つぶやいておられましたからね。
 
 外来の診療時間の始まる前に わざわざ好意でやってくれている このリハビリ体操は とっても 体にいい時間だと思えるのだけれど そういうものに興味のないお年寄りの患者さんには 無意味に思えるのでしょうか?
 参加している方々は 明るくてどちらかというと「早く家に帰りたい!」と思っている 前向きな考え方の人たちだったと思います。
個人的なリハビリの時間は 全員に網羅されているので 無理強いはしないということなんでしょうね。


 「リハビリ」ってお年寄りには耳慣れない言葉だから、「病院でしてくれるもの・通って治すもの」だと 勘違いしているんだと思います。
自分の力で治さなくては という意識が いつの間にか 病院へ通っているから、お薬をもらってきたから 大丈夫という部分で すり替えられている気がします。

 私は 手術後10月15日に「入浴していいですよ。」の 許可がおりてから 殆ど毎日 お隣の中村さんと 一緒にお風呂に入っていました。
その時に  中村さんは お話が大好きな人なので いろんな地元の行事や 自分の若かりし頃の話などを いっぱいしてくださいました。
 その中でも 彼女が一番気に病んでいることは やっぱり「足が痛い、うまく歩けない。」ということと 「手術をすれば歩けるようになる。」はずだった ということです。
退院すれば 「昔の自分みたいに なんでも出来る」と思っているし 今も心が引っかかっているようです。
入浴中に 自分の足を撫でながら「どうしちゃったんでしょうネ、この足は…。」と つぶやいていました。

 どういう事かというと 「手術=歩ける」と単純に思っていたらしいのです。
「リハビリ」というのは 病院で先生たちがしてくれるマッサージや機械で伸ばしてくれる事だと いまでも 思っているようです。 だから おかしい治らないと 悪循環に陥っているのです。

 「リハビリ」というのは本来は 「元に修復する」という意味なんだそうですね。 

 私は 1ヵ月で退院しましたが、中村さんを含めたお年寄りは この病院では リハビリのために 手術後2ヶ月から3ヵ月入院させています。
 お年寄りは回復が遅いからだと 最初は勝手に思っていましたが 今はそれだけじゃあないんだと 思えるようになりました。 
私が思うのに お年寄りは自分で「リハビリ」が 出来ないからだと思うんですよね。 
筋肉をつけるための 運動は毎日 きちんと続ける必要があります。
そこのところが 無理なんじゃないかと 中村さんを含め 周りのお年寄りを見ていてわかりました。
     ※    ※ 

 「リハビリ」
だってちゃんとやっているのに どうして私だけこんなに足が痛むのか~?
ということを よく口にされていました。 
失礼ながら 私から見た彼女のリハビリは 滅茶苦茶で 「今日は足が痛い」と訴えたとします。 
すると、リハビリの先生が「今日は筋肉を休めましょう。」と 返事をします。
「わかりました。」と 返事をしているのに 夕方 自分ででたらめな体操をしていたりします。
足が痛い夜中に 自己判断で 足の曲げ伸ばし運動をやってしまったりも していました。
痛いときには マッサージをするってのは 自然な行為かもしれませんが そのために入院して専門の先生が付いているのにです。
痛い時期を越えてしまえば 忘れてしまうのかしら?
次に看護婦さんが回診に回られる時には 「大丈夫です。」と にこやかに笑うのです。
さっきまで 痛いって言っていたでしょうが~ ┐(´д`)┌ヤレヤレ
正しく 痛いことを伝えていないじゃん。
そこの部分が そもそもの「間違いの素」であるような気がします。



 ほかの方と比べて すごく しっかりされている中村さんでさえも こんな調子です。
 「リハビリ」は自宅に帰ってからでも 自分で続けなくてはならないものという根本的な部分が 欠如しています。
大きな誤解で固まっています。

 「手術してから治るまでに1年はかかるというからね。 わたしはまだ 半年だし。」
こういう話は お年寄りはよくします。 
でもホントはね、たぶん この一年という意味は先生の言っている意味と患者さんが 受け取っている理解度が違うと思うの。
 「一年経ったら 何もしなくてもいつの間にか するんと痛みが消えて 足がパーフェクトに 動くようになっている」と 思っている節があります。
 「手術は 成功したんだし~」って 思っているし。
でも、本当は 思っているのとは 違うと思うよ。
 ここの所も どうしてなのか どのお年寄りも 勘違いなのか思い込みなのか 間違っていますよ~って言いたいわ。
そんな むしのいい話 あろうはずがありませんよね。
スポーツ選手だって 選手生命をかけたリハビリには 血と汗のにじむような努力をしているんだから。
 小さな傷が跡形もなく消えるという時期は 若い元気な子供たちだけのような気がします。
 
 私にだって うちのダンナは
 「この傷は一生もんだから 一生リハビリするんだぞ」と 脅しますが 確かにちょっと寒くなったくらいで 縮こまるこの痛さ。
本当に一生もんなんだろうなぁ~と 覚悟させられます。

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 話は戻って、回診のたびに 婦長さんがおっしゃいます。 
「80歳は80歳の回復の仕方があって 若い頃のようにはいかないということを自覚しなくては ね。」
 あと何十年かの人生を 笑って生きるか、泣いて生きるかは本人次第ということ も。
本人の気の持ちようが 大事なのだそうです。(パチパチ)
中村さんよりもずっと 若い年齢なのですが 私は隣のベッドで 一緒にお話を聞いて 
 「なるほど、なるほど。」と 毎回 パチパチと拍手を送っていたのでした。

  
 入院中は リハビリの先生が リハビリの状態をちゃんと管理してくれてますし 
健康面は看護婦さんが見てくれます。 
それに 病院内では時間もゆっくりと していますが 自宅に帰ってくれば 病院と同じようには なかなか出来るものではありません。

 足の安全期を考えたら 2ヶ月の入院は 時間がたっぷりある お年寄りには妥当みたいですよね。

 ブログネタからは 外れてしまいますが 無駄な努力は何一つもないってことですかね?

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2011年11月25日 (金)

静かな空間

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 10月末 入院中に 義母の施設から 電話が入りました。
 「インフルエンザの申し込みの用紙が 市役所から届いているはずですが…。」

 (入院中は ダンナの所に 連絡が行くはずでは…?)と思ったけれど ヘルパーさんが 我が家の家庭事情を熟知していてくれているので
 「いつまでに届ければいいのいいのですか?」と伺うと
 「今月の請求書と一緒に同封しましたので 10月末までには お願いします。」
 「まだ、退院できそうにないので ダンナに確認させて 届けさせますね。」
 「だったら 事務室に何時でもいいので 持ってきてくれれば お母さんに会われなくてもいいですから~(たぶん(笑)。」
 「ありがとうございます。」

そんな感じで インフルエンザの予防接種は無事に終わりました。

   ※   ※

 先週末 義母の担当のヘルパーさんから 久しぶりに電話がありました。
義母がディサービスやショートステイで 通っていた頃は ほとんど毎日といっていいほど
連絡電話がかかっていましたが、入所してからは ほとんど電話はかかりません。
なので、電話の内容はほとんどが
 「必要な書類や手続きの連絡や 義母の変化や 必需品を持ってきてください。」などの 
ちょっとわたし的には 急ぎの『いつまでに用意しよう?』となるものが多いのです。

 今回は ここのところずっと施設内の業者に 入所中の洗濯物を任せてあるので
 「お母様の着替えが洗濯で縮んでしまって 窮屈そうに着ている。」
というものでした。
 「お母様の衣装の中で 水洗いをしても縮んでしまわないような物を 持って来て欲しいのですが…。」
 「わかりました。」

 義母は 若い頃は かなりお洒落な人だったようです。

 こちらへ引越しをする前は 義母の寝室には 古いファッション雑誌にでも載っていそうな奇抜な色と模様の(その時代の流行を追っているってことです)服が 信じられないくらい洋服ダンスに掛かっていました。
それは 要するに 現在はとても着られないタイプの服たちで 体の小さな義母の服は 同年代の義母の知り合いにも 「よかったら着てください。」と 分けてあげることも出来ずに 
結局は タンスの中で眠っていた高価そうなワンピースやスーツは 憐れにも殆どといっていいほど 廃品として処分してきました。 
(古着屋さんで 売れたらよかったんだけれど SSサイズだから…と デザインがね~残念 ね)
施設に持っていける物は 数枚程度なのですが トレーナーやズボン Tシャツなどで 山ほどあった衣装の中には 「家の中で一体何を着ていたの?」と思うほど そういう普通の人が着ている服が 見当たらなかったのです。
じゃあ 今までの服は一体どこで購入していたのか?と 驚かされます。


 入所した時には 必要品として足りないものは 無柄のシンプルな服を 用意して持たせましたが 自分の物ではないからと ずっと常設のタンスにしまってありました。 
今回も 自分の物ではないと タンスの肥やしになるかもしれませんが 一日中暖房の効いた施設の中で 毎日着る服~水洗いしてもいい服となると 限られてしまいます。
頭を悩ませて セーターやカーディガンの代わりに ジャージの薄手のものを見つけました。

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 そんな数種類の着替えを用意して 久しぶりに 施設に出かけてきました。
出掛けるたびに 介護施設というのは 本当に不思議な空間だと 思います。
時間がゆっくりと 止まっています。
そういう風に感じるのは 私だけでしょうか?
義母より高齢で 普通の病院に怪我などで入院している お年寄りの時間の流れとは 全く違う。
特に今回は たくさんのお年寄りといっぱい話をしてきた後なので ひしひしと その違いが分かる気がします。


 今日は 午後2時頃でしたが、作業や体操などの時間帯ではなかったせいか ホールには 係のヘルパーさんと 数名の車椅子のお婆さんが 眠ったように動かずに座っていました。
食堂では ワイドショーっぽい番組が流れていましたが 椅子に座っているのは これまた半分眠っているようなお爺さんが 3人だけでした。
やっぱり 止まってる~。 お昼寝中?

 ヘルパーさんに 着替えのチェックをしてもらって 義母の部屋に行きました。
ベッドが新しくなっていて 前にはなかった柵が2ヶ所に付けてありました。
ゴロンと寝ていたので 静かにタンスの中をチェックして足りないものを確認していると
 「足 どうしたの?」と 義母がベッドに起き上がりました。
 「もう治りかけだから 大丈夫だよ。」
 「今日は どうやってきたの? 久しぶりですね。 お元気ですか?」

 (私がわかってる? 他の人とおもってる?)そこの所が わからないので 軽くいろいろ質問してみることに…しよう。
 「何か 欲しいものある? パジャマとかまだ 大丈夫なの?」~とか。
義母は ニコニコ笑いながら 側のタンスを開けて
 「これは嫁さんが用意してくれたから 大丈夫ですよ。」
 「そうなの? よかったね。」

(今日は 分かっていないんだね。 お義母さん、私は誰だと思ってるのかな?)

