介護っぽい話

2016年9月17日 (土)

「…!」 その2

  昨夜の十五夜のお月様。 残念ながら見えませんでした~(笑)
雲のずっと上には まん丸のお月さまが 輝いていたんでしょうね。

 でも、やっと 秋らしい涼しい風に変わってきた気がします。 
ただお天気が悪かっただけ…ってことも考えられますが…。
でもね、ここ数日蝉の鳴き声が しないんですよ。
秋の虫 コオロギの声だけが 静かに聞こえています。


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 一昨日の続き。
葬儀が日曜日だったので 葬儀屋さんが用意してくれた市役所からの除籍のために必要な書類をしっかり用意して 準備万端で出掛けました。
 死亡の手続きは 配偶者か直系の子供たちでなくては 出来ません。
義母をこちらに連れて来た時 様々な手続きが必要でした。 
あの時も 何もわからずに 細々(こまごま)した手続きのほとんどを私がしました。 
今思えば当たり前のことなんですが 市役所に提出するすべての物は 実息子であるダンナが出掛ければたった一回で片付いたんですよね。
「なんで俺が?」と逃げ出したので 結局は何回も無駄足を踏んでしまいました。


 そんな 経験を踏まえているはずなのに 今回もまた ぐずぐず行き渋っているので
 「オラオラ~! さっさと行くよ!」 
ダンナの尻を叩いて (過保護の母親のように)一緒について出掛けました。 
面倒なことは 「後でするから」という言葉に騙されて 以前のように先送りにしてしまっては どんどん面倒くさくなるよねって 本音です。
後送りにしても 自分で手続きをしない限りには 何も終わらないんですからね。



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 市役所ではたくさん書類を書かされましたが 今回はスムーズに終了しました。

 「疲れた~!」
 「終わった~!」 
 「よかったね。」


 と、思ったのも束の間。
これで 後はお寺に納めれば…という前に もう一つ 問題があったんです。



 まったくの一文無しだった義母の唯一の財産は 私が支給される義母の年金から 少しずつ貯めておいてあげた2通の通帳だけでした。 
年金が振り込まれる銀行の通帳と 利用していた施設に振り込むための通帳です。
どちらも義母が自分で作ったものではなく ダンナが代理人としてお金を動かすために作った通帳です。 生きていくための施設利用料と 遠くない未来に必ず訪れるお葬式とお寺の費用くらいは貯めておきたいと 必死でした。
「俺は知らん」と言われても無関心を装っても その日には まとまったお金が必要になるのは目に見えていますからね。
ここ数年は旅行にも行けず ケチケチ貧乏暮らしをしていました。
 自分の親にも親孝行できなかったのに ホント私って馬鹿みたいだ~と お人よしの自分に呆れながらです。


 その雀の涙の通帳が 死亡により止まってしまいました。
死んで本人がいなくなってしまったんだから 当然ですよね。 実父の時に経験済みだったので ちゃんと知っていました。
ここまでは どこのお宅でも同じだと思うんです。 これが遺産手続きですもんね。
でも義母の場合は 銀行では 肉親はダンナ一人だし 遺産といえないくらいほどのちょっぴりの通帳の金額ですから 簡単 即終了だろうと考えていました。
それが甘かった。
チェック項目で無事通過だと 思っていたら いやはや思わぬ落とし穴が あるもんですね。

 「お母様の出生から死亡された時までの 本籍地のわかる書類が必要です。」 
 「死亡は安曇野市に提出されていますから そこから遡って住民票か戸籍謄本で移動先が記入されていますから それらの用意ができてから 当行にお持ちください。」だそうです。

 銀行のすぐ側に市役所の支所があるので 窓口でお義母さんの本籍地の載っている除籍された戸籍をもらったのですが ダンナの子供時代住んでいた群馬県ではなく 50年以上も前に亡くなった義父の本籍が記載されていました。
そこは 佐賀県だったのです。

 「あれ? 佐賀になっている!」
 「お父さんとご結婚なさった時の本籍だろうから この本籍地に問い合わせて 結婚前の 本籍地の記録が残っている謄本を佐賀から取り寄せるのですよ。」

 「うへぇ?」
 「そこから生まれた時の出生届まで 謄本記載の役所をどんどん追いかけるんです。」
 「自分のことも知らないのに 親の生まれた場所なんてなぁ。 そんな話すら聞いたこともなかったからなぁ。 参ったなぁ。 見つからないかもなぁ。」


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 で、この本籍地の問い合わせは 遠距離恋愛が増えたからでしょうか?
びっくり、郵便で問い合わせる方法が充実しています。 インターネットでも確認できます。
便利ですね~。
 まずは 安曇野市で教えてもらった佐賀市役所に書類を送って 約1週間。
封筒が返ってきました。
そこには結婚時の住所が記載されていました。 そして親切な佐賀市役所の担当者の方は 次の問い合わせ先も丁寧に記入してくれていたので 現在 群馬県の方に2通目の問い合わせをしている最中です。
来週には 次の本籍地が届くんでしょう。
ここで 普通の人は出生に たどり着くらしいです。 
が、ダンナは無理かもと疑っています。 
どんだけ 長い間 親を疑っていたんでしょうか?



 早く、早くと思っても まだ もう少し時間がかかりそうです。
ダンナのいらだちは当分続く…のかな。


 人が生まれて死んでいくのには 生まれる時も死ぬ時も 誰かに助けてもらわなくては 逝かれないようです。 think think think



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2016年9月14日 (水)

「…!」

 ずいぶん ブログをご無沙汰していました。
ココログを始めたきっかけは 「理不尽な日常の介護」生活との葛藤だったんですよね。
あの頃は 本当に精神的にも肉体的にも切羽詰まっていましたからねぇ。



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 9月2日(金曜日)。
 

 「お母さんが 21時30分お亡くなりになりました。」のお電話が 施設から入りました。
 「わかりました。 有難うございました。 本当にお世話になりました。」


 この電話で 私の長かった介護生活が終了しました。



 「食事がほとんど取れなくなってきました。」という電話を ヘルパーさんからいただいたのは 暑過ぎる8月が もうすぐ終るという時期でした。。 
もともと小食の義母なので 「食事が…。」という話は 入所当時から担当の方が交代になるたびに聞かされていて ご挨拶代わりの話だったのですが…。 
一昨年の夏あたりから 「具合が良くない。 だいぶ落ち着いた。」という連絡に代わりました。
その頃 今後の相談ということで ダンナが先生と延命治療は一切しないという話をして来たと 宣言しました。 
 不思議なことに それから静かな1年が過ぎていました。

 そして ついに 8月31日には 「水分も受け付けなくなってきたので もってこの1週間くらいだと思います。 覚悟と準備を…」といわれてしまいました。
9月1日の午前中には 声をかけても反応がほとんどない状態でした。
院長先生から 個室に案内されて 病状と亡くなった時の手順などの説明を 受けました。
 私の記憶の中には 実家の祖母や父母の最期がインプットされているので 先生やヘルパーさんの言う 「いよいよ」が即理解できました。


 そして その時は いろいろ準備する暇も与えないくらいあっという間に やってきました。
こちらには 身寄りも知人もいない義母には 葬儀屋さんがてきぱきと段取りをつけてくれ 助かりました。



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 9月4日。(日曜日)


 台風予報が次々と流れている 1週間の始まり。
私は 生まれて初めて 霊柩車に乗りました。 たった2人の家族葬なので 帰りの車と霊柩車に一人ずつです。 安曇野市は松本市と近隣町村で広域利用の火葬場があります。
我が家だって都会人から見ると 山のど真ん中に感じるらしいのですが そんな所に暮らしている私が 「超山ん中!」と思ってしまうほどの専用道路を登っていくと 建物がみえてきました。


