ニイハオ !~天津 ①
中国・北京 はじめての朝です。
今日は 天津に行きます。
天津には 旧日本租界地や ラストエンペラーの溥儀が過ごした静園など 日本にも関わる史実があります。
(ここは 顔恵慶の邸宅として建てられ 1943年からは満州国総領事館でした)
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起床はツアーのスケジュールで決まっていて AM 6:00にモーニングコールが入ります。
朝食は AM 6:30 出発がAM 7:30 の予定です。
「時間厳守で」と 釘を刺されました。
5月26日(土曜日)
(予想気温は 33度になると 前日のガイドさんが話していました。)
北京の朝は 靄(もや)っています。
「朝靄だぁ~。」と私が 喜んでいると 東京に住んでいる妹が きっぱりと否定。
「それって スモッグでしょ? 光化学スモッグか黄砂じゃないの?」
「 ! そっち…かぁ
。」
正解は やっぱり スモッグでした。 北京の空気は 喉が痛くなるほど…。
空気のいい信州住まいには 厳しい。
この窓から4回の朝日を毎日眺めましたが この風景は毎日続きました。
ちょっと見は 綺麗なんだけれどね。
ホテルの朝食は こんな感じ。
朝から豪勢でしょ?
朝から食べすぎじゃん!(笑)
生野菜を食べない中国では ホテルのサラダが唯一 生野菜を食べられる場所です。
大きな国の中国は 野菜も大きく 大味ですがみずみずしくて 美味しい。
特にプチトマトは甘くて 一番美味しかったな。
さて 北京から天津へ向けて バスは進みます。
道路は広く 車がいっぱいですが 、
「土曜日なので 通勤ラッシュがなくて 今日はよかったですね~(笑)」と ガイドさんが言っていました。
「月曜日になると わかりますよぉ~(笑)」
だって。
大きなビルやマンションが立ち並ぶ北京から郊外に出ると 風景はいっぺんにのんびりのどかな田舎の風景になります。
なぜだか 高速道路の周りには こんな大きな柳の木が 延々と 植えられていました。
中国イコール柳 って ほんと イメージにピッタリな気がします。
「柳って 中国っぽいよね~(笑)」と妹に話すと
「うん、うん。 わかる! ポイねぇ~(笑)」」と 即 頷いてくれました。
水墨画って 柳だっけ?
天津は港と川の街です。
こんな綺羅綺羅(キラキラ)な橋を渡ると 天津市内に入ってきます。
バスの中で 旧租界地といわれる通りを車中から眺めました。
天津には日本の他に イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、オーストラリアなど多くの国が 1858年のアヘン戦争以後 次々と租界地が置かれ
1943年に帰還されるまで続きました。
満州国総領事館跡(最初の写真の建物)や 張園(は日本領事館跡地ですが現在は使われていないそうです)など
租界地跡には いろんな国の それぞれ特徴ある立派な建物が 残っています。
天津は 日本で言ったら 「横浜」みたいな中国なのに外国のような異国情緒漂う面影があります。
大きな川や港もあって明るく綺麗です。
バスじゃなくて ゆっくり歩いてもステキな 感じでした。
その後 ガイドさんに連れられて 旧日本租界地を歩いて 回りました。
外国の大きくて綺麗な建物と違って 日本租界地は 現在の中国人の生活の場所、
そのものになっていました。
日本で言ったら 港区の領事館が並んでいる辺りと お店がいっぱい並んでいるアメ横の通りくらいの差かな~。(アメ横の人 変な例で ゴメンナサイ)
道に並んだいろいろな商品。
カラッとしているものの 気温が30度以上もあるので あちこちで 独特な臭いが漂っています。
上から3枚目の写真は 魚屋さんですが 炎天下、保冷庫とかはなく そのままむきだしの状態です。
鼻を突く 魚の匂いと それにたかるハエが ブンブン飛んでいました。
日本だったなら あれでは絶対に商売にはならないと思いますが 中国は そういうことを気にしないのね。
大らかなんでしょうか~?
狭い通りに 生活感が溢れ出していました。
人も車も 子供たちもいっぱいです。
まだまだ 天津の入口の話ばかりで 内容がありませんしたが
あっという間に 日付が明日になってしまったので 今日はこのへんで。
再見 (また 会いましょうの意味だよ。)
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