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2013年1月23日 (水)

あ~あ

 昨日 介護認定審査のために 介護施設へ出かけてきました。 

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 市役所の介護の担当者の人から かかってきた電話で 
 「お嫁さんだけじゃなくて 出来ることなら息子さんも 出席していただきたいのですが…。」
と言われて
 「オレもかよwwww (´;ω;`) ヶ"」
嫌がるダンナの重い足取りを 無理やり引きずりながら ですよ。


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 重たい気分。 雪の中で感じる寒さのように 凍って冷たい北風のように この重っ苦しい嫌~な予感は
本当はずっと感じていたのです。
 だから ダンナはいたたまれずに 山へ山へと意識を 自分の母親から遠ざけようとしていたことも…。

 義母を現在の施設に入れていただいて 早 1年3ヵ月余り。
(このブログの介護っぽい話を 最初っから読んでいただいた方には 真実は小説よりも奇なりという 我が家の実情も浮かび上がってくるわけですが。)
最初から いろいろ問題の多い家族だった義母を 過去の経緯など全然知らされていなかった私は 必要に迫られて 我が家に連れてきてしまいました。
30年分の親孝行のはずが アルツハイマーの義母との同居は 想像を絶する恐怖体験でした。 義母が我が家であれだけのいろんな騒動を繰り返して困り果てた私を 助けてくれた以前のケアマネージャーさんに やっと入れていただいた施設です。 
家では「群馬に帰る」とあらゆる行動をしてくれたのに 何事もなく するりと 施設に溶け込んでしまいました。
 そのおかげで 私たち夫婦も 当人の義母も 最近はやっと穏やかな平和な日常を取り戻していました。

 

 でも 義母が 今 入所している施設は 老健なので 特養とは違ってずっと居続けることはできない法律になっています。
ここに入れていただく事が決まった時にも そのお話は ちゃんと説明されていました。
だから 本当はこう言う話が いつかはされるであろう事は 理解しているつもりでした。
そして ついに この1月初旬 この審査の前に 施設の担当者の介護士さんから
 「グループホームという施設の形態が あるのですけれど お母様はとても元気に回復されていられるので そちらの施設を探す申請を早急に してくださいませんか?」
という話を されていたのです。

 この施設の一環としてすぐ隣りにも 同じ経営のグループホームがあります。
でも そこの施設には 原則として松川村の住民という規則がついていて 安曇野市で入所困難なのだそうです。
どうしても どこかに移らなくてはならないのなら 私としては ここの「グループホーム」がいいなと思っていたのですが それも難しいのか…。
 帰り道 「じゃあ、お義母さんが帰ってきてしまったら。」と 頭が真っ白になりました。
やっぱり 平常心では居られません。


 2年前に アルツハイマーという言葉の本当の意味すら知らなかったあの時点の私と 同居してからのあの悪夢のような日々とを思い出すと 目のつり上がった義母とは もう2度と一緒に住むことは 考えられません。 穏やかに笑っている義母の顔が ニヤリと笑うように戻るのかと思うと 怖くてたまりません。
義母には 私に怪我をさせたことすら 記憶にないし、病気だったんだから仕方ないと思う気には 今はとても思えません。

靭帯の手術をしてからは 自分の体を支えるだけで 精一杯なのに どっしりと体をもたれかかってくるオムツの交換なんて 今の私には とうてい無理だという現状も…。
 あ~あ。 気が重い。 どうするんだよ。

ダンナもそうです。 私以上に 本当はパ二くっていると思います。 義母はダンナにとっての時限爆弾みたいなものです。
月日が全てを解決する…というのは 嘘です。
愛情を持って育てられた経験が お互いの思い出とか思いやりとかを 育んでいくのだと思うのです。我が家では たぶん 義母が亡くなった時点から もしかしたらそれが始まるのでは と今は思います。 だから もう親子関係は結べないでしょう。
まだまだ 情けないけど この年になっても 人間ができてないよね。
未熟者なんです。




 それ以後 やたら気になる 「グループホーム」 パソコンで あっちこっち検索していますが…。

 いつも突き当たる 私の中での大きな疑問。
グループホームって 自分の出来る事を 共同で 分担する事によって 自立した日常生活を送る??
あの ゴミ屋敷のゴキブリの数。 今 思い出しても虫酸が走る。 
そんなだから まっ先に
 「お義母さんが 自立出来てるの~?」 


 それでも 以前 申し込んでおいた特養の介護施設に 保留がまだ有効かどうかの確認の電話をかけました。

 「申し込みは ずっと保留として 申し込みの取消があるまでは 大丈夫ですが、ただいま一杯の状態なので いつ入所できるというお話はできません。 空きが出た場合にも何番目に申し込んだから次というわけではなくて 点数で大変な方から会議で話し合って入所ということになります。」

