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2016年10月

2016年10月30日 (日)

岡谷を歩いてみたら その2

 

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 岡谷市には 製糸工場跡だけではなく とっても素敵な建物があります。
 写真↑の 「イルフ童画館」です。


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 日本の童画の王様といわれている武井武雄さんは ここ岡谷市出身なのだそうです。
たくさんの作品が常時展示されています。


   「誰?」って思うでしょ。 
若い方は知らないだろうけれど 以前は幼稚園や保育園の雑誌は キンダーブックコドモノクニという出版社が ほとんどでした。 キンダーブックなら見た記憶がありますよ。
 今でいったら 福音館とかでしょうかね?


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 ちょっと 独特の雰囲気をもっているんですね。 なんかどこかで見た記憶もあるようなないような…。(笑)



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 特別展では こんな可愛い作品展も。


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                  ヒグチ ユウコ さん


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                  石黒 亜矢子 さん


 絵本の世界は いろいろな入り口がいっぱいです。 みんな キラキラ夢がいっぱいで 楽しくなりますね。

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2016年10月28日 (金)

岡谷を歩いてみたら

 先週の「諏訪のおばちゃんのお葬式」というのは 私たち夫婦の譲れない約束だったんでしたが 同じ日にダンナの狩猟諸先輩たちから ずいぶん以前から誘われていた銃の練習も絶対的だったらしく ダンナはちゃんと先輩方に お断りが出来ずにいました。
この人は 昔からこういう所があって 結局は当日になって そのしわ寄せが家族に回ってくるわけで…。  ホントええかっこしいなんだから~。
 

 喪服や香典をあれやこれや準備して 車に喪服一式を前日に積み込みました。
と言うのも お葬式が午後2時、狩猟の練習場がすぐご近所の辰野市ということもあって              「どこかで時間つぶして待っててくれ~」と いうことになりました。
私は正直  「またか!」と思ったけど 毎度のことで翌日のことなので喧嘩する気にもなれず PCで 手頃な場所を探してみました。



 それで急きょ 午前中はダンナは辰野市に、私はお隣の岡谷市で時間をつぶすことにしました。

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 上諏訪・下諏訪は もうずっと学生の頃から通っているので いろんな名所をまわっているんですが すぐお隣の岡谷市はいつも す通りしていました。 
失礼な話ですよねぇ。

 今回 岡谷に行こうと思ったのは ただお隣という訳じゃあないんです。
群馬県の富岡製糸場が世界遺産に選ばれた頃 県内の地方番組放送の中で 上の写真の紹介がありました。 岡谷の製糸工場に必要な水を確保するための 丸山タンクです。
 こんな場所があったのね~。 記憶のどこかに引っかかっていたんだと思います。

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 こういう他の人が行かないような場所が好きだから 今回一人で歩くのにはピッタリでしょ。



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                旧山一林組製糸事務所(外観のみ)



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                 金山繭倉庫(外観のみ) 


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                 蚕霊供養塔


 照光寺の一角にあります。 とても大きなお寺で、お蚕様が大切にされていたのがよ~くわかりますよね。

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 岡谷市のHPのモデルコースの「シルクに浸る2時間コース」をコピーして 歩いてみました。


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                      旧林家住宅 
          

 後ろに大きな高速道路が見えますね。 岡谷と言ったらこの大きな大きな塩尻トンネルに続く高架道路を思い浮かべますが この重要文化財になっている旧林家住宅が 余りにもすごすぎて 岡谷の製糸業がいかに盛んだったのかを痛感しました。
一度 見学してみるのも人生観が変わるかも~  と お薦めです。 広いお屋敷なのでご案内人が 丁寧に説明して下さいます。
 

 明治9年に 富岡製糸場を模して 岡谷の製糸工場は始まったとパンフレットに書かれています。 その初代社主の林国蔵(はやしくにぞう)氏が 明治30年代に建てた建物です。 お金があるっていうのは 明治時代の富豪も こんな暮らしができるんだとため息がでてしまいますよ。 


 今も現存のまま 日本の美と西洋の美が どちらも優雅に残っています。

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 美しい欄間が見事です。(大きくすると ピンボケでごめんなさい)
屋敷内の全ての部屋が 一つ一つ違う造りになっているそうです。



