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2016年4月 1日 (金)

地元でも 初めて行った小岩岳城址

 「裏山登りに行くか?」
 「え? 裏山ならメグタと行ってよ。」
 「なんでだよ? もう雪はないし いいぞ。」
 「別に 私は山に登るトレーニングしなくってもいいんだし。 行かない!」


 「…じゃ、小岩岳城址(こいわたけじょうし)はどうだ? 裏山より楽だぞ。 
青原寺(せいげんじ)まで行って帰ってくるっていうのは いいだろう?」
 「それなら 言ってもいいかなぁ。」

 メグタとダンナ。 後ろから私。 ゆっくりと歩いて行きましょう




 この地区の小学校の子供たちは 地元の歴史を知ろう!とかいう社会科の一環で
この「小岩岳城址」を 散策します。 
我が家には3人も子供がいたので 知識としての情報はもうずいぶん前から頭に入っていたものの この歳になって初めて訪れたこの事実!(笑)
知ってよかったです。
さて、460年以上も 遥か昔に 遡って見ましょう。



 小岩嶽(こいわたけ)
というのは 安曇野有明の山城でした。
今年の大河ドラマ「真田丸」と同じ時代、武田、上杉の勢力争いの真っただ中に重なります。
今も小岩岳という地名が残っていますが実際には お城の面影はまったくありません。
それもそのはず小岩岳は武田晴信に滅ぼされて廃城になった城跡です。
Google 
とか Yahoo!  とかの地図で検索してみても 小岩岳という場所は探せますが、城址としての記述が 見つかりませんでした。 
 でも、実際に 小岩岳城址公園として山城の名残りが こんな風にひっそりの残されていましたよ。

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 ダンナたちの猟友会が雪の狩猟解禁期間に この冬何回も分け入って入った裏山の一つの 富士尾山(ふじおやま1296m)の中腹にあります。 
登り口に こんな砦のような山門と 見晴らし台の上には 城郭の櫓(やぐら)が建っていました。


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櫓の展望台からは 安曇野の穂高の町が一望できますよ。


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 甲州・信州の歴史を綴った『勝山記』に載っている
『小岩タケト申候要害ヲセメオトシ被食候、打取頚五百余人、足弱取ル事 数ヲ不知候』
の短い文章だけが 1551年の小岩嶽に起こった落城という悲惨な出来事が記載されているのです。
「足弱取ル事数ヲ不知」…老人や婦女、子供まで打ち取ったという意味。



 戦国の時代とはいえ 山間の小さな村落のたくさんの村人を巻き込んだ国盗り物語。
今は かつての城郭に ひっそりと神社が建てられています。



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 歴史が理解できると 名前もなく地図にも載らないこの質素な神社がとても大切な鎮魂の社なんだと納得ができます。

地元の子供たちに これからも語り継いでいってほしい城址です。

 





 

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コメント

地図にも載らない城址、名も解らない神社、
そこには、昔生活が有り人々が暮らしていた
証なんでしょうね。

そんな文化遺産、大切に残していければいいですね。

投稿: 中年ライダー | 2016年4月 2日 (土) 15時52分

中年ライダー 様。
こんばんは。
知ろうとしないと見えないモノって この世の中には
いっぱいあるんでしょうね。
TVドラマや映画の中には書ききれないほど権力を持った人間は戦が好きらしいですね。
時代は変わっても人間の性(さが)は変えようもないのかもしれないです。
人間には学習能力があるのに世界のどこかで戦争が起こっていますもんね

投稿: うっちゃん | 2016年4月 2日 (土) 19時43分

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