健康が一番!

2012年2月 1日 (水)

今日も 病院

 今週は 長野県は雪マークが ずらーりと並んでいる天気予報です。
今朝の お天気お姉さんも 「日本海側は大雪です。長野県も大雪・雪崩注意報が出ています~m(_ _)m」
と ニコニコしながら 天気図を解説していました。
安曇野は 長野県を大雑把に 北部・中部・南部と分ける天気予報でいくと 中部に属しています。
でも、実際は 安曇野市は 小泉政権時代に地方を合併させるという方針に負けて 5つの町村が合併してしまったので かなり広い地域の市になってしまいました。
だから 雪が降る山岳地帯や 雪はほとんど積もらない盆地地区など バラバラです。

 うちは 山麓なので かなり大町以北の天気予報に近い お天気と気温です。
だから 雪は積もるし 気温も氷点下です。 寒いんです~ 


 けれど 今朝 出かける時は 朝日が出ていました。
それも 珍しく 雲が真っ赤に染まっています。

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 「今日は 雪なんじゃないの?」

でも、北アルプスは重たい雪雲で 覆われていて 山の姿は見えません。

 どうしてこんなに早くに出掛けるのかというと 今日は病院の日なのです。
松本市へ出るための 朝の通勤ラッシュを避けるためには このくらいの時間にスタートした方がいいと 判断したためでした。
大雪で 除雪が間に合わなければ 大渋滞も考えられるでしょ?


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 でも 私は どっちかというとかなりの確率で 「晴れ女」だもんね~。
本当はあんまり悪天候は 想像して いなかったんだけど ネ。


 でも、気温は 「チョ~。 寒~い wwww 

 今日は、松本も佐久も 長野県中真っ白。
国道に雪はないものの 田んぼや家の屋根や山など一面真っ白な景色は 前回とは全く違って見えます。
何回も通ている道なのにね~。

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 佐久市に入ると ほんの数十メートル先も見えにくいほどの 「ガス」が立ち込めています。 道路の所々にある温度計の標識は 「ー9°C」と 表示されたままです。
 ということは これは「放射冷却」のガスです。
以前 何かの記事でも書きましたが 「放射冷却」というのは 霜や氷・雪などが 太陽の熱で気温が上昇するときに 水蒸気がガスになるのです。
この霧が とっても冷たいのです。

 安曇野でも同じような現象は 起こりますが、ここは長い谷になっていて 白い冷たい霧が谷に沿って 広がっていくようで 霧が山の上まですっぽりと蓋をしたように 下の町を被ってしまっています。
ちょっと見たことのない不思議な現象で 綺麗でした。
もちろん 覆われている町は 霧が晴れるまで「ー9°C」の 寒さのままです。

 なんと ガスの切れた光が差している場所に 目指している病院がありました。
ちょうど 雲が切れて 晴れて来る時間でした。


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 病院では 毎月レントゲンを撮ります。
その骨の写真を見ながら 院長先生が傷の様子を診察してくれるのです。

 「いいですね。 靭帯らしく大分固くなってきたみたいですね。 もう ほとんどグラついたりしないでしょう?」
 「はい。 大丈夫です。」
 「じゃあ、もう装具を外しても いいですよ。」
 「ありがとうございます。」
 「後は しっかり筋肉を付けてください。 大丈夫と言っても まだ4ヶ月ですからね。(笑)」
 

 院長先生にこう言われると 何だか 気分的にも「大丈夫」の自信が出てきますよね。

 それから 宮下先生と西村先生にリハビリの指導を しっかりと伝授していただいて 病院を後にしました。


 駐車場に向かう時には 空は真っ青。
目の前に 雪をかぶった真っ白な大きな浅間山が 迫ってきました。
 「わぁ~、きれい!
朝の放射冷却が 収まって 辺りは太陽がサンサンと…。 太陽と青空とひつじ雲。



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 やっぱり 浅間山は 綺麗な山だねぇ~。

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 そうそう 先日書いた ラーメン缶。
ついに買ってみました。 食べたのはダンナだけどね。

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 感想は?
 「温度が温すぎる。 麺がゴムみたい。 これは失敗だった。 値段もこれじゃ高すぎる(怒) 」だって さ。
誰かのブログに 書かれていたけれど 所詮 ラーメンは缶詰めは 無理っぽいよね。
熱々の湯気が上がるくらいが 一番美味しい食べ物だもんね。

まぁ、もう2度とかわないでしょ。 話題性以外は…。


 帰り着いた安曇野は 相変わらず曇り空。
もちろん北アルプスは 雲の中。 
山を知らない人なら ちょっとだけぼんやりと見える前山が 本物の北アルプスだと 勘違いしてしまうんじゃないかと 思います。

もちろん 大町以北の山々は もっと真っ暗な雲で覆われているので 多分 本格的な雪が降っていそうですし…。 天気予報はきっと 北部マークは 当たっていたのでしょうね。


 だけど、(^0^)/ 私は 思いがけず 最高の青空の一日でちょっと ラッキーだった~(笑)

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2011年12月21日 (水)

今日は 病院

 「12月は 診察日は いつでもいいです。」と 言われていたので 年末は忙しく通院できないので ちょっと早いけれど 診察に行ってきました。                

 手術から 2ヶ月と2週間余り。
先週あたりから 不思議 左足が自然にまっすぐに伸びてきた…。 そんな感じ
だから、歩くのが大分 楽になってきたなぁ~と 思い始めた今日この頃でした。

 「先生に なんて言われるかしら?」

 
 12月20日
出発は 朝7時半。 
安曇野は 連日の寒い朝。

 「おお、さむ~い

約2時間の車内では 装具をつけていると 足がパンパンになって 足が固まってしまいそうなので 到着後に付けることができるように 靴下やスパッツ、レッグウォーマーまで持って 工夫して出かけました。
リハビリでは 装具をつけたり外したり しなくてはいけないので 結構大変なのです。


