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2016年9月

2016年9月24日 (土)

日帰りバスツアーに当たった

 近所のスーパーで 一定のの金額以上購入すると レジで一枚もらえる小さな応募用紙には 「お楽しみ日帰りバスツアー」云々と 地元の名産品プレゼント商品のA賞、B賞などが 書かれていました。 
いつもなら そのまま買い物袋にいれて ゴミと化してしまうんですが 目の前に備え付きの応募箱が テーブルの上にド~ンと置かれていたので 
「どうせ当たらないだろうけど…」的ノリで 応募用紙に記入して箱に入れました。 
ずいぶん前の事だったので 応募したことも すっかり忘れ去ってしまっていました。 たぶん7月頃のことでした。

 8月の前半 突然「ご当選!」の葉書きが 届きました。
 「え~? なんだっけ?」
よく見ると スーパーの名前が…「ご応募いただいた日帰りバスの云々」ということで 「あsign03」っと 思い出しました。
 「日帰りバスツアーのご優待券」です。 残念ながら ご招待券では ないんですが…。


 日時は 9月7・8・9・10日で 自分で選べるようになっていました。 
ツアー先は 山梨県の旅 巨峰狩りやコスモスの咲き乱れるフラワーパーク。 
写真では ちょっとご馳走っぽい昼食。 
わぁ、いいじゃん。 ご優待でも 行きたいかも。

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               近所のコスモスだけど ↑               




 「夏休みには帰れないけど 秋には帰るよ。」
長女が メールでそんなことを言っていたので さっそく「当たったんだけど、一緒に行く?」と 聞いてみると
長女は 「休めるか聞いてみる!」の返事で、次女は 「駄目だぁ~。 仕事だよぉ~。 残念~。」という返事が返って来ました。
で、長女の都合のいい 9月10日の予約を取りました。
 ずいぶん久しぶりのバスツアー。 それも 娘と一緒は何年ぶりかしら~heart04




 なんて 申し込んでからちょっと ワクワク。 楽しみにしていたんですが…。



 8月末 お義母さんがヤバイという連絡と、あわわwwwと思っているうちに 亡くなってしまうというハプニングが起こりました。


 「あ~あ。 まただ。」
正直 私は 電話が施設から入った日に (こんな時にバスツアーになんて行ってられないなぁ)と 中止を視野にいれていました。
 「せっかく当たったのにな。」
どんなに悔しくても 喪になってしまっては あきらめるしかないですもんね。

 このお義母さんは 本当に間が悪いんです。
他の家族がいないので 自分の入院の付き添いに3人の子育て中でてんやわやの私に 息子にではなく 婦長さんに頼んで 嫁なんだからと平気で呼び寄せたりもしましたが
一番今でも許せないのは 私の実父が最期の時期に実家の浜松に帰っている時 ひょっこりやって来た事です。
没親子状態に近い息子でしたから 10年に一度も訪ねては来ません。 それが なぜか時を狙ったように訪ねてきたんです。
 「絶対 断っておいてよね。」
夏休み中で ダンナはサッカーの大会に出かけていて 誰もいない安曇野にです。


 断ったはずなのに 「そちらに行く」と言うので電話口で 「父の具合が悪い」とちゃんと断ったのに 「もう電車に乗っている」というので 父に話すと 「急用かも 行っておいで。」
仕方なく大急ぎで自宅へ向かいました。
ダンナに似ているんだよね こういうとこ。 絶対こっちの都合をきかないんだ。
なんのことはなく義母は周辺を観光して 帰って行きましたが 父はその後に亡くなり 結局 私は義母のおかげで父の最期には間に合いませんでした。
このことがあったので (義母本人は知らないでしょうが) 正直 父の事を思い出すと 今でもなんで?と 私はあの日の義母の配慮のなさを悔しく思います。

 で 今回も あの時と立場は真逆になりましたが同じ状況ですよね。
よりにもよって どうして今なのか?と 思ってしまいました。 
6月でも7月でも10月でもよかったのに 重なって欲しくないこの時期に…と思ってしまって 自己嫌悪です。
最後までなんて意地が悪いんだsweat02  そんなに嫌われてたのsweat02 とか。
 自分が情けない。


 

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 「行けたら行こうよ。 どっちにしても家に帰るし。」と娘。
 「お婆ちゃんに関係なく 行ってきた方がいいよ。」
 「せっかく当たったんだから 行けと言ってるんだよ。」とかの声に励まされ 自分の為に行こう!と決めた途端に 義母は亡くなり 大忙しで1週間が過ぎました。 
台風が 次々とやってきました。



 
 
 9月10日(土曜日)。 晴れsun

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 お盆以後 ほとんど全滅の空模様。 
 「今日くらいは一日中 晴れたらいいね~。」と娘と話していたら その返事がしゃれています。