 寂しすぎる儀式だったけれど この夏に数回しかない びっくりするほど真っ青な透き通った空に お義母さんは小さい煙になって昇って逝きました。
それだけでも ちょっと幸せな最後だったかも…と 思う事にしました。



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                 萩の花↑


 ロビーで 時間を待っている間に ダンナがポツンとつぶやきました。

 「考えてみたけど この人で いい思い出なんか一つも思い出せないんだよな。」

 長かった介護が始まったこの7年弱。 
大変な部分は全部 理由も説明せずに私に押し付けて 逃げてばかりいたダンナ。
このドロドロの親子関係を 救ってくれたのがこの施設のたくさんのヘルパーさんたちの力でした。
心を交わす日々は 2度とこないまま こんな小さな骨壺に収まってしまいました。 
だから もう 重くて苦しい長い呪縛から 解放されてもいいんだよね。


 「……。」 毎朝 お水を替えて お線香をあげます。 普通の日常になってきました。
ダンナは お線香をあげたり 手を合わせたりも しません。
無理強いはしないんです。 
 「もう神様(仏様)になったんだから…。」とは思いますが かたくなな心をほぐすのには もう少し時間がかかるんでしょうかね? 
面倒だねぇ、この男は。 
半面教師として 今の自分の家族を大事にしようとか 考えればいいんだよ。scissors
年取るとみんな 寂しくなるから。
でないと、こっちが先に死んじゃうよ。 もぉ!

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2015年7月20日 (月)

迷子

  台風の通り過ぎた土曜日の午後の長野県北部は 北陸地方で熱帯高気圧に変わったけれど 気圧の影響でしょうか、薄曇り時々 小雨が舞ったりしていました。

 けれど 森では蝉の声が大きくなってきたり 小鳥のさえずりも聞こえだしてきました。
一番外に出るタイミングを図っているメグタが 我慢の限界だぁ~のポーズを始めたので
トイレ散歩に出かける事に しました。

 家を出かけようと玄関先に出たのがPM1時30分すぎ。
出掛けに ガス屋さんのお兄さんが見えて
 「今 出掛けるところだった。」「いいタイミングでよかったねぇ。(笑)」「ご苦労様です~。」
なんて会話を楽しんで いざ歩き始めたほんの数メートルで ダンナからメールの音が…。

 その音で なんだかのスイッチが入ったのか メグタの暴走が始まってしまいました。


 「やばい!」と 思った瞬間には メグタのスタートダッシュは始まっています。
が、最近の飛び出し振り逃げの気配が わかったので即 追っかけること10m。 引きずっている紐を 捕まえました。

 「ひゃ~ぁ。 セーフだった。」と 思った途端 三叉路の向こう側の木陰から ひょっこりお婆さんの姿が…。 

 そこで 例のごとく メグタのワンワンが始まってしまいました。
お婆さんは プードルのボクちゃんを連れていたからです。 小さい体でも オス犬同士ですから ボクちゃんも負けん気が強く 応戦してきます。


 「まあまあ、怖いこと。 怖いこと。」と言って自分の家の方向へ くるんと方向を変えました。


 「吠えちゃってごめんなさい。 すいません。」と メグタとボクちゃんを素早く引き離して 私たちは駆け足で いつものようにお散歩に出掛けてきました。




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  ところが 大変な問題がこの後 起こっていたんですね。


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 こんなきれいな夕暮れ時 6時半頃 防災用の有線放送から 行方不明者のお知らせが流れました。

 「○○地区の8○歳の女性が 行方不明になっています。 服装は…。 」

 (あ、また行方不明のお婆ちゃん。 この頃 毎日だ。 多いね。)なんて 夕食の準備をしながら何気なく聞いていたら 

 「茶色のプードル犬を連れています。 見かけた方は○○ー○○○○までご連絡をお願いします。」


 「え? ボクちゃんのお婆ちゃん?」


 私が会ったのは昼間の2時頃で 今はもうあれから4時間半も過ぎています。
ボクちゃんとワンワンやったのは お婆ちゃんのお家のすぐ裏道です。
ブツブツ言いながら 自宅の方向へ帰って行ったので 「すいません」としか声を掛けなかったのですが。 あの時 ひと声かけた方がよかったのか 気になります。

 携帯の番号を知らないので お婆ちゃんのお家と 懇意にされている友達に 電話で確認してみました。


 「さっき有線で流していた行方不明者って ボクちゃんのお婆ちゃんじゃないよね?」
 「そうなんだって。 うちも暗くならないうちにって 軽トラで探しに出たんだけど 見つからないんだよ。」
 「私 昼間見たよ。 庭に倒れてるんじゃないの?」
 「ううん、家の周辺には いなかったって。」
 「ボクちゃんが逃げちゃってパニックになったのかな?」
 「早く見つかるといいね。」


 ボクちゃん家が お引っ越しをされてこちらに住み始めた頃 ちょうど我が家は 義母の徘徊が始まっていました。 余裕も何もなく 介護が必死で悲惨な日々でした。
毎日 家族の忙しい隙を狙うように どこかへ出かけてしまう義母には 名前と電話番号を持ち物につけて ご近所には見かけたら電話連絡してくださいと お願いして回りました。
 その時に 「うちのお婆ちゃんも 軽いアルツハイマーあるのよ。」と 話されてました。
普段目には認知だということは見分けが出来ない穏やかそうなおばあちゃんでした。
同居ではなく 時々お爺ちゃんと庭を手入れに見えている様子でした。



あれから数年 私もメグタのお散歩の時に 花を植えたり雑草を抜いている姿を見かけていますし ボクちゃんとは 庭先で放し飼いにされているので ワンワンやり合うのは恒例なんですが
毎回「これ、これ」などと 初対面のご挨拶を丁寧にしてくださるので やっぱりアルツハイマー病なんだと 理解していたつもりだったのでした。 
アルツハイマーは進行形の病気だと身を持って知っていたのに やっぱりご近所とは言っても ほんの数分挨拶する程度では わからないものです。




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 「見つかりました」の 有線が流れたのは それから大分時間が流れた夜9時過ぎでした。
よかった。 見つかったんだ。 
家族はひとまずホッと一安心ですね。


 翌朝 友人から メールが届きました。

 『お婆ちゃん、見つかりました。 ショッピングセンターの方まで歩いていたそうです。
無事でよかったです。』

 ボクちゃんも お婆ちゃんと一緒に保護されたそうです。 家からざっと10km近くも歩き回ったわけで ずっと嫌がらずに一緒に歩いてくれて 凄い忠犬ですよね。
頑張ったね。ボクちゃん。





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 犬を連れて歩いていると 昼間でも夕方でも 自然に地元の人だと思われて 誰も不思議に思わないんですよね。
だから誰にも 声を掛けられずに にぎやかな人通りへ誘われるように歩いてしまったんでしょうか?
何処へ向かって歩いているか、本人ですら説明がつかないのが 徘徊中のアルツハイマー病の人なのだと 以前義母のかかりつけのお医者様から言われたことがありました。

この話を聞いて 当時の必死で探していたやるせない怒りにも似た悲しい気持ちが 甦ってきました。
長い徘徊が始まらない事を 祈るばかりです。

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2014年6月 3日 (火)

