槍ヶ岳
この月末 6月28日に
「29・30・7/1と ちょっと 行ってくる。」と 私に手渡されたのは 登山計画書。
今回は 私と登る低山と違って 本格的な山登りです。
今週は 中学校が期末テスト期間中になるために サッカーチームもお休み期間になります。
一週間も休みになるならと 自分では秘かに計画を練っていたのに
「行くぞ。」というのは 決まって本当に前日くらいなんです。
いいも悪いもなく いわゆる事後承諾で 大荷物をかかえて出かけていってしまいます。
こういう行動は この5年間くらいは 「お婆ちゃん騒動」期間中だったので
鎮火中だったのですが 入所が決まってから 静かに燻っていたようです。
登山計画書には 1日目 中房―燕山荘―大天井岳―貧乏沢―北鎌沢出合い
2日目 北鎌のコル―槍ヶ岳―東鎌尾根―西岳 などと書かれています。
「これかぁ。」
最近 「山と渓谷」やら「PEAKS」やら「岳人」やらの 山岳本を何冊も買い込んで 読み漁っていると思ったら やっぱり山登りの病気が再発していたのです。
私は この人が若い頃 同じように山狂いの時代は 3人の子育て真っ最中で育児も収入も 私まかせ貧困と相談相手もなく で四苦八苦していました。
山からバイクへ車へ サッカーへと時代は流れていきましたが、人間って基本的には変わる筈もありませんよね。(バカ!ガキか?)
こうなったら この病気は メグタと同じです。
登って降りてくるまでは 「絶対に登る。」と決めているので 何を言っても 全く無駄。
聞く耳なんて持っていません。
馬の耳に念仏じゃん。
長い経験から 黙って行かせることにしています。
でも、こっそり何かを始めたり 無断で高額品を購入したりすると この人は必ず失敗します。
だから 正直言って 今回も心配してました。
日曜日の天気予報は マークがでてましたしね。
こうして ダンナは 早朝 まだ太陽も登らない4時前には 出かけて行ってしまいました。
初めの写真は もちろん 「槍ヶ岳」。
そして 2枚目は 「独標」と言われる山だそうです。
ダンナが昨日の 大雨の中 下山コースを変更して 中房に戻るコースを上高地に抜けるコースで ヘロヘロになって帰ってきました。
一人で槍のてっぺんまで 重たい荷物を背負って登った記念の証拠写真は これですって。
頂上には必ずある「祠(ほこら)」。
ここで ぐるりと動画で一周を撮ってきたんだけど 写真は忘れたんですって。
「てっぺんから写した山の写真はないの?」と聞くと
「 写真を撮ればよかったなぁ。」ですって。
「そんなことも 思いつかないくらい大変な登りだったんだぞ。」だ そうな。
「雪が残っていて 大変だったんだぞ。 手が痛くて こんなになった。」と 真っ赤に傷だらけでした。
そして 最終日は天気予報の予想通り 大雨。
20Kmを 8時間かけて 下山したそうです。
雨でただでさえ重たい荷物の重量がどんどん重くなってくる wwww
昨日の途中でくれたメールは バスに間に合うのかな?的な心細いものだったので
心配しましたよ。 だってそれ以後 音信不通。
家に帰ってきてからの話。
上高地のバス停で 案内のオジサンに
「あそこの案内所に有料シャワーがあるので シャワーを浴びて着替えた方がいいよ。」と教えてもらったそうです。
それくらい土砂降りで ずぶ濡れ。 惨めに見えたってことなんでしょうね。
「そのままじゃ バスに乗ってもらっては困るんだよ。」っていうのが もしかしたら
本音だったかもと思うくらい ドロドロだったらしいですよ。
とにかく 無事に帰って来れて
「ほぅ~! 安心した。」そうです。
それを言われちゃ 今さら怒っても仕方があるまい。ずるいよね。
お風呂に入って夕食を食べて デジカメの写真を見て クタクタだったので
「オレ もう寝るわ。」と 寝てしまいました。
それだけだったら なんてことはない毎日のことなんだけれど
今日の明け方は ちょっとした パニック。
寝ていたダンナが 急に ヒッ、ヒッ、ヒッってやり出したの。
呼吸ができない人みたいに だよ。
本当に びっくりした wwww 。
「救急車呼ぶべきか?」って 言葉がサッと頭に閃いたけど それと同時に
「あ、これって、過呼吸だ」と思い当たったのです。
娘が吹奏楽でフルートをやっていた時に 「先輩たちがずっと吹いている状態を繰り返していると 過呼吸になる」っていう話を 話していた事を思い出したのです。
「起きてる? ちゃんと呼吸して。 吸うだけじゃなくって吐いて。」
「ヒ、ヒ、ヒィ~。無理だよ。」
「お水 飲む?」
「喉が詰まってるんだ。」
「喉に アリビエート(鎮痛クリーム)塗ったらどうかしら?」
無理やり塗ってみる。
「効いてきた。」
「呼吸ができる…。」
「よかった~。」
その間、15分くらい? もっと長かったかも。
呼吸は正常にもどりました。
それから後は ぐっすり眠れたのかどうかは 当事者のダンナにしかわかりませんが
とりあえずその後は ヒッ・ヒッ・ヒッという 苦しそうな呼吸音はしませんでした。
あれって なに?
と 心配になったので いろいろ調べてみると おそらく思ったとおり「過呼吸」だと思われます。
肉体的過労や 精神的なストレスでも起こるそうです。
昨日の帰り道に起こっていたらどうなっていたのかしら?