 「また、何かあったら 宅急便で送るからね。 今日は来てくれてありがとうね。」
と にこやかに送り出してくれました。


 「あ~あ、疲れるなぁ~

 帰りに 事務所で担当のヘルパーさんと 久しぶりの話をしました。
ずいぶんご無沙汰をしてしまったこと、怪我のこと、義母のこと…などなど。
 

 「大変ですが、頑張って下さいね~。」
ヘルパーさんに励まされて 帰ってきました。

 
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 施設に行ってくると 別に何するわけでもないんだけれど なんだか 気が抜けるのです。
なんか 疲れて帰ってくる…。
知ってる笑顔が 知らない誰かにと重なって やって来るって 気持ち悪い感覚。
分からないなら 知らん顔されたほうが 気持ち的には楽なんだろうな~。


メグタに 訳の分からないいたずらをされて 部屋がぐちゃぐちゃになっている気分に
似ているかも~。 どうしようもないもんね


    

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2011年11月23日 (水)

お散歩 さんぽ

 今日は ちょっと 遠くまでお散歩。
日本全国 今日は休日。 勤労感謝の日

でもね、畑では野沢菜摘みや 大根の出荷の忙しそうなこと。

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 入院中は 早霜の日が数日続き 「野沢菜漬けは終わったかしらね~?」と お年寄りは心配していましたが それ以後は 冷えはするものの 一面真っ白の霜という日はまだやってきていません。
天気予報の霜情報が 流れる時期になってきました。
寒さに負けないように 大忙しの冬支度が始まりました。
頑張って\(*⌒0⌒)♪


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 林檎の実も 赤く色染いて きました。

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 柿の実も どっさりと実っています。 と言っても 渋柿です。


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 すすきの穂が 太陽の光を浴びて 綺麗ですねぇ。


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 落葉松は 金色の雨を降らせて すっかりお爺さんのハゲ頭みたいになりつつあります。


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 これは 畑の道に掘られた 地蜂の巣の跡。
ほんの少し前に 掘られたらしく まだ 気を失っている蜂が地面にいっぱい落ちていました。
今年も信州版の 旅番組には「蜂の子」や 「蜂の巣」を取る人たちの特集などをたくさん報道していましたが 後始末はこんなものです。
掘った蜂の穴を埋めて帰るとか…どうしてして帰ってくれないのか?と 思いませんか?
運悪く その場に居合わせたら 蜂はどんな動きをするだろう?とか 思わないのかしらと 私なら考えてしまいますが…ねぇ。

 うちの近くにも毎年 森のいろんな所に 蜂が巣を作るように いろいろ仕掛けていく人たちがいます。
うちの森は 半分以上が別荘地なので 簡単に森に入れるし 人も思っているほど住んでいませんが それでも 森の散策やきのこ取り 朝晩のウォーキングなんかの人が けっこう歩いています。
猿や狐も たまには見かけます。 
街中から来た人達から見たら 「森」そのものに思えるでしょうね。
だからといって 住民じゃない人が「蜂の子」取りのために 蜂を放すのは どうかと思います。 
秋口には 「蜂の子」を取る為に 勝手に道路に車を止めたまま森の中にはいっている姿も見かけます。
自分たちは楽しい行事なのでしょうが、人家の近くでは仕掛けてはいけないというルールが
徹底していないし やりっ放しの状態がこれです。
運悪く 蜂に刺されるのは 巣を仕掛けられたことを知らない住人です。
地蜂は一匹は小さいけれど 巣には大量の蜂が住んでいるので 刺される時は何ヶ所もやられてしまいます。 
おいしいとこ取りだけして なんか 許せない…

自分の庭で 蜂の巣を作ってみれば たくさんの蜂が飛んでる怖さがわかるはず。
そんなに 取って食べたいのなら 自分の山でやりなさいよ。 自分の森で 取りなさいよ。
って 言いたい   

 そんな「蜂の子」のシーズンも この寒さになってきたら お終いだよ。
久しぶりの遠出のお散歩。
ぽかぽかの日差しの中にも いろいろあるね。
 

 
   ※        ※        ※        ※

 お昼を過ぎたら 竜巻っぽい強風が吹いて 小雨が降ってきました。
冷たい雨…。
午前中に 落ち葉燃やしておけば よかったなぁ~。


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2011年11月22日 (火)

ありゃりゃ??

 
 ガチャしたのに 固まってしまってる~
しばらく待っていても この状態のままなので 
 「よ~し!証拠写真((笑)」
この ブログ記事に移動してしまったけど
この緑色の中身は 分からず終い。
こんな時って 宝くじと一緒。 なんだか当たっていたような
気持ちがするのは なぜだろう??



2011.11.22に撮影した【うっちゃん】さんの【ソナタ広場2】での写真です。

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2011年11月21日 (月)

病院か 施設か

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私の新しい206号室のお隣さんは 優しくてしっかり者の おばあさま。 
今年の5月に 靭帯の手術をなさって 右足には人工の靭帯が入っているそうです。
この中村さんが 10月15日 84歳のお誕生日を迎えました。

 「私は 9月にまた足が痛んで痛んで、入院ですよ。 もう1ヶ月になりますよ。
私はいったい いつ退院できるんでしょうかねぇ。」
誕生日に家に帰れなかった…そんな寂しさが 言葉の節々に見え隠れしています。

 「今日は 中村さんの84歳のお誕生日なんですって。」
と 看護師さんに伝えたところ
昼食のデザートに可愛いケーキと ナースセンターの看護士さん達の寄せ書きのお祝いのカードが 届きました。
 「まぁ、まぁ~。 」と 嬉しそうでした。(*゚ー゚*)


 入院するってのは とかくお年寄りには 疎外感があるようです。
最愛の自慢の息子さんは 今や お嫁さんの言いなり(?)で 病室に訪ねて来てもくれない…大いなる不安。
 「私はいったい いつになったら痛みが取れて 帰れるのか? 帰ったって家でひとりぼっち…だからね。」

          

 「私は24針も 縫ってありましたよ。 おたくは何針でした?」
と聞かれて 
 「私のは外から見えるだけですけど 8針っぽいですね?」 
事実この時は まだ抜糸していない状態でしたので…。
 「そんなに少なく手術ができるのに どうして私は20針も~!!」(絶句)

   ※

 「足が痛い」と感じる感じ方にも 大きな個人差があるようです。

 中村さんは 毎夜 痛い痛いというので(と言っても大騒ぎをするわけじゃあなくて ずっと夜中 我慢なさってる訳です) 看護婦さんや担当のお医者様やリハビリの先生が 検討して話し合って 痛み止めの注射を 足や腰、肩などに あちこちにしているのです。

 「注射?薬? 出来るならしたくない」と 思っている私には とんでもない事なのですが
注射で一瞬に痛みが治まる事に慣れてしまっている彼女には 看護婦さんの
 「出来るだけ 注射は我慢しましょう、痛み止めは飲まないようにしましょう。」
という 忠告さえも届いていない気がします。
そして 朝の回診の時に 
 「夜眠れるように 注射を打ってもらえないでしょうか?」
悪循環ですよね。 
でも、お年寄りは 真が強く 他の人の言うことは ほとんど聞き入れませんよね。
だから、看護士さんや先生の話は 午前中は有効ですが 夜になると無効になっている気がします。 
他の部屋のお年寄りも例外なく 同じようで 看護婦さんたちは慣れたもののようです。
本人が要求したことは よっぽどの弊害が出ない限り 病院では注射などはしてくれるようですよ。



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 この病院には 関連介護施設が 隣接されています。
なので 施設内で怪我をされたり具合が悪くなったりされたお年寄りで こちらの病院に入院している痴呆の方も いました。
介護施設では 当たり前の徘徊やトイレの粗相は 病院でされると看護師さんは大忙しで大変です。
一般の入院患者さんだけでも 手一杯の人数で三交代勤務ですもんね。
 私の入院した初日から4日目までは 手首を痛めて入院してきたお婆ちゃんが 自分の病室が分からないというより 今自分が何処にいるのか時々分からなくなるらしく 自分の部屋を探して 一晩中ウロウロされていました。
看護婦さんたちは 「〇〇さ~ん!」と 探し回って大変そうでした。
入院中 洗濯機を回していると いつの間にか 知らない洗濯物が 入れられている事もありました。
新館から旧館に移った後は 男性の痴呆の方が 2名いました。
困ったことに 男性のトイレではなく女性のトイレに入ってくるのが お婆さん方のおおいなる不満で 看護婦さんには どっさり苦情が届いていたようです。
その上 一番いけないのは 便座やトイレの蓋に オシッコをひっかけることでした。
いくら看護婦さんが 「痴呆なのだから」と説明しても 病気の痴呆と ボケの痴呆の
区別は 同年齢の人には 理解しにくい現実があるようです。

 特に ここの患者さんのほとんどは 女性の高齢者で足や腰などが悪いので 汚された便器があると トイレを使うことができないのです。
男性の患者さんは少ないので トイレで込み合って困るという状態は 殆どないのです。

 痴呆の方は 便利な車椅子用のトイレを使用することはありません。
だから 松葉杖や車椅子を使わなくてはいけないような患者さんは (つまりは私もですが) 不便はなかったのですが それは 多分以前に痴呆症の患者さん自分自身が使用したことがないということです。
 それと同じように病院では 夜などは紙おむつを使わせているようですが 痴呆じゃあないお年寄りは 紙おむつは使いたくないようです。
痴呆のお年寄りだって 自分で外してしまいますからね。

 「ここは隣の施設じゃないんだから 夜中が本当に困るのよね~。」
と 仲良しになった看護婦さん達も ボヤいていました。
おむつ交換、トイレ掃除の手間が 俄然忙しいし、汚いし~仕事なんだし…だからといって放って置くわけにはいかないと思うもんね。
 ご苦労さま。 頑張って!と 娘ほどの若い看護婦さんに エールを送るしかない 看護の(介護のかも?)現場を 見ました。

 病院でも 介護施設でもお年寄りの数がベッド数のほとんどを占めている今の日本。
部屋が分からず、違う部屋の空きベッドで寝てしまったり 病院中の部屋を覗き歩くお婆ちゃん。
耳が悪いので大きな声で 怒鳴り合っているお爺ちゃん。
一日中 トイレに座り込んでいるお婆ちゃん。
 正常な脳を持っている一応健康なお年寄りは 喜怒哀楽が激しいので 水を打ったような穏やかな静けさの介護施設の老人たちとは 全然 違うのです。
 病院が9時消灯に 決めてあるのも 看護婦さんの労働とかを考えたら当然の時間なのかもしれません。 消灯したって動き回っているお年寄りは いっぱいいますもんね。

 高齢化日本。
今のうちに この現状をちゃんと把握しておかないと 怖いよ~。
お年寄りは 長期入院で心を病んでいるし 核家族で家にいても心は 病んでいる。
アルツハイマー人口は 急増中だし。
そして あと何十年かしたら…
ベッドに座っているのは 私の姿かも…((´;ω;`))

 その時 どうなるのかな 日本??
幸せな未来でいてほしいなぁ……

  

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2011年11月20日 (日)

入院…⑦ リハビリその後

 入院するという話をすると 絶対みんなが言った一言。
 「きっと素敵な先生が リハビリしてくれるわよ~

 そんな 皆さんの暖かい言葉が 通じたのか うふふ(^0^)/
そうそう、私の担当のリハビリの先生は かなりのイケメンでした。
誰に似ているかなぁ~? 柏原 崇くん(知ってる?)系のハンサムか…な。

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 絵は… あんまし似てないよね。 下手だな、ハンサムを書くのは難しいな。
写真撮らせてもらえばよかったなぁ~。 ホントに イケメンなんだから~。 
でも 宮下先生はいつでも仕事中ですからねぇ。
デジカメ大好きな私でも リハビリ室にデジカメを持っていって 
 「撮らせてください~」っていうのは あまりにも 韓国ドラマの追っかけオバサンっぽいじゃん?