 「うん、お母さん。 絶対大丈夫だよ。 このバスに乗っている人はみんな当選した人ばっかりだから 強運を持ってる人だらけだから 晴れるに決まっている(笑)」
 「だねぇ。(笑)」


 山梨に向かって一番最初に 案内されたのは 上の写真の建物です。
東京方面から 中央高速道路で長野方面へ向かった事のある人なら 甲府の山の方向に大きなキラキラ光るお寺の屋根を見た事があるはず。
超目立つんです。
以前から ずっとお寺だと思っていたこの建物は 実はお寺ではなかった!ので ありました。


 ここは甲府のランドマーク 幸せの丘 「ありあんす」 というんですって。 ありあんすはフランス語で なんとか~と 添乗員のお兄さんがしっかりと教えてくれたのに 「う~ん? なんだっけ?」全然思い出せないや。

 象牙彫刻美術館の建物が高速道路からお寺のように見える建物でした。 
館内は 撮影禁止なんですが 唯一「どうぞ~camera OKで~す。」と言われたのが ここ↓。


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 このマンモスの象牙は 本物だそうですよ。 象牙の彫刻写真は撮れなかったので パンフレットから 一枚だけ。 こんな見事な国宝級の凄い作品が たくさん展示されていました。


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 案内の方が 「ここは宗教じゃありませんよ。」と 何回も話されていましたが 白檀(びゃくだん)の香りが漂う館内と 象牙は照明に弱いそうで 微妙に薄暗い展示場。 ついでに 日本印相協会の無料姓名鑑定付きというのが このツアーにもれなく付いていて 個人別に個室で鑑定してくれ その鑑定士に 由緒正しい印鑑を進められ…なんかなぁ~。 (もちろん高価で買えないけど)

 「うわぁ~。 これじゃまるで中国に行った時のツアーみたいじゃん。」



 ここには 自分じゃ絶対行かないよね。 
甲府って 不思議な場所が多すぎる。
昇仙峡の水晶だって この印鑑だって 宗教じゃなくてもなんか まやかしの「信じる人は救われる」的な雰囲気を感じて なんかゾクゾクしますが、他の方はどうなんでしょう?


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             ありあんすから甲府市を望む。 クリックすると大きくなります。


 次は ワインの試飲会場へ。 2016年のワインを 数種類試飲出来るように なっていましたが 甲府は安曇野よりもずっと気温が高いんです。 その上 晴れ女、晴れ男ぞろいのツアーバスの仲間たちです。 久しぶりの汗だくの陽気に 昼食前の腹ペコの私には ワインよりも冷たく冷えた葡萄ジュースが 本当に美味しかったです。



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 楽しみにしていた昼食は 不発でした。 「…coldsweats02  pout sad down
あえてここでは記さないことにしますね。
 がっかりの次は 巨峰狩りです。  今回の一番のお楽しみにしていました。



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 今年の30度越えの真夏日の続いた8月の暑さは ここ甲府でも長野と同じらしく 葡萄も収穫期の終わりになっていました。 出荷用の畑には 葡萄が全然見えません。
ブドウ狩りの観光用に ポツンポツンと 葡萄の実のついた畑に 小さなマイクロバスで送迎してくれるんです。

 「食べ放題」なんですが 食べきれなかった葡萄は1kg1500円で買い取りになります。
大きな巨峰を 一房全部食べ切るのは 生まれて初めてです。
一粒が大きくて めちゃ甘い。

 「美味い~。」


房を選ぶ時に 蒸し暑いので よく見て選ばないと しおれている実がついているものが多くありました。 きっとこういう果実は売り物にはならないんでしょうね。

 昼食がハズレだったので おおきな房の葡萄をまるまる食べきることが出来ました。




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 「お母さん、すごいの全部だね(笑)」と 娘に笑われましたが バスの中の他の参加者の方の会話の中でも 「一房食べちゃった~」というのを いっぱい耳にしたので いずこも同じ…気分なのよね~。
 巨峰は 私の知ってる葡萄の中でNO1の美味しさでした。



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 最後は 一面のコスモス畑へ…のはずが ここも外れ。 
コスモスは台風で散ってしまったのか 高温が続いたので咲き終わってしまったのか 影も形も見えませんでした。

 「安曇野の方が 綺麗だね~」 娘の感想。
 「そうだね。」返事。


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 お土産に お花の苗をひとつづつ頂きました。 売店で他の苗も格安で売っていたので ラベンダーの苗を いっぱい買って帰りました。 来年は大きく育って 庭が紫になると嬉しいな。


 バスツアー きっと例年だったら 巨峰も山にどっさり実って、コスモスも一面に可愛い花を咲かせて 「わぁ~!」と感嘆の声が上がったのだろうけれど 猛暑で空振り続きでした。
 一番ヒヤヒヤしたのは 添乗員さんではなかったかと 思います。 企画倒れではありましたが 久しぶりに娘とのんびり歩けて 本当に楽しい一日になりました。
 あの時はひどかったねぇ~というのも いい思い出として記憶に残るものですね。