「中高年の無謀登山者」になっちゃうよね。
こういう事が 過度のストレスによって引き起こされて 何回も起こるとパニック症候群という病気へ移行する時もあるそうです。
「ほらね、もう50を超えているんだから 無理をしちゃあいけないっていうことなのよ。」って 忠告したんだけど
夕べの騒動は嘘のようにケロッとしている ダンナ。
ちっとは懲りて
いつでも助けてくれる神様みたいな私に ちょっとは感謝しなさいよ。
この頃は 何が起こってもありえるんだという経験を(アルツハイマーの義母、父の死や足の手術) いっぱい経験しましたが どれも 思いもしないことばっかりでした。
3.11の大地震や津波、原発事故 あれらだって 想定できた人なんて きっと誰もいないでしょう。
一日を大切に生きようね。
精一杯生きたって言えたなら 幸せな人生なんだよ。 きっと。
呆れてしまうけどね。
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コメント
>うっちゃん様
書き込み、あの「娘さんよく聞~けよ、
山男にゃ惚オれるなよー」という あれ
思い出しながら読んでいました。貴方の
ご主人、世界一幸福な男性ですね。
それ以上なにも言えません・・ふうー
投稿: j.i | 2012年7月 3日 (火) 02時41分
こんにちは。
JIさま。コメントありがとうございます。
結婚した当時は「山男」じゃあなかったはずなんですけどね。
長野県人は「山好き」な人が多いです。
お年寄りは高い山に登らなくても きのこ採りや山菜採りに
地元の裏山に入りますし
学校では集団登山もありますしね。
負けず嫌いの正確だから 周囲の当たり前の会話に
入り込むように
地元の友人と登り始めたのがきっかけです。
山なんて 辛い遊びなのに どうして~?って
思うんだけれど
登ってみると 何か実感(笑)
ところで 今日のあさイチで「犬の熱中症」の話を
やっていましたが
ダンナの症状は そうか!熱中症が原因かも…と
思ってしまいました。
お天気の良かった2日間で汗をかき
大雨の中の駆け足下山でやっぱり必要以上に汗を書いていたと思うんですね。
暑い日は水分の供給をするけれど雨だから水を飲まないし
体から出る水分と体にいれた水分のバランスが脱水症状を起こしていたんじゃないのかと。
とにかく 一番は過信ですね。
経験者だって未経験なことは山ほどあるってことに
気がつかなくっちゃ…。
投稿: うっちゃん | 2012年7月 3日 (火) 09時56分
独標、懐かしいです。
落雷に撃たれた松本深志高校の11柱の御霊は安らかに眠れているでしょうか?
北アは、二十数年前にカミさんを連れて登った奥穂高を最後にもう20年も遠ざかっています。
その時も、梅雨明け十日を狙ったのに下りが大雨で伏流のため、岩場の道標の丸印が隠れてしまったので朝から樹林帯を歩くルートで1.6倍を歩き、日暮れぎりぎりに横尾山荘に逃げ込みました。
カミさんはじつはザイテングラートの下りで、完全にヒザをやられ彼女のザックも自分が背負うハメになってたんで、ボンビーな幕営派の重いザックのせいで、ぐしょぬれの靴の中では、あちこちマメが破れ、まるで火の上を歩いているようでした。
次の年には槍に行く計画でしたが、さすがにこの状況で士気はさがり、数年後の'85年頃、「槍」が「鑓」になったけど白馬三山を縦走した夏が最期で、それ以来、新島々経由三千メートル行きの夏はありません。
ただ、それからはスキー三昧で欧州まで行き、エギュード・ミディやアイガーなんて山には観光登山しましたけど、その時カシオの腕時計に付いてた高度計が、チチって鳴いて3450mに最高値更新したのを覚えてます、本当なら槍の3190mが残るハズでした。
でも、山は「呼ばれて」登るので登りたくなったら最期、ジッとはしていられないんです。
毎日地図を眺めては、心は既に山道をかき分けてるんですね。
それが山です。
投稿: メシダどぇす | 2012年7月 4日 (水) 08時39分
メシダくん。コメントありがとう。
そうだった。メシダくんも山男、同類だったんですよね~(笑)。
じゃあ こんな綺麗な槍や独標の写真は目の毒ですよね。
本当に「山に呼ばれない」ようにする方法は 本人の意識の上での卒業しかないのかも、ね。
しばらく遠ざかっていた山が 何十年かして
これが最後かもと思い至って 登ってみる…
中高年の登山者が増えているのは こんな「もう一度」的な若い頃の自分が蘇ってくるのかもしれませんね。
50代って微妙な年齢です。
ちょっと弱ってきている体とまだ今なら大丈夫という気持ちが
私だと5:5くらいのバランスかな?
だけど ちょっと鍛えているダンナみたいなヤツだと多分まだ4:6か3:7くらい大丈夫だと思っていると思うの。
口には年だしなぁ~なんて言ってるけどね。
ここが落とし穴だよ。
今回は「あれが失敗した」とか「こんな物は不要だった。」とか話していますが
そこじゃないと 私は思います。
今回はラッキーだったと思わなくっちゃ
年々無謀登山者に近づいてきてるんだよ WWW.
メシダくんも 再発しないように
遠くで眺めているのも「正しい選択」の一つだと思うよ。
投稿: うっちゃん | 2012年7月 4日 (水) 10時06分