 顔もとにかく素敵なんだけど 私が宮下先生が素敵だなぁ~と思うのは その説明の仕方にあります。
リハビリが始まった最初の頃 靭帯手術の経過をこう話してくれました。

 「腿の筋肉が 新しい靭帯の代わりに 膝に手術でくっついたわけですが、始めは全然違うほかの部分が靭帯になれるのか?と思いますよね? 
人間の体ってのは不思議なもので  半年から1年も過ぎると回りと馴染んで ちゃんと靭帯の機能をしてくるんですよ。
今の足の違和感は 新しい靭帯と体内のさぐり合いみたいなものなんです。
脳が靭帯として認めれば 靭帯に再生して行くのですよ。」

 そのためには きちんとリハビリをして 少しでも初めに近い状態に足を持っていくことが大事なのだそうです。

 「そういう事なのか~

 手術には即決して 臨んだものの リハビリの何たるものか…なんて全然わかっていなかった私。 サッカー選手などの怪我の話を ダンナからしょっちゅう聞かされていたので
リハビリが大事という知識はあったものの…ですよ。


 院長先生の回診が毎週水曜日に ありました。
そのたびに リハビリの課程が進んでいきます。
その時の説明の仕方が とっても わかりやすいのです。 

 「手術後何週目に入りましたから こんなストレッチをやってみましょう。」

 担当の先生は 各個人に一人ずつ付きます。
高齢のお年寄りや 手術後の動けない人には 病室までリハビリに来てくれます。
その時に他の患者さんの担当者の 話し方を伺っていても 先生によって説明の仕方は全然違うのよね。
私みたいに何でも 興味深深な人には ただ優しいだけの
 「無理しなくても いいですよ。 出来ることをやりましょうね。」的な反応の先生じゃ 物足りないのかも…。

 退院しても リハビリは指名制なので 当分は 新しい課題への挑戦です。
 家では 病院みたいに決まった時間に ストレッチもできないし 思った以上の雑用があるんだよね。

 早く 装具なしで テクテクと歩いてみたいし 小山を登ってみたい…!
それには リハビリを頑張るしかないか~

Img_9745 
病院の談話室から見える浅間山。 この道をまっすぐ行くと佐久中心部や岩村田

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2011年11月18日 (金)

入院…⑥ リハビリ

  *・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!!

 入院4日目に 防水シール(正式な医療の言葉ではなんていうのかな?)
に なってからは 車椅子が松葉杖になりました。
足には ドンチョウと病院では呼んでいた「装具」になりました。
松葉杖は 入院までの3週間みっちり練習したので かなり上手になっていました。
トイレや洗面など 杖付きとはいえ 自分で歩くってことは かなり自由な気分だわ~。
車椅子もなかなか楽ちんだったけれどね。


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 病院の1階のリハビリステーションでの リハビリも始まりました。
私にまず出されたのは 下の図のような 6種類のストレッチでした。   

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 とっても単純なストレッチなのですが、恥ずかしい告白ですが 私は怪我をしていなくても 腹筋ができないのです。 
出産後から~(帝王切開だったからね。無理をしないように~という先生の言葉を忠実に守っていた~どんだけ?)
だから 何十年も腹筋運動を したことがないのです~

 なんて言ってられないよね。
出来ないことは出来ないなりに とにかく暇な時間は 部屋でも 一人で一日3回と
ノルマを決めて自主トレを やっていました。

 ゴムの足伸ばし運動は 初めはキツかったなぁ~。
これは 使わなかった足の筋肉をつけるための運動なんですが 手術前後で約1ヶ月間
使わなかった左足は 自分でもわかるくらい筋肉が落ちているんですよね。
でも、毎日のほんの少しの繰り返しは ちゃんと出来るようになるんです


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 入院から9日目の10月12日
その朝 看護婦さんから 
 「一般病棟に 移って言いそうですよ。 206~208号室のベッドの空きがあるので
どの部屋に入りたいか 自分で選んで来ていいですよ。」
と、言われました。 
 「うひょ? 自分でお隣さんを こっそり見てきていいの? ラッキー!」


 旧館の一般病棟 206号室と207号室は 2人部屋。
208号室は 4人部屋でした。
とにかく ナースセンター隣の新館の部屋は 新しくて洗面所が付いていたり 車椅子用のトイレがすぐ側にあったりして便利なのですが 中庭に面していて明るいことは明るい部屋なのですが 景色は今一歩です。
窓から見える景色と言えば 大きな庭いっぱいの桜の木と 旧館の窓ばかりです。
ベッドで寝ながら眺めるのには ちょっと寂しい…。

 ところが、この旧館は 太陽がいっぱい差し込んで 明るくて暖かい。
窓からは八ヶ岳が遠目に見える…。
特に 206号室は なんだか光が★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 「やっぱり2人部屋がいいかな~?」
と 思いながら部屋を探していると 若い可愛い看護婦さんが
 「お部屋を見に来たんですか? 私は206号室がお勧めだと 思いますよ~。(笑)」
 「そうなんですか??」
 「207号室のお婆ちゃんは 耳がかなり遠いので 大変なの。(笑)」
 「わかりました。 じゃあ、206号室に決めます。」
 「そんなんで もう、決定でいいですか?(笑)」
 「はい、即 決定で…す(笑)」

 そんなで その日の午後、ベッドと備え付けのロッカーを 看護婦さんたちが
ゴロゴロと 転がしてくれて ほんの十分間位で部屋の移動が終了しました。

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 新しい206号室の お隣さんは 83歳の「中村さん」。
 「どうぞ よろしくお願いします。」
 「こちらこそ よろしくお願いします。」
 (/ ̄^ ̄)/ ̄ \(。_ 。\) 

 そんなふうに 私の入院生活とリハビリの 後半戦が始まります。

 続きは (o・・o)/~
  

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2011年11月17日 (木)

久しぶりに メグタ 登場☆ミ

 今日は 最近では珍しく ダンナの留守の日。
 「よっしゃ! メグタと 散歩でもしてやろうか…!」
と 朝一番には 思っていたのです。
そろそろ 短いコースなら ゆっくりですが歩けるようになってきましたからねぇ。


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 が、
庭に出した途端www!!

 ▽・w・▽「ワン、ワンwwwwww!」
とやりだした。 
そう、こんなに綺麗な青空なのに 猿が 何匹も木の上にいたのです。

 こんな時のメグタをなんて 健康な足であっても 連れて歩くのは難しいのです。
メグタは 一緒に走ってくれ~というポーズを するけれど
 「今は 絶対無理だよww!」

 で、しょうがなく お散歩紐と庭のワイヤーをくっつけて いつもよりも長い紐で
走り回れるようにしてあげました。

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 今頃の猿は ちょっとばかり凶暴なので ちょっと恐い。
まあ、猿たちだって 急に冷え込んできて食べ物が必要なのはわかるけれど 人里に出てきて安易に人間の食べ物がいただける~とは いかないに決まってますよね。
爆竹は鳴らされる、犬には鳴かれる、モンキードッグには 追いかけられる…。

 Img_0165

 メグタは と言えば、猿の姿が見えなくなるまで 外でずっと見張り番をしてくれました。
えらいぞ。 と、褒めておこう!
とっても 嬉しそうに最後は家に帰ってくるのです。

それで ご褒美の「ささみ」のオヤツを さりげなく要求してきます。
それも 一回といわず 数回もです。
追っ払った猿の数?ってことは ないよね。(笑)


 さて、メグタも落ち着いてきたし お散歩一周行けるかなぁ~?

                              


 ただいまぁ~。
無事に お散歩から帰ってきましたよ。
超~ゆっくりだったから メグタには物足りなかったかもしれないけれど 
庭で ボーっとしているよりは いいわよね?

取りあえず トイレ散歩終了ってとこかな?  