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2016年9月17日 (土)

「…!」 その2

  昨夜の十五夜のお月様。 残念ながら見えませんでした~(笑)
雲のずっと上には まん丸のお月さまが 輝いていたんでしょうね。

 でも、やっと 秋らしい涼しい風に変わってきた気がします。 
ただお天気が悪かっただけ…ってことも考えられますが…。
でもね、ここ数日蝉の鳴き声が しないんですよ。
秋の虫 コオロギの声だけが 静かに聞こえています。


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                 クリックすると大きくなります。↑


 
 一昨日の続き。
葬儀が日曜日だったので 葬儀屋さんが用意してくれた市役所からの除籍のために必要な書類をしっかり用意して 準備万端で出掛けました。
 死亡の手続きは 配偶者か直系の子供たちでなくては 出来ません。
義母をこちらに連れて来た時 様々な手続きが必要でした。 
あの時も 何もわからずに 細々(こまごま)した手続きのほとんどを私がしました。 
今思えば当たり前のことなんですが 市役所に提出するすべての物は 実息子であるダンナが出掛ければたった一回で片付いたんですよね。
「なんで俺が?」と逃げ出したので 結局は何回も無駄足を踏んでしまいました。


 そんな 経験を踏まえているはずなのに 今回もまた ぐずぐず行き渋っているので
 「オラオラ~! さっさと行くよ!」 
ダンナの尻を叩いて (過保護の母親のように)一緒について出掛けました。 
面倒なことは 「後でするから」という言葉に騙されて 以前のように先送りにしてしまっては どんどん面倒くさくなるよねって 本音です。
後送りにしても 自分で手続きをしない限りには 何も終わらないんですからね。



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 市役所ではたくさん書類を書かされましたが 今回はスムーズに終了しました。

 「疲れた~!」
 「終わった~!」 
 「よかったね。」


 と、思ったのも束の間。
これで 後はお寺に納めれば…という前に もう一つ 問題があったんです。



 まったくの一文無しだった義母の唯一の財産は 私が支給される義母の年金から 少しずつ貯めておいてあげた2通の通帳だけでした。 
年金が振り込まれる銀行の通帳と 利用していた施設に振り込むための通帳です。
どちらも義母が自分で作ったものではなく ダンナが代理人としてお金を動かすために作った通帳です。 生きていくための施設利用料と 遠くない未来に必ず訪れるお葬式とお寺の費用くらいは貯めておきたいと 必死でした。
「俺は知らん」と言われても無関心を装っても その日には まとまったお金が必要になるのは目に見えていますからね。
ここ数年は旅行にも行けず ケチケチ貧乏暮らしをしていました。
 自分の親にも親孝行できなかったのに ホント私って馬鹿みたいだ~と お人よしの自分に呆れながらです。


 その雀の涙の通帳が 死亡により止まってしまいました。
死んで本人がいなくなってしまったんだから 当然ですよね。 実父の時に経験済みだったので ちゃんと知っていました。
ここまでは どこのお宅でも同じだと思うんです。 これが遺産手続きですもんね。
でも義母の場合は 銀行では 肉親はダンナ一人だし 遺産といえないくらいほどのちょっぴりの通帳の金額ですから 簡単 即終了だろうと考えていました。
それが甘かった。
チェック項目で無事通過だと 思っていたら いやはや思わぬ落とし穴が あるもんですね。

 「お母様の出生から死亡された時までの 本籍地のわかる書類が必要です。」 
 「死亡は安曇野市に提出されていますから そこから遡って住民票か戸籍謄本で移動先が記入されていますから それらの用意ができてから 当行にお持ちください。」だそうです。

 銀行のすぐ側に市役所の支所があるので 窓口でお義母さんの本籍地の載っている除籍された戸籍をもらったのですが ダンナの子供時代住んでいた群馬県ではなく 50年以上も前に亡くなった義父の本籍が記載されていました。
そこは 佐賀県だったのです。

 「あれ? 佐賀になっている!」
 「お父さんとご結婚なさった時の本籍だろうから この本籍地に問い合わせて 結婚前の 本籍地の記録が残っている謄本を佐賀から取り寄せるのですよ。」

 「うへぇ?」
 「そこから生まれた時の出生届まで 謄本記載の役所をどんどん追いかけるんです。」
 「自分のことも知らないのに 親の生まれた場所なんてなぁ。 そんな話すら聞いたこともなかったからなぁ。 参ったなぁ。 見つからないかもなぁ。」


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 で、この本籍地の問い合わせは 遠距離恋愛が増えたからでしょうか?
びっくり、郵便で問い合わせる方法が充実しています。 インターネットでも確認できます。
便利ですね~。
 まずは 安曇野市で教えてもらった佐賀市役所に書類を送って 約1週間。
封筒が返ってきました。
そこには結婚時の住所が記載されていました。 そして親切な佐賀市役所の担当者の方は 次の問い合わせ先も丁寧に記入してくれていたので 現在 群馬県の方に2通目の問い合わせをしている最中です。
来週には 次の本籍地が届くんでしょう。
ここで 普通の人は出生に たどり着くらしいです。 
が、ダンナは無理かもと疑っています。 
どんだけ 長い間 親を疑っていたんでしょうか?