 森の中の我が家の周辺では 数日間雪景色が続いているので 見慣れていますが 
街中まで真っ白な雪道になっていたので ノーマルタイヤの車がまだ多く走っていて いつもよりゆっくり運転の上に 至るところで 工事中。
道路が自然渋滞で なかなか進みません。
冬は 市街地の方が 事故も多いし渋滞も多いです。
 

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 けれど雪が降ったのは安曇野より北の地域だったらしく 松本に入ると雪が降った気配は 全然ありませんでした。

「三才山」にも 日陰に雪が残っている程度で 遅い車もなくスムーズに流れていました。


 佐久市から見た 今日の浅間山の綺麗なこと 
私が入院していた時も 時々 談話室から見える浅間山の姿が きれいに見える日が数回ありましたが 空気が凍りつくように冷たい朝の山の姿は 北アルプスと同じように はっきりくっきり~ 大きく見えます。


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  これは 病院へ行く前に見えた浅間山
雲が切れて 山の頂上が見え隠れしていました。

綺麗でしょ。 同じ道をいつも通っているのに こんなにはっきり見える日は 初めてです。
 「綺麗だなぁ。」
 「大きく見えるよね。」


 病院で長期入院されていた お婆ちゃんたちは ほとんどが地元の佐久の方々です。
何はなくても 「浅間山」みたいな所があって 誰でもみんな浅間山が大好きなんです。
 「今日は 浅間山が綺麗ですね~ぇ。」なんて 話をすれば
 「昭和48年の 大噴火の時はビックリしたよね。」とか
  「昭和33年の時は 家族で逃げましたよ。 怖かったですよね~。」
 「うちは 真っ赤な溶岩が見えましたよ~。」などと 盛り上がります。

 その話をいつも聞かされている若いリハビリの先生たちは みんな昭和50年代~60年生まれ位なので まだこの世に生まれてもいないし 大噴火などを知っているはずもないのに 
 「そうですか?」 などと ちゃんと相槌を打っています。
慣れているんですね、そういうお年寄りの会話に。
リハビリの先生って 仕事柄とはいえ 「スゴイね。」って 思っていました。

 でも、確かに 浅間山は 佐久平から見える美しい優しい山です。
朝な夕なに 眺める雄姿は 地元の人々の心の中に無意識に刷り込まれていることでしょう。
大好きな気持ち よーく分かります。


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 病院では 約1時間のリハビリ。
今日もまた 次のステップの新しいリハビリ体操を教えていただきました。
リハビリセンターで ほんの一声かけてもらうだけで 同じ体操がピッシリ決まってできるのは その一言の掛け声が ピンポイントに正しく決まっているということなんでしょうね。
同じ事を 家でやると 自己満足でセット回数で満足してしまうのか 先生と一緒にやっている時みたいに 筋肉がプルプルする感覚まで出来ない~。
自分で自分を 甘やかしてるんだって 反省中。


 その後の診察では またまた 先生に褒められた
 「順調に 回復していますよ~。」
 「足が まっすぐになってきましたね~。」
 (でしょ、でしょ。)

 「また 頑張ってリハビリやって来てください。」
 「はい、わかりました。」


次回は また一ヶ月後です。


 帰り道は 塩の道 ホット・パーク浅科 に寄ってみました。
 「ここの 火山ラーメンを食べよう。」
という予定だったのに 月2回の定休日に当たってしまいました。
これって 反対の意味で強運ですよね。

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 「残念だなぁ~
ラーメン好きなダンナは 本気で ガッカリしてました。 
でもここの駅 ラーメンの缶詰の自動販売機がありましたよ。(写真撮るの忘れたけど) 1缶300円。 代わりに買えばよかったね。
美味しかったのかな?
ツーリングの人には 人気商品なのかも?


 ここから見える 浅間山はとっても綺麗でした。


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 車で連れていってもらう 月一の通院ですが 帰りについでの買い物もして
帰宅は ほとんど 午後2時3時にはなってしまいます。
そして その後は なんだか ぐったり~。
翌日にまでその疲れは ひびいてしまいます。

 元気に 自力で遠出なんて~ こんなんじゃ まだまだ 当分無理っぽい。
力仕事も 情けないけどおぼつかない。
屈むということが 生活をする上で けっこう 必要なんですよね。
もっと 持続できる体力つけなくっちゃね。 
明日から リハビリ もう少し頑張ろう。

    歩くだけじゃ 体力はなかなかつかない みたい。



 

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2011年11月30日 (水)

診察の日

 今日は 月一回の診察の日。
院長先生が直接見てくださるので 早めに出かけることにしました。

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 今朝は 思ったよりも寒くないのですが 辺り一面真っ白~ 霧です
この濃霧は 安曇野から松本郊外まで続いていました。


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 標高が高くなる三才山に近づくに連れて ガスは薄くなり ひと山越えると そこは青空が広がっていました。 紅葉はもうすっかり終わっていましたが 落葉した山々も なかなか綺麗です。

 

 遅い観光バスや トラクターに悩まされながらも 予定の時刻に 無事 病院に到着しました。


 今日のリハビリは 宮下先生と 西村先生のダブルで マッサージと体操の指導が 待ち構えていました。 
宿題の「手術した方の片足で立ち上がる」というノルマが まだ出来てません。
ちょっとばかり ぴょこんと立てるようにはなったものの 毎日のスクワットだけでは 不完全だったようです。
 「ごめんなさ~い。」です。
 「もう少し、筋肉を付ける体操をプラスしましょう。」
 「はい。」

 歩くのは 前回よりもいくぶん上手になったと 自分でもここ数日 感じていたのですが 左右のバランスが 多少傷の足をかばっているらしく 少しばかり体が傾いているそうです。
それも わかっていました~