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2011年11月16日 (水)

ちいさい秋 

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 ちょっとだけ 冷たい風が吹いているのだけれど 大きな青空は☆彡
きらきらの太陽の光を ふりそそいでくれる。

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 ほとんど散ってしまった楓の葉っぱの 根性のあるひとかたまりが 最後の光を放っている。 

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 今年は 見損なってしまった「白萩」。
花は見られなかったけれど 葉っぱの黄色い紅葉も 光を浴びて綺麗。
霜が来たら 葉っぱたちは 跡かたもなく 裸の木に変身する。


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 落ち葉の焚き火も さまになってきた。
中身は これ! 秋の味覚。 ほっくり甘~い焼きいも。

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 こんなちっぽけな 小さな幸せ。
健康って 当たり前の日々の 当たり前の静かな時間の繰り返し~なんだよね。


ちなみに 昨日 上高地は小雪が降ったとか…。
うちの裏山も 遠目に朝は 真っ白になりつつあります。
霜が空気を凍らせているのでしょうか?
日中は日差しが出ていれば 紅葉色に戻ります。 
その間隔が どんどん短くなって いつの間にか白い雪山になってしまうのも そう遠い日ではないですよね。 


                                      

   

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2011年11月15日 (火)

入院… ⑤

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 今朝は 寒かったですね。 よく寒い日は膝が痛いとか 古傷が痛いとかいう話を聞きますが 今日はその話が 真実だと分かりました。
 手術の痕が ぎゅっと縮こまるような 感覚とでも言うんでしょうか…?
痛いというよりも 疼くと表現した方がピッタリとくる 感覚です。
それだけ 今朝は冷え込んだと言うことでしょう。
 これからは 今まで以上に 膝の完全暖房対策を考えなくっちゃ…と 思った朝でした。


...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

 今日からは 手術後のリハビリ生活の話でもしようかなぁ~?
でも、その前に 再建手術ってどういうことなのか 簡単な説明でもしましょうかね~。



Photo_3

 この図のように 手術後の傷は 膝の左右2ヶ所(新しい靭帯を固定した箇所)と
内視鏡を入れるための物と 新しい靭帯に利用するための筋肉を切断するための1ヶ所の合計4ヶ所です。

抜糸後のこれらの傷は 思ったほど大きくなくて この中で一番大きな傷跡は内視鏡を入れた3センチくらいの大きさで この傷がまだちょっと突っ張った感じがします。


 手術の1週間位は 左足はアイシング(ここの病院では点滴の容器に食塩水を入れて凍らせていると看護師さんがおっしゃっていました)を していました。
特に手術後の丸1日間は たった2個の氷をいれた袋が 重く感じられて まさに身動きができないので 手術の足の痛みよりも 「腰や背中が痛い…」方が よっぽど辛かったです。 
2日目には 自分で車椅子移動で 自分の身の回りの事は出来るだけ自分でする事に なっていたので ベッドから起き上がることが出来て 腰や背中の痛みは すっかり影を潜めましたが、車椅子でトイレに行くということの大変さに 頭を使いました。
ぐるぐるに包帯で固められている足を ベッドから車椅子へ、車椅子からトイレやベッドの周りを小回りさせるのは なかなか難しいのです。
なにしろ 傷のある足が一番遠くにあるので ちょこんと 壁やらベッドの端やらに 当たってしまうのですよ。
 「おっと まずい…! 当たった


 お隣のベッドの井出さんは 右足骨折で 9月末から入院していたのですが 約1週間の車椅子の先輩だったので 見るに見かねてか 上手に乗るコツみたいなものを 伝授してくれました。
それで お隣同士 意気投合。 
仲良しになって いろんな世間話を何日間も それこそ一杯しましたよ。 
どこの奥さんも みんな大なり小なり 家族に問題を抱えているものなのです…ね。

 井出さんの足の手術は 私より2日後でした。
手術後の写真を見せあって
 「これは大変だったね~。」と お互いに慰め合いましたよ。
足が使えないってのは どこがどうなっても いただけない~ものなのです

 

 でもね、人間てやっぱり 知能があるんですよね。 
たった1日でこの車椅子もなんとか ベッドとベッドの間の狭い隙間も 抜けられるようになり 数日後には 狭い病院内を 自在に動き回れるようになりました。
 慣れてきた頃には 車椅子は卒業になってしまうんですけれどもね…。

 リハビリは動けるようになったその日から 担当の宮下先生がやってきて
 「ベッドの中でも 足を動かすように」と 即 始まりました。

 機械で足を曲げ伸ばしする運動も 始まりました。
最初は 20×90 というのから始めました。
膝の角度が90度、膝の伸ばしが20度 ということです。

 この時は包帯の下には 固定用のギブス代わりの板を装着しています。
リハビリのたびに 看護婦さんが包帯を巻き直してくれました。

 
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 点滴は手術後には 数種類ありました。 薬も 数種類出ていました。
点滴は どうってことないんだけれど 看護婦さんの注射の上手、下手の格差はだいぶあるようで 一日に数回 失敗された時も 腫れて浮腫んだ日もありました。
早く上手になってね。 (。>0<。)
痛み止めの小さな点滴の袋が 一番長く 1週間続きました。 朝晩 約20分間。
これが終わった日には 晴れて自由な気分になりました。(笑)

 飲み薬の痛み止めは 個人差で飲まなくても大丈夫だと思った時に 自己判断で中止していいとの話で
 「早めに止められるのなら 早いほうが体にいいですよ。」
と、看護師さんが言うので 2日間でやめました。

 

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 手術から4日目。 
院長先生の回診の後、傷の腫れ具合を見てもらって 傷口に防水シールを貼ってくれました。 このシールで抜糸の日まで 消毒をしなくてもいいし 入浴も可能になります。

といっても、まだ一人では歩けないので 第1日目は 看護師さんが左足にサランラップをぐるぐると巻いてくれ ビニール袋をつけてのシャワーのみですが…。
その上 見張り付きなので 落ち着いてシャワーも 浴びた気分ではなかったという本音。
でも、約1週間ぶりの シャワーは汚れが落ちて 本当に気持ち良かったです。
 温泉が湯治といって 長い間病気の治療に使われているのが 体験としてわかる…わ。



 続きは (o・・o)/~。

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2011年11月13日 (日)

お芋が いっぱい届いたよ。

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 今朝は ちょっと暖かい…。
落葉松が紅葉してきましたよ。 太陽を浴びながら 足取りは不器用ながら
枯れ葉そうじ。
こんなに 普通のことなのに とっても嬉しい

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 小さな焚き火が 出来るくらいの枯れ葉が たまった頃 メグタがワンワン吠え始めました。 宅急便のおじさんが やってきたのです。
 このおじさんは 宅急便屋さんなのに 犬が苦手なの。 家から はるか遠くに車を止めるのよ。 そして ちょっとばかり離れた場所(メグタの紐が届かない)から 小さな声で
 「宅急便 で す よ~。」と 叫びます。
駐車場は うちの中から見えるので 玄関を開けなくても誰が来たのか見えるのですが
このおじさんは メグタの鳴き方で 見なくてもわかります。

 こういう時 メグタは とっても意地悪な犬なのです。
わざと 大きな怖い声で鳴いている気がするのです。

 同じ宅急便や 郵便屋さんでも 犬には犬の見分け方があるのか 犬好きの人には
こんなわざとらしい鳴き方は しないんですよ。
全く鳴かないで 尻尾を振って遊んでいる時もありますし…。

 「ゴメンナサイ。 また鳴いて…。」
と 大急ぎで判子を取りに 家に戻って (と言っても 今日は気持ちだけ大急ぎで ゆっくりとですが)
でで見ると ちよちゃんからの「お芋」

 「来た、来た。 なんてドンピシャに 届くのかな~

 ありがとう。 ちゃんと届いたよ。
今から早速 焼き芋を作ってみます~。(-^〇^-)

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2011年11月11日 (金)

リハビリ(-^〇^-)

 朝から冷たい雨降り  
 「ついてないなぁ~。」
だって 今日はリハビリの日。 足に装具を素肌に装着させなくてはいけないので 足元がス~ス~寒い。 昨日買い物のついでに 買ってきたばかりのレッグウォーマー が いきなり 役に立ったのです。 とにかく 今朝はシンシンと 肌寒い…。


Img_0073_2  

 晴れていれば きっと どんなにか綺麗だろうと思える 最後の紅葉が 雨に煙っています。

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 ダンナの大嫌いな「三才山トンネル」で 出かけました。
この雨、運がいいのか悪いのか…通行量が少なくて 遅い車はいるものの 思いの外にスムーズに トンネルを抜けました。 
孫六トンネルを抜けたら急に渋滞?と 思ったら 最悪!
交通事故が起こっていました。

 本当にほんの数分~十数分前のことでしょう。
うちの車の数台前で 止まっています。
 「ずっと待たされるかな?」と 思って覚悟を決めかけたら 数分で前から車が流れ始めました。

 通り抜けるとき 見た事故現場は 中型バイクが転倒し 黒い軽自動車の正面が 潰れていました。 多分 この2台が原因でしょう。 それに誘導されたクルマがあと2台。
雨でスリップして スピンしたのか 事故を避けようとしてガードレールにぶつかったのか…。
4台の車が 停止していました。 バイクはグチャグチャでした。
怪我人の姿は見えませんでしたが すごい雨が降っていたので どこかに移動させたのかもしれませんが…。
携帯で電話をかけている人の姿も見えました。

 「事故だね。 怖いね。 雨でスリップしたのかな?」
 「車が反対車線で反対方向をむいてる。 どういうふうにぶつかったんだろうなぁ?
気を付けなくっちゃなぁ。」

そんな話をしていたら 救急車が2台 大急ぎで駆け抜けて行きました。
 「さっきの現場だね?」
 「だな。」



 そんな雨の中、予定よりも20分も早く 9時40分には病院へ到着しました。

 受付を済ませ、待つこと40分。
その間 2階のナースセンターに ご挨拶に顔を出しました。
懐かしい看護師さんたちは 
 「もう大丈夫なの?」「だいぶ歩けるようになったわねぇ。」とか 「元気そうね。」などと
皆さんで声をかけて下さって 嬉しかったです。
たった 1週間前には 私、ここで入院していたんですもんねぇ。 嘘みたい

 私と最初に同じ病室だった井手さんと 後半に同室だった84歳の中村おばあちゃんが
いつの間にか 同じ部屋になっていて 病室に顔を出すと 2人に感激されてしまいました。

 「私は今週末に 退院出来るのよ。」 
おばあさんは 顔をくしゃくしゃにして 笑いながらいいました。
 「私も 足首用の装具が完成したら 退院なのよ。」
足を骨折した井出さんも 私に報告してくれました。
 「よかったね。 \_(^◇^)_/\(*^^*)/ おめでとっ!!」

 整形外科の病院の良いところは こうして 笑顔で退院出来ることですよね。

      ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:


 さて、リハビリセンターへ戻って 静かに座って待っていました。

 正直、家に帰って 「歩き過ぎ~?」と思えるほど 歩いてしまったのです。
病院ではいくら歩いても ずっと立ったまま状態で ご飯は作らなくても出てくるし 自分のスペースはベッドしかないわけだから 時間が余ればごろんと していたんですもんね。
ほとんど 椅子に腰掛けているか、立っているか、歩いている自分の家では いきなり 
体に負担が大きかったのです。
帰宅 2日目には 山友達が 上高地から降りてきて泊まっていったので 疲労は2倍になりました。 足が疲れてくると 腰に疲れが溜まるのですね。

 そんな 日常生活にもなれた頃 夕方には装具の中の太腿が むくんでしまうようになりました。 これは勝手に 浮腫んでいる間は装具を外すという方法で むくみを解決しました。

 そんな風に 自己判断で生活していたので リハビリの私の担当の宮下先生に 呆れられて
 「毎週、リハビリに来なくては 駄目だね!」と 言われてしまうかも?と ちょっぴり心配していたんです。

 でも、そうはいっても 毎日のストレッチは ちゃんとこなしていましたし 昨日からはびっくりするくらい上手に歩けるように なってきていましたからね~。
山の生活は 想像以上に足に負担を強いるわけだし。


 宮下先生は 「いいですね。 順調に回復していますよ。」と 言ってくださいました。
 内心、「ホッ~ (^▽^)。」 一安心。

 「じゃあ、今度は片足で 立ち上げれるようにしましょう。」
 「この高さで左足だけで 立てますか?」

 「おっ??」 立てないじゃん!