 うん、知ってる。 
この話はもうずっと 何回も何回も いろんな施設で聞かされたお話です。 
こちらは ただ「それでもいいですので よろしくお願いします。」と 頭を電話の前で下げるしかありません。 特養の介護施設に運良く入れたら こういう次はどうしよう 的な心配事は ずっと少なくなるに違いありませんよね。
だから そう簡単に「いつでもどうぞ。」なんて有り得ないとは 分かっています。

 「やっぱりね。」 「またかよ。」 「まただね。」 

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 そんな 会話の後の 介護認定審査の日。

 玄関先で担当のケアマネージャーさんが 待っていてくれました。
私たちにとっては 神様みたいに 頼りになる人です。
そして 市役所から派遣された 介護認定の審査をして下さる介護士さんも やって来ました。

ご挨拶もそこそこに 2階の入所されている方のいるスペースへ 向かいます。

 正直言って ダンナはこの施設の2階に上がるのは手続きをした1年4ヵ月ぶりですし
私もこの所 そっぽ向かれていたので(私がわからないみたいで) 詳しいお話を~と言われても 内心 困ったな~と思っていたんです。



 食堂のテーブルで 義母と車椅子のお婆さんが 二人で並んで座っている姿が見えました。
視力のいい義母は 目ざとくケアマネージャーさんだけを まず 認識したみたいで
 「あら、まぁ。 こちらにどうぞ。」と 言いました。

ケアマネージャーさんが 義母に にっこり笑って
 「こちらは 市役所の方ですよ。 お話を伺いにみえたのですよ。」
と説明すると 義母の顔が ぐんと変わりました。

 「まぁまぁ、どうぞ お座りください。」

 それから 義母の両隣に 介護士さんとケアマネージャーさん、向かい側に私とダンナが座りました。
 すると 初めは知らん顔だったのに
 「あ?」
と まず怪訝な顔をして それから 急に 私の顔がわかったのか 笑顔になりました。

 「○○ちゃん?」
 「そうですよ、お嫁さんですよ。」(ケアマネージャーさん)
 「ここにいると 会いにいけなくってごめんね。 もう何年も会っていないもんね。」
と言って 涙を流しました。 ホントはついこの間 グループホームのお話の時に会ったばっかりですけどね。 周りはみんな知っているけれど 誰も今は慣れたもんで なんにも言いません。 この涙に騙されて こっちが何回泣かされたことか…。


 しばらくしても 息子であるダンナの顔は 全然直視しませんし ダンナもこのホールに来てから声を一言も発しません。
 「おいおい、自分の息子だろうがぁ?」(私の心の声)

 皆なが様子を見ている気配で なにかわかったのかな。

 「あれ? ▲▲ くん? どうもご苦労さまですね。」


 「じゃ、少し質問をしますので 教えてくださいね。」
 「はいはい、何でも聞いてくださいよ。」

 「じゃ、お名前を教えてください。」 「~です。」
 「生年月日を教えてください。」   「昭和~です。」
 「ここは どこですか?」       「松川です。」
 「季節は今 なんですか?」     「雪が降っているから冬ですよ。」 

 これくらいは まぁ言えるよね。 ここからが難しいんだよ。

「今日は 何月何日ですか?」   「昭和じゃない、平成25年1月の ええと 21日?22日ですかねぇ?」
すごいよ。 以前は日にちの感覚が なくて 病院では いつも「きょうはなんにちだったかな?」って 言っていたのにね。 アルツハイマーって 進行は止められるけれど回復する病気ではないと 担当医の先生がおっしゃっていたのに 今日の受け答えはまるで普通のそこらへんを歩いている健康なお婆さんたちと ちっとも変わらないじゃん。
!!(゚ロ゚屮)屮
ものすごく脳を フル回転させているんだ。
こんなに ちゃんと会話ができるんだったら 介護度が下がっちゃうかもしれないんだよ。
頑張れば頑張るほど ここから外に出なくてはならなくなってしまう可能性が高いのに…
どうして頑張るんだよ。 もう帰れる家だってないのに。(心の声)

隣で見て ハラハラしている私やダンナの気持ちも知らないで いつにもなくシャキシャキ行動するお義母さん。
家に帰ってきたいと思ってるのかしら? 息子の顔すら わからない状態なのに~?
出来ないってことは 自分のプライドが許さないから?

頑張れば頑張るほど 悪い方向へ転がっていくのに…と 思ってしまうのは 悪いこと? 