担当者が変わったので…

 6月になりました。
蒸し暑い6月です。coldsweats01sweat01sweat01

 施設から電話がかかってきました。
ケアマネージャーさんからでした。 あいにく携帯は充電中だったので 私の電話はコンセントにつなぎっぱなしで カラカラに乾いた庭で 大きくなってきたキュウリやトマトの苗の添え木をしている所でした。 この電話にはめったに電話がかかって来ませんから 相変わらず携帯していない私です。 (ノ∀`) アチャー

 お昼時に 携帯を見るとケアマネージャーさんから2回も電話がかかっていて

 「お義母さんに 何かあったかも(病気とか?)sign02」と ドッキリしましたが 外から帰ってきたダンナが
 「施設から俺に電話あった。 担当者が変わったから 来てくださいって 言ってたぞ。 なんだろうなぁ?」とな。

 ちょっと この手の電話は怖いんです。 

 介護度の低い義母は 「緊急の人が入りますので 他に移って下さい」とか「他の施設に移れるように どこかを見学して手続きを取ってください。」とか 初めの頃はよく言われていたんです。 
それを言われた日には 「どうしよう…sign02」と 頭の中は真っ白で たぶん顔は真っ青です。
 「帰されたら どうしようか? shock


 先日 ラジオの番組の中で「徘徊って言葉は適切じゃないんです。 行きたい場所に向かって 痴呆の人は行動しているんですから。」と どこかの施設の介護の先生が話されていました。 
確かにきっとそうなのでしょう。 ある一部分の記憶が消えたって その人にはその人なりの何十年という歳月が重なって お年寄りになったのだから その中のどこかに向かって歩いているのでしょう。
でも その人との接点がなかった人が 突然動き出した過去の記憶の中にいる人を探すのは 至難の業です。 本人はあるべき場所に向かっていても 探す側では まさに「徘徊してる」と言う言葉が 当てはまってしまうと 苦い経験から思ってしまいます。
 また あんな日が…? shockshock 



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 夕方 ケアマネージャーさんから お電話が入りました。

 「ご無沙汰していてすみません。」
 「いえいえ、こちらこそ。 担当者が何回もお電話したそうで すみませんね。」
 「いいえ、いつ お伺いすればいいんでしょうか?」
 「本当は 来てほしいというのではなくて ただお母様の担当者が変わったのでという ご挨拶だったんですが ダンナさんだったので 何回もお電話した形になってしまったんです。 そろそろお母様の下着やタオルケットを新しい物に交換したいと思いまして 次にいらっしゃる時に用意していただきたいという話だったんですよ。」
 「そうだったんですか。」(ホッ)


 「じゃあ、その時に伺ってお話を聞けばいいんでしょうか?」
 「はい、それでお願いします。」




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 取り越し苦労っていうのは こういう事をいうんですね~。
とりあえず 当分は大丈夫ってことだろうな。(よかった!)


 

 お義母さんの下着、ブラウス、夏用のズボンが各3枚ずつ。 靴下。 タオルケット。
近所のお店に買いに出掛けました。 

こういう買い物は 電話でダンナに話しても分からないだろうと ヘルパーさんも思ったんでしょうね。
時間があればインターネットで 安いお得品を買えたんですが PCの映像だけでは お年寄りの服なんて いざとなると どんなものがお気に入りか正直言って 私にだってまったくわからないし…。
お義母さんの持って来ていた派手なブラウスやシャツなんて どこで売っているのかすらわからないし…。
目の前で見れば 商品の質とかと共に 予算内に収まるかどうかも確認できるしね~。
だって こんなにたくさん揃えるとなると 万札が飛んでいくから 我が家には とっても痛い…。 
タオルケットなどは インターネットだったら 1000円でも安い!と 迷わず買ってしまいそうだけれど 実際に商品を触ってみると 2000円、3000円と手触りが確実にお値段で違う事が わかります。
1000円のじゃ 施設で何回も洗濯してもらったら すぐヘロヘロになっちゃうなぁ~とかね。 悩むなぁ。coldsweats01




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 用意した持ち物に しっかりと名前を書いて 大きな袋に入れて 出かけてきました。
ずいぶん久しぶりです。 
事務室で 「○○です。」と名乗ると 奥から 新しい義母の担当をしてくださることになったヘルパーさんが 「▽▽です。よろしくお願いします。」と 飛び出して来てくれました。
 明るくて 優しい話し方のヘルパーさんでした。 以前のヘルパーさんよりも 若い感じです。 

 「いい人でよかったわぁ。」と 安心しました。


 少しだけ事務所の前でお話して お義母さんのいる2階のエレベーターに乗り込みました。 
 今施設内に入るのには 手の消毒とマスクの着用を厳守とされていますので 館内にいる入所者以外の人は 家族もヘルパーさんもみんなマスクをしています。

 部屋を覗いてみましたが 誰もいませんでした。
各部屋の前を通り抜けて ホール兼食堂の広い空間へ。 
ここで 持っていった服などを確認してくださるので 必ずヘルパーさんがいてくださいます。
 この施設に来るたびに感じる事なのですが 広い廊下もホールも とっても静かです。
介護施設と整形外科などに入院されているお年寄りばかりの病室とは ベッドがあってお年寄りがいて 同じ空間のように外観は見えますが 全然違うと思います。
静と動。 生活の中にあふれている雑音がないのです。
時間がゆる~く止まっている気がします。
 食堂のテレビの前のテーブルに いつものようにたくさんの車いすが 並んでいるのが見えました。 椅子の数だけ入所者のお年寄りがいるのでしょうが 介護士さんの話声だけが響いています。
ヘルパーさんに 持っていった衣類やタオルケットを渡して 食堂を見渡してみましたが
お義母さんの姿は たぶん見えませんでした。
誰か人が来ると ホール内の視線がいっせいにこちらに集まるのです。
以前 私が来たことがわかった頃は「あ!」とか 反応してくれたのですが…。
もともと 私達とは一緒に暮らした経験がないのだから ずいぶん前から「私」を認識できない兆候がみえていましたし、今日はマスクもしてますしね。
分からなくっても仕方ないし 荷物を届ける用事があったんだし…。



 そう思っていると 小さなお婆さんが ひょこひょこ歩いてきて さっと私の腕を触りました。
 「お義母さん?」と 思ったら まったく知らないお婆ちゃんです。

 にこにこ笑って見上げています。 前歯が一本ありません。
ジブリの「天空のラピュタ」で ずっと子供達を追いかけて来る元気なお婆ちゃんがいたでしょう?
あんな感じの迫力のある顔です。
私の太めの二の腕が気に入ったらしく 何回も触ってきますが 言葉はしゃべりませんし ずっとにこにこしているだけです。

 「こんにちは?」とか声を掛けると

 担当のヘルパーさんが 走って来て
 「すみません。 このお婆ちゃんは誰にでもこうやって触ってしまうんです。 本当に申し訳ありませんね。 さあ、行きますよ。」


 その時だけ 広い食堂の空間が ざわっと動きました。



 猛暑の外とはまったく関係のない快適な空間で 記憶と時間が少しづつ消えて行くたくさんのお年寄りたち。
 厳しい現実社会を忘れて いったいどんな夢をみているんでしょう?