 なので、今日もまた それ鍛えるための 新しい体操の仕方を みっちり教えていただきました。
西村先生は サッカー少年たちも教えているので 教え方がとても上手です。
どこの筋肉を動かしながら ストレッチをしなくてはならないのかを とってもわかりやすく教えてくださいました。
昨日まで やっていた私のストレッチの体操のやり方では 同じ1回でも 足りない筋肉の動かし方を 伝授してくださいました。
筋肉ってのは 鍛えれば鍛えるだけ 大したものなのですよね~。
 こんな 情けないぷにゅぷにゅのぜい肉ではねぇ~

 そうそう、 忘れないうちに 手帳に教えてもらった体操のやり方をメモっておきました。
だって、結構な数ですよ~。 
うっかりしていたら 一番大切な所を 書き落としてしまいそう~なんだもん。
次回は 12月後半なので その時までには 片足で椅子から立ち上がれる筋肉を鍛えて 
 「やりましたねぇ~と 言わせて見せるわ~。 

   
 リハビリの後は 診察です。
でもその前に レントゲン。
院長先生は レントゲンを眺めながら
 「ずいぶんしっかり歩けるようになったでしょう? 順調ですよ。
あと もう少しですね。
リハビリで 宿題をいっぱい出されたでしょう? 
頑張って 鍛えてきてくださいね。」
と、ニコニコして 話してくれました。

 なんか、うれしいです。
院長先生に そういってもらうと 「よっしゃ! 頑張らねば~!」と 思ってしまいますよね。


 
※ おまけの話

 この病院で見つけた美味しい物。
売店に売っている 「クリームパン」。 メチャ美味しい。

 ここの給食に時々 出ている食パンがとっても美味しいので 井出さん(同室の)に聞くと
 「この『塩田のパン』って 佐久では誰でも知ってる有名なパン屋さんなのよ。 
学校の給食なんかでも使ってるしね。 わざわざ遠くから買いに来る人もいるんだよ。」
なのだそうで。

 その『塩田のパン』屋さんのパンが売店に売られていました。
おかずぱん・サンドイッチ あった!クリームパン!!
物は試し~です。
やっぱり美味しい「クリームパン」が 食べたい!的 気分で…。

それが 「美味しい」 大当り
外はサクサク、中はもったり~。
なんて美味しいの~ 2個は軽く行ける~。(3個デモいけそうだけど 太る(笑))

 でも小さな売店なので いつでもあるわけではなく 空振りの日も多かったのです。

 私は アンパンかクリームパンか?と聞かれたら 「アンパン」派です。
なぜかというと 美味しい「クリームパン」って滅多に出会えない。
当たり外れが結構あって 安い市販のクリームパンなんて 小麦粉で固めてる~?っぽい。

なにかのTV番組で いつも美味しそうなクリームパンをかじっている 藤木くんだったか福山くんだったかの姿を見て
 「あ~あ、美味しいそうなクリームパン! 都会ならいっぱい美味しいパン屋さんが多くていいなぁ~」などと ボヤいていたものです。

 田舎には美味しいアンパンのお店なら 結構ありますもんね。
アンパンは ハズレないんです。

 以前 その「美味しすぎるクリームパン」の話をしたところ 退院の日 ダンナが待ち時間にその話を思い出して たった1個残っていたクリームパンを 買ってきました。

 「おっつ、これは美味いなぁ~。」

 そんな理由で 今回も帰り道に 売店で…。

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 写真にはクリームパンの姿は 見えません。
 「そうだ!写真でも。」と思う前に ぱっくりと 食べてしまったのです。
ごめんなさいm(__)m 
でも、このアンバターも クリームパンに負けないくらい 美味しかったョ。

 ちなみにパン屋さんの正式名称は「塩川ベーカリー」だって。
間違って紹介してしまっては 大好きな佐久の人たちに 怒られちゃうもんね。

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2011年11月21日 (月)

病院か 施設か

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私の新しい206号室のお隣さんは 優しくてしっかり者の おばあさま。 
今年の5月に 靭帯の手術をなさって 右足には人工の靭帯が入っているそうです。
この中村さんが 10月15日 84歳のお誕生日を迎えました。

 「私は 9月にまた足が痛んで痛んで、入院ですよ。 もう1ヶ月になりますよ。
私はいったい いつ退院できるんでしょうかねぇ。」
誕生日に家に帰れなかった…そんな寂しさが 言葉の節々に見え隠れしています。

 「今日は 中村さんの84歳のお誕生日なんですって。」
と 看護師さんに伝えたところ
昼食のデザートに可愛いケーキと ナースセンターの看護士さん達の寄せ書きのお祝いのカードが 届きました。
 「まぁ、まぁ~。 」と 嬉しそうでした。(*゚ー゚*)


 入院するってのは とかくお年寄りには 疎外感があるようです。
最愛の自慢の息子さんは 今や お嫁さんの言いなり(?)で 病室に訪ねて来てもくれない…大いなる不安。
 「私はいったい いつになったら痛みが取れて 帰れるのか? 帰ったって家でひとりぼっち…だからね。」

          

 「私は24針も 縫ってありましたよ。 おたくは何針でした?」
と聞かれて 
 「私のは外から見えるだけですけど 8針っぽいですね?」 
事実この時は まだ抜糸していない状態でしたので…。
 「そんなに少なく手術ができるのに どうして私は20針も~!!」(絶句)

   ※

 「足が痛い」と感じる感じ方にも 大きな個人差があるようです。

 中村さんは 毎夜 痛い痛いというので(と言っても大騒ぎをするわけじゃあなくて ずっと夜中 我慢なさってる訳です) 看護婦さんや担当のお医者様やリハビリの先生が 検討して話し合って 痛み止めの注射を 足や腰、肩などに あちこちにしているのです。