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 中庭をぐるりと取り巻く廊下のガラス戸の上には 大きな一本の杉の芯の部分が贅沢に使われているそうです。

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 金唐革紙(きんからかわがみ)が壁や天井に使われているのは離れ2階屋敷です。
お蔵に囲まれていたので保存状態が良く 当時のまま金色がいまだに残っています。
贅沢の極みをつくした まるで豊臣秀吉の金の茶室のようですね。





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  洋館は外国の客人をもてなすために建てられたと言われています。 隣には茶室もありました。 部屋の壁は寄せ木造りですよ。 明治の建物なのに今風のロールのカーテンが使われていると 案内をして下った上品なご婦人が説明してくれました。



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 台所は着物姿で調理したので これが流し台だったそうです。 広い屋敷内には各部屋にベルが引かれ ベルはこの台所につながっていたそうです。 どこまでも便利でその時代の先端だったんでしょうね。



 一周するだけで 重要文化財な建物であることの貴重さが よ~く理解できましたよ。
シルクというのは確かに 巨万の富を作りだす物らしい。 供養塔が建ててあっても当り前だよね。 お蚕様、様。


                    (続く)

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2016年10月26日 (水)

虹色の大楓

 ひゃ~。 寒い!という表現がピッタリな 季節になってしまいました。
雨が降ったので 今日はいつもより 一気に冷え込んでいる気がします。
山は 雪が降っているんじゃないかしら?と 思うほど。 
大急ぎで石油ストーブを 出してしまいました。 まだ10月だというのに~。

  雨の前に 大峰高原の 大楓を見に行ってきました。

 24日(月曜日)
 うどんを食べながら ダンナがひょっこり 「今日しか行かれない。」と言い出したのです。
最近は この今日しかという言葉に めちゃ弱い私。

 じゃあ、仕事もそそくさ片づけて お昼ご飯を食べ終えて さっそく出かけることにしました。 この頃 こういうパターンの お出かけ多いな。 

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 平日の午後なのに 思った以上に見物人が いましたよ。 
紅葉は まだ始まったばかりの 3分~4分くらいでしょうか。


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                 クリックすると大きくなります。↑↓ 


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 七色の大楓
は 先日の台風で枝が痛んだのか、真夏の日差しで枯れたのか、先シーズンの大雪でやられてしまったのか 数年前よりも ずいぶん葉っぱの落ちている箇所が多く見られました。 
入り口で 維持するための募金箱が設置されていましたが 大木だから長い年月 吹きっさらしの高原で厳しい風雪にも 耐えてきたんだろうと思います。 
人の手で守ってあげられるものならば 出来る限り守ってあげて欲しいなと思います。 


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 大楓のある池田町の秋。 稲刈りの終わった後の 稲の香りが漂ってくるような風景が ホッコリしますね。

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2016年10月24日 (月)

思い出とともに

 

 ご冥福をお祈りいたします。

10月20日 (旧)諏訪湖ユースホステルのおばちゃんの お葬式に行って来ました。


 「おばちゃん、ありがとう。」

その一言が言いたかったんです。


 私が初めて諏訪湖に行った高校生の頃から もうおばちゃんと呼ばれていました。
誰もを明るく受け入れてくれる大きな優しさが 心地よくて なんかなぁ~大きなお母さんみたい。 何度も会いに行きたくなってしまうおばちゃんでした。

 立派なお葬式でした。

 97歳。 おばちゃん、大往生ですね。 
楽しかったあの頃のたくさんの思い出が 次々とよみがえります。
お焼香をする人々にも  きっとそれぞれの懐かしい思い出があって… 皆に素敵な笑顔をふりまいていたんでしょうね。

 おばちゃん、ありがとうございました。
心からお悔やみ申し上げます。



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死んだ男の残したものは
谷川俊太郎作詞
武満徹作曲

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない


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  この曲は 10月21日の 穂高東中学校で行われた「田舎のモーツアルト」音楽祭で ゲストテノールソリストの 福井 敬さんが 歌って下さった曲です。


 森山良子さんや 美輪明宏さんが 以前歌われていたのを 耳にしたことがあったので 私にとっては 初めての曲ではなかったのですが 
福井さんの気持ちのいい美声と表現力に わしづかみにされたように ぐっと魅入られて 心の中に沁み込んできました。 
きっと 身近な人を 何回も見送ったこんな時期だから ずっと普段よりも深く深く心に 飛び込んできたのかもしれません。
 音楽って ホント 素晴らしいですね。