 お義母さんも 私も 今も昔も形式だけの家族です。 ダンナのお母さんだった人と言う関係です。

 冷たいようですが 顔の確認もしないで 帰ってきました。 
ヘルパーさんに 探してもらって会っても 「よく来てくれましたね。」という あなたは誰だっけ?的な顔をされるのは 顔を見ない時よりも落ち込みます。 


 ここにいてくれれば 毎日徘徊をしないで 静かに暮らせます。 健康も管理されています。
少なくても どこかへ帰りたくて彷徨っていた この家にいるよりは 幸せですよね? お義母さん。



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2014年2月28日 (金)

通院…

 「あ~あ。」ため息が ダンナから漏れます。 

今日も通院の日です。 ぽかぽかと暖かい日差しの日です。
森の中の道は 雪解けがちょっとだけ始まって 来ました。 こんな日の路面は 轍がかき氷のようになって ぐしゃぐしゃです。 一番最悪のコンデションなんです。

 

 手術から3週間目。 
診察の度に 「次は来週~。」と週一の病院通いの3回目。
退院直後よりも肘の痛みが強くなっているらしく 強気のダンナが 「今日はなんだか心配だなぁ~。」と ぼやいています。 
思うように肘が動かせないジレンマのようです。

 平日の松本の朝は 通勤ラッシュで車がどの道からも 大渋滞です。 家からこの時間帯は 運が悪ければ2時間近くかかってしまいます。 
考えただけでも憂鬱だよね。 毎日通勤している人は エライ。

  
 コルセットを装着して腰も安定したので 穂高駅から電車で松本まで 出かける事にしました。 電車ならば30分で松本に確実に到着します。 松本市街地のビックリするほどの積雪の量を想像したら ダンナには悪いんだけど こっちの方が診察時間には きっちり間に合うので正解ですよね。 



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 前回 2月19日の松本の雪は こんなに凄い状態でした。 これでは「北海道だよ。」と説明しても 「あ、そうなの!」って納得してしまいそうでしょ?

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 一週間後の2月26日の松本市内も 上の写真に比べると 歩道の雪はだいぶ少なくなっていましたが 相変わらずの雪の壁がいたる所に残っていました。 
道に雪があるのとないのでは 寒さは全然違います。 雪の壁の間を歩いていると 冷凍庫のドアを開けた時に感じるあの冷~ぁとした空気が漂っている気分です。 
松本はもともと雪はあんまり降らないけれど気温が低い地域なので 安曇野の山沿いと変わらないくらい底冷えがします。 必然的に 溶けた雪が日陰でツルツルに凍っています。
気を付けて歩かなくっちゃ www ね。



 ダンナの心配通り 先生に
 「おや、思ったよりも固いなぁ。 もう少し曲がった方がいいですね。 リハビリを増やしてもらいましょう。 筋肉が固まってしまわないうちに たくさん動かさないと動かなくなってしまいますからね。」と 言われてしまいました。
 自主リハビリは どの程度までやっていいのかの判断が難しいんです。 
先週は「無理をするとビスで止めた骨が壊れてしまうこともあります。」と 脅しをかけられ今週はもっと動かしてくださいと言われる…。 やれやれだな(笑)




 で、今週はリハビリ中心の生活になりました。 
食事も スプーンから箸を使って食べるようにと言われて  悪戦苦闘中です。
なので 先週はまだやってはいけない雪かきをするんだと騒いだり メグタの散歩に行ってくると言い出したりして 私とは 一か月間は滑って危険だからまだ行っちゃダメ!と 事あるごとに喧嘩ばかりしていましたが 今週はちょっとは自分の出来ない部分のリハビリに心が奪われているせいか 傷が回復してきているおかげか 戦闘モードはかなり穏やかです。 
来週は2回 リハビリに通う事になりました。 
理学療法士のお兄さんには「サボった」ら きっとばれてしまうだろうからと 目標に向かって 「ん~。(◎_◎;)」と頑張っている次第です。

 中学生じゃないんだから目標ってのも なんだかな~なんですが スポ馬鹿のダンナには 理学療法士のトレーナーのお兄さんは ピカピカ輝いて見えるらしいの(笑)


 まぁ、ほどほどに ガンバレ~だな。



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 雪の穂高神社。  駅に出かける時は 穂高神社に寄ることにしているんだ~。


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 神社の敷居の向こうから でかい声。
 「コケ~コケコッコウ~!」  全身全霊 頑張っているニワトリくん。  
そうそう、神社のニワトリは縁起がいいんだってね(笑) 
いい事がありますように 吉、吉~。 福、福~。 パンパン。

 

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2014年2月23日 (日)

もうひとつの介護の話

今日のお話は 病院で考えさせられたことです。

 ダンナの入院は2泊3日。 
よくある海外旅行のツアーのお得パックみたいなハードスケジュールでした。


 「70代から90代の女性のお部屋」と看護師さんが案内の時に話された通り ダンナと並びの窓際のベッドには 90歳代のお婆様。
反対側の窓辺のベッドには70代くらいのお婆様が。 向かいのベッドはカーテンが閉ざされていて ちょっと未確認。
この部屋は4つのベッドがきっちりとカーテンで仕切られています。 回転の速い救急病院なので 付き添いの人の姿も 見えません。 面会時間ではないからかもしれませんが。


 
 入院初日は 病室に入ったのが夕方でした。 すぐ夕食が運ばれてくるような時間でしたし 看護師さんが入院の手続きやら持ち物の準備で 落ち込んでいるダンナやあわただしい私で 周囲を見渡せる余裕すらありませんでした。

 翌日の手術が 12時から3時に変更になったので ちょっぴりできた待ち時間で 周囲の様子が見えてきました。

 隣の90代のお婆様は 看護師さんが車いすで外に移動させた時に 姿を見ましたがとてもお元気そうに見えました。 点滴や輸血をされているようですから 少し前にどこかを手術を終えた様子です。 理学療法士さんが 数回ベッドまでやって来て手足を動かすリハビリを 教えていましたが お婆さんも看護師さんも かなり大きな声で会話をしています。 耳が悪いんでしょうね。 でも 見た目も会話の内容も 90代とは思えないほど しっかりとしています。 
 「今の90代は 本当にスゴイ!」

 私の知っているご近所のお年寄りは ほとんどこのタイプの方が多く 健康な体には健康な魂が宿ると言われるように 働き者で明るく口が達者です。
このお婆さんは 強くたくましそうなので きっと無事に怪我を完治して退院されることでしょうね。

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 もう一人の70代の方は こちらからは姿が見えません。 
けれども会話の様子から 認知症であることは間違いがないようです。
看護師さんが2名 彼女のベッドの隣で 足の手術の話をされています。

 「○○さん。 明日は何の日かわかりますか?」
 「明日は…? なんでしょうね?」
 「○○さん。 じゃあ、ここはどこですか?」
 「松本ですよね。」
 「場所はどこですか?」
 「ああ、病院ですね。 う~ん、相澤病院に私はかかっているんですよ。」
 「ここは相澤病院ですか?」
 「…そうだと思います。」
 「どうしてここにいるのかわかりますか?」
 「…どうしたんでしょう?」


 「○○さん。 足の手術で入院したんですよ。 わかりますか?」
 「手術? ですか?」
 「明日 足の手術をしますよ。 大丈夫ですね。」
 「明日は手術なんですか?」
 「そうですよ。」
 「…。」


 このお婆さんは手術が心に引っかかっているんだと思います。 怖いのか本当は嫌なんですね。 だからその話題から避けたいのです。 
 うちの義母も自分の嫌なことはこういう風にのらりくらりとかわして、正常のように勘違いしてしまうくらい、話題を違う方向に無意識にすり替えようとしていました。