 「注射?薬? 出来るならしたくない」と 思っている私には とんでもない事なのですが
注射で一瞬に痛みが治まる事に慣れてしまっている彼女には 看護婦さんの
 「出来るだけ 注射は我慢しましょう、痛み止めは飲まないようにしましょう。」
という 忠告さえも届いていない気がします。
そして 朝の回診の時に 
 「夜眠れるように 注射を打ってもらえないでしょうか?」
悪循環ですよね。 
でも、お年寄りは 真が強く 他の人の言うことは ほとんど聞き入れませんよね。
だから、看護士さんや先生の話は 午前中は有効ですが 夜になると無効になっている気がします。 
他の部屋のお年寄りも例外なく 同じようで 看護婦さんたちは慣れたもののようです。
本人が要求したことは よっぽどの弊害が出ない限り 病院では注射などはしてくれるようですよ。



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 この病院には 関連介護施設が 隣接されています。
なので 施設内で怪我をされたり具合が悪くなったりされたお年寄りで こちらの病院に入院している痴呆の方も いました。
介護施設では 当たり前の徘徊やトイレの粗相は 病院でされると看護師さんは大忙しで大変です。
一般の入院患者さんだけでも 手一杯の人数で三交代勤務ですもんね。
 私の入院した初日から4日目までは 手首を痛めて入院してきたお婆ちゃんが 自分の病室が分からないというより 今自分が何処にいるのか時々分からなくなるらしく 自分の部屋を探して 一晩中ウロウロされていました。
看護婦さんたちは 「〇〇さ~ん!」と 探し回って大変そうでした。
入院中 洗濯機を回していると いつの間にか 知らない洗濯物が 入れられている事もありました。
新館から旧館に移った後は 男性の痴呆の方が 2名いました。
困ったことに 男性のトイレではなく女性のトイレに入ってくるのが お婆さん方のおおいなる不満で 看護婦さんには どっさり苦情が届いていたようです。
その上 一番いけないのは 便座やトイレの蓋に オシッコをひっかけることでした。
いくら看護婦さんが 「痴呆なのだから」と説明しても 病気の痴呆と ボケの痴呆の
区別は 同年齢の人には 理解しにくい現実があるようです。

 特に ここの患者さんのほとんどは 女性の高齢者で足や腰などが悪いので 汚された便器があると トイレを使うことができないのです。
男性の患者さんは少ないので トイレで込み合って困るという状態は 殆どないのです。

 痴呆の方は 便利な車椅子用のトイレを使用することはありません。
だから 松葉杖や車椅子を使わなくてはいけないような患者さんは (つまりは私もですが) 不便はなかったのですが それは 多分以前に痴呆症の患者さん自分自身が使用したことがないということです。
 それと同じように病院では 夜などは紙おむつを使わせているようですが 痴呆じゃあないお年寄りは 紙おむつは使いたくないようです。
痴呆のお年寄りだって 自分で外してしまいますからね。

 「ここは隣の施設じゃないんだから 夜中が本当に困るのよね~。」
と 仲良しになった看護婦さん達も ボヤいていました。
おむつ交換、トイレ掃除の手間が 俄然忙しいし、汚いし~仕事なんだし…だからといって放って置くわけにはいかないと思うもんね。
 ご苦労さま。 頑張って!と 娘ほどの若い看護婦さんに エールを送るしかない 看護の(介護のかも?)現場を 見ました。

 病院でも 介護施設でもお年寄りの数がベッド数のほとんどを占めている今の日本。
部屋が分からず、違う部屋の空きベッドで寝てしまったり 病院中の部屋を覗き歩くお婆ちゃん。
耳が悪いので大きな声で 怒鳴り合っているお爺ちゃん。
一日中 トイレに座り込んでいるお婆ちゃん。
 正常な脳を持っている一応健康なお年寄りは 喜怒哀楽が激しいので 水を打ったような穏やかな静けさの介護施設の老人たちとは 全然 違うのです。
 病院が9時消灯に 決めてあるのも 看護婦さんの労働とかを考えたら当然の時間なのかもしれません。 消灯したって動き回っているお年寄りは いっぱいいますもんね。

 高齢化日本。
今のうちに この現状をちゃんと把握しておかないと 怖いよ~。
お年寄りは 長期入院で心を病んでいるし 核家族で家にいても心は 病んでいる。
アルツハイマー人口は 急増中だし。
そして あと何十年かしたら…
ベッドに座っているのは 私の姿かも…((´;ω;`))

 その時 どうなるのかな 日本??
幸せな未来でいてほしいなぁ……

  

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2011年11月20日 (日)

入院…⑦ リハビリその後

 入院するという話をすると 絶対みんなが言った一言。
 「きっと素敵な先生が リハビリしてくれるわよ~

 そんな 皆さんの暖かい言葉が 通じたのか うふふ(^0^)/
そうそう、私の担当のリハビリの先生は かなりのイケメンでした。
誰に似ているかなぁ~? 柏原 崇くん(知ってる?)系のハンサムか…な。

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 絵は… あんまし似てないよね。 下手だな、ハンサムを書くのは難しいな。
写真撮らせてもらえばよかったなぁ~。 ホントに イケメンなんだから~。 
でも 宮下先生はいつでも仕事中ですからねぇ。
デジカメ大好きな私でも リハビリ室にデジカメを持っていって 
 「撮らせてください~」っていうのは あまりにも 韓国ドラマの追っかけオバサンっぽいじゃん?