 「まだ、立てないですよね? 怖いですか?」
 「気持ちは立ちたいんですけれど、足が言うことを聞きません…。」
 「いいですよ。 当然なんです。 これが出来て初めて歩けるようになることですからね。」

 そして 今度は片足で(怪我をした方の)立てるようになる為の 新しい課題を出されました。 片足立ちのストレッチが 追加です。

 「今度来たときには 出来るようになってますからね。」
 「頑張ります~ (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ 」

 そんな今日の 楽しいリハビリは おしまい。
次は 診察がある 11月30日です。 
その時には もう少しかっこよく歩けるようになれるかな?

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2011年11月10日 (木)

入院… ④

 今日は 本当に綺麗な 青空でした。

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 リハビリと称して メグタのお散歩のオマケで 私の大好きな原っぱに 出かけてみました。 この頃の ダンナの口癖は 「リハビリだよ! 歩け!歩け!」です。
やたらめったら 歩けばいいというものでもない 術後6週間の傷口ですけど…。
もちろん メグタは ダンナが引っ張って歩いてくれています。
ひょこひょこっぽい 歩き方の私は どうしても 置いてけぼりなのですが 途中で必ず メグタは 振り返って待ってて くれます。

 それにしても、やっぱり 安曇野は いいなぁ~。

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             キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 さて、今日は10月4日 「手術の日」のお話ですよ。

 手術の日は 朝から 何も食べてはいけません。
私の手術の時間は 午後1時からだったので 朝食と昼食の2回分を抜きます。
前日の夜に 浣腸もしてあるので 私の体の中には 食べ物がなんにも入っていない状態が 15時間も続いているわけです。

これを書きながら よく我慢できたなぁ~と 思ってしまうのですが 手術前の神経は多分とってもデリケートで 食事なんか取らなくても お腹が空いた~ぁとは 全然感じないのですよ。 これは多分 経験者は同じでしょ? 私だけじゃないはず。

 手術は 全身麻酔でした。
なので 手術室に運ばれて 血圧や心電図なんかをセットされて 腰に麻酔を打たれた状態で 足がポカポカとしてきて いつのまにか意識が朦朧としてきました。

って、ところで 私の記憶はないのですが…。

 次に 「何か声がする~みたい。」と思った時は ガタンガタンとベッドが移動中でした。
 「手術は終わったんだ~?」と 思いました。

 「声が聞こえますか~ぁ~? お部屋に帰ってきましたよぉ~ぉ。」
こんな感じで 少しずつ 世界が明るくなってきました。
意識は戻っているものの なんだか ムショ~に眠い~。

 「起きてるのかぁ?」
ダンナの声が聞こえます。
 「起きてるよ。」 だけど、だけど…だって 目を開けていられない~ってことが あるんだなぁ~(-.-)zZ (-.-)zZ  (´△`)Zzzz・・・。o○

 院長先生や リハビリの先生が 見えたことや 看護婦さんが術後の点滴を打ちに来てくれたことも 意識の中にはちゃんと確認できていました。
が、私の麻酔はよ~く効いていたらしく 完全に目覚めたのは 午後6時ごろでした。

 ダンナは夕方 院長先生のその後の経過を経過を聞いて 大急ぎで帰っていきました。


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 これが 私の切れた靭帯の内視鏡の写真。 ちょっと((((;゚Д゚))))ビックリだよね。

 下の写真も手術後に 先生が 手渡してくださった私の手術のレントゲンです。
自分の左足の筋肉を使った新しい靭帯は 左右2針ずつで つなぎ合わせてありました。(後で抜糸の時に 糸の数を数えたの) 傷はとっても小さなものでした。
膝の右側に 3センチばかりの傷跡があります。 この傷は内視鏡を入れた時の傷です。
4針縫ったので 今はその傷が一番大きな傷として残っています。

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 こんな話を 先生はダンナにしたんだろうけど 私はその時 半分ウトウトしてました。

 私の回復を待って 看護師さんが遅い夕食を 用意してくれました。
絶食状態だったので 小さなおにぎりを1つ やっと 食べるだけでお腹がいっぱいになりました。

 それから また 朝まで延々と寝て 手術から翌朝までほとんど こんこんと眠り続けたのでした。

  ということで、今日はおしまい。
明日は 1週間ぶりに リハビリに病院へ行かなくっちゃならないので お休みします。
 (o・・o)/~ (o・・o)/~

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2011年11月 9日 (水)

入院… ③

 森は 至るところで 大きなな紅葉が 終わりかけています。

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 それでも 私が帰ってくるのを そっと待っていてくれた…か のような 今 こっそりと色染いたかのような 小さな秋が 見え隠れしているのを見つけると ちょっと嬉しくなります。

 坂道やでこぼこ道の多い森の道は リハビリ状態の今の私には とっても歩きにくい小道です。
でも、この空気!冷たい風!~。
そして 黄色から茶色に変わっていく瞬間が 秋から冬へのフィナーレなのだから…。
今年も間に合って よかったです。

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  さて、10月3日 病院に着くあたりから 書き始めましょうか~。

 「モブログ」からの 投稿の記事「入院の日」 でも書きましたが、
入院初日 私たちは遅刻してしまいました。
 病院からは 「10時までに到着するように。」と 前回の診察の時に 看護師さんにくれぐれも 言われていました。 
 その朝、車は 7時50分には ちゃんと 穂高の家を出発したんですよ。
予定では らくらく 10時には 病院の受付で看護婦さんに お出迎えを受けている…はずだったのになぁ


 佐久市には 松本方向から行くとしたら 普通は三才山トンネル」を通って行きます。
以前 有料道路は開通から何年後かには 無料になるという話があったはずなのに
 いつまでたっても 500円を請求される有料道路が「三才山トンネル」です。
確かに「三才山」を登っていた時と比べたら 「トンネル」は 便利だし安全です。
が、うちのダンナに言わせると 
 「登攀車線が少ないので のろいダンプカーやバスの後ろに付いてしまったら 追い越せる場所がほとんどない。 せっかく500円も払っているのに 時間的にも精神的にも 疲れるwwww!」なのだそうな。

 それで この日も 「三才山」じゃない別の道で行くと言い出して
 「絶対に間にあうから大丈夫!」と自信満々で 出発しました。

 通ったのは 扉峠を突っ切って行くコース。
 「どうだ! いい景色だろう!」
私はと言えば 入院や手術のことで頭がいっぱいで せっかくの綺麗な景色を眺めて楽しむ余裕なんて 全然なかったわけです。 ごめんなさ~い m(_ _)m

 それよりも 「ねぇ、ねぇ。 間に合うの?」という方が 本気で心配でした。
だってね、出発してから2時間経っても 山道を走っていたんだから~焦るよね。  

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 それで 病院に到着したのは 10時30分。
あきらかに 遅刻ですよね。
受付で 声をかけると 2階の病室の看護婦さんが 大急ぎでやって来てくれました。

 「遅れてゴメンナサイ~!」
 「いえいえ、いいですよ。」

 私の最初の病室は 新館の2階 ナースセンターのすぐ隣。
手術を受ける人は まず ここかナースセンターの反対側にある個室に 入れられます。
新館は 要するに看護が必要な人の病室で 差額ベッドが必要といわれる部屋です。
 
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  取りあえず 私を無事に(?)送り届けてくれたダンナは ここで 早々に帰っていきました。
 「明日、手術の時に来るからね。」
 「ありがとう。」

 私の部屋は 2人部屋でした。
お隣さんは 44歳の右足骨折の お母さん。 19歳のお嬢さんがちょうどお見舞いに
やって来ていたところでした。

 「こんにちは。 よろしくお願いします。」
 「こちらこそ よろしく。」
 持ってきた荷物を 備え付けのテーブル等に 片付けて 持参のパジャマに着替えて…
その後は……。
 なんか 私のこと忘れていない?って 思えるほどの長い時間 何にもすることがない。
仕方がないので ちょっと松葉杖で 2階の散策…とか。

 初めてのお昼ご飯が 終わった頃、看護師さんたちが動き始めました。
手術の説明が始まります。
 私のベッドの周りには 写真のような酸素呼吸器や もしもの為の準備品が並び
前日の注意事項を書いたプリントが 手渡されました。
手術に向かって 準備は着々と進んでいきます。

 「夜の9時以後は 水以外何も食べてはいけません。
消灯前に 浣腸をしていただきます。」
 「わかりました。」
 「夜は 眠れそうですか? 眠れないようでしたら睡眠薬を用意しますが?」
 「大丈夫です。 眠れると思います。」 


★゜・。。・゜゜・。☆゜・。。・゜゜ 消灯時間は 9時ですよ ★゜・。。・゜゜・☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 
長くて短い 夜が更けていきました。



   今日はこのへんで (o・・o)/~ 
明日は「手術の日」のお話です。 


  

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2011年11月 8日 (火)

入院するっていうこと ②

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 落ち葉の季節ですね。 
枯れ葉を集めて 落ち葉焚き。  
こっそり入れた アルミホイルに包んだお芋たち。 
ホクホク焼けるかな?  美味しいオヤツになるかしら?  
11月のちょっと 寒く感じる北風は 焚き火が暖かく思えます。
冬は もうすぐそこまで 来ているんでしょうネ。

                  

 さて、昨日の続きでも 書きますか~。

 入院が決まったのは 9月の中旬。
まだ 日本列島は 夏日が続いていた時期でした。
入院の説明をしてくれた看護師さんに 手渡された「入院のご案内」のパンフレットを見ながら 入院経験のない私が 一番 気になって質問したのは
 「入院中の服装は どんな物を用意したらいいのでしょう?」なんて お馬鹿なことでした。

 「手術後は ずっと 足に装具をつけたままで 過ごさなくてはいけないので 
ハーフパンツなどがいいですよ。」
 「わかりました

 「レンタルパジャマは 80円。 持参のパジャマを使用しても構いません。」と 入院の持ち物の所には 記入されていましたし、洗濯機・乾燥機もあるとの事だったので 入院中の着替えは安心でした。

 お気楽な私は その数日後には 秋風が吹いて 夏の服しか1階には置いていない~という現実に オタオタしたのでありました。

          


