穂高みちあかり&灯籠流し
10月26日(土)夕方から 穂高神社のライトアップのイベントがあると 安曇野市の広報誌で 見つけてしまいました。
今回は どうやら灯籠(とうろう)流しと書かれているので 灯籠でライトアップされているらしい…ってことですよ。 前回は竹の筒で作った神竹灯を見に出かけて 想像以上に素敵で幻想的な灯りに感激したので 今回も どんなかなぁ~と 期待大です。
秋の夕暮れは あっという間に暗くなってしまいます。 午後6時頃には 神社の境内は写真のように真っ暗です。 手作りの灯籠が 参道に沿って 両側一列に 飾られていました。
灯籠は近くで見るとこんな感じ。 紙袋にペットボトル、その中に手作りのろうそくに火が灯って 飾られていました。
これも シンプルな飾りですが これだけの数になると 結構大変な手仕事ですね~。
南神苑の池では 灯籠流しのイベントが行われたようです。
でも、台風一過の夜の神社は かなり暗くて 灯籠の灯りは足元が薄暗くて 人の顔も分かりにくい感じで ちょっとコワイ感じ…でしたね。
昔の夜はきっとこんなに暗かったんだろうなぁ~。 暗闇に弱い私なんかは 狐にも狸にも この明るさじゃあ騙されちゃうなぁ(笑)
そうそう、おまけの話。
私のすぐそばで 若い親子連れが通り過ぎました。 お子さんはまだ保育園ぐらいでしょうか。 バタバタと走っていきました。
ちょっと遠くでママさんの声。
「○○ちゃん! ダメ! 火が倒れちゃうよ。」
パパさんの声。
「こら、火事になっちゃうぞ。 それに触っちゃダメだ。」
「火傷しちゃうわよ~。 パパと手をつないで。」
暗闇や本物の火に 今の子供たちは慣れていませんもんね。
いつでも明るい照明や安全な暖房の中で 危険な事は始めから取り除かれた環境で育っているんですからね。
真夏の夜 蛾やカブトムシだって 灯りに向かって必ずやって来ます。
人間の子供たちの本能も やっぱり明るい方へ… 無意識に触ってみたくなるのかもしれないですね。 だって 私だってやっぱり明るい方がいいもんね。
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コメント
人も動物の類・・・?と考えれば、現在の明るさは何なんだろうと思いますが、触れば明るくなる現実を当たり前と思っている山の風にとって、何とも素朴な心安らむ灯りです
。
。
好きで時代小説を読んでますが、当時の夜の外は月灯りが唯一の灯りのようですが、今では想像できません。
山で夜空を見るのと同じなんでしょうね。
穂高の道あかり、羨ましい催しです
投稿: 山の風 | 2013年10月27日 (日) 23時03分
本当にたぶん現代人は 視力もそうでしょうが闇夜でものを見る力も きっと江戸時代以前の人と比べたら
ずっと弱くなっていると思います。
暗闇では絶対にライトがなくては歩けない…です。
同じ道でも暗い夜の方がずっと遠い感じがしますしね。
よく現代から過去へタイムスリップする話がありますが 私は突然に過去。そして暗闇の生活はきっと無理だ
今でよかった!です。
投稿: うっちゃん | 2013年10月28日 (月) 00時12分
蝋燭の光は明るさだけでなく癒しも与えてくれますよね。
オレンジの色は太陽の色を想像させるのでしょうか。
蛍光灯に慣れた現代、蝋燭の明かりだけでは生活し辛いですが、たまの行事に蝋燭をつけるとほっとします。
投稿: lucky | 2013年10月28日 (月) 09時46分
そうですね。 ろうそくの灯りには独特の色がありますね。
その揺らめきもライトでは味わえないものですね。
山の中では冬によく停電があります。
雪の重みで電線に木が倒れるんです。突然の停電は困りますが 絶対の必需品が蝋燭です。
小さな光がひとつ揺れるだけでも停電中でもホッとしますよね。
投稿: うっちゃん | 2013年10月28日 (月) 10時50分