 「○○さん。 昨日 お話した手術の後で 絶対やってはいけない事、4つおぼえていますか?」
 「手術ですか? 分からないんですが…。」
 「昨日 プリントを渡しましたが それを声をあげて読んでください。」
 「プリントは…? どこでしょう?」
 「引き出しの中に入っていると思いますよ。」
 「これ? ああ、これですね?」
 「じゃあ、4つ書いてありますから 読んでみてくださいね。」


 「立ち上がらない。 かがまない。 足を組まない。 振り返らない。」

 
「もう一回お願いします。」

 「立ち上がらない。 かがまない。 足を組まない。 振り返らない。」

 「はい、いいですよ。 では、プリントを見ないで 4つ言ってみましょうか。」
 「ええと 振り返らない…、ええと なんでしたっけ?」
 「どうしちゃったんでしょう?私。 昔はこんなじゃなかったんですけどねぇ…。 うちは息子はみんな公務員なんです。 私も若い時は…云々…。」
 「はい、わかりました。 じゃあ、もう一回 プリントを見て言ってみましょう。」

 「はい、立ちあがらない…」

 「○○さん、明日は何の日か覚えていますか?」
 「明日は 手術ですね。」
 「そうですね。 じゃあ、さっきの4つのやってはいけない事を 言ってみてください。」
 「足を…? あら、なんだったかしら?」
 「じゃあ、プリントを声を出して読んでみてください。」

 「立ち上がらない…かがまない…」



 そうなんです。 この方は明日 どうやら足の手術をされるようなんですが 認知症のために本気で忘れてしまっているのか、故意に拒否されているのかは分かりませんが
とにかく 彼女にとって最大の危機に陥っているようです。

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 看護師さん達も 大変ですよね。 本当に辛抱強い。 同じことを何回繰り返しても 小さな子供は覚えるけれど 認知症のお年寄りは 明日にはきっと忘れてしまっているんでしょう。
不思議ですよね。
足の手術をした事を 認知症の人たちは何事もなかったように 本当に忘れてしまう事ができるんでしょうか?
痛みはきっと感じるんでしょうから そこから連想することが出来ないという事が なんだか信じられません。


 

 「絶対しちゃダメなんですよ。」
 「覚えていてくださいね。」

こんな会話を数回繰り返して 少し違う会話をします。
そしてまた「手術の後の大事な事」を確認させる為の話を繰り返すのですが 4つのうち 2つくらいは 読ませてすぐなら言えますが 真ん中に全然違う会話を入れると ひとつも覚えていないのです。
手術をするという事すら 記憶から追い払おうとしているようです。



 アルツハイマーの義母は 怪我で云々という事はありませんでした。
私が 靭帯手術でで入院した病院にも 認知症で足の手術を受ける人には出会わなかったので 足の怪我をすると立ち上がってしまうかもなんて思いつきもしませんでしたし こういう光景を真近で見たのは 初めての経験でした。
老人の骨折は治りが遅いという話はよく耳にしますが 痴呆症の老人の骨折は「歩いてしまう可能性がある」と 思いつくには実際の経験者か関係者しかいないでしょう。
術後しばらくは 健康な人でも痛みで立ち上がることは出来ませんから 病院側でも安心でしょうが 少しリハビリが出来る頃になると きっと忘れて動き出してしまうのでしょう。
怖いよね。


 我が家にやって来たばかりの義母は 当時でも もう文章を読んだりは出来ませんでした。 
でも このお婆さんのように まだ半分だけ忘れてしまう程度の軽症の認知症の家族を持つ時期は きっと周囲も病気なのだからという部分とまさかお母さんが!という現実の部分を 家族も本人もなにがなんだか理解できずに 混乱していると思います。

 
 


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 「手術が始まりますよ~。」 美人の看護師さんがお迎えにやって来ました。

その後は 手術室からディルームへ。 
気持ちは手術に切り替わって 退院後も忙しくて そのお婆さんの記憶は私の中からは消えました。 時間が経つにつれて 思い出してきました。
これは忘れてはいけない大事な事なんじゃないかと…です。



 

 認知症予備軍は 将来的に8人にひとりだと 何かの番組でやっていました。
20年後の自分の姿ではありませんように… 子供たちを泣かせているのが私やダンナではありませんように…と 祈るばかりです。

 

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2014年2月20日 (木)

退院・ただいま通院中

 大雪のため 話が前後してしまいました。 雪は今日も寒い日が続いているので こんな感じですしね。 

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 時間を 2月7日に戻しましょう。 
ここ数週間は 毎日ニュースで流れるほどの大雪、除雪困難な日々が続いたので わずか10数日前の事でも なんだか記憶から消えてしまい印象が薄くなってしまっています。
が この日は…というと ダンナの退院の日でした。


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 整形外科の腰の担当の先生が コルセットを着用することで退院許可が出たのです。
とにかく退院したいダンナは 嬉しそうでした。
コルセットは個人に合わせた特注品なので 実際には商品は1週間後に装着することになりました。 それでも お昼の給食をしっかり平らげて 2泊3日なのでちょっとした旅行くらいの少ない荷物を詰め込んで 退院時間の午後2時に病院を後にしました。
前日手術をしたと言っても肘なので ゆっくりならば歩くこともできます。

 「ありがとうございました。」
 「お世話になりました。」
 「お気をつけて。」

 さっぱりとした ご挨拶をナースセンターで受けてお別れです。

 この時は まさかその翌日に大雪になるとは 思いもしませんでした。


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 8日の雪は 膝くらいまでの深さ、だいたい30センチくらいかしら。
この時も「たった一晩で30センチ~!」と 驚き 「大雪だぁ!」と その翌日から2日をかけて雪かきをしました。
 

 雪が落ち着いて 道路の雪かきが終わった 12日は 第一回目の通院の日でした。


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 松本市は 松本平といわれるくらいの盆地なので 本来は雪の少ない土地です。
なのに12日の 松本は一面雪景色でした。 8日の雪がまだ溶けずに松本らしからぬ街並みになっています。 病院の周辺も除雪された雪があちこちで積み上げられて 車がすれ違えないほど混乱していました。



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 病院で順番を待っている間にも救急車が 何回もやって来ました。 こんな時には事故も多いし家族もなかなか移動できなくて 大変ですね。


 レントゲン、診察、リハビリが終了するまでで 約4時間かかります。 半日かかるわけで 病院に行く日はもうそれだけで 一日があっという間に過ぎていきます。


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              クリックするとおおきくなります。↑



 2月12日は こんなに綺麗に北アルプスが見えました。 乗鞍から白馬三山まで一望できる日はめったにありませんよ。




 2月14日は 腰のコルセットが出来上がる日です。 なのでこの日も松本へ。
天気予報では午後から雪マークが出ています。 大丈夫かな?



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 コルセットは 直ぐに装着の仕方などを技師の方が丁寧に教えて下さって 終了したのですが その後で腰の先生の診察をしていただかなくては帰れません。 
 延々と待つのみです。 ずいぶんと長い時間待たされて 腰の診察日は今回だけで後は肘の診察日に合わせて具合が悪い時だけ相談という事になりました。

朝から雪が降りそうな空模様の日でしたので 診察を待っている間に中庭が雪で真っ白になってきました。 間に合うかな~? 家に帰れるかな?