もう、どうなっちゃうんだろう~


 「はい、じゃあ ちょっと歩いてもらいましょうかね。 真っ直ぐに立てますか?」
 「はい。 大丈夫です。」


 ここが不思議なのよね。 以前もそうだったんですが 義母は今現在 実際には歩行器で歩いています。 けれど こういう審査の人の前では 何故だかシャキシャキと歩いているんですよね。 群馬からこっちに連れてきたときは 杖を使わなくては全く歩けない状態でした。 
 当時 病院の先生もそう言っていましたし 一番に正常そうに見えた本人が 歩けないと言って 足を引きずっていたんですから。 
こっちに来て初めての審査の日も 今日のように 私につかまって歩いていた義母が 介護士さんの言葉で スタスタ杖も使わずに歩いたので ビックリ仰天((((;゚Д゚))))
したのを 「え? 騙された?」と イラッとした気持ちで見ていたのを 覚えています。

 あの時と 同じだ。 何なの? これって。


 その他に記憶力のテストをして 家族とケアマネージャーさんと介護士さんとで 1階の会議室で お話を伺いました。
ダンナも私も 義母と同居したのは ここに入れてもらう前の7ヶ月間だけなので 発病した前の様子なんて わかりませんし ここでの生活はケアマネージャーさんがいろいろ話して下さる話をただ聞いていることしか出来ません。 日常は こんな状態じゃなくて いつも私が見ているとおりの義母らしいと ケアマネージャーさんが説明してくれました。


 ケアマネさん 「今日は お母様、完璧でしたねぇ。 ここに来て こんなにはっきりと受け答えしたのも初めてですよ。 頑張りましたよね。」
 


 「いろいろ ありがとうございました。 お母様の介護度がもしかして下がる可能性もあるということを 覚悟しておいてくださいね。 結果が出るまでには 約1ヶ月ほどかかります。
結果は郵便で送りますので よろしくお願いします。」

といって 市役所の担当の介護士さんは 私たちより先に帰っていきました。
その後 ケアマネージャーさんが少しお話してくれましたが 去年からまた介護保険の制度が変わってきているので…という言葉が 私の頭をグルグル グルグル回っています。


 あ~あ、
アルツハイマーの診断は出ているので 介護度がなくなることはないにしても
介護度が下がったら お義母さんは どうなるのよ? どこで受け入れてくれるのか?
ショックは 隠しきれないし 2年ごとにずっと毎回こういう経験を またしなくっちゃならないんだね。

あ~あ、なんだかまた 胃が痛くなりそうな~息苦しさ。
親子って いうだけで 産みっぱなしの親でも 子供は義務を強いられる?
夫婦っていうだけで ダンナの親を見捨てられない?
 何回も何回も 理不尽な思いが重なっていく。。

あ~あ、 あのお義母さん。 今はもう 何にも怖いものなんかなくて 完璧に管理されている。 介護施設で一生暮らせたら きっと私なんかよりも ずっとずっと長生きしそうな雰囲気だ。
もう、出るのは 「あ~あ。」ばっかりだよ。

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介護っぽい話」カテゴリの記事

コメント

う~ん・・・(u_u。)。
むずかしいですね。我が家にも一人おりますもので、嫁さんの苦労はよく分かっていたつもりですが、こんの件に関しては並大抵の心労ではないですね。どうか心を強く持って下さる事を願うのみです。

投稿: 山の風 | 2013年1月23日 (水) 20時56分

山の風 様。
介護なんて少し前までは 全く他人事でした。
日本の人口の約4割が老人になってしまうのが2050年なのだと 
先日 どこかのTV番組でやっていました。
そうなったらどこもここも介護に関わっている人だらけでしょう。
その頃には 元気で歩き回っていられないのなら私は生きていたくありません。
自分の子供たちが今の私のように 私やダンナがアルツハイマーで同様な状態になり 
親を背負う状態になったとしたら 辛いです。
自分で自分が判断できない状態になったら 幸せな老後とはいえないでしょう?
介護してもらっている方も実は「なんで?」って泣いているのかもしれないです。
義母を見ていると いつもそんなことを考えてしまいます。

投稿: うっちゃん | 2013年1月23日 (水) 21時35分

アルツハイマーなど介護の苦労は経験したことがない人には解らないことですね。
経験ない人から見たら自分の身内だから面倒見るのが当たり前に思えるでしょうね。
酷くなった認知症患者が家に一人いるだけで、その家庭は先ず間違いなく壊れていくでしょう。
周りの人がなんと言おうが酷くなってしまったら施設に預けることは消して恥ずかしいことではないとと思います。
むしろ施設に入れることを勧めます。特に足腰がしっかりしている方は進んでしまうと絶対に家庭では不可能です。
私の母は何キロも歩けるアルツハイマー型認知症です。介護疲れから親父がアル中になり世話ができなくなった時に幸いご縁のある特養へ運良く即入れました。同等の介護度の方が運良く退所されたからです。認知症患者はグループホームが最適ですが、毎月の費用が高かめなので入所費用を考えたら、安い特養入所が良いのですが希望者多数でなかなか入れませんね。先ずは片っ端から特養へ申込み順番待ちしてグループホームを同時に探すことをお勧めします。静岡市では地域包括支援センターという期間があり、認知症ではなかったけどアル中で介護が必要になった親父の入居先グループホームを探してくれました。多分行政にそれに近い期間が長野にもあるのではないでしょうか。
悩まないで、他人や知人、行政機関を頼って利用することもお勧めします。
心境お察しします。あまり頑張り過ぎず、具体的に事務的に行動することもお勧めします。