 でも、その前に1週間後の通院の日までに 装具の注文というのが ありました。
今も 私の左足に収まっている安全用の装具なのですが…。

 昨日の「靭帯の話」の中でも 登場してきますが 靭帯が切れてしまった時には
不安定な膝を固定する為に 怪我をした後から手術後の安定期まで 足に装具を付けて
日常生活をしなくてはなりません。
それが 特注なので どう考えても 超高額です。
請求書に書かれた想像もしなかった金額に 「ゼロがひと桁間違ってるんじゃ??」と  思わず顔が引きつってしまいました。

 「何処から お金を出したらいいのか?」と 咄嗟に考えてしまう金額ですよ。

 だってね、77,000円と書かれていたんです。 
これって 我が家には大金ですよ。
 「入院も手術もしないうちから この金額~?!」
と、正直 思ってしまった…わけです。
「靭帯の話」の中では10万円程度と書かれていたので 平均よりも格安で良心的なのかもしれませんが…この時はまだ 靭帯損傷がどんな風に 治療されるか?ってことすら 知らなかった 私には…まったく 痛い金額だったわけですよ

 正直にそれが顔に現れてしまったのでしょう。
 「高い金額ですが 申請すれば 7割が返ってきますので 数ヶ月後には53,000円程度が入金されますので。」
と 装具の業者のおじさんが 申し訳なさそうに 言われました。
それだって 2万4000円の出費ですもんね~。
痛いことには代わりがないし 取りあえず 現金で払わなくてはならないというシステムも痛いですよね


 それから1週間後 入院まで後2週間。
装具と松葉杖での 日々でした。 
お風呂に ドボンと入れないのが 辛かった~かな。
その間 留守中の買い物のコツや 簡単なオカズの作り方を ダンナに伝授したり。

 長いようであっという間に 時間は過ぎてしまいます。
メグタの お散歩も ずっとおあずけ状態で ダンナが暇な時間に 連れて歩いてくれました。 ご苦労さん。


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 入院までの日にちが カウントダウンされていくと 平気だったはずの気分も何だか 不安が大きくなって来た気がしました。
着替えや洗面道具、シャンプー・リンスなど 入院用雑貨や必需品を確認したりしていると
真近になるほど 持っていこうかしら?と思える品物が増えてくる…し。

 整形外科の入院だから リハビリのない時間はいったい 何をして過ごせばいいのか?とか 見えない入院生活の始まっていない不安まで 心配してしまったりする始末でした。
 わたしって (´・ω・`)ショボーン 小心者だよね。 

 『手術までに足の曲げ伸ばしを 練習しておくように!』
と 院長先生に 言われていたので 夜寝る前には 必ず 曲げ伸ばしのストレッチをしていました。
使わない足は 筋肉がなくなって 細くなってしまうんですよ。
 「足を曲げるという事に 怖さを感じる患者さんが多いので 慣れておいてくださいね。」
と ダンナにこの病院を紹介してくれたリハビリの先生からのアドバイスも
きちんと守って練習しましたよ。
 でも、やっぱり 「手術」は 怖いし緊張しますよね。

 「もう、仕方ない。 まな板の鯉だ!」的心境で 
10月3日 佐久市の雨宮病院へ向かって 出発したのでした。


   ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆ 続きは 明日 (o・・o)/~

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2011年11月 7日 (月)

入院するっていうこと ①

 事件の起こったのは もう記憶のずっと前のこと…。

 そんなふうに感じてしまうのは 怪我から入院生活までのリハビリの日々~
時間で言ったら ほんの2ヶ月弱の短い期間~が 今までにはない日々で 変化に富んでいたからでしょうかね

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 そもそもの原因は  このメグタ。
ずっと以前の9月の記事に書きましたよね。

 そして 私の怪我の正式名称は 手術前には 「左膝前十字靭帯損傷」でした。


 診察初日。
私は 本当に歩くこともままならず 病院の玄関先でまごまごしている姿に 見かねてか
看護師さんが 大急ぎで車椅子を 持って走って来てくれました。
予約をしていたので 思っているよりも早く治療が始まりました。
初診が終わって レントゲンを撮ることに… その後 MRIも撮りました。

 そして院長先生の言葉は
 「やっぱり 靭帯が切れていると思います。 手術をしましょうね。」 という一言でした。

 病院に行くまでは 大丈夫だといいな…というささやかな願望と 
強烈な痛さと歩けない状態…こんなんじゃ手術も有り得るかも?と 湧き上がってくる不安。

 「やっぱり…
その時には もう自分の中では 手術をするという事に納得している自分がいました。
もしもの手術のために 安曇野から 2時間もかかる遠い佐久市まで 診察に来たのですから。

 「手術は 11月4日にしましょう。 入院は前日で。」
 「はい、わかりました。」  
 

 手術までに 3週間。
入院までは 松葉杖の生活です。 松葉杖で両手がいっぱいなので 重たい荷物を運んだりできません。 でも 人間って困難な状態になればなるほど 生活の知恵が働くものです。 片足に体重をかけて 松葉杖もなかなか 上手に操れるようになってくるものです。
荷物はリュック等に 入れて持ち運びました。


 ところで「十字靭帯損傷」って どういうことなのかな?
自分の体のことなのに こういう風に 怪我でもしないと 知ろうともしないのが現実ですよね? 私だけじゃないはず…? モジモジ(。_。*)))


で、この便利な時代ですからね。

無知な私でも 簡単に理解できるHPは ないものか?と調べてみましたよ。
そして 見つけました。
kobudoさんという方のブログです。
 わかりやすい「十字靭帯」の話。 
その上 手術の経験者なので これから手術を受ける私に 「こういうものなんだ」と
見えないなりにも ちょっぴり光がさしている明るいイメージを持たせてくれました。

 感謝です。
恥ずかしながら スポーツで靭帯を切ったのではありませんが 私のようにほんのちょっぴりの間が悪い瞬間に こういうアクシデントは起こりうるものなのです。
 
 何かのうんちくの為に 靭帯の話を知りたい方・ちょっと時間がある方
知っていて絶対損はないはず。 必要な部分だけコピーさせていただきました。

 参考の為に 長くなりますが 一度は読んでみて くださいね。 

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ACL」は「Anterior Cruciate Ligament」の略で、日本語では「前十字靭帯」(ぜんじゅうじじんたい)と言います。

前十字靭帯は、膝の下の骨(骨、骨)が内側に回旋し過ぎたり、前方に出過ぎるのを防止する機能を持っています。この機能により、急激にストップしたり、方向転換したりしても、膝の安定性が保たれているのです。

一本の紐のようにも見えますが、細い繊維が束になっているような構造をしており、一番外側には膜のようなものがあり血管がとおっています。

前十字靭帯には「メカロリセプター」と呼ばれる人体センサーが豊富に含まれており、膝の角度や膝にかかっているストレスなどを神経をとおして脳に伝えています。このセンサーによって、自分の眼で膝を見ていなくても、膝がどういう状態にあるのかを感じることができ、通常は、膝に安全な動き方をするように脳が制御しています。

膝には4種類の大きな横綱級の靭帯があります。

「前十字靭帯」、「後十字靭帯」、「外側側副靭帯」、「内側側副靭帯」の4つです。

膝の解剖図(クリックすると別ウインドウで拡大表示します。)

前十字靭帯をはじめとする膝の大きな4つの靭帯は、かなり丈夫にできており、ちょっとやそっとのことでは損傷しません。

しかし、膝は非常に複雑に精密にできており、微妙なバランスのうえにその安定性を保っているものですから、膝の角度や外力の加わる方向によっては、案外簡単に損傷してしまうことがあります。

前十字靭帯は伸びたものが元の長さに縮んだり、切れたものがほうっておいてくっつくことはありません。

ただし、損傷後すぐに特殊な装具を用いることで前十字靭帯の自然修復を試みる治療法もあります。

損傷するケースは「交通事故」と「スポーツ」が多いです。

交通事故では、バイクの転倒や衝突、自動車に跳ね飛ばされる(特に膝の裏側に強い力が加わったとき)などのケースが多く、交通事故の場合は前十字靭帯だけでなく、その他の膝靭帯や半月板も、ひどいときには膝関節軟骨も損傷を受けることがあります。

スポーツでは、サッカー、バスケット、ハンドボール、バレー、ラグビーなど、急激に方向転換したり、トップスピードで走ったり、急にストップしたり、切り返したりなど膝に大きな力が加わる競技及びタックルなどで予期しない外力が加わるような特性のある競技で多く損傷が発生するようです。スノーボード、スキーなどの膝を捻りやすいスポーツは、前十字靭帯はもちろんのこと、半月版や他の膝靭帯損傷の可能性が高いと言えます。

前十字靭帯損傷の典型的な膝の状態を「knee in toe out」といい、「膝が内側に入り、かつ、つま先が外側を向いている状態」で踏ん張ったり、膝を伸ばしたり、急にストップしたり、高いところから着地したりといった動作をした場合に容易に前十字靭帯が損傷すると言われています。

2002年のシーズンにプロサッカーチームのコンサドーレ札幌に所属していた山瀬選手は、右ひざがこのような状態にあるにもかかわらず、後ろか飛んで来たボールに触れようと足を伸ばして踏ん張ったため、他人との接触プレーではなかったにもかかわらず、前十字靭帯断裂を負ってしまいました。コンディションが良くて、身体がキレていたからこそ足を出せたわけで、それが仇となってしまいました。このように、接触プレーなどで予期せぬ外力が加わっていない状態でも、勢いで膝の安全な使い方を逸脱してしまうと、自分の筋力で切れてしまうことがあるのです。

「前十字靭帯の損傷」は、完全に切れてしまう「断裂」だけでなく、靭帯が「伸びた」状態も含み、もちろん部分的に「断裂」している場合も含みます。前十字靭帯は、完全に切れてしまった場合はもちろん、部分的に切れたり、伸びた状態でも、正常にその機能を発揮することができず、膝の安定性に大きな影響を与えます。

前十字靭帯が損傷したまま、トップレベルでスポーツを行うことは、ほぼ無理と言われています。

例外として、プロサッカー選手の「城選手」は、高校時代にACL損傷を負いましたが、膝周りの筋力を鍛え、ACL損傷を意識した膝の使い方をマスターすることでトップレベルで競技生活を続けていると言われています。(どこまで本当なのかは不明ですが、ACL損傷を理由に欧州のチームが獲得に二の足を踏んだと言う噂もあります。)

レクリエーションレベルでのスポーツであっても、前十字靭帯を損傷したままの素の膝では、危険です。膝の使い方によっては、いわゆる「膝崩れ」(前十字靭帯を損傷しているために膝の回旋や膝から下の骨が前方に異動しすぎるのを防ぐことができず、関節が正常な位置から大きくずれたりひねったり、脱臼状態のような感じになること。)を起こすことがあり、膝崩れによって半月板、他の膝靭帯、関節包、膝関節軟骨などを損傷してしまう危険性があります。