 松本では小降りだった雪も 安曇野に近づくにつれて本降りに。
雪がどんどん積もっています。
後2Kmくらいの農道では ついに吹雪みたいに前が見えなくなりました。

 「降り始めでこの降り方は どんだけぇ~?」と思うまに 20センチくらいは積もってしまいました。 でも 車が動けるうちになんとか家にたどり着きました。
ギリギリセーフです。 出発が後30分遅かったら 雪の勢いに負けていたかもしれませんね~。

 HAMAさんが 道を雪かきしてくれていました。

「ありがとう。」「今日は世話になりました。」
そんな挨拶もそこそこに 雪は止むことを知らず…。 どんどん降り続きました。


 そして、15日まで続く大雪で 腰まで積もる 7、80センチもの雪で我が家は雪の中に埋もれてしまったのでありました。


 それにしても 退院、通院のなんという強運なこと。
一日でもずれていたら (◎_◎;) どうなっていたことか…。(続く)

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2014年2月13日 (木)

入院・手術 なのね。

 入院が決まって 病室に案内された時 看護師さんがエレベーターの中で 非常に恐縮されています。
なぜかというと 緊急だったので ダンナの入る病室は女性の部屋で 他の患者さんは70代から90代までの認知症のお婆さん達なのだそうです。 

 「他が空いていなくて 特に夜とか かなり出入りが煩くて 申し訳ないですね。」
 「いえいえ、全然大丈夫です。」(ダンナ)

 入院、翌日手術ともなると 病院に提出する書類を 「書けるものは即書いてください。」状態になります。 前日家に帰されたから 今日も入院するとは家を出る時には全く考えていなかったので 荷物はなるたけ身軽にと ダンナのいつもならいろいろ詰め込んでいる万能カバン、それを持っていれば いつでも出かけられる大きなカバンは当然家に置いてきていたので 印鑑すら持ち合わせていませんでした。 
ベッドに 次々と看護師さんが 入院の案内や持ち物、提出書類、手術の同意書やら連帯保証人の説明やらをしにやって来て下さいました。

 「明日 12時に手術予定ですので その前までにこれらの書類を準備して提出してください。」
 

 「明日は右ひじの手術です。 何事もなければ肘の方は明後日(金曜日)の退院という事になります。 ただし、○○さんは腰も圧迫骨折をなさっていて 腰専門の先生に直接見ていただいていないので 金曜日に見ていただいて帰ってもいいというOKが出たら 退院ということにさせていただきます。 コルセットが必要かどうかもその時に話されると思います。」
 「わかりました。」



 ダンナはそこで 病院の早い夕食の時間になってしまったので 私は 入院用のバスタオルやタオル、歯ブラシ、歯磨きやコップなどを ディスカウントショップにお買い物に出かけました。 「自宅でお使いの物で結構です。」と言う注意書きが入院案内書に書かれていましたが ここから往復するのは約2時間、それからまた自宅へ…なんて無理。

 引き返して 19時には正面玄関が閉められてしまっていたので 救急外来口から病室に小物を運んでおきました。
ダンナは トイレ以外は絶対安静と看護師さんに言われて ベッドに横になっていました。



 この日も結局家に着いたのは 9時過ぎ、お昼に買って残したパンとお稲荷を食べて
真っ暗の中 ライトを点けて メグタのお散歩をしました。
メグタは 今日も一人取り残されて ものすごく怒っていました。 でも。一緒に持ってきたチキンバーガーを食べ終わった頃には べったりしてきました。

 「ごめんね。 これから 明日の準備で忙しいんだ。」

息子にメールをして 連帯保証人になって貰ったり 書類を書いたり 着替えを用意したり…。

 放っておかれたメグタも 犬なりに いろいろ考えます。 ボールを持って来たり 青って呼んでるオモチャを運んで来たり…。 明らかに遊んでよ!って言ってるメグタを無視して いろいろメールや電話で連絡していると

 「ガルル~!!」

自分の尻尾を 噛んでぐるぐるまわりを始めてしまったメグタ。

これをする時は 怒ってるんだぞ~!のポーズです。
ごめんね、淋しいね。 でもこんな事もあるんだよ。 手術だからこれをやっておかなくっちゃ駄目なんだ~。 後 2日我慢してね。

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 さて 2月6日(木曜日)

 朝から役場に寄って 減額申請とかの用紙をいただいてきました。
それから 病院へ。


 ナースステーションで必要書類を渡して 病室へ行くと 手術着に着替えたダンナがベッドで横たわっていました。 

 「腹減ったぁ~。」

 私の顔を見ると 開口一番そう言いました。
点滴をしていましたが 朝6時から 水分も食事も禁止されているので この点滴は「食塩水」だと ダンナが言っていました。

 「もう、家に帰りたいよ。」と。 昨日入院のたった一泊目ですよ~。 これから手術だというのにです。



 しばらくすると 看護師さんがやって来て
 「申し訳ありません。 緊急の手術が入ったので 手術が3時頃に 変更になりましたので それまでお待ちいただけますか?」

 そうなのよね。 ここは救急病院。 命に別状のないオペは 緊急が最優先で後ろにずらして手術をするんだよね。 ここに来てから待つという事にだいぶ慣れました。


 腹ペコのダンナは 朝から食べ物を口に入れていない…という事はぁ~ (;´Д`)。
痛み止めの薬が 約6時間~8時間なので 12時に手術ならば痛みもなくスムーズに…のはずだったのですが 薬が切れてきてしまいました。 ちょっと辛そうね。


 2時50分に手術室へ案内してくださる看護師さんがやって来ました。 女優さんの水川あさみさん似の可愛らしい顔だけでなく 話し方のさっぱりしたイメージも重なっています。
って 「綺麗な看護師さんに連れていかれてよかったね(笑)」と、冷静な私は ストレッチャーと一緒に 素敵な看護師さんも移動中に観察できたのですが まな板のダンナはそれどころじゃなかったかな?

 

 「ご家族の方もご一緒に 手術室の入り口まで ご同行お願いします。 手術中は病室かディルームでお待ちください。 終了したらすぐご連絡します。」

と、説明されてダンナは手術室のドアの中に消えていきました。

 「頑張って」


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 ここは 相澤病院の 待合室のひとつです。 前回の記事のコメントに ゆん父さんが「相澤病院って オリンピック選手の小平選手のいる病院ですか?」って書かれていたのですが  まさに その病院です。 ここは 嵐の櫻井翔くん主演の「神様のカルテ」の中にも登場している病院でもあります。

長野県の中信地区では 一番最新設備の整った救急病院です。
 なので 屋上にはドクターヘリがやって来ます。 ということも耳だけで知っていたことです。


 ダンナの手術が始まって ディルームで時間をつぶしている約2時間半の間に このドクターヘリが2回も到着しましたよ。 ディルームの窓からはちょうど屋上に到着する瞬間が見られるんです。 ディルームには 5、6人の人が テレビを見ていたり 家族の面会に見えたりしている姿が見られましたが 私みたいに窓に飛びつく人は いませんでした。
私って もの好きなんでしょうか? 他の方はもう見慣れているのかも。
あ~あ、デジカメの調子が良ければ ドクターヘリのアップの写真が撮れたのに…カメラはズーム機能が壊れています。 (;´Д`)。。残念…


 肘の手術ですからね。 命にかかわらないので こんな風にヘリコプターなどを眺めていられる余裕もありますよね。


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 ディルームには こんな木版画の展示もされていました。



 待っている間に 娘や息子からメールがたくさん届きました。 Aちゃんにもいっぱい励まされました。 本当にありがとうございました。


 手術が終わって ダンナは無事に帰ってきました。
もちろん 始めから 成功に決まっていましたが…(笑)


 そうそう 先生に手術前に 「全身麻酔になさいますか? 局部麻酔になさいますか?」と聞かれていたダンナは 局部麻酔を選択しました。 局部だと 終了後に即食べ物や水分を取っても大丈夫ですと説明を受けたからです。 
自分のベッドに着くと 隣のローソンで私が買って来たシュークリームをぺろりとたいらげて スポーツドリンクをぐいぐい飲みました。 「山に行った時でもこんなに腹ペコになったことはない」んだって。



 担当の先生からの説明は 手術中も頭の上で見えるモニターで自分の手術中の映像を見ていたので自分で聞いてきたそうです。

 「肘ってのは切ってもほとんど血が出ないんだぜ。」
 「ふーん。」
 「25ミリのボルトが3本も入ってるんだぜ。」
 「ふーん。」って 子供の会話か?!



