ご苦労さま お別れだね
我が家のダークグリーンの「ステップワゴン」。
今日は その「ステップワゴン」とお別れの日でした。
もう 15年目のおじいさん車。
遠くまで 注文品の家具を届けたり、重たい材料を運んできたり、薪材を積み込んできたりと 我が家のお仕事を助けてくれる戦力でした。
我が家の子供たちの荷物の 西へ東へ移動するお引越しや サッカーチームの子供たちをいろんな大会に連れていったり という時もよく働いてくれました。
「もう1回 車検通るかな~?」と 今年まで 延ばしに延ばして今日まで来ました。
でも 先日
「やっぱり ステップワゴンはもう無理だってさ。」と ダンナ。
ホンダカーズの いつもお世話になっている Zさんから
「これ以上 整備してももう危険」という段階になっていると 言われてしまったそうです。
「しゃ~ぁ、ない。 今年で最後にするか。」ということに 決まりました。
最近は 大きな仕事もほとんどなかったので ステップワゴンは 庭で雨に打たれているばかりでした。
4躯だったから雪道ではずいぶん活躍もしてくれたのにね。
6月の初め 廃品回収業者の人が ずっと動かしていない車に目を付けていたんでしょうね。
「この車 うちに売ってもらえませんかね?」と やってきました。
「ゴメンナサイ。」と丁重にお断りをしました。
その時は もうホンダと処分の話が進んでいましたから ダンナとその話を聞いて
「これも売れるんだ~!」
ちょっと ガッカリしたかも…。
ステップワゴン です。
午後 業者の人が 車を取りに来てくれました。
うちのステップワゴンは 今までエンジンがかからないなんてことは 真冬の凍てつく日でもなかったのに 今日 業者の人が乗り込んで出発しようとしたら エンジンがかからないの。
どうしたんだろう~?
嫌なのかな?
行きたくないのかな~?
キミの 最後の抵抗だよね?
フィットで エンジンをかけて やっと動くようになったけど なんだか苦しそうな音を出して 寂しそうに 森の中へ消えて行きました。
(´ー`)/~~ バイバイ…。
なんか 淋しい。
2台分の駐車場がなんだか ガランとしています。
そうだよね、新車から15年。
一生懸命頑張って 働いて働いて だからこそ ポンコツになってしまいました…。
キミだって 廃車になんかされたいはずないよね。たぶん。
どうも ありがとう、本当にありがとう。 そんな気持ち。
きっと忘れないよ。 こんな時代だから 次の大きなステップワゴンは 当分買えそうにない…から。
我が家では たぶん最初で最後の~だったから。
本当に お世話になりました。
長い事ご苦労さま。
今日は8月1日です。
安曇野市役所の穂高支所に 所要があって出掛けました。
そしたら 玄関先に「聖火」を持っている人と それを取り囲んでいる人たちが 見えます。
「なんだろ?」
本当に偶然だったけれど 止まっていた車に 「反核平和の火リレー」と書かれていました。
後で調べてみよう~と いつも持参しているデジカメで パチリ。
それが この写真。
なんだかいつも偶然が こういうちょっとブログに書きたいなという場面に出くわしてしまいます。
さて 「反核平和の火リレー」って 以前ニュースで聞いたことがあるような…?
以下は HPで調べた記事から引用させていただきました。
『 反核平和の火リレーとは「語り継ごう、走り続けよう」をスローガンに、広島市平和公園に燃え続ける「平和の灯」を掲げたトーチを手から手へ、自分の町から次の町へ青年女性が平和への思いとともに走りつなぐものです。
1982年に被爆地ヒロシマの青年たちによって開始されました。当時はソ連への中距離核ミサイル配備が契機となりヨーロッパを中心に反核運動が盛り上がっていました。日本でも「平和のためのヒロシマ行動」に20万人が結集するなど反戦・反核・平和運動が高揚しており、この運動の継続と一層の発展のために反核平和の火リレーは開始されました。』
長野県内の記事では「ミナミシンシュウ」版にこんな記事がありました。
『被爆地の広島市の平和公園で燃え続ける「平和の火」を走り継ぐ「反核平和の火リレー」が20日、飯田市役所を皮切りに飯田下伊那地域で始まった。翌21日にかけて、県平和友好祭実行委員会下伊那地区(木村陽一実行委員長)が飯伊14市町村の役場で火を受け渡し「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、フクシマ」を訴える。
同リレーは広島で始まり31年目。県内は25年目で、ことしは今月17日に上伊那地区から始まり、8月9日の北信地区のゴールを目指し、県内全77市町村を自治労の若手組合員らを中心にリレーする。』
それで8月1日は 安曇野穂高支所だったというわけなんでしょうね。
いま ロンドンに世界中のたくさんの国の代表が集まっています。
開会式の入場する各国の多かったこと。
あんなにたくさんの国が世界中にあっても 世界広しといえども
広島・長崎の原子力核兵器・福島原発事故の被害
を 目の当たりに経験した国なんて 日本ただ一つです。
終戦から67年。
核兵器は意識から遠のいていったけれど 原発はまさに目の前にある見えている
現実です。
原発は事故が起これば核兵器と同じという現実です。
「反核」は「反原発」と 同じという日本の姿を 世界に見せて欲しいです。
国会議事堂前で どれだけのたくさんの反対者が「原発やめろ~!」と叫んでも 国民の声は一切届かない。
徐々に切り崩されて 大きな闇の中に連れ戻されていく気持ち…不気味な気持ち悪さ。
8月6日、9日の原爆記念日に向けて 本当の「平和」って何か みんなで考えましょうよ。
大きな入道雲です。 こんな綺麗な雲が 1945年のきのこ雲だったら~
「ノーモア 広島、ノーモア 長崎、ノーモア 福島」ですよね。
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