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2016年6月28日 (火)

紫陽花色の不安

 梅雨入りという言葉が 似合わない今年の6月。
水不足の心配もされる都心の 水源地には雨は降らず 九州・西日本ばかりに「記録的な大雨」が集中しています。

 といっても 6月は 紫陽花の季節。
安曇野でも ひっそりと咲き始めましたよ。 
不思議なもので この花を眺めていると なぜか心が落ち着きます。



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 質素でつつましやかだけれど 凛としている、そんな姿が日本人の生き方の根底にあるものに似ているのかもしれません。
いろんな色に変わるのも 移り気とか言われますが 夢見ているようで可愛いんですよね。






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 先日 思いがけず 「貞享義民記念館(ていきょうぎみんかん)」という安曇野市の博物館に立ち寄ってみました。
ここは 日本全国山ほどある博物館や郷土資料館の中でも かなり珍しい百姓一揆の記念館です。
 義民って…?


 1686年(貞享) 今から420年前の江戸時代のこと。 
 当時の松本藩主は 水野忠直公。
 松本藩の年貢の取り立ては厳しく 近領で米
二斗五升挽のところ 三斗挽を取りたてら
れていたが この年は不作の上に さらに困窮極み無い三斗四・五升挽を厳命された。
 過酷な年貢に苦しむ農民を救おうと 庄屋の多賀加助他の同志が 訴状をしたため奉行へ訴え出た。 
 これを伝え聞いた村々の農民たちが 鍬鋤を手に一気に城下に集まり 万余に及んだという。
  
  *これが世にいう百姓一揆です。*


 困惑した藩は 一揆を収めるために願いを聞き届ける旨の覚え書を出し農民の大半は村に引き上げた。
が、加助ら同志と百数十名の農民は二斗五升挽と証文を求めて留まっていた
  家老らは騒動が長引くことと江戸表への直訴を恐れて 聞き届ける旨の家老連判覚書を出して騒動まらせ

 喜び勇んで帰宅した加助らを待ち受けていたのは…



 藩は 渡した覚書を返上させ 騒動の首謀者として加助らを投獄し 安曇と筑摩の2ヵ所の刑場で磔(はりつけ)8人、獄門(ごくもん)20人という極刑に処された。



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 そんな 物語を上映してくれます。 

 今のように安定した水源を自由に利用できる時代ではなかった山国の信州の農民たちは
米が十分に作られるような土地ではなかったと思われますし、貧しい土地でも育つ蕎麦が今でも名物になっているのですから 日照り・干ばつなどで 日々苦しんでいた事が想像できます。
今も 美しく現存されている松本城の姿は 農民のちと涙で出来ていたなんて… 
420年前の役人たちの二枚舌は 今の政治家にも似ていて 苦しくて不安になります。



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                       多田加助座像


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                       貞享義民社

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                        多田加助宅跡   




 直訴をすれば自分の命も家族の命も危険。
 
こんなにも国民のことを考えてくれている政治家は 現代にはいないのかもしれません。

 選挙の時期になると 不安になります。




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 多数決の怖さが 毎回感じられます。

イギリスの国民投票が その一例です。
この安曇野市の合併も 僅差で合意されてしまいました。 
僅差では 約半分の人々の不満が 当然のことながら心に残りますよね。


 紫陽花の花のように 心を和ませながら変わって行けるのならいいのにと 思います。

 何が何でもゴリ押しの 今のやり方は危険な気がして 不安が増します。
当然選挙には行こうと思いますが 事後報告のオブラートに包まった言葉が 怖くてたまりません。 
権力を持とうとする人は、持った人は 上からの声は行き届いていても 下々の声を聞いていますか?


       

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