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2013年7月 2日 (火)

7月1日 晴れのち曇りのち雨

 7月になりました。 
天気が落ち着きません。 一日のうちで 何回も天気が変わります。
こんな時期ならば いくら森の日陰とはいっても 洗濯物がからりと乾く時期になってもよさそうなのに 朝は前日の雨の水蒸気で湿っぽく 午後は薄曇り、夕方は雷に夕立ち(?)…。 
半乾きの洗濯物の 何とも言えない~゚(゚´Д`゚)゚ニオイ~。 ヤダネ。


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 今日は 久しぶりに お義母さんの介護施設に出かけてきました。
介護申請の新しい保険証が 市役所から届いていたからです。
 「しばらく面会をご遠慮下さい。」「施設内に入る時は マスク着用でお願いします。」などの張り紙が 玄関に貼られています。
なので 面会はやめて 保険証だけを置いていこうと思っていましたが 受付にちょうど ケアマネージャーさんがいらして 
 「どうぞ、どうぞ。 久しぶりに顔を出してあげてくださいな。」と あまりにもにこやかにおっしゃるので 
 「じゃあ、ちょっと 寄っていきますか。」と 断りきれずに 2階へ上がって行きました。


 相変わらずとっても静かな施設内です。
1階は デイサービスの方が利用していて いつもはホールで体操やお話などを集まってやっていることが多いんですが 今日は廊下も 2階に上がるエレベーターの前にも誰もいませんでした。 

 2階で降りると やっぱりホールには誰もいませんでした。

その代わり食堂には たくさんの入居者の方が テーブルを囲んでいました。
とは言っても テレビの音が流れているだけです。 介護士さんが「○○さん、これ食べちゃいましょうね~。」と 小さなカップを車椅子のお爺さんに 手渡している話し声で 一瞬だけ 気配がザワついたんですが すぐまた静かになりました。
私を見つけてくれた別のヘルパーさんが 
 「今日はお母さんはお部屋で 休まれていますよ。」と教えてくれました。

 「わかりました。 大丈夫です。 ちょっと顔を見に来ただけなので。」

 一緒に付いて来てくれたヘルパーさんが カーテンを開けると まだ午前10時前なのに ゴロリとベッドに横たわっていました。

 「おはよう。」と声をかけると 
 「??」と怪訝な顔。

すかさず ヘルパーさん。
 
  
 「よかったね~。 ○○さん。 会いたい人がきましたよ。」

 「? ?」 目を白黒。 キョトンとしています。

 「さぁ、誰でしょうね~(笑)」と またヘルパーさん。 こうやって記憶を呼び戻させるんでしょうね。 とっても間が上手です。 感心していると…。

 お義母さんのスイッチが急に入りました。 私が誰だか急に分かったらしいんです。

 「まあ、まあ。よく来てくれたねぇ。」

話し始めた様子を見てヘルパーさんは 笑いながら
 「ごゆっくりどうぞ。」と 部屋から出て行かれました。


お義母さんは 本当に今日はよくしゃべりました。
私の事が 本当に誰かわかっていたかというと うん、本当にわかっていたんですよ。

だってね。 一番最初に 私になんて聞いたと思いますか?

 「私には 家がなくなっちゃったんだってね? あの家は もうないんだってね?」と 聞いたんですよ。

 その家は 群馬で一人お気楽に暮らしていた義母の住んでいた借家です。
義母が倒れて入院したと入院先の病院から連絡があった時は その小さな借家は すでに手をつけられないくらいゴミが溜め込んであって トイレもお風呂もひどい状態でした。
借家なので もちろん 住んでいてもいなくても家賃はかかるわけで そのままの状態で置いておけないと 義母をこちらへ連れてきました。
家は 私が何日もかかって 半分やけくそのように頑張りました。 汚物から粗大ゴミまで ありとあらゆるゴミを捨て 掃除をして 大家さんにお返ししました。
もうあんな経験は 二度としたくないです。
今思い出しても もう3年も前なのに 悔しくて虚しくて悲しくなります。