投稿: ゆん父 | 2013年1月23日 (水) 22時06分

お義母様のことは初めて読ませていただきましたが、いろいろとご苦労がおありのようですね。

グループホームのことで、自立していなければと思っていらっしゃるようですが、お友達のお母様は、歩けないし、見えないし、おむつで、ご自身では何もできないで、ほとんど寝たきりですが、ずっとグループホームにいらっしゃいますよ。

病気の治療などがなければ、そういう状態でも大丈夫なようです。

入院が必要な時は、グループホームの入居費と入院費が重なって大変だけれど、退院後に入れるようにそのままにしていただいているようです。

施設によって違うのかもしれませんが、参考になればと思いまして。

投稿: wind | 2013年1月23日 (水) 22時54分

ゆん父 様。
コメントありがとうございます。
また特養を探してなんとか頑張るしかありませんよね。
でも 一番の問題は介護度が低いと希望者と入れてもらえる施設の数が
少ないということなんです。
せっかく気持ちのいい神社で「運」をいただいたとしてもこんなことで運を使い果たしてしまっている気がします。
もったいない~。
自分のために~もうそろそろ「運」だってやって来てくれてもいいですよね。
考えてみたら結婚してから ずっと 人のために結構頑張ってきたっていうか 
私って損ばっかりしてる気がしますもん。
ホント 何やってんだろう、わたし。気がつくの遅すぎって ┐(´-`)┌

投稿: うっちゃん | 2013年1月23日 (水) 23時17分

wind 様。
コメントありがとうございます。
嬉しいです。
そうなんですね。グループホームでも そんな重度の方でも受け入れてくださるんですね。
うちは 経済的にも余裕がなくて 借金まみれで転がり込んできた義母が持っている財産は
唯一 年金だけです。
いろんな方の力と知恵をお借りして なんとかいい方向へ転がすしかないですよね。 
ボヤいてばかりいても 何にも始まらないし。
ストレスは また 記事で発散することにします…かぁ。

投稿: うっちゃん | 2013年1月23日 (水) 23時35分

こんばんわ!
何年か前の自分を見ているようです。
我が家は、母を引き取るのに家まで住み替えをして母の部屋を作り・・・3年暮らしました。見る見るうちに歩けなくなり、ぼけもすすみ、おむつがえ、などなど・・・ヘルパーさんも頼みましたが、なんせ家族以外の人の前では、普通になったりします・・・私の前では、いつも怒っていました。わかっていなかったかもしれません。
私たちも疲れて施設を探しました。
年金だけでは入れるところは難しく、グループホームでもいいように思います。我が家は、弟が施設に入れたくないと連れて行きました。弟のところで1年いました。最後は、老人病院でなくなりました。病院に入ってからは、私が行かないと看護師さんを怒ったりしていましたから頑張っていきました。でも、最後まで彼女と向き合えて、気持ちの中に悔いはありません。いつもよくやったと、自分をほめていました。
ただ、先が見えません。何年になるのか・・・
施設を探しながら、病院も見てくれそうなところで、近くを探すのをお勧めします。
大変だと思います。でも、頑張って!
ストレスをためないように…
ブログで書いてください!
きっと元気になりますよ^-^
長くなってごめんなさい。

投稿: happymaron | 2013年1月24日 (木) 00時24分

>うっちゃん様

 私がここへ初めてお邪魔したのはたしか
お義母様が施設にお入りになった前後だった
と思います。私が看ていた実母が亡くなって
数年・何年目だったか・私の場合もいろいろ
ありましたけれど母が穏やかな性格の人だっ
たのと、なんと言っても実の母子なのでなんと
いうこともなく(でもなかったか・)7年を
をすごせました。・・

 今日早朝(0.25)NHKスペシャルで
「衝撃”老人漂流社会”病院や施設や家族
にも頼れずさまよう高齢者」という番組の
再放送がありました。ご覧になりましたで
しょうか。私は本放送?のときに見ましたが
・・私にはもう過去の事ですけれど色々考え
させられる番組でした。

 高齢者介護も家族・親族それぞれ皆対応が
違いますから私の経験はご参考にならないで
しょうし、長くなりますから書きません、
ゆん父様が言われるように行政機関や経験者
の方などの意見や、ネットにも色々な情報が
ありますから参考にされてどこかお義母様に
ふさわしい施設を見つけられるのがベストだ
と思いますが・・
(ご自宅で看られのは避けられたほうがよい
かと・・)