 顔もとにかく素敵なんだけど 私が宮下先生が素敵だなぁ~と思うのは その説明の仕方にあります。
リハビリが始まった最初の頃 靭帯手術の経過をこう話してくれました。

 「腿の筋肉が 新しい靭帯の代わりに 膝に手術でくっついたわけですが、始めは全然違うほかの部分が靭帯になれるのか?と思いますよね? 
人間の体ってのは不思議なもので  半年から1年も過ぎると回りと馴染んで ちゃんと靭帯の機能をしてくるんですよ。
今の足の違和感は 新しい靭帯と体内のさぐり合いみたいなものなんです。
脳が靭帯として認めれば 靭帯に再生して行くのですよ。」

 そのためには きちんとリハビリをして 少しでも初めに近い状態に足を持っていくことが大事なのだそうです。

 「そういう事なのか~

 手術には即決して 臨んだものの リハビリの何たるものか…なんて全然わかっていなかった私。 サッカー選手などの怪我の話を ダンナからしょっちゅう聞かされていたので
リハビリが大事という知識はあったものの…ですよ。


 院長先生の回診が毎週水曜日に ありました。
そのたびに リハビリの課程が進んでいきます。
その時の説明の仕方が とっても わかりやすいのです。 

 「手術後何週目に入りましたから こんなストレッチをやってみましょう。」

 担当の先生は 各個人に一人ずつ付きます。
高齢のお年寄りや 手術後の動けない人には 病室までリハビリに来てくれます。
その時に他の患者さんの担当者の 話し方を伺っていても 先生によって説明の仕方は全然違うのよね。
私みたいに何でも 興味深深な人には ただ優しいだけの
 「無理しなくても いいですよ。 出来ることをやりましょうね。」的な反応の先生じゃ 物足りないのかも…。

 退院しても リハビリは指名制なので 当分は 新しい課題への挑戦です。
 家では 病院みたいに決まった時間に ストレッチもできないし 思った以上の雑用があるんだよね。

 早く 装具なしで テクテクと歩いてみたいし 小山を登ってみたい…!
それには リハビリを頑張るしかないか~

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病院の談話室から見える浅間山。 この道をまっすぐ行くと佐久中心部や岩村田

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2011年11月18日 (金)

入院…⑥ リハビリ

  *・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!!

 入院4日目に 防水シール(正式な医療の言葉ではなんていうのかな?)
に なってからは 車椅子が松葉杖になりました。
足には ドンチョウと病院では呼んでいた「装具」になりました。
松葉杖は 入院までの3週間みっちり練習したので かなり上手になっていました。
トイレや洗面など 杖付きとはいえ 自分で歩くってことは かなり自由な気分だわ~。
車椅子もなかなか楽ちんだったけれどね。


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 病院の1階のリハビリステーションでの リハビリも始まりました。
私にまず出されたのは 下の図のような 6種類のストレッチでした。   

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 とっても単純なストレッチなのですが、恥ずかしい告白ですが 私は怪我をしていなくても 腹筋ができないのです。 
出産後から~(帝王切開だったからね。無理をしないように~という先生の言葉を忠実に守っていた~どんだけ?)
だから 何十年も腹筋運動を したことがないのです~

 なんて言ってられないよね。
出来ないことは出来ないなりに とにかく暇な時間は 部屋でも 一人で一日3回と
ノルマを決めて自主トレを やっていました。

 ゴムの足伸ばし運動は 初めはキツかったなぁ~。
これは 使わなかった足の筋肉をつけるための運動なんですが 手術前後で約1ヶ月間
使わなかった左足は 自分でもわかるくらい筋肉が落ちているんですよね。
でも、毎日のほんの少しの繰り返しは ちゃんと出来るようになるんです


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 入院から9日目の10月12日
その朝 看護婦さんから 
 「一般病棟に 移って言いそうですよ。 206~208号室のベッドの空きがあるので
どの部屋に入りたいか 自分で選んで来ていいですよ。」
と、言われました。 
 「うひょ? 自分でお隣さんを こっそり見てきていいの? ラッキー!」


 旧館の一般病棟 206号室と207号室は 2人部屋。
208号室は 4人部屋でした。
とにかく ナースセンター隣の新館の部屋は 新しくて洗面所が付いていたり 車椅子用のトイレがすぐ側にあったりして便利なのですが 中庭に面していて明るいことは明るい部屋なのですが 景色は今一歩です。
窓から見える景色と言えば 大きな庭いっぱいの桜の木と 旧館の窓ばかりです。
ベッドで寝ながら眺めるのには ちょっと寂しい…。

 ところが、この旧館は 太陽がいっぱい差し込んで 明るくて暖かい。
窓からは八ヶ岳が遠目に見える…。
特に 206号室は なんだか光が★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 「やっぱり2人部屋がいいかな~?」
と 思いながら部屋を探していると 若い可愛い看護婦さんが
 「お部屋を見に来たんですか? 私は206号室がお勧めだと 思いますよ~。(笑)」
 「そうなんですか??」
 「207号室のお婆ちゃんは 耳がかなり遠いので 大変なの。(笑)」
 「わかりました。 じゃあ、206号室に決めます。」
 「そんなんで もう、決定でいいですか?(笑)」
 「はい、即 決定で…す(笑)」

 そんなで その日の午後、ベッドと備え付けのロッカーを 看護婦さんたちが
ゴロゴロと 転がしてくれて ほんの十分間位で部屋の移動が終了しました。

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 新しい206号室の お隣さんは 83歳の「中村さん」。
 「どうぞ よろしくお願いします。」
 「こちらこそ よろしくお願いします。」
 (/ ̄^ ̄)/ ̄ \(。_ 。\) 

 そんなふうに 私の入院生活とリハビリの 後半戦が始まります。

 続きは (o・・o)/~
  

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2011年11月15日 (火)

入院… ⑤

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 今朝は 寒かったですね。 よく寒い日は膝が痛いとか 古傷が痛いとかいう話を聞きますが 今日はその話が 真実だと分かりました。
 手術の痕が ぎゅっと縮こまるような 感覚とでも言うんでしょうか…?
痛いというよりも 疼くと表現した方がピッタリとくる 感覚です。
それだけ 今朝は冷え込んだと言うことでしょう。
 これからは 今まで以上に 膝の完全暖房対策を考えなくっちゃ…と 思った朝でした。


...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

 今日からは 手術後のリハビリ生活の話でもしようかなぁ~?
でも、その前に 再建手術ってどういうことなのか 簡単な説明でもしましょうかね~。



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 この図のように 手術後の傷は 膝の左右2ヶ所(新しい靭帯を固定した箇所)と
内視鏡を入れるための物と 新しい靭帯に利用するための筋肉を切断するための1ヶ所の合計4ヶ所です。