膝崩れを何度も重ねていくうちに、膝組織の損傷が自然修復不可能な状態になってしまい、その刺激によって「変形性膝関節症」という非常にやっかいな病気を発症してしまう可能性が高まります。変形性膝関節症は文字どおり膝関節が骨から変形してしまうため、膝関節が正常に動くことができなくなり、進行すれば走るどころか歩行さえ困難になり、痛みも強いですし、正座もできなくなってしまいます。治療方法は筋力増強による膝関節の保護、痛み止めの服用や注射、装具による膝関節保護、手術による人工関節置換などがありますが、どれも膝を元の状態に戻すことはできず、痛みや不便さとずっと付き合ってゆかなければなりません。

前十字靭帯には「メカロリセプター」と呼ばれる人体センサーが豊富に含まれており、膝の角度や膝にかかっているストレスなどを神経をとおして脳に伝えています。このセンサーによって、自分の眼で膝を見ていなくても、膝がどういう状態にあるのかを感じることができ、通常は、膝に安全な動き方をするように脳が制御しています。予測できない外力が加わったりした場合や前十字靭帯に力がかかりやすい動作をトップスピードやフルパワーで出していた場合は、センサーが危険を感知して脳に知らせても回避できないことがあり、その結果、前十字靭帯に過大な力が加わって前十字靭帯が伸びる、切れるなどの損傷を受けることになります。

前十字靭帯が断裂したときは、「ブチッ」とか「ゴリッ」とか「グキッ」などの異音がすると言われています。周りにいた人達が聞くこともありますし、本人だけ聞こえる(骨を伝ってくる振動を感じているのかもしれません。)こともあります。

音と同時に、かなりの痛みを感じるはずです。この痛みが、前十字靭帯そのものの痛みなのか、同時に損傷した他の靭帯や半月板や関節包の感じる痛みなのかはわかりませんが、「これはまずいな」とかんじくらいの深い痛み(わかりますか?この感覚。)を感じるはずです。

前十字靭帯が断裂した場合は、関節内に出血を生じ、数時間すると大きく腫れます。

受傷直後でも足を地面に着けないほどではない場合が多いようですので、歩き出すなど動き始めたら膝の不安定性に気づくことになります。運が悪ければ、この段階で膝崩れを経験して、前十字靭帯以外の膝組織も損傷を受けてしまうかもしれません。

膝の靭帯の怪我が疑われる場合は、自分で動こうとせずに、救助を待ちましょう。

靭帯が切れた写真 (クリックすると別ウインドウで拡大表示します。)

膝の裏側から強い衝撃を受けたか?

knee in toe outの状態で膝を強く伸ばしたり着地したりしたか?

膝の外側やや後方からタックルを受けるなど膝関節が内側に入り込むようにねじれたか?

スキーやスノボで膝を激しくねじったか?

ボールを蹴る動作の膝を伸ばした状態のときに膝から上の部分を押さえるように相手の身体や足がぶつからなかったか?

膝に痛みを感じたときに「ゴリッ」、「ブチッ」などの異音を感じなかったか?

これまでに経験したことの無い痛みか?

立ち上がったときに膝に不安定感(グラグラ、関節が浮いてる感じなど)を感じるか?

膝が大きく腫れてきたか?

膝を90度曲げてふくらはぎ部分を膝前方にゆっくりと押し出すようにしたときに関節の緩み(異動)が怪我をしていない側より大きいか?(人によっては断裂していると、目で見てわかるくらい、1cmほども膝関節の下部分が前方に移動してしまうことがあります。受傷直後は痛みで膝関節が硬直しているはずなので、判断は難しいと思います。)

簡単なチェック方法を紹介しましたが、怪我したときは自分も周りも興奮していることが多いので、冷静に判断できない可能性があります。膝に違和感を感じたら安静にして、時間をあけて落ち着いてから再度チェックしてみてください。

前十字靭帯を損傷していても、2週間もすれば痛みや腫れがひいて支障なく歩いたり走ったりできる場合がありますので、治ったと判断しないで、面倒でも膝の専門医のいる整形外科で診察を受けてください。

前十字靭帯の損傷に限らず、膝に経験したことの無い嫌な感覚がある場合は、できるだけ安静にして、体重をかけたり捻ったりしないように注意してください。なんらかの膝装具(ニーブレイス)をお持ちの場合は、それを慎重に装着したうえで膝に負担のかからないように安全な場所に異動してください。

痛みを感じたら、まずはしっかりと冷やしてください。

氷などで10分から15分くらい、膝全体を冷やしてください。凍傷になってしまうほど冷やす必要はありませんが、暖まりきらないうちに膝関節をひやすことを繰り返してください。

冷やすと痛みが若干和らぎますが、無理をしないで安静にしてください。

必ず膝の専門医のいる病院を探してください。

膝の専門医のいる病院を探してください。

日ごろから情報を集めておくことも必要ですが、緊急時には消防署や自治体のサービスで教えてくれる場合がありますので、電話をかけて確認してください。(病院によっては「膝の専門外来開設しています」といった表示や案内をしているところもあります。)

膝の怪我の診断は、経験が豊富でなければ誤診してしまう可能性が非常に高いと認識してください。整形外科医と言ってもそれぞれに大学で研究していた専門や医師になってから専門に診察や研究を続けている分野はそれぞれの医師で違います。膝の怪我については、必ず膝を専門としている医師に診てもらうようにしてください。

休日など当番病院しか開いていなかった場合で、その病院に膝の専門医がいない場合は、その場で応急処置を受けることは特に問題ない場合がほとんどと思います。翌日からは積極的に病院を変えてかまいません。病院を選ぶ権利は患者側にあります。

レントゲンは骨しか映りませんので、レントゲンだけで靭帯や半月板や軟骨に損傷がないかどうかはわかりません。

膝の専門医は前十字靭帯の損傷を診慣れているので、簡単な手技テストを施すだけで、前十字靭帯が正常に機能しているかどうかを判断することができます。具体的には、膝を90度に曲げてベッドに寝た状態で医師がふくらはぎ部分を持って前方に引き出したり、膝関節の上下を両手で前後左右に動かすなどして関節の緩みをチェックしたり、膝をわざと不安定な角度に保持して伸ばしたり曲げたりして関節のずれなどをチェックしたりします。

痛みがあるうちは、関節周りの筋肉も緊張しているので正確に手技テストが出来ない場合があります。

前十字靭帯を損傷したり、半月板の血流のある部分を損傷すると、膝関節に注射を刺して関節液を抜いたときに出血が確認できます。関節液に出血がある場合は高い確率で膝のどれかの靭帯が損傷しています。

怪我した後に膝崩れ(giving way)を起こしたとか、階段を下りるときに膝に不安感を感じるとか、歩くたびに音が鳴る、膝に不安定感を感じる、正座から立ち上がるときや膝を組んだり解いたりしたときに膝関節が外れたような感じになることがある、などの症状も前十字靭帯損傷の可能性を示します。

膝を伸ばしてベッドに寝た状態で膝の前方への引き出しテストをする機械もあります。機械が前方引き出してストをやってくれて、数値で緩み具合が表示されます。怪我していない側の膝の数値と比べることで異常がわかります。(正常値は健常側との差が5mmまで)

手技テストにて前十字靭帯の損傷が疑われる場合は、MRIで膝の内部を撮影します。

MRI画像には、靭帯、軟骨、半月板も映りますので、異常がある場合は画像として表れますので、より正確な診断が可能です。

半月板が損傷がMRIでわかっていたら部分切除や縫合などの処置をするためと、切れている前十字靭帯を取り除くために、関節鏡による手術を行うことがあります。(私は関節鏡手術を受けました。)

前十字靭帯が切れているかどうかを確認するだけのために関節鏡手術を行うことはほとんど無いと思います。なぜなら、膝の専門医であれば、手技テストとMRI画像でほとんど診断が着けられるからです。

関節鏡手術は、多くの場合は半身麻酔で患者は意識があります。手術中に膝の中の様子をモニターで見せてくれますので、前十字靭帯が切れているかどうか、その他の組織は大丈夫かどうか?を自分でも確認することができます。

合併症

前十字靭帯を損傷した場合、同時に半月板や膝関節軟骨を損傷している場合があります。
内側側服靭帯も損傷しているケースも多いようです。

前十字靭帯の再建手術を受けずに、切れたままにすることも選択肢の一つです。

再建手術を受けなくても、切れてブラブラしている靭帯を切除したり、合併症の半月板損傷の処置をするなど、関節鏡手術を受ける場合はあります。

一般には、特にスポーツをしないとか、仕事や年齢の関係で長期間のリハビリが不可能であるとかいったような場合で、膝の不安定性がひどくない間は、再建手術を勧めず、筋力トレーニングと安全な膝の使い方の習得だけで対処する場合があります。

手術をしない場合は、手術による膝関節組織へのダメージは無いというメリットがあります。

前十字靭帯を自己組織(人口靭帯を使用する場合もあります。)を移植することで再建する治療方法です。

手術が成功し、リハビリも指示にしたがって適切に行えば、約6ヶ月~1年後には、スポーツに復帰可能です。

完全に元の感覚を取り戻すことはできないかもしれませんが、スポーツを続けたり、仕事が力仕事であったり、よく歩く仕事の場合や、年齢が20台後半くらいまででアクティブに動くのあれば、膝の安定性のために再建手術を選ぶ場合が多いようです。

ただし、リハビリは自己流では危険で、必ず経験豊富な医師や理学療法士の指示に従って、長期間(最低でも6ヶ月、長ければ1年)リハビリを行わなければなりません。怪我をした後の安静状態によって怪我した方の足の筋肉が劇的に細くなってしまっていますので、それを戻すためと、神経的なバランスを取り戻すのに時間がかかります。

また、入院期間は病院や医師にもよりますが、だいたい4週間程度です。

1.BTB法

膝蓋骨と脛骨の間にある膝蓋腱の真中の1センチ程を上下に骨を付けて切り取って、これを前十字靭帯のかわりに移植(スクリューやステープルで固定)する方法ですこの方法では、腱が十分に太く丈夫で、骨と骨はくっつきやすいという特徴があります。 一方、腱を切り取った部分に痛みが残り、膝を着くことが辛くなる場合があります。以前、読んだことのあるスキーの雑誌では、この方法が「ゴールデンスタンダード」と呼ばれて多用されていたことが紹介されていました。 スクリューやステープルは、手術してはずす(抜釘という。)場合とはずさない場合があるようです。(私の場合はスクリューをはずさないでよいとのことでした。)