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 「田舎のモーツアルト」音楽祭というのは 以前穂高町と呼ばれ 中学校も(旧名)穂高中学校が唯一の中学校だった時代に (うちの息子も通っていました)始まりました。

由来は すごいんですよ。
現穂高東中学校の正門の右側にある大きな碑に 刻まれている「田舎のモーツアルト」と言う詩からです。 
尾崎喜八という人物の名前を 聞いたことがあるでしょうか?
その尾崎喜八が 小さな田舎町の穂高を訪れた時のことを 語っています。

 よく晴れた秋の日のことだった。 
若い女の先生がモーツアルトの『トルコ行進曲』を孜々として弾いている。
中学生が身じろぎもせず聴いている。 この光景が強く私の心を動かした。 
そして自分の音楽が田舎の純真な人たちから愛されていることを
モーツアルトはさぞや喜んでいるだろうとおもった
 


この「孜々として」が この中学校では今も語られています。
息子たちの時は 音楽の先生が自分でピアノを弾かれて さぞや練習が大変だったろうと思いましたが
今回は ピア二スト久元佑子さんと テノール歌手福井敬さんが 演奏してくださいました。
プロの弾く『トルコ行進曲』は 会場を一気にモーツアルトの世界に引き込みます。


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 生徒たちの重唱も ゲストの演奏・独唱も素敵でした。 音楽の奥深さに魅せられて ほっくりして家路についたのは 私だけじゃなかったはずです。



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2016年10月22日 (土)

旧国鉄 篠ノ井線の廃線を歩いてみた

 

10月16日(日曜日)   

 久しぶりの2日続きの快晴。 最高のお出かけ日和の日曜日です。
土日と言えば サッカーの大会や狩猟のお誘いなどで スケジュールがいっぱいのダンナですが ぽっかりとこの一日だけ「お休み」になっていました。 中学校は試験休み中だし、狩猟もありません。 山の紅葉も後一歩という時期です。


 「裏山は 行かないよな~?」
 「行かない! クマ出てきそうだし~。」
 「クマにはメグタがいるから大丈夫だろ~?」
 「でも、裏山には行かないよ。」
 「じゃあ、どっか行きたい所はないの?」
 「う~ん? じゃあ、廃線は? 一回行ってみたいと思っていたんだけど。」
 「よし。 じゃあ、廃線に行ってみるか?」
 「メグタを連れてっても大丈夫そうだし、廃線を歩くなんて誰もいないだろうし(笑)」
 「いやいや、日曜だし人だらけかもなぁ(笑)」



 廃線というのは 旧国鉄時代の篠ノ井線の廃線跡です。
篠ノ井線の「明科(あかしな)」から「西条(にしじょう)」の区間は廃線と平行に新線になっていますが 旧線の時代(明治から昭和にかけて) 蒸気機関車からディーゼル機関車がここを走っていたんですね。

 旧国鉄篠ノ井線は明治35年に全通、長野県の南北を結び多くの人や物資を運搬してきました。 傾斜のきついこの旧トンネル区間に 蒸気機関車を通過させるのは難しく 昭和45年に蒸気機関車が姿を消して電化され、昭和63年に新線が完成した事で86年間の役目を終えたのでした。

 
 JR明科駅 ⇔潮神明宮1.2km・30分 
JR明科駅からスタートなんですが 今回は潮神明宮から出発することにしました。

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●潮神明宮⇔三五山(さごやま)トンネル 0.5km・10分


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この電線の間を 枕木とレールが敷かれ 蒸気機関車が煙をはいて 走っていたのですね。

 トンネルが見えてきました。

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●三五山トンネル⇔東平 1.0km・15分

 

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 三五山(さごやま)トンネル
です。↑ 125mとちょっと歩くとカーブもしていて薄暗く長いんですが 照明塔が点いています。 天井が黒いのは蒸気機関車の煤(すす)の跡だそうです。


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●東平(北アルプス展望)⇔けやきの森自然園 0.9km・15分



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●けやきの森自然園⇔漆久保トンネル 0.6km・10分




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 奥に見えているのがけやきの森自然公園です。 踏切の遮断機やレールが残されています。  
線路ですからね、ただただ ひたすらまっすぐ歩きます。