投稿: J.I | 2013年1月24日 (木) 03時01分

うっちゃん、
たいへんな現実を背負って、本当にお疲れ様です。
人間、明日はどうなるか全くわかりませんが、昨日は過ぎ去ってしまってもう無いものだし、今日がいつでも頑張りどきなんですね。
自分の連れ、ヒロも介護の世界に入って5年めを迎え、今度の日曜に行なわれる介護福祉士の国家試験を目指して勉強しています。
実技もあるので自分がダミーになってお手伝いをしていますが、仕事のストレスと試験のプレッシャーの狭間で、先日、突発性めまい症になりました。ずっと酷い乗り物酔い状態が続き、完治は難しいのですが医院で処方されたトラベルミンで症状をしのぎ、最短期間でケアマネになる夢に向かっています。
自分がお手伝いできるのは、今日の事件は何?と聞いて今働いている介護施設での出来事を聞いて、溜まったうっぷんを少しでも吐き出してもらうことだけです。施設にいる、お客様だけで無く、一緒に働いている職員さんも信じられない経歴をお持ちの方が多く、現場も壮絶で聞いている分には楽しいのですが、そういう方たちとご老人の介護をする現場で日々格闘(仕事と云うより)している彼女を見ていると、自分も「なんで?」と疑問に思いました。でも、いつか、ほんとは高校生の頃は福祉系の大学に進学したいと思ってたけど、経済的に無理だったのであきらめた、といってたのを思い出し、黙って応援しています。
いいケアマネになって、自身も訪問介護の道に進みたいというのが彼女の夢ですが、夢が叶うか身体が壊れるかどちらが先かわかりませんが・・・
彼女が云ってました。職場ではどんな事があっても最後は仕事と割り切れるけど、お客様の親族の方は、そうは出来ないので家に送り届けるときは、ご本人が良い気分で帰れるようにしないと、ご本人もご家族もハッピーじゃない。
うっちゃんの書いていることを見て、介護する側のたいへんさを改めて知り、国会議員の何人がこの現実、現場を「認知」しているんだろうかと、疑問は尽きないけれど今回の選挙では、福祉に力を入れようとしている方を選んで投票しましたが、落選でした。
いつか会えたら、自ら現実にぶち当たろうとしている連れに、思いのたけを話し、アドバイスを頂きたいと思います。
介護されるご老人は、それはそれで幸せなのです。でも、介護する側もある程度の割りきりを持たないと、心を病んでしまいます。
ときには、ジャカスカ♫ヒップホップをかけて、中島みゆきみたいに「バカヤロー」を叫びながら踊りまくってね。

投稿: メシダっす | 2013年1月24日 (木) 09時05分

 happymaron 様。
コメントありがとうございます。
優しい言葉 嬉しかったです。
人間の歴史は ずっと続いているのだから 老いて人生を閉じるということが当然の流れなんだろうけれど…。
介護って子供の頃には家にお婆ちゃんがいて 家族がいて いつの間にか亡くなって…。
家族が亡くなる事が 怖いことではなかった気がします。
でもそれは自分が子供だったからで親は今の私みたいに子供に分からないように葛藤していたのかもしれない。
お義母さんの未来はもう今更どうにかしようと思っても 今の私達にはもう感情的には手に負えないし不可能なので
神様に祈るしかないです(こんな時ばっかり神頼みじゃ申し訳ないのですが~)
良いことと悪いことは 交互にやって来るようです。
まだ私達には踏ん張りが足りなかった…ようです。

投稿: うっちゃん | 2013年1月24日 (木) 10時52分

JI 様。
いつも私が困っている~というときに 優しいコメントいただいて 感謝しています。
本当にありがとうございます。
私の誰にも話せない大きな苛立ちを どこにぶつければいいのかという突破口でブログを書き始めて 
あっという間に2年半です。
初めは「アルツハイマー」がどんなに大変かということすら知らず 群馬の周囲の人からの 
なに一緒に住み始めれば大丈夫よという訳の分からない援助の言葉でスタートしてしまいました。
ここが 失敗の一番最初です。
今なら介護の原点は「住み慣れた場所で」という一文が記載されていますから 
これが当時なら群馬県の施設に入れたはずなのですが。
徘徊も帰りたいも こんなに激しくは起こらなかったかもですよね。
幸いにもいいケアマネージャーさんと施設に巡り会って最近はお気楽ブログで 楽しかったのですが…。
自分だけの暮らしならこんなにも お気楽なのに 人生そんなに上手くはいかないみたいです。
また しばらく施設探しで翻弄しなくてはならない状態になりました。
当分 また暗い私(だったらごめんなさい)かも。