 ダスキンとかなんとかのお掃除業者さんに頼めればよかったんですが お金持ちと豪語していた義母の通帳には 現金も定期もなんにもない 全くのすっからかんでした。
その代わりに 近所の数人が「○○さんにお金を貸してある。」と 事情の全くわからない私に 即 代金の請求書が来ました。 
ご近所さんは サラ金とかと違って ラーメン代とか病院代とかで 親切に貸してくださっていたものだったので 仕方なく(泣く泣く)支払いました。
って また愚痴ってる。 あんな惨めな経験は 思い出したくもないのに ごめんなさい。


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  ワルナスビ ナスやじゃがいもの花に似ていますが全然違います。葉っぱにはトゲトゲであぜ道なんかに生えています。 頑張って本物になりきれず刺を出している所が 義母のようです。




 それから 義母は 堰を切ったようにしゃべり始めました。 「正常じゃん?」って 思えるよね。 病名を知らなかったら。

 「ここには なんにもないのよ。 服だってこんなものしか着せてくれないのよ。」と 施設の不満を しゃべっている時は 認知症というフリをしているんじゃないかと思ってしまうほどです。 けれど 5分、10分すると 記憶がばらばらで 支離滅裂になってきました。
やっぱり 私を見ると消していた自分の過去が 少しずつ溯って記憶を刺激するようです。
穏やかな状態でいられるのは ここで何も刺激がないからなのかもしれません。
目がつり上がってきています。 
私の経験上 これはいかん。
私は 早く、ここらで帰らなくては~
義母には 私なんかが想像もできない 思い出してはいけない封印されている悪い記憶があるらしいんです。


 「お義母さん。 私そろそろ帰るね。」と 立ち上がりました。
介護士さんが ちょうど様子を伺いに 来てくれる所だったので ご挨拶をしてエレベーターに向かって歩きだしました。

 「もう帰るの? また来てね。」
エレベーターの近くまで 送ってきてくれたお義母さんは また 初めのゆらゆらとしたお婆さんに戻っていました。


 私は この人が重たすぎるんだよね。
ダンナのお母さんっていうだけで 何にも知らない人です。 
アルツハイマーという病気になってから 一緒に暮らしたから 私には徘徊と奇行の日々が 同居中のほとんどです。

 本人は今は何にも覚えていませんが 足の怪我もさせられたので 怖いという記憶の方が強い人です。
可哀想なんだけれど 面会人は私一人。
だから 面会した後は 毎回毎回 落ち込むんです。 
Σ( ̄ロ ̄lll) (´;ω;`)ウウ・・・  




 「家はどうなった?」じゃなくて 「服はどうしたの?」「宝石は?」「お金は?」って 本当は 一番聞きたいんじゃないかと 思えてなりません。
でも、聞かれたらなんて答えれば…?
記憶って その人の一体何に 執着しているんだろう。
分かり合える病気だと 最近はアルツハイマーを説明していますね。
でも、正直 今の義母も私もダンナも 分かり合えないし 気持ちはますます辛いです。



 帰り道 毎回 私は 家族にこんな悲しい気分で年老いた自分を見つめて欲しくないなぁ~と思ってしまい その傲慢な自分にも 苦しくなります。 

 
 
はぁ~。 ずっと この施設に入っていてもらいたいなぁ。


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              紅花 

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コメント

(´;ω;`)
なんもしてあげられないですぅ
でも、読んでいて涙がこぼれてきました
辛いですね、しんどいですね
でも、家族なんですよね(手を離せない…)
いっぱい愚痴っちゃてくだしゃい(T▽T)

投稿: と~まの夢 | 2013年7月 2日 (火) 11時12分

 と~まの夢 様。
いつも 優しい言葉ありがとう。
ほんとにねぇ、家族ってなんだろうって 人生の哲学書がかけそうなくらい
毎回考えさせられてしまいます~。
それでも人は生きなくっちゃならないんだね。