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 茶店やお地蔵様も。


●漆久保トンネル(普通車のみ駐車可)⇔潮沢信号場 0.7km・15分




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 漆久保(うるしくぼ)トンネルは53m。 こちらからも出口が見えています。 
トンネルが総煉瓦で 今もしっかりと残っていますね。 この煉瓦は地元の明科で作られてトロッコで運んだと 入り口の説明書きに書かれていました。


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 このトンネルの両脇に こんな立札が。 行きに小沢川へ 帰りに晋寛・覚明像へ寄ってみました。

●潮沢信号場⇔旧第2白坂トンネル(駐車場、大型可) 0.7km・15分



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ここでスイッチバックを したんですね。 今は篠ノ井線では姥捨駅のみでスイッチバックが見られます。 やまぐに信州で重たい機関車を走らせる為のスゴイ知恵ですよね。



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 第2白坂トンネルは閉鎖中でした。 ここまで約5km歩いて来ましたよ。
車が潮神社なのでここから同じ道を引き返します。



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 午後からの出発でしたので 神社に着くころには薄っすらと 夕暮れに…。
常念岳のシルエットが綺麗です。

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2016年10月18日 (火)

花言葉

 こんなお話書いたら 「あ~! 言っちゃだめだよ!」って 怒られちゃうかな~?
でも 私的に言うと こんな文章も残して置いた方が きっと後でいい思い出になるのかも~とか 思っちゃうんだけれど(笑)




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 「うわぁ~! どうしよう!」  

こんな電話が かかって来た原因は このお花なのよ。↑


 この花の名前は「ホトトギス」っていうんですよ。 安曇野の河川なんかに この10月頃に咲いています。 ちょっと珍しい山野草ですね。

 彼女は 「石橋を叩いて渡る」よりも慎重派で そこまで考えるの~?と思うほど 心配性です。 
なのに、おっとり見えるので いろんな人に「面倒なこと」を押し付けられてしまうんです。 嫌なんだけど「嫌です」と上手に押しかえす事も出来ずに 生真面目にやってあげてしまっているという いわゆる「いい人」なのです。

 その彼女が ある人物に「代金」を持っていったら お留守だったのでお礼の手紙と「代金」と庭に咲いていた花を添えたというんです。


 それがこの「ホトトギス」の花。

 「菊じゃ仏様の花だしね~。 珍しい花の方がいいかと思って。」

 「うん、うん。」
 「そしたら 次に出会った時に その人変なこと言うんだよ。 
『○○さんは要注意人物だね~。 ボクは今まで 亡くなった奥さんにも花を一回も貰ったことがなかったんだ。 ロマンチストだなと思って花言葉も調べて見たんだ。』って。」
 「花言葉が ヤバい花なのかも~?」
 「うん、そうだったみたい。 花言葉があるってことなんて 全然気がつかなかった。 
だけど、普通 オジサン年齢の人が花言葉なんて見るかなぁ?
そんなこと全然考えずに 花言葉調べてみるなんて思わなかったし~  」
 「で、花ことば何だったの?」
 「言えないよぉ~。 ホント ビックリするんだから。 PCで調べて見てよ。 どうしよう~って感じだよ。」

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 彼女が口に出来なかったのも なんとなくわかる気がします。
そこには 「秘めた恋・私は永遠にあなたのもの」と。

 わわ! 
こんなきわどい花言葉が ぱっと目に入ってきます。 
これでは ちょっとありゃや~と 誤解してしまう殿方がいてもおかしくないかも…。(笑)


 「ええ~、笑いごとじゃありませんよぉ~。 どうしよう! そんな気なんて全然あるわけないでしょう。 バカなことしちゃって 熱でそう~ 
 「もうあげちゃったんだから しょうがないから 何事もなかったようにさり気なくしてるしかないでしょうね。」
 「うん、しょうがないもんね。 なんで『ホトトギス』にしちゃったんだろう。
花って怖いんだねぇ。 もう 簡単に人に花なんて贈らないことにする!」



 
 何はさておき 花言葉は誰が一体決めたのか? それも解ってはいませんが 人騒がせなこともあるもんですね。 
物をあげたり頂いたりした時は 単純に「ラッキ~!」と思う人ばかりではなく、奥の奥まで考えてしまう人もいるんだと思わなくてはいけない ということなんですか、ね。