投稿: うっちゃん | 2013年1月24日 (木) 11時15分

メシダくん。
コメントありがとう(=^0^=)
ヒロちゃん。すごいと思います。よく家族が亡くなって介護士になったというお話を こちらのヘルパーさんからも聞くことがありますが 私にはそういう気持ちにはとてもなれないと思うもの。
でも 私は本当にそうやって信念をもって介護を目指してくださっているヘルパーさんやヘアマネージャーさんがいてくれるから どうにかこうにか家族は救われるんだと思います。
きっとヒロちゃんなら ステキなケアマネージャーさんになれると思います。
頑張って苦しんでいるたくさんの家族を助けてあげてくださいと伝えてね。 応援しています。

人は自分の最後を自分で選べない時代なんですよね。
カッコイイ死なんてないにしても 体が動かないとかの障害的介護は例えロボットが代わりをしてくれても
生き延びてもいいと思いますが
自分が何をしているのかわからなくなってしまうような精神的障害は 同じ介護という名目でも全然違います。
こちらは本人より家族が 一緒にもしかしたらそれ以上に心を病みます。
私も今回の事で 前回より何倍もナーバスになってる自分にビックリしています。

投稿: うっちゃん | 2013年1月24日 (木) 11時32分

うっちゃん様

こんにちは
なに気に「いいね」してしまって後悔しました。どうぞ心無い奴とお思いにならないで下さい。取り消すのもなんなので、応援の「ファイト」のつもりとしてそのままにしておきますね。。。

はなもくれんさんの所も大変だなぁと思ってましたが、いつもおおらかで、ステキに日々を楽しんでおいでのうっちゃんさんが、こんな大変な思いをしておられるとは…。全く存じ上げずに、能天気なカキコばかりして申し訳ありませんでしたm(_ _)m
月並みな言葉は、虚しく響くだけと思います。そういう状況になってみたこともない者の想像を絶するお苦しみと思います。ただ、うっちゃんさんらしさを無くさないで下さいね また、ステキなブログで楽しませて下さい

投稿: Sea Monkey ^_~* | 2013年1月24日 (木) 11時39分

お疲れ様です。心中お察しします。
20歳の頃には自宅で祖母のオムツ交換をしていました。以来、直近の伯母(独身)の介護まで4人の介護を経験してきました。
ゴキブリ屋敷の処分から介護審査の件まで、一から十までうっちゃんさんの言葉に「そうそう」とうなずきながら読みました。
お気持ちよーーっくわかります。お会いできたら一日中おしゃべりしちゃいますよきっと。
特養やグループホームに入所できても病気になれば病院のたらい回しに遭います。

話し始めるとキリがないし、良い解決策を持ち合わせていないのでやめますが、私が一番助かったのは、やはりケアマネさんです。それも、じかに会って話をすると窮状を理解してもらいやすいですよね(行政機関の方も)。
身内にはいくら話をしても聞くだけで、結局は自分がやることになる。だから報告はするけど、愚痴や不満は第三者に聞いてもらいました。
今から考えるとずいぶんヒステリックになっていました。

私は介護が引き金になって病気を発症しました。今もそれを引きずっています。
どんなことがあってもご自身の健康は守ってくださいね。結局はそれがご家族の(お義母さまも含めて)ためになるのですから。
我慢と無理はしすぎないでくだされ(これが難しいのだけれど)。

投稿: あー | 2013年1月24日 (木) 12時29分

SeaMonkey 様。
エヘヘ、シーモンちゃんにも心配かけちゃうね。
大丈夫。そんなことは全然気にしないので 逆に優しいコメント書いてくれたから嬉しいです。
私のブログは いろんな要素を抱えているので もし 辛いなら「介護っぽい話」の時は 読まなくってもいいよ。
どんなちっぽけな人にも家族がいて 大なり小なり泣いたり笑ったりしているっていうことですね。
のほほんとしているのが 根本的には日常の私なんですが 思いがけない「シガラミ」というやつに捉えられてしまいました。
でも、何か一つ行動をするのにも 保証人がいるのが今の日本ですよ。書類を作成できなければ 施設にも入れないの。 
だからね、シーモンちゃんのように家族が亡くなって寂しいな~って泣いてくれる優しい娘のいる親子関係はきっと幸せな人生を最期まで送れたっていう証しみたいなものだと思いますよ。

でも、本来は 私もいつものブログのまんまが~シーモンちゃんと同じ「能天気」仲間なので
初めは「介護」で載せていたお話も「介護っぽい話」にしてたんです~。嫌だもんね。

だから今まで通りで お願いね。 

投稿: うっちゃん | 2013年1月24日 (木) 14時22分

あー 様。
コメントありがとう。 嬉しいです。
あーちゃんも スゴイ苦労人だったのね。私なんか比べ物にならないじゃん。 
でも、よくぞ乗り越えて 明るくて大好きだな。
本当ありがとうございます。
みんな頑張っていてくれて 大きな励みになります。

