昨日 介護認定審査のために 介護施設へ出かけてきました。
市役所の介護の担当者の人から かかってきた電話で
「お嫁さんだけじゃなくて 出来ることなら息子さんも 出席していただきたいのですが…。」
と言われて
「オレもかよwwww (´;ω;`) ヶ"」
嫌がるダンナの重い足取りを 無理やり引きずりながら ですよ。
重たい気分。 雪の中で感じる寒さのように 凍って冷たい北風のように この重っ苦しい嫌~な予感は
本当はずっと感じていたのです。
だから ダンナはいたたまれずに 山へ山へと意識を 自分の母親から遠ざけようとしていたことも…。
義母を現在の施設に入れていただいて 早 1年3ヵ月余り。
(このブログの介護っぽい話を 最初っから読んでいただいた方には 真実は小説よりも奇なりという 我が家の実情も浮かび上がってくるわけですが。)
最初から いろいろ問題の多い家族だった義母を 過去の経緯など全然知らされていなかった私は 必要に迫られて 我が家に連れてきてしまいました。
30年分の親孝行のはずが アルツハイマーの義母との同居は 想像を絶する恐怖体験でした。 義母が我が家であれだけのいろんな騒動を繰り返して困り果てた私を 助けてくれた以前のケアマネージャーさんに やっと入れていただいた施設です。
家では「群馬に帰る」とあらゆる行動をしてくれたのに 何事もなく するりと 施設に溶け込んでしまいました。
そのおかげで 私たち夫婦も 当人の義母も 最近はやっと穏やかな平和な日常を取り戻していました。
でも 義母が 今 入所している施設は 老健なので 特養とは違ってずっと居続けることはできない法律になっています。
ここに入れていただく事が決まった時にも そのお話は ちゃんと説明されていました。
だから 本当はこう言う話が いつかはされるであろう事は 理解しているつもりでした。
そして ついに この1月初旬 この審査の前に 施設の担当者の介護士さんから
「グループホームという施設の形態が あるのですけれど お母様はとても元気に回復されていられるので そちらの施設を探す申請を早急に してくださいませんか?」
という話を されていたのです。
この施設の一環としてすぐ隣りにも 同じ経営のグループホームがあります。
でも そこの施設には 原則として松川村の住民という規則がついていて 安曇野市で入所困難なのだそうです。
どうしても どこかに移らなくてはならないのなら 私としては ここの「グループホーム」がいいなと思っていたのですが それも難しいのか…。
帰り道 「じゃあ、お義母さんが帰ってきてしまったら。」と 頭が真っ白になりました。
やっぱり 平常心では居られません。
2年前に アルツハイマーという言葉の本当の意味すら知らなかったあの時点の私と 同居してからのあの悪夢のような日々とを思い出すと 目のつり上がった義母とは もう2度と一緒に住むことは 考えられません。 穏やかに笑っている義母の顔が ニヤリと笑うように戻るのかと思うと 怖くてたまりません。
義母には 私に怪我をさせたことすら 記憶にないし、病気だったんだから仕方ないと思う気には 今はとても思えません。
靭帯の手術をしてからは 自分の体を支えるだけで 精一杯なのに どっしりと体をもたれかかってくるオムツの交換なんて 今の私には とうてい無理だという現状も…。
あ~あ。 気が重い。 どうするんだよ。
ダンナもそうです。 私以上に 本当はパ二くっていると思います。 義母はダンナにとっての時限爆弾みたいなものです。
月日が全てを解決する…というのは 嘘です。
愛情を持って育てられた経験が お互いの思い出とか思いやりとかを 育んでいくのだと思うのです。我が家では たぶん 義母が亡くなった時点から もしかしたらそれが始まるのでは と今は思います。 だから もう親子関係は結べないでしょう。
まだまだ 情けないけど この年になっても 人間ができてないよね。
未熟者なんです。
それ以後 やたら気になる 「グループホーム」 パソコンで あっちこっち検索していますが…。
いつも突き当たる 私の中での大きな疑問。
グループホームって 自分の出来る事を 共同で 分担する事によって 自立した日常生活を送る??