 でもね、お庭に植えたのは 山野草の大好きなダンナさまでしょ。
 同じように奥の奥を考えてしまうと こんな風にも考えられますよ。
ダンナさま、知らないふりしてるけど 本当は 山野草や山歩きなんかにちっとも興味を示さない彼女に対する ささやかなメッセージで植えてあったりするかも、ねぇ。 (笑)
そう考えると 庭に「ホトトギス」。 それも ちょっと素敵なことですよ。






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2016年10月10日 (月)

台風18号のつめ痕

 今年の台風は 北海道から沖縄まで 日本中をこれでもか!これでもか!と苦しめますね。
野菜もお米も この冬はどうなっちゃうのかな? 不足して高騰にならないと いいんだけれど…。

 全国や県内ニュース、天気予報などでは ちっとも放送されたりすることはなくっても 手元のスマホに毎回届く 地域の雨雲情報は ビックリするほど正確にやって来て すごい量の雨が降っています。 50ミリ、100ミリって本当は危険な数字のはずなのに。
大雨・洪水警報が毎週出ている夏なんて 今まで過去にはなかった事ですよね。


 10月5日(水曜日)。
 
 台風18号
は 九州を抜けて 韓国の済州島に上陸後 日本海を北上してきました。
この台風は爆風台風で このコースで北上すると長野県にも大きな影響がでる可能性が高いと言われていました。
台風の影響は ちょうど県下を通過する夜9時頃から11時頃が要注意だと Yahooの通報が入りましたが、かといって何かを準備できることもなく早く無事通過してくれと思うだけで  ごく普通にテレビを見ていたんです。


 台風18号は予報通り 時間と共に風がどんどん強くなってきました。 
森の中の木々の揺れる音が 大きくきしんで怖いんです。
轟(ゴウ)という字がピッタリのイメージです。
何回もその轟々という音が山を伝って回って行った後 ちょうど10時(22時)になるかならないかの時に グワッという空気が持ち上がった感じの大きな音と同時に 一瞬で電気が消えて 真っ暗になってしまいました。
 「停電! 停電。」
 「懐中電灯だ!」
 「ラジオが欲しいね。」

 夜の暗さは半端なく真っ暗です。 ライトの明かりは闇の大きさに負けてしまいそうな ささやかな明るさです。
雑音のない闇の部屋の中では 窓の外の爆風の音が さっきよりもずっと大きく聞こえます。
末娘が誕生日に「お母さんが絶対買わないのもプレゼントするね。」と 送ってくれたスマホの小さな充電器が 役にたちました。 何かのために充電しておくことにしました。


  まだ停電の続く真っ暗な中を車が通りすぎる音がして 近くで止まりました。

 「中電が電線を調べて走ってるのかな?」
 「ちょっと外、見て来るかな?」
 「え~? まだ枝がバサバサ落ちてる音がしてて 危ないよ!」


 言い出すと聞かないダンナは 雨合羽を羽織って様子を見に出かけたんですが すぐ戻ってきました。


 「こりゃ大変だ。 停電なんかいつ回復するのか わからないぞ~。」

 と、ヘッドライトを点け 工房からチェーンソーを持って 外に飛び出して行きました。



 先ほどの車は ご近所さん。 長野市へ「スピッツ」のコンサートにご夫婦で出掛けていたそうなんですが この停電でこの森のいろんな所で倒木が道路をふさいでいて うちの前の道まで回り道をしてきたそうなんです。
真っ暗で見えなかったのですが うちの道も倒木が電線に引っかかっていて 通行止め状態になっていた模様です。


 落ちてきた大きなクヌギの枝を チェーンソーで切り倒してあげたので 車はやっと自宅へと向かっていきました。


 「ありがとう。 助かりました。 1号の曲がり口で中電の車が 太い木を切っているから 通行止めになってるし 他の道も電線が切れていると言われても 暗くて見えないし~。」



 ダンナはチェーンソーを持って 車道の枝を切りに近所の仲間と出かけて行きました。
森で暮らすためにはこういう突発的な事故のために ある程度の肉体労働が出来ない人は暮らせませんね。 今までの経験から言って 行政は朝8時を過ぎないと動き出してはくれませんもの。
風が収まると 周囲は急に静かになりました。


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 台風通過の翌日。 この木がうちの電線に引っかかっていた写真。↑
どうやら根っこから倒れています。 電線の工事は 素人には危険なので 中部電力の作業車にお願いします。


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 ダンナが真夜中に切った 道路に倒れていた大きな倒木。 かなり大きな木でしたね。





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 通行止めの電線工事中の様子。  中電のおじさんに どの道が通れるのか聞いてみました。 「この辺りが何本も切れているので 向こう側を回って」云々。
停電の復旧は この時点ではまだまだ未定だそうです。

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 大きな木が 根っこごとド~ンと倒れてしまっているのが 見えますか?
どんだけ激しい風が吹いたのか わかるでしょ?