2.STG法

膝の内側にある半腱様筋腱と薄筋腱のうち、膝を深く曲げるときに使われるものの一部を切り取って折りたたみ、前十字靭帯の変わりに移植(スクリューやステープルで固定)する方法です。この方法では、手術の傷が小さいことや腱を切り取った部分に痛みが残らないという特徴があります。一方、膝を深く曲げる力(屈筋力)が弱まることがあります。(トレーニングで十分にカバーできます。)ボルトやステープルは、手術してはずす(抜釘という。)場合とはずさない場合があるようです。

3.人工靭帯

慶応大学出身の医師が採用する例が多かったとの情報をいくつか眼にしたことがあります。 Jリーガーのエスパルスの選手(堀池選手だったか大榎選手だったか?)が人口靭帯で再建手術したとの記事を読んだことがあります。人口靭帯は4年で8割が切れるといった記事を読んだことがありますが、真偽のほどは定かではありません。基本的にスクリューなどで固定されていますので、手術後のリハビリが早く再開でき、移植靭帯の成熟を待つ必要が無いので復帰までの期間が短く出来るメリットがあります。

チタンだそうです。チタンは骨との親和性が高いようです。

ちなみに、空港のセキュリティチェック・ゲートではブザーは鳴りませんでした。

前十字靭帯が切れていたり伸びている状態では、膝の安定性が悪いので、激しいスポーツは膝にとって危険です。

容易に膝崩れを起こし、膝関節組織が傷んでしまいます。「軽くスキーでも・・・」と甘く考えてはいけません。素の膝のままだと、スキーやスノボ特有の膝のねじれに対応できず膝崩れを起こす可能性が非常に高いのです。

したがって、スポーツを続けたいという場合は、再建手術を積極的に検討するべきです。

一方、あんまりスポーツはしないと言う場合は、再建手術をするデメリットの方が大きい場合があります。再建手術では自己組織の一部を切り取ったり、骨に穴を開けたり、膝関節組織へのダメージはそうとうなものです。再建手術を契機にして変形性膝関節症が発症するケースもある(特に女性に多いようです。)くらいです。また、リハビリはそうとうにきつく、長期間にわたります。仕事をしていたり家族の世話をしなければならないなど、自分の時間を多く取れない場合はせっかく手術を受けても適正なリハビリを行うことができずに、手術の成果を無駄にしてしまう場合があります。

しかし、スポーツ以外でも、膝崩れは起こります。ちょっとした段差を飛び越えたとき、階段を降りているとき、坂道を下っているとき、正座から立ち上がろうとしたとき、足を組んでいてほどこうとしたとき、電車が急に揺れて踏ん張ったとき、人ごみで押されて倒れそうになったとき、など様々な場面が膝崩れの可能性を持っています。

再建手術をしなくても、日常生活では、さほど膝の安定性に影響が出ない人もいますが、数年経過してから急に不安定性が強くなるようなケースもありますし、最初から膝の不安定性が強く出る人もいますので、症状は人によってまったく違います。

これらの諸事情を勘案して、不確実な部分もありますが、それぞれの治療方法のメリットとデメリットを比較して、自分にとってのメリットが最大の治療方法を選択すべきです。どうするべきかは自分で決めなければなりません。

私が受けた半月板一部除去及び縫合手術の傷跡の大きさ等は以下のとおりです。

● 膝頭下部の左右に1針縫うくらい(1cm)の傷→関節鏡と器具を入れるための切開跡。

● 半月板の縫合をする場合は、膝の左右に3針縫うくらい(3cm)の切開が必要です。

私が受けたSTG法による傷の大きさ等は以下のとおりです。

● 膝下内側のあたりに5針縫うくらい(3~4cm)の傷→移植用の腱を採取するためと靭帯を通す穴を開けるための切開跡。

● 膝上外側のあたりに1針縫うくらい(1cm)の傷→移植用の靭帯を通す穴を開けてスクリュー止めするための切開跡。

● 膝頭下部の左右に1針縫うくらい(1cm)の傷→関節鏡と器具を入れるための切開跡。

これらの傷は、手術から約4年経過した時点では、色はあまり目立たなくなっています。お風呂に入ったりすると傷跡が少し赤みをおびるので目立つかもしれません。男性なら気にするほどのものではありません。色白の女性でミニスカートを履く場合は気になるかもしれませんので、傷口が広がったり盛り上がったりしないように、専用のバンソウコウのようなもので押さえておく方法があるらしいです。

前十字靭帯損傷の診断を受けたら、再建手術をする場合もしない場合も、ニーブレイスを作るように医者に言われます。通常は病院に出入している装具屋さんで採寸してオーダーメイドで作ることになります。値段は10万円以上しますが健康保険で手続きすれば後から戻ってきます。

ニーブレイスを装着していれば、前十字靭帯を損傷していても、再建後の弱い靭帯でも、ある程度は異常な膝の動きを抑制してくれますので、リハビリやスポーツ活動や日常生活における膝の安全のために必要です。ただし、ニーブレイスをしているからといって過信は禁物です。

各種メーカーがあり、それぞれに特徴があります。メジャーなところでは、GⅢ(カナダのスキーチームで開発されたとか)、CTi2(案外コンパクトで軽い)などがあります。

手術後しばらくは膝は腫れて水が溜まっています。

腫れがひくのと水が溜まらなくなるのは個人差が大きいようですし、同様に痛みを感じなくなるまでの期間も個人差が大きいようです。

長い時間歩いたり、リハビリした直後に必ず氷嚢で患部をアイシング(膝全体を15分程度)しました。

手術後は、しばらく患部は固定状態であまり動かしませんから、毛細血管が退化してしまうようで、それに伴って足を下に下げていると浮腫んでしまって痛みを感じる場合があるようです。

なので、手術後のむくみを防止するためには、日ごろから毛細血管の発達を即すような持久系の運動を続けておくということでしょうか。怪我してからも手術までの間に、エアロバイクなど膝に不可の少ない運動で持久系の運動をしておくとよいと思います。

これは前十字靭帯の手術に限らず、大きな怪我をした場合や大きく切開する手術を受けたような場合は、患部が冷えや気候の変化で痛み出すことはありますから、この手術に特徴的な症状ではないのだろうと思います。ただ、膝は案外冷えやすいものですから、できるだけサポーターなどで保温してあげるとよいと思います。私は冬の屋外での作業(除雪作業など)のときは、ウエットスーツ素材のようなものでできたサポーター(スポーツ店に行くと売ってます。)で保温しています。

半月板の一部切除や縫合をした場合、半月板が経年変化を起こして痛みなどの症状が出ることがあるようです。これは手術をしていなくても加齢と共に半月板の異常が生じる場合もありますから、あまり気にしても仕方がないと思います。でも、手術をしたことで膝に大きな負担をかかえているわけですから膝のケア(運動後のアイシングや寒冷時の保温)は十分に気をつけるべきと思います。

前十字靭帯損傷時に半月板を損傷していたり、膝関節軟骨を損傷していたりした場合、それが刺激になって膝関節の骨が変形してしまう変形性膝関節症を発症する場合があります。また、再建手術を契機として変形性膝関節症が発症する場合もあるようで、特に女性に多いようです。手術による膝関節へのダメージが影響するようですが、膝関節組織になんらかの異常が生じていることによって微妙なバランスの上に成り立っていたものが崩れてちょっとした角度の変化などが影響する場合もあるようです。

したがって、前十字靭帯再建は手術をしたら終わりではなく、リハビリはもちろんのこと、保温や運動後のアイシングなどのケアが重要なのだと思います。


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 最後まで読んでくれて ありがとう。 m(__)m
これで あなたは 靭帯がよーくわかったはず。
私のように ならないように 気を付けてね

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2011年11月 6日 (日)

ただいま! 安曇野☆彡

 11月4日 金曜日。 待ちに待った 退院の日

天気は快晴。 こんないい日に雨なんか降るわけないよね~。
入院から 1ヶ月と1日。
長かったなぁ…(しみじみ)

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 ちょっぴり不安を抱えて 安曇野を後にした10月3日
病院のある佐久平は こんな感じ。 稲刈りが始まり 田んぼのあちこちに忙しそうに動き回る人々の姿が見られました。
今年の秋は 例年になく暖かいとは言うものの…。
さすがに 1ヶ月後の景色は ずいぶんと 薄ら寒くなってきました。

 今は 田んぼは すっかり 稲刈りの終わった 寂しげな景色です。
朝には 霜も降り始めました。


 朝一番で 担当のリハビリの先生に 一週間分のストレッチのメニューと 追加の新しい体操も教えていただきました。 10時には 荷造りも終わり いつでも帰れる状態に~。

そんなこんなしているうちに、ダンナさんがお迎えに

 お世話になった看護婦さんや、先生に挨拶をして 同じ病室のおばあさんにお見送りをされて (o・・o)/~

 いざ 我が町 安曇野へ…。

 「m(__)m ありがとうございました。 佐久の皆さん。 佐久市ののんびりとした毎日が 大好きになりました。 本当にお世話になりました。」


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 安曇野までの帰り道、ダンナは 素敵なドライブコースを選んでくれました。
佐久から 大河原峠を通って 女神湖白樺湖霧ヶ峰からビーナスラインを走るコースです。

 空は真っ青。 時々 ひつじ雲が ぽっかり。


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 蓼科山をぐるりと回り込み 枯れ野原となっても綺麗な霧ヶ峰を通過。
途中 数十年ぶりに クリムゾンヒュッテに 顔を出して みました。
 「わぁ~! 久しぶり! どうしたの? 元気にしていた?」 
何年経っても 全然変わらないという 懐かしい笑顔が とっても嬉しかったです。

「今日は絶好のビーナスライン日和」とのお墨付きを頂きました。 

クリムゾンの皆さん。 「突然 伺ったのに ありがとうございました。」


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 「ただいま戻りました。」
懐かしい 我が家の紅葉です。

          
 
一番の紅葉のピークは 越えていましたが 森が黄色に染まっていました。

 「やっぱり 落ち着くなぁ…」です。

 お待ちかねのメグタが 大喜びで迎えてくれました。
ほんとうに 心から 「ただいま…。」です。

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2011年11月 1日 (火)

早いなぁ…11月になりました

早いなぁ…11月になりました

暖かい11月が始まりました。

いつもの年なら
きのこ取りやら 落ち葉焚きやら
そんな安曇野の自然の中で
そろそろ冬支度…なんて 考えている時期でしょうか?

3週間の入院と思って 10月末までには
家に帰っているだろうなんてお気楽に入院したものの
まだ 入院中 (-.-;) なのよね。

あと 2日で 1ヶ月になってしまいます。
長い…よね。
普通は これくらいか〜?
世の中の常識から いつもちょっとズレているらしい私は 今頃 大変!と 焦っております。

なんとしても 今週こそ 退院するぞぉ〜
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

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