  手術が終わったのは5時半過ぎていたので 看護師さんの説明が終わったら もう夕食の時間です。 
 
 

 「俺は何時間ぶりのごはんかな~?」

 私は食事が来る前に 退院の準備のために早く病室を出たのですが 右手の使えないダンナには 看護師さんがちゃんと「おにぎり」のメニューにしておいてくださったそうです。 さすがですね。
でも もっとすごいのは、ダンナです。 フォークもついていたんですが 左手ではうまく使い切れず 最後は手づかみで食べたんだそうです。 5歳児みたいだね。 
 




 帰りがけに
  「こんな元気な患者さん、きっと明日退院ですよ。 お会計の準備をしておいてくださいね。」と ナースステーションで声がかかりました。

 「ですよね。 ありがとうございました。」

 入院の大体の金額をうかがって 1階へ向かうエレベーターに乗り込みました。
今日も待つだけの長い長い病院の一日が 終わりました。
駆け足みたいな入院と手術。 きっと 家に帰ったら うるさいだろうな。 
それでも 明日は退院出来ると いいなぁ。 1週間くらい入院してくれていた方が本当は楽だろうけど…。



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 役場に行くと必ず立ち寄る穂高神社。 ちゃんと無事をお祈りしてきましたよ。
ご利益はあったでしょ。
そしたら こんなものを発見しました。 「健康長寿道祖神」と言う立て看板がありました。
安曇野にはステンレスで作品を作っている芸術家が住んでいます。 その方の作品と思われるステンレス製の道祖神のようです。 そこには「長野県が日本一の長寿の県になったこと」が記されていました。 ふ~ん、なるほど。 でも ちょっと これって道祖神なのぉ?…って気もする。


 

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2014年2月11日 (火)

大変だぁ~。③

 またまた続きです。

 2月5日のお話です。 例によって 朝からごねているダンナ。

 「予約の変更を聞いてみてくれ~。」としつこく言うので とりあえず 病院へ電話をかけてみる事にしました。

 「すみません。 昨日救急で運ばれた○○ですが 痛くて今日は行かれないと言うんですが 明日に変更してもらうという事は可能ですか?」
 「痛がっているんですか? それなら尚更 今日連れてきてください。 予約時間を11時半までに延長しますので 必ず来てください。」

 そうだよね。 痛いんだったら明日より今日行くべきだよね。
(こんな単純な事を ごね男のグチグチに洗脳されて忘れていました。 目からうろこってこういう時に使うんだよね。)

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 というわけで 5日も病院へ向かいました。

 入り口で問診票を数枚記入して 外来の整形外科へ。 
予約してあるといっても 病院っていうのは 只々 名前を呼ばれるまで ひたすら待つ所ですね。 
「腰は絶対安静に…」という指示が出ているダンナは 椅子に座っているのは かなりきつい姿勢なんでしょうが かと言ってゴロンと横になれるほどの場所もないので 仕方なくじっと待っていました。


 約1時間後 名前を呼ばれて一緒に診察室に入ると 例のごとくパソコンの画面には 肘の大写しの画面が…。


 「痛みが出てきましたか? これはですね、完全に骨折をしていると思われますね。 今からMRIを撮って きちんと調べてみましょう。 ただし、今日は2台あるうちの1台が修理中なので 大変混み合っていまして 大体2時間半待ちになってしまいます。 そのくらい待っていても検査してみる必要があると思いますよ。 それで骨折ならば 手術という事になります。」

 「手術なんですか?」

 「はい、場所が場所ですから 小さな骨ですがこんな風に曲がったままくっついてしまうと 近い将来 腕が動かなくなります。 まっすぐな状態に戻してボルトで留める手術です。

この手術ができるのは 中信では うちの病院と安曇野では安曇病院の2か所しかないと思われます。 どちらで手術されてもかまいませんが いかがされますか?」

と。

 ダンナは痛いけど 入院や手術なんて言葉は頭の片隅にもなかった様子で 
 「!!!」絶句でした。


 「そういうわけですから とりあえずMRIを撮ってきてください。」




 MRIの待合室の前でも 人がいっぱい並んでいます。

2時間半という事は お昼をはるかに越えて 3時近くに結果が出るという事なので 先生は「どこかで食事をとってくるといいですよ」と おっしゃってくれましたが こういう時は小心者のダンナは 
 「何にも食べたくない」というより「食べられない」気分です。

 売店で 数個のパンと巻き寿司とお稲荷さんを 買ってきました。
病院の暖かさは うちの冷たい空気とは比較にならない温度なので喉がカラカラになっています。 ミネラルウォーターと ラテとコーヒーも 数本買いました。

そして 順番待ちのMRIの待合室で 軽い食事をとりました。


 それにしても 先生の読みは的中して 本当に2時間半待ちでした。 
長い長い待ち時間。
まな板の鯉状態のダンナは 水分を取るのが精いっぱいで…。 
私の感じる2時間半と比べて ずっと長く感じたろうし ずっと不安だったでしょうね。



MRIを撮ると その映像は即 パソコンに送られるんですね。 
ホント今の医学は凄すぎる。 
その後は また整形の前で待つんです。 3時少し過ぎ 名前を呼ばれました。


 結果は…。 「手術」という事になりました。
 

 「どうなさいますか?」
決めかねているダンナと正反対に 
 「はい、ここで手術をしていただきたいと思います。」

 やっぱり、こういう事は 見つけてくださった病院が一番信用できますもんね。

 「では、手術の調整をしてみますから しばらくお待ちください。」

と、またもや外に出されて 待っている私たち。
こういう時は 病院って会話も出来ない静けさですね。


 待ってて~と言われて またもや 外来の整形に通っていた人たちの姿がほとんどいなくなった頃 看護師さんが呼びに来られました。

 「こんなに長いこと待たされているんだから もしかして入院かも?」と 一人思っていました。 予感は的中です。


 「今日 病室が一つ空きましたので 本日入院していただいて 明日手術をしましょう。
明日は 小さな手術が数件入っていますので 予定としましては 12時くらいから手術開始となりそうです。」

 「では、病室から担当の看護師がやって来るまで こちらで待っていてください。」




 「!」
 「ほらね、入院じゃん。」
 「入院かぁ。手術かぁ。」
 「まぁ、どっちみちやらなくっちゃならないのなら 早い方がいいよ。」
 「サッカーの連絡網回さなくっちゃ。 ○○さんにも 連絡してくれよ。」


 というわけで 長くて忙しい 一日がまだまだ 続いています。(続き)


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2014年2月10日 (月)

大変だぁ~。.②

 昨日の続きです。


 即 続きを書こうと思っていたのですが ものすごい大雪です。
朝起きたら 一面「雪~♡」なんて 喜んでいられないくらいの積雪量が たった一晩で積もっていて メグタのトイレお散歩にも 「!!」と思ってしまうくらいです。
どれくらいかというと こんな感じ。↓  チーズケーキではありませんよ(笑)