抜糸後のこれらの傷は 思ったほど大きくなくて この中で一番大きな傷跡は内視鏡を入れた3センチくらいの大きさで この傷がまだちょっと突っ張った感じがします。


 手術の1週間位は 左足はアイシング(ここの病院では点滴の容器に食塩水を入れて凍らせていると看護師さんがおっしゃっていました)を していました。
特に手術後の丸1日間は たった2個の氷をいれた袋が 重く感じられて まさに身動きができないので 手術の足の痛みよりも 「腰や背中が痛い…」方が よっぽど辛かったです。 
2日目には 自分で車椅子移動で 自分の身の回りの事は出来るだけ自分でする事に なっていたので ベッドから起き上がることが出来て 腰や背中の痛みは すっかり影を潜めましたが、車椅子でトイレに行くということの大変さに 頭を使いました。
ぐるぐるに包帯で固められている足を ベッドから車椅子へ、車椅子からトイレやベッドの周りを小回りさせるのは なかなか難しいのです。
なにしろ 傷のある足が一番遠くにあるので ちょこんと 壁やらベッドの端やらに 当たってしまうのですよ。
 「おっと まずい…! 当たった


 お隣のベッドの井出さんは 右足骨折で 9月末から入院していたのですが 約1週間の車椅子の先輩だったので 見るに見かねてか 上手に乗るコツみたいなものを 伝授してくれました。
それで お隣同士 意気投合。 
仲良しになって いろんな世間話を何日間も それこそ一杯しましたよ。 
どこの奥さんも みんな大なり小なり 家族に問題を抱えているものなのです…ね。

 井出さんの足の手術は 私より2日後でした。
手術後の写真を見せあって
 「これは大変だったね~。」と お互いに慰め合いましたよ。
足が使えないってのは どこがどうなっても いただけない~ものなのです

 

 でもね、人間てやっぱり 知能があるんですよね。 
たった1日でこの車椅子もなんとか ベッドとベッドの間の狭い隙間も 抜けられるようになり 数日後には 狭い病院内を 自在に動き回れるようになりました。
 慣れてきた頃には 車椅子は卒業になってしまうんですけれどもね…。

 リハビリは動けるようになったその日から 担当の宮下先生がやってきて
 「ベッドの中でも 足を動かすように」と 即 始まりました。

 機械で足を曲げ伸ばしする運動も 始まりました。
最初は 20×90 というのから始めました。
膝の角度が90度、膝の伸ばしが20度 ということです。

 この時は包帯の下には 固定用のギブス代わりの板を装着しています。
リハビリのたびに 看護婦さんが包帯を巻き直してくれました。

 
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 点滴は手術後には 数種類ありました。 薬も 数種類出ていました。
点滴は どうってことないんだけれど 看護婦さんの注射の上手、下手の格差はだいぶあるようで 一日に数回 失敗された時も 腫れて浮腫んだ日もありました。
早く上手になってね。 (。>0<。)
痛み止めの小さな点滴の袋が 一番長く 1週間続きました。 朝晩 約20分間。
これが終わった日には 晴れて自由な気分になりました。(笑)

 飲み薬の痛み止めは 個人差で飲まなくても大丈夫だと思った時に 自己判断で中止していいとの話で
 「早めに止められるのなら 早いほうが体にいいですよ。」
と、看護師さんが言うので 2日間でやめました。

 

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 手術から4日目。 
院長先生の回診の後、傷の腫れ具合を見てもらって 傷口に防水シールを貼ってくれました。 このシールで抜糸の日まで 消毒をしなくてもいいし 入浴も可能になります。

といっても、まだ一人では歩けないので 第1日目は 看護師さんが左足にサランラップをぐるぐると巻いてくれ ビニール袋をつけてのシャワーのみですが…。
その上 見張り付きなので 落ち着いてシャワーも 浴びた気分ではなかったという本音。
でも、約1週間ぶりの シャワーは汚れが落ちて 本当に気持ち良かったです。
 温泉が湯治といって 長い間病気の治療に使われているのが 体験としてわかる…わ。



 続きは (o・・o)/~。

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2011年11月11日 (金)

リハビリ(-^〇^-)

 朝から冷たい雨降り  
 「ついてないなぁ~。」
だって 今日はリハビリの日。 足に装具を素肌に装着させなくてはいけないので 足元がス~ス~寒い。 昨日買い物のついでに 買ってきたばかりのレッグウォーマー が いきなり 役に立ったのです。 とにかく 今朝はシンシンと 肌寒い…。


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 晴れていれば きっと どんなにか綺麗だろうと思える 最後の紅葉が 雨に煙っています。

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 ダンナの大嫌いな「三才山トンネル」で 出かけました。
この雨、運がいいのか悪いのか…通行量が少なくて 遅い車はいるものの 思いの外にスムーズに トンネルを抜けました。 
孫六トンネルを抜けたら急に渋滞?と 思ったら 最悪!
交通事故が起こっていました。

 本当にほんの数分~十数分前のことでしょう。
うちの車の数台前で 止まっています。
 「ずっと待たされるかな?」と 思って覚悟を決めかけたら 数分で前から車が流れ始めました。

 通り抜けるとき 見た事故現場は 中型バイクが転倒し 黒い軽自動車の正面が 潰れていました。 多分 この2台が原因でしょう。 それに誘導されたクルマがあと2台。
雨でスリップして スピンしたのか 事故を避けようとしてガードレールにぶつかったのか…。
4台の車が 停止していました。 バイクはグチャグチャでした。
怪我人の姿は見えませんでしたが すごい雨が降っていたので どこかに移動させたのかもしれませんが…。
携帯で電話をかけている人の姿も見えました。