投稿: うっちゃん | 2013年7月 2日 (火) 13時31分

こんにちは〜\(^o^)/
お久しぶりで〜す
安曇野のお天気はいかがですか?
早く梅雨が明けるといいよね〜

義母さん、大変だよね〜
うっちゃんさんとこと、あたしのところはとっても似てるんです。
あたしの義父も4月に2回目の脳出血で、病院へ。
今は2つ目のリハビリ病院で、リハビリ中です。
義母さんも2回の脳出血を経て、近くに2人して暮らしてたんですが、
これからは、どうなるんだろう?
義母はあたしのパパさんとは、血がつながってるけど、
義父は血のつながりがないのです。
なので、パパさんは義父には絶対会いたくないと・・・。
なるようにしか、ならないよね〜って、思います。
うっちゃんさんも、ガンバレ!

投稿: anbaby | 2013年7月 2日 (火) 19時01分

anbaby 様。
久しぶりです。コメントありがとうです。
そっか~。
親子関係は難しいよね。
子供の立場からしたら 家のダンナやパパさんの気持ちがよくわかるんだけどね。
だけど それで負担がアンベビちゃんに来ちゃうのも
不公平な気がするし…。
うちのダンナは結局この件では逃げてばかりです。
もがいても絡まった糸は切れないって事もこんな年になってやっと理解できるんだから…遅!
そうだ
みんなでグチグチ文句を言い合おう~。
現代だってやっぱり奥さんの負担が大きな時代に代わりないんだもん。
いざって時に 女の方がくそ度胸はあるんだよ。

投稿: うっちゃん | 2013年7月 2日 (火) 20時27分

そんな施設で、ボランティアをしています。
少しでも、ご参考になれば・・・6月の記事です。
http://shirakobato.air-nifty.com/weblog/2013/06/post-3cae.html

投稿: しらこばと | 2013年7月 3日 (水) 09時31分

したこばと 様。
コメントありがとうございます。
さっそく 記事読ませていただきました。
奥様が亡くなられて ボランティアで素敵なことをなさっていたんですね。
すごいです。 
会話ができるって 人間の特権なのに 現代は年齢に関係なくだんだん出来ない時代ですよね。
今となっては全く手遅れですが うちはいろんな事先延ばしにしていたんですよね。
家族として成立していなかった義母と私たち夫婦。
なので 当然 義母とは共通な会話がありません。あたりさわりのない話をします。
施設では 一方的に話しだした義母の会話を聞く形になります。
義母とは、ダンナの地元ともダンナを育ててくれた義祖母の生前の数年間と葬儀、
法事の数回しか会っていなかったので 電話と手紙のみのお付き合いでした。
なので その溜め込んでいた話は こんな病気になっていても
遠慮しているのか(?)受け入れられていないのか(?)表面的な話から先には進みません。
本当は何十年も 言いたいことは
「息子に会いたい」とか「息子はなぜ来ないの?」とかじゃないのかと勝手に想像しているんだけれど
「ここにいるしか家がない」と言います。
誰か会いたい人がいるのかといつも聞いてみたい衝動に駆られますが こちらからは言いません。
私イコール息子になっているのか直接つながっていないからなのか 最後はあちらもこちらも
もどかしい状態で家に帰ってきます。
施設でも「無理してこなくてもいいですよ。」と言われます。
義母の心が解放されるのは亡くなる時ってことなんでしょうかね。
別にそれでも構わないんですが 話の節々に私が嫁という意識はあるので
理不尽なんだけれど私が当然世話をすると思っているんですよね。
だから 愚痴を言い始めるんだと思います。
ドラマなんかとは違い親子だから~には程遠いです。
でも ケアマネさんや介護士さんたちのように自分を助けてくれている人という意識があるので 
こんなにゆるりと生活できていますから しらこばとさんのようなおしゃべりボランティアには
ほっくりと心を開くかもしれないですね。

投稿: うっちゃん | 2013年7月 3日 (水) 11時27分

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