投稿: うっちゃん | 2013年1月24日 (木) 14時42分

夫がコメをしているのに二重になってしまって申し訳ないです。
夫の補足だと思ってください。
グループホームにも、色々あって
元々は「出来る今ある能力を維持しつつ、自宅に得るための訓練を目的にした施設」だったはずですが
今は、より介護度の高い方を優先して受け入れる施設や、
本当に買い物から家事全般、出来る事を手分けして
御自身たちで行おうと言う施設もあります。
義父が入所しているグループホームは重度の方をより多く入居させるようで
今はだいぶ状態が改善され介護度の低い義父にとっては
とても退屈な所のようです。話し相手もいないし…。
(それでも介護1です)
でも、入居時がアルコール依存からの脱出途中だったので
受け入れてもらえる施設がなかなかなくて
本当に探し出すのに苦労をしました。
介護度は1以上であれば入れますよ。

義母が特養に入れたのは、義父がアル中になって身の危険を感じたので
緊急避難措置的な意味が大きかったと負います。
(これは大変イケナイ事ですが、虐待の兆候があれば即入れるそうです)
グループホームへの入所は要支援だと厳しいですが、
認知症だと診断されていれば要支援と言う事は無いでしょう。
もしも要支援であれば、ケアハウスと言う選択もあります。
ケアハウスでも、介護度が上がっても置いておいてもらえる所はありますよ~
費用は大体グループホームと同程度であります。
グループホーム費用もピンきりですけどね。
特養にとにかく幾つか申し込みをして、空きが出るまでグループホームで過ごす
または、老健を渡り歩く、または一旦自宅に戻してショートを使い続ける(1日自宅で過ごせば、半年は使えます!)
色々な手立てを、ケアマネさんや、包括支援センターの職員さんと考えていくと
きっといい方法が見つかります。
ご主人の扶養家族にはしないこと!
これをすると道が遠のきます。
あくまでも、お義母さんは、お義母さんの懐具合のみで見てもらえば
負担は軽く、サービスは手厚くなるように思えます。

私も自身が心の病を抱えているので、これ以上の負担はお断り!の状態です。
自分が元気でいないと、結局、家族も困るんですよね~
あまり思い込まず、抱え込まず、程々で行きましょう~

投稿: ゆんママ | 2013年1月24日 (木) 16時13分

初めて読ませていただきました。

「介護あるある」で、何度もうなずきながら読ませていただきました。
なんで、認定の日は頑張ったり、できたりしちゃうんですかね~
コメを書いた後、過去の記事も読ませていただくつもりです。

舅は介護度5でした。
ほぼ寝たきりで、介護度2の姑が介護していました。
本人がどうしても施設に行くことを拒んでいたのですが、入院がきっかけで、施設にはいりました。
最初は部屋代が月30万!食事その他別!のところに2カ月
これは経済的につづかないので、
今の施設のショートステイで順番待ちをしながら3カ月で特養の入りました。

ショートステイの延長。延長で1年以上いられると聞きました。
なにかいい手があるはずです。

今同居している姑は認知症ですが、穏やかな人で助かってます。

投稿: ちえ梟 | 2013年1月24日 (木) 16時39分

ゆんママ 様。
お久しぶりです。 お二人でコメントくださって ありがとうございます。
なんか 皆さんにいっぱい心配してもらって 嬉しいです。
こういう大きな問題は「困っている!」って声を上げることから始まるんだなぁって 再度確認した思いです。 
誰もが通る道だとしても やっぱり酷しいですけどね。
ゆんママさんも、ゆん父さんも 本当にありがとうです。 勇気もらいました。
また ちまちまと 焦らずに 探してみるつもりです。
介護認定が決定するまでまだ1ヵ月あるんだもんね。
頑張ってみますよ。
以前は 徘徊する義母を家において いろんな施設を探し回ったんだもの あの時に比べれば 
義母はまだ施設にいるんだし 気分的には楽なもんです(と、強がってみせる)なんてね。

投稿: うっちゃん | 2013年1月24日 (木) 20時42分

ちえ梟 様。
コメントありがとうございます。
私のボヤキに本当にたくさんの方が 頑張れコールしてくださって 嬉しいやら 思いがけず多い仲間の声にびっくりしています。
年齢的に知人友人 どこの家庭でもどんどん押し迫ってくる介護の問題は 本当に経験した人にしか
その本音の苦労やストレスは 語れないですよね。 
ちえ梟さんもまだまだ 先が長そうですが、穏やかに一緒に過ごせるお姑さんでよかったですね。
たくさんの声を励みに 頑張ります。
ありがとうございます。
介護って言葉だけが先行して 政治家達が 毎回いろんな改正をしますが どこかずれている気がします。
現場の介護士さんたちも 家族だって必死に頑張っているのにね。
どうせなら本当に困っている人を助けてくれる為に税金を使って欲しいです。
 