 「事故だね。 怖いね。 雨でスリップしたのかな?」
 「車が反対車線で反対方向をむいてる。 どういうふうにぶつかったんだろうなぁ?
気を付けなくっちゃなぁ。」

そんな話をしていたら 救急車が2台 大急ぎで駆け抜けて行きました。
 「さっきの現場だね?」
 「だな。」



 そんな雨の中、予定よりも20分も早く 9時40分には病院へ到着しました。

 受付を済ませ、待つこと40分。
その間 2階のナースセンターに ご挨拶に顔を出しました。
懐かしい看護師さんたちは 
 「もう大丈夫なの?」「だいぶ歩けるようになったわねぇ。」とか 「元気そうね。」などと
皆さんで声をかけて下さって 嬉しかったです。
たった 1週間前には 私、ここで入院していたんですもんねぇ。 嘘みたい

 私と最初に同じ病室だった井手さんと 後半に同室だった84歳の中村おばあちゃんが
いつの間にか 同じ部屋になっていて 病室に顔を出すと 2人に感激されてしまいました。

 「私は今週末に 退院出来るのよ。」 
おばあさんは 顔をくしゃくしゃにして 笑いながらいいました。
 「私も 足首用の装具が完成したら 退院なのよ。」
足を骨折した井出さんも 私に報告してくれました。
 「よかったね。 \_(^◇^)_/\(*^^*)/ おめでとっ!!」

 整形外科の病院の良いところは こうして 笑顔で退院出来ることですよね。

      ♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:


 さて、リハビリセンターへ戻って 静かに座って待っていました。

 正直、家に帰って 「歩き過ぎ~?」と思えるほど 歩いてしまったのです。
病院ではいくら歩いても ずっと立ったまま状態で ご飯は作らなくても出てくるし 自分のスペースはベッドしかないわけだから 時間が余ればごろんと していたんですもんね。
ほとんど 椅子に腰掛けているか、立っているか、歩いている自分の家では いきなり 
体に負担が大きかったのです。
帰宅 2日目には 山友達が 上高地から降りてきて泊まっていったので 疲労は2倍になりました。 足が疲れてくると 腰に疲れが溜まるのですね。

 そんな 日常生活にもなれた頃 夕方には装具の中の太腿が むくんでしまうようになりました。 これは勝手に 浮腫んでいる間は装具を外すという方法で むくみを解決しました。

 そんな風に 自己判断で生活していたので リハビリの私の担当の宮下先生に 呆れられて
 「毎週、リハビリに来なくては 駄目だね!」と 言われてしまうかも?と ちょっぴり心配していたんです。

 でも、そうはいっても 毎日のストレッチは ちゃんとこなしていましたし 昨日からはびっくりするくらい上手に歩けるように なってきていましたからね~。
山の生活は 想像以上に足に負担を強いるわけだし。


 宮下先生は 「いいですね。 順調に回復していますよ。」と 言ってくださいました。
 内心、「ホッ~ (^▽^)。」 一安心。

 「じゃあ、今度は片足で 立ち上げれるようにしましょう。」
 「この高さで左足だけで 立てますか?」

 「おっ??」 立てないじゃん!

 「まだ、立てないですよね? 怖いですか?」
 「気持ちは立ちたいんですけれど、足が言うことを聞きません…。」
 「いいですよ。 当然なんです。 これが出来て初めて歩けるようになることですからね。」

 そして 今度は片足で(怪我をした方の)立てるようになる為の 新しい課題を出されました。 片足立ちのストレッチが 追加です。

 「今度来たときには 出来るようになってますからね。」
 「頑張ります~ (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ 」

 そんな今日の 楽しいリハビリは おしまい。
次は 診察がある 11月30日です。 
その時には もう少しかっこよく歩けるようになれるかな?

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2011年11月10日 (木)

入院… ④

 今日は 本当に綺麗な 青空でした。

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 リハビリと称して メグタのお散歩のオマケで 私の大好きな原っぱに 出かけてみました。 この頃の ダンナの口癖は 「リハビリだよ! 歩け!歩け!」です。
やたらめったら 歩けばいいというものでもない 術後6週間の傷口ですけど…。
もちろん メグタは ダンナが引っ張って歩いてくれています。
ひょこひょこっぽい 歩き方の私は どうしても 置いてけぼりなのですが 途中で必ず メグタは 振り返って待ってて くれます。

 それにしても、やっぱり 安曇野は いいなぁ~。

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             キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 さて、今日は10月4日 「手術の日」のお話ですよ。

 手術の日は 朝から 何も食べてはいけません。
私の手術の時間は 午後1時からだったので 朝食と昼食の2回分を抜きます。
前日の夜に 浣腸もしてあるので 私の体の中には 食べ物がなんにも入っていない状態が 15時間も続いているわけです。

これを書きながら よく我慢できたなぁ~と 思ってしまうのですが 手術前の神経は多分とってもデリケートで 食事なんか取らなくても お腹が空いた~ぁとは 全然感じないのですよ。 これは多分 経験者は同じでしょ? 私だけじゃないはず。

 手術は 全身麻酔でした。
なので 手術室に運ばれて 血圧や心電図なんかをセットされて 腰に麻酔を打たれた状態で 足がポカポカとしてきて いつのまにか意識が朦朧としてきました。

って、ところで 私の記憶はないのですが…。

 次に 「何か声がする~みたい。」と思った時は ガタンガタンとベッドが移動中でした。
 「手術は終わったんだ~?」と 思いました。

 「声が聞こえますか~ぁ~? お部屋に帰ってきましたよぉ~ぉ。」
こんな感じで 少しずつ 世界が明るくなってきました。
意識は戻っているものの なんだか ムショ~に眠い~。

 「起きてるのかぁ?」
ダンナの声が聞こえます。
 「起きてるよ。」 だけど、だけど…だって 目を開けていられない~ってことが あるんだなぁ~(-.-)zZ (-.-)zZ  (´△`)Zzzz・・・。o○

 院長先生や リハビリの先生が 見えたことや 看護婦さんが術後の点滴を打ちに来てくれたことも 意識の中にはちゃんと確認できていました。
が、私の麻酔はよ~く効いていたらしく 完全に目覚めたのは 午後6時ごろでした。