 見回りから帰って来たら うちの前の道路の所で 中電の高所作業車が倒木を切ってくれていました。



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 手際のいいお兄さんの行動は 電線や屋根を傷つけないようにチェーンソーと台車をテキパキと操って つい見とれてしまいます。 カッコイイお兄さんだし~(笑)



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 遠目では細く見えた枝が これらです。↑ 直径15cm以上はありますよ。
こんなのをなぎ倒して 台風は去っていきました。


 停電は 翌7日の夕方4時半過ぎ やっと回復しました。 電気のない暮らしは不便この上ないです。 
夜 明かりが灯る。 これは 日々の生活では当たり前のように感じますが とっても大切な安心感ですよね。




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 近所の林檎畑。 林檎がいっぱい落ちています。
 収穫時期の シナノゴールド(黄色い林檎)が 被害続出だそうです。 
安曇野の三郷地域は 大規模な林檎畑が広がっていて この時期はとっても美しいんですが、残念なことに このシナノゴールドが壊滅的にやられてしまいました。 泣いても泣ききれない思いでしょうね。

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2016年10月 8日 (土)

バザーはスゴイ

 先週の日曜日。 松本の護国寺の裏庭で開催されているバザーに行って来ました。


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 地元では有名らしく けっこう早めに出かけたのに たくさんの人が並んで待っていました。 フリーマーケットなら自分好みの店に自由解散…なのですが バザーなので一か所に集、混み合わないように時間で人数を制限していました。



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 コンサートや豚汁、餅つきなども 行われていました。
とにかく安いんですが、「欲しい物しか買わない!」と 決めていると けっこう「あったらいいな。」と思っていた品物が見つかるもんですね。(笑)



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2016年10月 2日 (日)

季節が過ぎていく

 暦が変わって 10月になりました。


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                 クリックすると大きくなります。↑

 来る日も来る日も 灰色の空と重たい雲に 重なる憂鬱な気分の日が多かった9月が
台風のニュースと共に 駆け抜けていきました。 日照時間の短さは 秋の野菜の収穫を脅かしますよね。 我が家の小さな菜園も 水浸しの日が多くて 春に植えたハーブたちが 黒ずんで根枯れしてしまいました。

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 楽しい時間は 短く感じてしまいますね。 娘も帰ってしまい 忙しく時間に追われているみたい。



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                ちひろ美術館
       


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                 開智学校



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 季節を味わう余裕もないので 「彼岸花」が咲いても「草競馬」のゆるりとした時間も 置き去りにしたまま 時が重なって行ってしまいます。

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 空気が秋の冷たさを 感じます。 上着を1枚 着込んで出かけます。


10月になったのだから もう お義母さんのことは終わりにしたいのに 群馬のお寺と話がつかない状態です。 義母が自分で建てたお墓です。 そこに眠りたいと思ったから 選んだんだと思ったから 最後はそこに納めてあげようと 安易に考えていました。 
が、どうも巧くいきません。 一度もかかわったことのないこの寺で お金の話を切り出されました。 実家が信徒だった私には お寺の内情はこの歳になっても 身近に経験がなかったので まったくわかりません。 
それは 常識なのかもしれませんが、お寺のお布施って べらぼうです。 
土地や家なら 購入後には 権利は購入者のものになるはずなのに お寺には権利を貸しただけと言われ 頭を抱えています。
こちらには どういう話でこの墓が建ったのかを 調べるすべがまったくないんです。
お墓がなければ 永代供養ということで 簡単に話がつくんですが すでにお墓が建ってしまっていますし…。 

  困っています~。 本気でお金のない老人だったんだもの、義母は。 
 お金のことは分割でいいという お寺なんか正直 信じられない。


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