あの ゴミ屋敷のゴキブリの数。 今 思い出しても虫酸が走る。
そんなだから まっ先に
「お義母さんが 自立出来てるの~?」
それでも 以前 申し込んでおいた特養の介護施設に 保留がまだ有効かどうかの確認の電話をかけました。
「申し込みは ずっと保留として 申し込みの取消があるまでは 大丈夫ですが、ただいま一杯の状態なので いつ入所できるというお話はできません。 空きが出た場合にも何番目に申し込んだから次というわけではなくて 点数で大変な方から会議で話し合って入所ということになります。」
うん、知ってる。
この話はもうずっと 何回も何回も いろんな施設で聞かされたお話です。
こちらは ただ「それでもいいですので よろしくお願いします。」と 頭を電話の前で下げるしかありません。 特養の介護施設に運良く入れたら こういう次はどうしよう
的な心配事は ずっと少なくなるに違いありませんよね。
だから そう簡単に「いつでもどうぞ。」なんて有り得ないとは 分かっています。
「やっぱりね。」 「またかよ。」 「まただね。」
そんな 会話の後の 介護認定審査の日。
玄関先で担当のケアマネージャーさんが 待っていてくれました。
私たちにとっては 神様みたいに 頼りになる人です。
そして 市役所から派遣された 介護認定の審査をして下さる介護士さんも やって来ました。
ご挨拶もそこそこに 2階の入所されている方のいるスペースへ 向かいます。
正直言って ダンナはこの施設の2階に上がるのは手続きをした1年4ヵ月ぶりですし
私もこの所 そっぽ向かれていたので(私がわからないみたいで) 詳しいお話を~と言われても 内心 困ったな~と思っていたんです。
食堂のテーブルで 義母と車椅子のお婆さんが 二人で並んで座っている姿が見えました。
視力のいい義母は 目ざとくケアマネージャーさんだけを まず 認識したみたいで
「あら、まぁ。 こちらにどうぞ。」と 言いました。
ケアマネージャーさんが 義母に にっこり笑って
「こちらは 市役所の方ですよ。 お話を伺いにみえたのですよ。」
と説明すると 義母の顔が ぐんと変わりました。
「まぁまぁ、どうぞ お座りください。」
それから 義母の両隣に 介護士さんとケアマネージャーさん、向かい側に私とダンナが座りました。
すると 初めは知らん顔だったのに
「あ?」
と まず怪訝な顔をして それから 急に 私の顔がわかったのか 笑顔になりました。
「○○ちゃん?」
「そうですよ、お嫁さんですよ。」(ケアマネージャーさん)
「ここにいると 会いにいけなくってごめんね。 もう何年も会っていないもんね。」
と言って 涙を流しました。 ホントはついこの間 グループホームのお話の時に会ったばっかりですけどね。 周りはみんな知っているけれど 誰も今は慣れたもんで なんにも言いません。 この涙に騙されて こっちが何回泣かされたことか…。
しばらくしても 息子であるダンナの顔は 全然直視しませんし ダンナもこのホールに来てから声を一言も発しません。
「おいおい、自分の息子だろうがぁ?」(私の心の声)
皆なが様子を見ている気配で なにかわかったのかな。
「あれ? ▲▲ くん? どうもご苦労さまですね。」
「じゃ、少し質問をしますので 教えてくださいね。」
「はいはい、何でも聞いてくださいよ。」
「じゃ、お名前を教えてください。」 「~です。」
「生年月日を教えてください。」 「昭和~です。」
「ここは どこですか?」 「松川です。」
「季節は今 なんですか?」 「雪が降っているから冬ですよ。」
これくらいは まぁ言えるよね。 ここからが難しいんだよ。
「今日は 何月何日ですか?」 「昭和じゃない、平成25年1月の ええと 21日?22日ですかねぇ?」
すごいよ。 以前は日にちの感覚が なくて 病院では いつも「きょうはなんにちだったかな?」って 言っていたのにね。 アルツハイマーって 進行は止められるけれど回復する病気ではないと 担当医の先生がおっしゃっていたのに 今日の受け答えはまるで普通のそこらへんを歩いている健康なお婆さんたちと ちっとも変わらないじゃん。
!!(゚ロ゚屮)屮
ものすごく脳を フル回転させているんだ。
こんなに ちゃんと会話ができるんだったら 介護度が下がっちゃうかもしれないんだよ。
頑張れば頑張るほど ここから外に出なくてはならなくなってしまう可能性が高いのに…
どうして頑張るんだよ。 もう帰れる家だってないのに。(心の声)
隣で見て ハラハラしている私やダンナの気持ちも知らないで いつにもなくシャキシャキ行動するお義母さん。
家に帰ってきたいと思ってるのかしら? 息子の顔すら わからない状態なのに~?