 

投稿: うっちゃん | 2013年1月24日 (木) 21時27分

ウッチャンさん
 こんにちわ!そんなことありませんよ!近くにいル人が一番頑張っています。でも、なかなかツタわらなっかったりします。悲しいですよね!
でも、良いときもあったり、悪いときもあったり色々です。良いときは、いっぱい楽しみたいですよね。今でも思い出します。なくなる少し前に車いすに乗せて散歩したの。その時いつも難しい顔をしていた母が笑ったの。嬉しかったですよ。
できることを、精一杯それで、良いですよ・・・
きっと・・・頑張って下さいね。^-^

投稿: happymaron | 2013年1月26日 (土) 13時34分

happymaron 様。
コメント、ありがとう。
苦労もいつか思い出になるんですね。
それで いい思い出だけが心に残る…そんな時期が 我が家にも いつか来てほしいです。
私なんかは以前からの親子関係はもともとないので ただお務めを果たしたという安堵かもしれないですが。
ダンナは 子供の頃からの重い十字架を下ろせるのかもしれませんし。
人間いつどこでどう転がるかは 誰にもわかりませんけど。

happymaronさんご夫婦は 無事にお母様を見送られて 優しくてとても穏やかな記事が書けるんですね。

投稿: うっちゃん | 2013年1月26日 (土) 14時29分

うっちゃん様ぁ

これからは、もちろんブチ能天気~なSeaめに戻りますが、最後に言っちゃいますねん
父は割と若くして亡くなりましたが、病院のカルテより詳細な診療録を自分でノートに記録し、亡くなる二日前には親戚中に「お世話になりました。さようなら!」と自分で電話をかけたりと、ホントに最後まで自分を無くさなかった人でした。でも、家族としてはそれがかえって痛々しく、覚悟の上の死とボンヤリとした死と、人間としてどっちが幸せなんだかなぁと、考えさせられる今日この頃です。なんと子供孝行な親だったことでしょう。私は幸せな子供です
自分も父のように、周りに迷惑を掛けずに、ポックリと死んで逝きたい。でも、自分ではどうしようもなくままならないこともだって起きると思います。頑張っても子供出来なかったんで、夫婦どちらか残った方が最後の時を天涯孤独で迎える。私にはそれを正気で迎える自信はハッキリ言ってありません。ボケるのも正気でいるのも怖いです。

うっちゃんさんの、お義母さんは幸せです。なんてお義母さん孝行な嫁でしょう。うっちゃんさんが存在していることだけで充分な徳を積んでるんですって
不幸比べはいけません。いけませんが、情けは人の為ならず。きっと自分自身の徳となって返って来ます。御苦労なさってる皆さん、絶対に幸せな天寿をなさいます。天はその人が乗り越えられない苦しみは与えませんってば!<受け売り!

あ、今度映画になる「聖☆お兄さん」って知ってますか? なかなか深くて面白いコミックです。目覚めた人ブッダも神の子イエスもなかなかの苦労人なんですよ
何事も通過儀礼ってか? 能天気ですみませ~んm(_ _)m

投稿: Sea Monkey ^_~* | 2013年1月26日 (土) 16時34分

SeaMonkey 様。
コメントありがとう。
お父様を亡くしたばかりだから ちょっといろいろなことを考えてしまいますよね。自分の身内にいろいろあって初めて「命」ってけっこう簡単に消えてしまうんだなと実感しますよね。
私は自分の母が亡くなった時23歳でしたが「命」というものを真剣に考えました。変な話ですがその時自分も母と同じ位の年齢で 逝ってしまうだろうと無意識に思い込んでいました。父は83歳で肺癌で亡くなりましたが そのお葬式の時に姉妹でこの話が話題に出て 4人姉妹の全員が私と同じ呪縛にかかっていたことを知りました。それくらい母の死は 10代20代の小娘には縁遠いお話でショックが大きかったのだと思います。
今はその年齢を一番下の妹が過ぎて 全員元気ですけどね。

自分の最期は自分では考えないように 脳が出来ていると何かの番組でエライ誰かが話されていましたよ。でなきゃ 怖くて生きられないもんね。
だからね、だんな様と出来るだけ(できる範囲でいいじゃん)仲良くステキな思い出をいっぱい作ればいいよね。
子供がいるいないは きっと 関係ないと思うよ。幸せの大きさは人それぞれ 今までと未来の…気持ち次第だと思います。
少なくても楽しかった思い出は 思い出すだけで幸せだもんね。

投稿: うっちゃん | 2013年1月26日 (土) 20時21分

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