 すごいでしょ~? ざっと 5、60cmはありますよ。
ズボッと膝の上まで埋もれてしまい長靴でも「おっとっと!」的気分です。
こんな状態では 家から外には出られません。 
市の有線放送で「生活道路は各家庭で除雪をお願いします。」とか流しているし 今はサラサラのこの雪も 翌日には確実に重たい雪になってしまっています。 


 当然 雪かきです。 それで ほとんど朝から ずっと雪と格闘中だったのです。 いったい何回雪かきをしていたでしょうwwww。
あ、肩が…腕が…腰が…痛いわ。

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 かなり脱線していますね。 ごめんなさい。


 さて今度は本当に 続きです。

 病院に到着した所からですね。
救急車から降ろされたダンナは あっという間に診察室へ運ばれて行きました。 
私は初めての病院なので 診察券を作っていただくために 数枚の書類を書かされた後は 救急の待合室で ただひたすら待っているだけです。

 待つこと約1時間半。 長いのか短いのか 時間がよく分からなくなっています。
病院って 疲れる~ぅ。 
たくさん並んでいた待合室の椅子にほとんど人影がなくなった頃 やっと看護婦さんが呼びに来てくれました。
ダンナは よくテレビドラマなどで見たことのあるようなたくさんのモニターのついた診察室で 点滴を打たれて 横になっていました。
私を連れて来て下さった看護師さんが「後で先生が見えられますから お待ちください。」と出ていかれてから 待つこと15分余り。
点滴が終わる頃に ERの先生が怪我の説明に やって来て下さいました。

 備え付けのパソコンの画面には ダンナの右腕のひじのレントゲンの写真が映し出されています。

 「大きな骨には骨折は見られません。」
 「そうですか。 よかったです。」
 「でも、このレントゲンの画面ではわかりにくいと思われますが…。」
と 肘の骨の骨折した部分をグンとアップさせて 細かい映像を見ながら こう言われました。

 「この丸い骨の間にある小さな部分が骨折している可能性があります。 次に外来に見えた時にMRIでしっかり見てみましょう。」

 「それとですね、腰は 今は痛みが余りなく 平気そうに動かれていますが こちらは完全に骨折していますよ。」
 「骨折ですか?」

 次に腰の部分の脊椎のアップの写真を 見せてくださいました。

 「背骨とかの大きな骨は 骨折はしていませんし ヒビも入っていません。 ですが、ここをみてください。 骨と骨を繋ぐ こことここの部分が台形の形になっているのが お分かりでしょうか? 落ちた時の衝撃で 圧迫骨折をしています。 お年寄りの方ならこのまま自然治癒でいいのですが まだ50代でお若いので ここで動き回ると 今は大丈夫な他の骨も圧迫されて どんどん つぶれてしまう可能性があるのです。 これが怖いんですよ。 絶対安静にしてもらわなくてはいけません。 
外の筋肉が丈夫でも 中の骨がフニャフニャ状態になると再生は難しいですからね。
今日は家で静かにしていただいて 明日外来で 整形の先生にきちんと見てもらってください。」


 「家が安曇野で遠いですね。 近くの病院に紹介する事も出来ますが どうされますか?」

 「安曇野にはいい整形がないんです。 ここへ明日も来ます。」と 即答のダンナ。
 (え?え~? さっきは 通えないから安曇野に移りたいと言ってなかったっけ? 入院とかになったら どうするんだよぉ~?)
 「では、明日の整形の予約を入れておきましょう。 必ず来てくださいね。」
 「わかりました。」


 この病院の先生はみなさん 若いです。 見てくださった救急の先生も韓国ドラマに出てきそうなイケメンの先生でした。 説明はてきぱきと清々しくです。 次々とやって来る緊急の事態に対応できるのは こういう若い切れ者の(って言い方が古いね、私)ドクターが これからの医学を担っていくのね~。

 


 私も一緒に救急車に乗り込んでしまったので 松本の友達に自宅まで送ってもらいました。 
 Aちゃん、急なことだったのに 送ってくれて本当にありがとう。 感謝、感謝です。



 それにしても 安静、骨折なのに 家に帰される…のは 病院なんか行かないと頑張っていたはずのダンナでも さすがに第一目の夜は 本当はつらいよね。


 病院で痛み止めの注射と点滴を打ってもらったものの きっと今夜は痛いはず。
帰り道は おとなしいダンナでありました。
途中 薬局で 「痛み止め」と「胃腸薬」と「激痛には座薬」の3種類を処方されていたので 買って帰りました。 これがなくっちゃ 今夜は越せません。




 出発が出遅れたので 家にたどり着いたのは もう外が暗くなっていました。
そんなに時間がかかると思わなかったので 寒かったけれど外に出しておいたメグタが 私たちの顔を見ると 堰を切ったように ワンワン泣き叫びました。 心細かったのかな。 初めて訳も分からず救急車で行ったしまったからね。 
 まず 冷え切った部屋にストーブを焚いて ダンナをとりあえず椅子に座らせて 一番はメグタのトイレをさせてあげなくては…。 こんな時は 我慢せずに庭で出来るといいのにね。 ライトを点けて 短いコースで 回ってきました。 

 疲れるね。 夜遅くまでメグタは 怒っていて なんだかツンツンしてるの。 
メグタ~ぁ。 こんな日は仕方ないんだよ。


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 そういえば 今日って突然の事で お昼ご飯も 食べていなかったっけ。
と 思い出して 大急ぎで うどんを柔らかめに作って ダンナに食べさせました。
 痛み止めの薬を寝る前に飲まなくっちゃいけないんだもの。 食べたくなくても胃袋になんかいれなくっちゃね。

 「飯なんか食えないよ。」というのを 
 「薬飲んでおかないと夜中に痛いぞぉ。」 
まるで 子供だよね。 朝の「大丈夫だと言ってるだろ!」は すっかり忘れ果て もう跡形もないようです。


 救急車を呼ぶ前のほんの短い時間で 大急ぎでベッドの用意をしておいたけれど このベッドは義母が使用していたもので病人用じゃないので 脚がとても低いことにダンナが寝てみて初めて気づきました。 もうそれからが大変。 外ずらのいいダンナから いつもの自分勝手なダンナに 戻っています。

 「ベッドが低くてうまく起きられない」
 「布団が柔らかすぎる」
 「掛け布団が重くて寝返りが打てない」云々。

 
でも、布団云々は 元気な時の自分でこれがいいんだよって言ってる こだわりじゃなかったっけ?


 
 挙句の果てに 「明日は病院に行かない。」とまで言い出したんです。
 「ええ~? 自分が行くって言ったから予約したのに。」
 「明日一日寝れば 腰が楽になる。 明後日の予約にしてもらえばいいだろう?」



 こんな時のダンナは 入所している義母とそっくりです。 
言わなくていい事まで口に出して 周囲を不快にさせます。
 
痛いのは私も靭帯の手術でとっくに経験済みだから 辛さもわかるけれど それに振り回わされる家族の苦しさを 自分だって経験済みのはずでしょう?


 親の時は 言い過ぎだろうと怒って自分の時はいいなんて 許せませんよね。



 今朝には まさかこんな事になってるなんて 誰も思ってはいなかったとはいえ 今さら 時間が戻れるわけもないんだから ちゃんと受け入れて早く治す気分に切り替えればいいのに…。


 


 
 何から何まで もういいかげんにして!  もう勝手にホザケ~!
行かないなら行かなくってもいいよ。 後で泣くのは自分だよ。 (続く)



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