 ダンナは夕方 院長先生のその後の経過を経過を聞いて 大急ぎで帰っていきました。


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 これが 私の切れた靭帯の内視鏡の写真。 ちょっと((((;゚Д゚))))ビックリだよね。

 下の写真も手術後に 先生が 手渡してくださった私の手術のレントゲンです。
自分の左足の筋肉を使った新しい靭帯は 左右2針ずつで つなぎ合わせてありました。(後で抜糸の時に 糸の数を数えたの) 傷はとっても小さなものでした。
膝の右側に 3センチばかりの傷跡があります。 この傷は内視鏡を入れた時の傷です。
4針縫ったので 今はその傷が一番大きな傷として残っています。

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 こんな話を 先生はダンナにしたんだろうけど 私はその時 半分ウトウトしてました。

 私の回復を待って 看護師さんが遅い夕食を 用意してくれました。
絶食状態だったので 小さなおにぎりを1つ やっと 食べるだけでお腹がいっぱいになりました。

 それから また 朝まで延々と寝て 手術から翌朝までほとんど こんこんと眠り続けたのでした。

  ということで、今日はおしまい。
明日は 1週間ぶりに リハビリに病院へ行かなくっちゃならないので お休みします。
 (o・・o)/~ (o・・o)/~

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2011年11月 9日 (水)

入院… ③

 森は 至るところで 大きなな紅葉が 終わりかけています。

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 それでも 私が帰ってくるのを そっと待っていてくれた…か のような 今 こっそりと色染いたかのような 小さな秋が 見え隠れしているのを見つけると ちょっと嬉しくなります。

 坂道やでこぼこ道の多い森の道は リハビリ状態の今の私には とっても歩きにくい小道です。
でも、この空気!冷たい風!~。
そして 黄色から茶色に変わっていく瞬間が 秋から冬へのフィナーレなのだから…。
今年も間に合って よかったです。

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  さて、10月3日 病院に着くあたりから 書き始めましょうか~。

 「モブログ」からの 投稿の記事「入院の日」 でも書きましたが、
入院初日 私たちは遅刻してしまいました。
 病院からは 「10時までに到着するように。」と 前回の診察の時に 看護師さんにくれぐれも 言われていました。 
 その朝、車は 7時50分には ちゃんと 穂高の家を出発したんですよ。
予定では らくらく 10時には 病院の受付で看護婦さんに お出迎えを受けている…はずだったのになぁ


 佐久市には 松本方向から行くとしたら 普通は三才山トンネル」を通って行きます。
以前 有料道路は開通から何年後かには 無料になるという話があったはずなのに
 いつまでたっても 500円を請求される有料道路が「三才山トンネル」です。
確かに「三才山」を登っていた時と比べたら 「トンネル」は 便利だし安全です。
が、うちのダンナに言わせると 
 「登攀車線が少ないので のろいダンプカーやバスの後ろに付いてしまったら 追い越せる場所がほとんどない。 せっかく500円も払っているのに 時間的にも精神的にも 疲れるwwww!」なのだそうな。

 それで この日も 「三才山」じゃない別の道で行くと言い出して
 「絶対に間にあうから大丈夫!」と自信満々で 出発しました。

 通ったのは 扉峠を突っ切って行くコース。
 「どうだ! いい景色だろう!」
私はと言えば 入院や手術のことで頭がいっぱいで せっかくの綺麗な景色を眺めて楽しむ余裕なんて 全然なかったわけです。 ごめんなさ~い m(_ _)m

 それよりも 「ねぇ、ねぇ。 間に合うの?」という方が 本気で心配でした。
だってね、出発してから2時間経っても 山道を走っていたんだから~焦るよね。  

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 それで 病院に到着したのは 10時30分。
あきらかに 遅刻ですよね。
受付で 声をかけると 2階の病室の看護婦さんが 大急ぎでやって来てくれました。

 「遅れてゴメンナサイ~!」
 「いえいえ、いいですよ。」

 私の最初の病室は 新館の2階 ナースセンターのすぐ隣。
手術を受ける人は まず ここかナースセンターの反対側にある個室に 入れられます。
新館は 要するに看護が必要な人の病室で 差額ベッドが必要といわれる部屋です。
 
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  取りあえず 私を無事に(?)送り届けてくれたダンナは ここで 早々に帰っていきました。
 「明日、手術の時に来るからね。」
 「ありがとう。」

 私の部屋は 2人部屋でした。
お隣さんは 44歳の右足骨折の お母さん。 19歳のお嬢さんがちょうどお見舞いに
やって来ていたところでした。

 「こんにちは。 よろしくお願いします。」
 「こちらこそ よろしく。」
 持ってきた荷物を 備え付けのテーブル等に 片付けて 持参のパジャマに着替えて…
その後は……。
 なんか 私のこと忘れていない?って 思えるほどの長い時間 何にもすることがない。
仕方がないので ちょっと松葉杖で 2階の散策…とか。

 初めてのお昼ご飯が 終わった頃、看護師さんたちが動き始めました。
手術の説明が始まります。
 私のベッドの周りには 写真のような酸素呼吸器や もしもの為の準備品が並び
前日の注意事項を書いたプリントが 手渡されました。
手術に向かって 準備は着々と進んでいきます。

 「夜の9時以後は 水以外何も食べてはいけません。
消灯前に 浣腸をしていただきます。」
 「わかりました。」
 「夜は 眠れそうですか? 眠れないようでしたら睡眠薬を用意しますが?」
 「大丈夫です。 眠れると思います。」 


★゜・。。・゜゜・。☆゜・。。・゜゜ 消灯時間は 9時ですよ ★゜・。。・゜゜・☆゜・。。・゜゜・。。・゜

 
長くて短い 夜が更けていきました。



   今日はこのへんで (o・・o)/~ 
明日は「手術の日」のお話です。 


  

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