 早く、早くと思っても まだ もう少し時間がかかりそうです。
ダンナのいらだちは当分続く…のかな。


 人が生まれて死んでいくのには 生まれる時も死ぬ時も 誰かに助けてもらわなくては 逝かれないようです。 think think think



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2016年9月14日 (水)

「…!」

 ずいぶん ブログをご無沙汰していました。
ココログを始めたきっかけは 「理不尽な日常の介護」生活との葛藤だったんですよね。
あの頃は 本当に精神的にも肉体的にも切羽詰まっていましたからねぇ。



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                  クリックすると大きくなります。↑



 9月2日(金曜日)。
 

 「お母さんが 21時30分お亡くなりになりました。」のお電話が 施設から入りました。
 「わかりました。 有難うございました。 本当にお世話になりました。」


 この電話で 私の長かった介護生活が終了しました。



 「食事がほとんど取れなくなってきました。」という電話を ヘルパーさんからいただいたのは 暑過ぎる8月が もうすぐ終るという時期でした。。 
もともと小食の義母なので 「食事が…。」という話は 入所当時から担当の方が交代になるたびに聞かされていて ご挨拶代わりの話だったのですが…。 
一昨年の夏あたりから 「具合が良くない。 だいぶ落ち着いた。」という連絡に代わりました。
その頃 今後の相談ということで ダンナが先生と延命治療は一切しないという話をして来たと 宣言しました。 
 不思議なことに それから静かな1年が過ぎていました。

 そして ついに 8月31日には 「水分も受け付けなくなってきたので もってこの1週間くらいだと思います。 覚悟と準備を…」といわれてしまいました。
9月1日の午前中には 声をかけても反応がほとんどない状態でした。
院長先生から 個室に案内されて 病状と亡くなった時の手順などの説明を 受けました。
 私の記憶の中には 実家の祖母や父母の最期がインプットされているので 先生やヘルパーさんの言う 「いよいよ」が即理解できました。


 そして その時は いろいろ準備する暇も与えないくらいあっという間に やってきました。
こちらには 身寄りも知人もいない義母には 葬儀屋さんがてきぱきと段取りをつけてくれ 助かりました。



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                クリックすると大きくなります。↑


 9月4日。(日曜日)


 台風予報が次々と流れている 1週間の始まり。
私は 生まれて初めて 霊柩車に乗りました。 たった2人の家族葬なので 帰りの車と霊柩車に一人ずつです。 安曇野市は松本市と近隣町村で広域利用の火葬場があります。
我が家だって都会人から見ると 山のど真ん中に感じるらしいのですが そんな所に暮らしている私が 「超山ん中!」と思ってしまうほどの専用道路を登っていくと 建物がみえてきました。


 寂しすぎる儀式だったけれど この夏に数回しかない びっくりするほど真っ青な透き通った空に お義母さんは小さい煙になって昇って逝きました。
それだけでも ちょっと幸せな最後だったかも…と 思う事にしました。



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                 萩の花↑


 ロビーで 時間を待っている間に ダンナがポツンとつぶやきました。

 「考えてみたけど この人で いい思い出なんか一つも思い出せないんだよな。」

 長かった介護が始まったこの7年弱。 
大変な部分は全部 理由も説明せずに私に押し付けて 逃げてばかりいたダンナ。
このドロドロの親子関係を 救ってくれたのがこの施設のたくさんのヘルパーさんたちの力でした。
心を交わす日々は 2度とこないまま こんな小さな骨壺に収まってしまいました。 
だから もう 重くて苦しい長い呪縛から 解放されてもいいんだよね。


 「……。」 毎朝 お水を替えて お線香をあげます。 普通の日常になってきました。
ダンナは お線香をあげたり 手を合わせたりも しません。
無理強いはしないんです。 
 「もう神様(仏様)になったんだから…。」とは思いますが かたくなな心をほぐすのには もう少し時間がかかるんでしょうかね? 
面倒だねぇ、この男は。 
半面教師として 今の自分の家族を大事にしようとか 考えればいいんだよ。scissors
年取るとみんな 寂しくなるから。
でないと、こっちが先に死んじゃうよ。 もぉ!

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