出来ないってことは 自分のプライドが許さないから?
頑張れば頑張るほど 悪い方向へ転がっていくのに…と 思ってしまうのは 悪いこと?
もう、どうなっちゃうんだろう~


「はい、じゃあ ちょっと歩いてもらいましょうかね。 真っ直ぐに立てますか?」
「はい。 大丈夫です。」
ここが不思議なのよね。 以前もそうだったんですが 義母は今現在 実際には歩行器で歩いています。 けれど こういう審査の人の前では 何故だかシャキシャキと歩いているんですよね。 群馬からこっちに連れてきたときは 杖を使わなくては全く歩けない状態でした。
当時 病院の先生もそう言っていましたし 一番に正常そうに見えた本人が 歩けないと言って 足を引きずっていたんですから。
こっちに来て初めての審査の日も 今日のように 私につかまって歩いていた義母が 介護士さんの言葉で スタスタ杖も使わずに歩いたので ビックリ仰天((((;゚Д゚))))
したのを 「え? 騙された?」と イラッとした気持ちで見ていたのを 覚えています。
あの時と 同じだ。 何なの? これって。
その他に記憶力のテストをして 家族とケアマネージャーさんと介護士さんとで 1階の会議室で お話を伺いました。
ダンナも私も 義母と同居したのは ここに入れてもらう前の7ヶ月間だけなので 発病した前の様子なんて わかりませんし ここでの生活はケアマネージャーさんがいろいろ話して下さる話をただ聞いていることしか出来ません。 日常は こんな状態じゃなくて いつも私が見ているとおりの義母らしいと ケアマネージャーさんが説明してくれました。
ケアマネさん 「今日は お母様、完璧でしたねぇ。 ここに来て こんなにはっきりと受け答えしたのも初めてですよ。 頑張りましたよね。」
「いろいろ ありがとうございました。 お母様の介護度がもしかして下がる可能性もあるということを 覚悟しておいてくださいね。 結果が出るまでには 約1ヶ月ほどかかります。
結果は郵便で送りますので よろしくお願いします。」
といって 市役所の担当の介護士さんは 私たちより先に帰っていきました。
その後 ケアマネージャーさんが少しお話してくれましたが 去年からまた介護保険の制度が変わってきているので…という言葉が 私の頭をグルグル グルグル回っています。
あ~あ、
アルツハイマーの診断は出ているので 介護度がなくなることはないにしても
介護度が下がったら お義母さんは どうなるのよ? どこで受け入れてくれるのか?
ショックは 隠しきれないし 2年ごとにずっと毎回こういう経験を またしなくっちゃならないんだね。
あ~あ、なんだかまた 胃が痛くなりそうな~息苦しさ。
親子って いうだけで 産みっぱなしの親でも 子供は義務を強いられる?
夫婦っていうだけで ダンナの親を見捨てられない?
何回も何回も 理不尽な思いが重なっていく。。
あ~あ、 あのお義母さん。 今はもう 何にも怖いものなんかなくて 完璧に管理されている。 介護施設で一生暮らせたら きっと私なんかよりも ずっとずっと長生きしそうな雰囲気だ。
もう、出るのは 「あ~あ。」ばっかりだよ。
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